第103話 「月夜に釜を抜かれる」
料理勝負が決まった日の翌日。
稲豊は厨房で対決に使う食材を吟味していた――――訳でなく、その足はまたもエルルゥ家の土を踏んでいた。
「…………なんなんだ貴様は?」
ノッカーを鳴らす稲豊を出迎えたネロは、怪訝な顔をしてそう漏らす。
十日足らずの内に運命を分ける勝負が始まると言うのに、再び現れた少年の顔は実に涼しげ。それが理解できなかったのである。
「コックにとっての戦場、その下見に来たんよ。次が偵察やって」
「僕の腕は厨房見学のついでと? どこまでも舐められたものだ」
稲豊の代わりに答えたのは、背後で控えていたマリアンヌだ。
ネロは表情をより険しいものにしたが、直ぐに首を振り平常心を取り戻す。今の彼は絶対の自信に満ち溢れていた。
「んで? 調理場ぐらい覗かせてくれるんだろ?」
「別に構わないさ、見られて困る物は何も無い。――――料理の腕も含めてな」
不敵に笑うネロに先導され、稲豊とマリアンヌとタルタルの三人は、白い絨毯の敷かれた廊下を進む。そしてT字路に差し掛かったところで、不意にマリアンヌが右手を上げた。
「悪いんやけど、ウチはあの二人に用があんねん。取り次いでくれへん?」
昨日とは違い積極的に姉妹に近付こうとするマリアンヌに、ネロは猜疑心の瞳を向ける。だが相手は王候補の一人、何かが間違って魔王になる可能性も0ではない。ネロは渋々ながらも「承知致しました」と返答し、両手を二度打ち合わせた。
すると廊下奥よりバタバタと走る音が聞こえ、アヒル人間のカールが皆の前に姿を現す。
「アレスグア様をご主人様達の所へお連れするんだ、粗相の無いようにな」
ネロが言うとカールは頷き、マリアンヌの前でピンと立った。
そして「ついてきて」と言わんばかりに、彼女へと無垢な瞳を投げ掛ける。
「ほなハニー、また後でな」
「ああ、粗相の無いようにな?」
「は~い!」
皮肉を理解せず無邪気に手を振るマリアンヌ。
稲豊はその姿を微笑ましく見送った後で、タルタルと共にネロの後に従う。本来、外出時はタルタルはマリーの側に居るのが当然なのだが、稲豊の万が一を考えたマリアンヌは、今日の護衛を少年に譲ったのである。
「ここがそうだ」
ネロが白く大きな両開きの扉を開くと、様々な食器や調理器具たちが三人を出迎る。それらは潔癖なまでに整頓され、厨房の主の性格を顕著に表していた。
「お~! ルト様の屋敷の厨房も凄いと思ったけど、ここも負けてないな」
「この包丁とかー、かなりの業物だねー」
「ほう? なかなかどうして、厨房を見る目があるじゃあないか」
子供のように燥ぐ稲豊とタルタルの様子は、ネロにとっても悪い気のするものではない。寧ろ得意気となった彼は、意気揚々と二人の輪に加わっていった。
「これって挽肉器か? こんなもん市販してんの?」
「まさか、僕が特注したのさ。ドワーフの中でも一二を争う腕利きにな。まぁ、それ故に懐は寂しくなったが」
「そんじゃー、この包丁はー?」
「その包丁の刃先はオリハルコンで作られているんだ。丈夫で長持ちな上に切れ味は最高。かなり値は張ったが、一流のコックは道具にも気を使うものさ。その方がモチベーションも違うからな」
得意げに回答するネロに次々と質問を投げ掛けていた稲豊は、やがて一つの“物”の前で足を止める。そしてそれをまじまじと眺めた後で、
「なあ、これってまさか……?」
と、ネロに声を掛けた。
すると青年は「ふん」と鼻を鳴らした後で、興奮気味に開口する。
「それに目をつけるとはお目が高いじゃないか! そいつは“食器乾燥機”と言って、洗ったばかりの食器を火と風の魔石を応用して乾燥させるものだ。世界でも僕しか持っていない貴重品だぞ」
シンクの隣に置かれたそれは、食器を並べる棚の下部分と、食器を覆うドーム状の曇り硝子の上部分とに分かれている。その二つを重ねドーム部分のボタンを押すことで、魔石が温風を送る仕組みとなっているのだ。
稲豊は使い方を説明される中で、異世界に地球同様の文明の利器が存在していた事に関心を覚えつつ、同時にその発明者について興味を持った。
「さっき“らしい”って言ってたけどさ、つまりこれはお前が考えた物じゃないって事だよな?」
「僕は料理人で発明家じゃあない。食器乾燥機は譲り受けたものさ、他でもないルートミリア様からな」
