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メシマズ異世界の食糧改革  作者: 空亡
第四章 魔王の仲間

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第99話  「四年前 中編」



 ミアキスは一日も欠かさずポタロ村に足を運んだ。

ときにレトリアから剣と魔法の教授を受け、ときに村の人間達の手伝いをし交流を深める。ミアキスは充実した毎日に幸せを感じていた。


 しかし、二人が急な出会いを向かえたように、その別れも急に訪れる。

 いつもの村外れで、いつものように楽しい時間を過ごした後、レトリアは唐突にミアキスに切り出した。


「調査も終わったみたいで、明後日この村を去ることになったの。急でごめんなさい……。私も今朝に聞かされたものだから」


 別れの言葉は、覚悟を決めていたはずのミアキスの心を深く抉る。

 なんとか「そうか」とだけ零した人狼であったが、その表情は悲壮感で溢れていた。


 少数名の住む人狼族の村では、ミアキスに近い年齢の人狼はいない。

 初めての友人とも呼ぶべき少女レトリアの存在が、ミアキスの中ではとても大きなものとなっていたのだ。


 そしてそれは、黒髪の少女にとっても同じこと。魔物という立場でありながら命を助け、どこか人懐こい人狼は少女にとっても大切な存在と成りつつあった。


「私は馬も持っていないし、何よりエデン国を勝手に出ることは許可されてないわ。だから……次に会えるのはかなり先の事になると思う」


 追い打ちとも取れる少女の言葉に、ミアキスの表情がより一層沈んだものとなる。レトリアは寂しそうに尻尾を巻く人狼の悲哀を肌で感じながら、それでも瞳を強く維持した。そしてミアキスを元気づける為と、エデン国の“ある話題”を持ち上げる。


「実はねミアキス? 今エデン国では、“魔物との共存”を訴える団体も出てきているの。どうしてそんな団体が生まれたのか分かる?」


「え?」


 物憂げな瞳から一点。

 ミアキスの顔に『何故』の二文字が表れる。


「この村の人達がエデン国に赴いた際に伝えた人狼族の情報。それがあれよあれよと広がって、そんな団体を生む力になったの。もしその輪が国を動かすほどに大きなものとなったら、いつか私と貴女が同じ場所で暮らす事もあり得るのかも知れない!」


「まさかそんな……夢物語だ」


「夢じゃないわ! だって現に、人狼族とポタロ村の人達は共生しているじゃない。願えば叶うって私は信じてる。だから――――貴女も信じて? 魔物と人は、共存出来るって」


 少女の瞳の熱が移ったかのように、ミアキスの瞳に力が戻ってくる。

 そしてその力を足にも伝えた人狼は切り株から立ち上がると、鍛錬に使っていた木剣を手に取り「信じよう」と剣を掲げた。


「いつか来るその日まで、互いに夢を追い続けよう。明日見送りには来るが、その次に相見える時は――」


「私は騎士として。貴女は戦士として――ね」


 レトリアもミアキスに習い木剣を空へとかざす。

 交差する二つの切っ先を眺めながら、二人はここに再会の誓いを交わした。



:::::::::::::::::::::::::::



 誓いを交わした翌日。

 つまりはレトリアがポタロ村を離れる日の前日にも関わらず、ミアキスは鍛錬を欠かさなかった。日頃の習慣でもあったし、何より昨日の誓いが人狼の心を強く焚き付けたのだ。

 

『もっともっと誇り高く、強くなりたい』


 そんな想いを胸に抱いたミアキスは、狩りに出掛ける戦士達よりも早く起き、人狼族の村を少し離れた森の中に足を運んでいた。猛獣の通り道でも無いその場所は、彼女自身が用意した自主鍛錬場である。ミアキスはここに重りや弓の的を持ち運び、物心ついた時から人知れず鍛錬を重ねてきた。


「ふっ! はあ!」


 気合を込めて木剣を振り、その手応えに彼女が小さな笑みを浮かべたその時。

 ミアキスの耳がピクリと反応を見せる。


「…………なんだ?」


 薄明を迎えたばかりの、まだまだ影が支配する森の中。

 自分以外の誰もいないはずのその場所で、ミアキスは確かに何かの“声”を聴いた。それは微かなものであったが、『人狼族』という彼女のしゅがその声を聴き逃しはしなかったのだ。


 息を潜ませたミアキスは、何かに導かれるかのように声のした方向を目指す。

 そして音を小さくする彼女とは対照的に、徐々に大きくなっていく誰かの話し声。それは遂に、その姿を捉えるまでの距離に近付く。


「あれは――」


 生い茂った草の壁に身を隠したミアキスは、声の主である“二人の男”を見て首をひねった。何故なら、そこにいたのは彼女の想像外の存在であったからだ。


「急な話で随分と悩んだ……。だが、確実な対価を得られると言うのであれば……」


 険しい表情で声を絞り出したのは、村の代表。

 そう――――ミアキス含む人狼達の族長であった。族長は覚悟を決めた瞳でもって、正面の者を真っ直ぐに見つめている。


「無論。“事”が終われば、矢庭にでも迎え入れよう。正し刻限はたしかに守っていただきたい。時を重ねて擴大かくだいされては意味が無いのでね」


 族長の前にいた人物は、静かだが強い口調でそう告げる。

 大きな瞳と鼻、そして三つに結った黒髪が特徴の老人。ミアキスはその老人について心当たりがあった。


『あれは……神官長か?』


 二人に聴こえてはいけないと、ミアキスは心の中で自身に問い掛ける。

 そしてその問いは、彼女がレトリアとした他愛もない会話を記憶から呼び起こした。


 ポタロ村に来た僧兵達のリーダー。神官であり、第二天使でもあるその者の名は『トロアスタ=マーダーオーダー』。ミアキスがレトリアから聞いたその特徴は、族長の前の老人と合致している。


 その正体が分かれば、当然の如く別の疑問も首をもたげだす。

 朝方の人気のない森の中で、真剣な表情で語り合う人狼族と隊の代表。ミアキスはそこに何かしらの“不穏”を感じ、今まで以上に耳に神経を集中させた。二人がこの場にいる理由が、彼女にはどうしても気になったのである。


「理解している……。明日の朝、我々人狼族は――」


 そしてそんな彼女の心情を察したかのように、族長はその理由を口にする。

 それを草陰くさかげで聞いたミアキスは、生まれた時から頼りにしてきた我が耳を疑う結果となった。彼女の耳が正しいとするならば、確かに族長はこう言ったのだ。



『ポタロ村を訪れ、住民達を一人残らず粛清する』――――――と。



 草陰で驚愕するミアキスを余所に、人狼族の長と僧兵達の隊長は、


「結構、一人も逃す事のなきように。ではまた」


「…………承知」


 簡潔に別れを済ませる。

 そして、ポタロ村の方向へと去って行く大参謀。その場に残された族長は、暗い瞳で黒衣の老人の背中を見送った。


 やがて老人の気配を全く感じられなくなった頃に、族長は嘆息しながら体を反転させる。そして――――


「む…………お前はロックブラッド家の……ミアキスか?」


 険しい表情をしたミアキスの存在に気が付く。

 草陰を離れ族長の前に飛び