ネロの放った言葉に、稲豊は「はぁ?」と首を捻った。
“食器乾燥機”と“ルートミリア”、その二つの結び付きが見えては来なかったのである。難しい顔をする少年を見たネロは、「何も知らないんだな?」と言わんばかりに呆れ顔を披露した。
「ルートミリア様の母君である『リリト=クロウリー』様は、高名な“発明家”なのさ。彼女はこの世界に様々な恩恵を齎した。つまみを捻れば火が出る仕組みも、蛇口を捻れば水が出る仕組みもリリト様が考えたんだ」
「へぇ、初めて知ったわ。ルト様は母親の事を話さないからなぁ」
「風呂を沸かす装置も彼女の発明だねー、ほんとリリト様様だよー」
再び首を傾ける稲豊に、今度はタルタルが声を掛ける。
皆に浸透している『リリト』の名前。稲豊はそんな大人物の母を語りたがらないルートミリアに違和感を覚えた。
もちろん、少年とて触れて欲しくない過去の一つや二つを持ち合わせているので、問い質すような無粋な真似はしない。だが、湧き上がる好奇心まではどうしようも無いのだ。稲豊はその顔を想像し、『会いたいな』と心の中で言葉に変えた。
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「本当に僕の料理を試さなくても良いのか? 今なら当日作るメニューの一つぐらい馳走してやるが?」
「そうしたら不公平になっちゃうからな。楽しみは勝負の時まで取っておくよ」
「殊勝な態度だな、少しだけ見直してやる」
稲豊は厨房を見ただけで、本当にその場を引き上げる。
敵から出た有り難い申し出を蹴った少年は、またも護衛のタルタルと共にネロの後ろを歩いた。目指す先は二階のバルコニー、三人の王女がティータイムを嗜んでいる場所である。
白の階段を上った後で左に曲がれば、次に現れたのは黒の廊下。
バルコニーへと繋がるガラス戸は、その長い廊下の途中にあるのだ。
「あ! 偵察は終わったん?」
十畳ほどのバルコニーには、ガラスで出来たテーブルと三脚の椅子が置かれ、その椅子は三人の王女で埋まっていた。内の一人が稲豊に気付き声を上げ、必然的に皆の視線が少年に集まる事となる。
「ああ、なかなか有意義な時間が過ごせたよ」
「なら良かった! ウチも楽しくお茶してるとこや」
腰掛けるマリーに近付いた稲豊は、先ずテーブルに置かれたカップへ視線を走らせ、次にその持ち主へと顔を向ける。
「どもッス! お邪魔してます」
「本当にな、姉妹の団欒を何だと思っているんだ」
「いえいえ、お構いなくぅ。クリステラお姉さまはこう言ってますけど、お気になさらないで?」
挨拶をした稲豊だが、反応は姉妹でまるで違う。
苦笑いを浮かべた少年は、視線を少し彷徨わせた結果、ある“者”と視線をかち合わせた。それは双子王女の背後に控えるミアキスだ。ミアキスは稲豊と目が合った瞬間、申し訳なさそうに視線を逸す。その意味を知っているのは、この場ではネロしかいない。
「ネロ、お客様に椅子とお茶を持ってきて下さる?」
「お話をなされるのですか……?」
「来たばかりでお帰りいただくのも何ですし、アリステラ達は異世界人に興味がありますの。お話を聞いてみたいわぁ」
言い出したら聞かないアリステラの性格を良く知っているネロは、「承知致しました」と頭を下げ、椅子を求めてバルコニーを去る。展開に納得のいっていないクリステラは眉を顰めたが、彼女だって妹の性格を知っている。姉は嘆息しながらも、カップの茶と一緒に状況を呑み込んだ。
やがて二つの椅子と茶入りのカップが並べられ、用事のあるネロは厨房へと戻て行った。稲豊とタルタルは仕方なくマリーの両隣に置かれた椅子へと腰を下ろし、双子王女とテーブル越しに向かい合う。
「異世界とはどんな所なんですのぉ? 魔物はどれくらいおりますの? どんな魔法が流行っているのかしらぁ? 国の数は? 治安は? お食事は?」
「質問ラッシュだねー、シモッチ」
緋色の瞳をキラキラと輝かせながら、アリステラは矢継ぎ早に質問を稲豊へと投げ掛ける。傍で聞いていたタルタルは頬を掻きながらそれを茶化すが、稲豊はと言うと――
「魔物や魔法は存在しませんけど、この世界と共通する部分も多々あります。俺の住んでる場所は平和だったけど、他国ではいつも戦争をしているところもあるし、種族間での差別もある。三百以上も国があれば仕方ないのかも知れませんけどね。食事に関しては俺が恵まれていたと言うのもあると思うんですが、美味いもんは沢山ありますよ」
「さすがやねハニー。『質問は一つずつお願いします!』みたいな反応が普通やのに、余すこと無く回答しとる。男らしゅうて痺れるわぁ~」
しっかりとした回答をする少年を、マリーは少女の瞳で見つめる。
そんな光景も全く意に介さず、アリステラはジッと稲豊の瞳を覗き込んだ。『先程の言葉に嘘がないか?』彼女なりの真偽の判断方法だったが、やがてアリステラの方から視線を逸らすと、テーブル上のティーカップを口へと運び中身を呷った。
「クリステラお姉さまもぉ、この機会に伺ってみてはいかがかしらぁ?」
「ふん、こんな怪しげな男に訊ねる事など……」
アリステラの配慮を一蹴したクリステラだが、その瞳はチラチラと稲豊の方を何度も向き、組んだ足は忙しなく上下に動き続けている。明らかに落ち着きがない様子なのに、本人の口から出るのは否定の言葉。妹は呆れ顔で椅子から立ち上がると、背後から姉の肩に両手を置いた。
「嘘が下手なクリステラお姉さま。意地ではなく、胸を張って心の声に従って下さいな。異世界について興味がおありなんでしょうぉ?」
「う……っ!」
図星を突かれたクリステラの肌は、瞬く間に白から桜色に変わる。
そして誤魔化すように一度咳払いをし、不遜な顔を再び形成し口を開いた。
「――そうだな、貴様がいつこの場所にやって来たのか訊かせて貰おうか?」
妹に背中を押された姉が口にした質問は、稲豊が“世界”に来訪した日付。
少年は少しだけ思考した後、その記念すべき日を口にする。
「えっと確か、インドラの月九日ッス」
「…………なに?」
記念日を耳にしたクリステラは、驚きの混じった真剣な顔を浮かべ、稲豊の言葉を復唱する。
「インドラの月九日だと? 間違いないか?」
「え、ええ」
彼女の表情の変わり具合に驚いた稲豊は、軽く狼狽しつつも首を縦に振った。
そしてその際に稲豊は、表情を変えた者が一人ではなかった事に気が付く。クリステラの背後に立つアリステラも、先程までの愉快な顔は何処へやら。難しい顔をし、俯き気味に物思いに耽っている。
「ふっ、まさかな」
やがてそんな台詞と共に首を振ったクリステラは、気を取り直し次の質問へと移行した。
「では次の質問だ。貴様がこの世界に来る前、つまりは元いた世界での話になるが、何か大きな出来事はなかったか?」
「大きな出来事?」
「身近なものではなく、世界規模での大事件はなかったかと聞いている」
今度は稲豊が復唱をする番となった。
質問の意図が理解できない彼だったが、それでも記憶の糸を手繰って寄せる。しかしいくら記憶の海を潜っても、何かが引っ掛かる気配はまるでない。
歴史も良く知らない国での戦争、芸能人の不倫、有名映画の続編の決定。
世間を賑わすニュースはテレビやラジオから流れていたが、そんな情報をクリステラが期待している筈はない。
「ちょっと……心当たりは無いッスね」
稲豊の言葉を首を長くして待っていたクリステラは、その返事を聞いて「そうか」と肩をがっくり落とす。そんな様子を見ていられなかったアリステラは、姉の肩に置いた手に力を込める。
「お姉さまったら関心がない振りをして、本当は彼の世界に興味津々だったんですのねぇ? 次わぁ、彼の好きな女性のタイプでもお伺いになりますのぉ?」
「なっ!? ふ、ふざけるなアリステラ!!」
「あっははは! クリステラお姉さまがお怒りだわぁ!」
顔を真っ赤にし怒鳴る姉から、妹は愉しげに逃げ回る。
そしてアリステラは稲豊を盾にするかのように、その背後へと身を隠した。
「くぉらアリス! ハニーに馴れ馴れしく触るんやない!」
「良いじゃありませんのぉ、マリアンヌお姉さま。異世界について、色々と教えて頂いたお礼をさせて頂きたいのよぅ」
「いやいや、礼を貰うほどの情報出してませんから!」
礼を否定する稲豊だが、アリステラは「いいからいいから」と、問答無用に少年を立ち上がらせる。そして彼女は稲豊の正面に立つと、蠱惑的な笑みを浮かべ、
「――――お礼に教えて差し上げますわぁ、『油断大敵』その意味を」
その華奢な右腕で、稲豊の心臓を貫いた。




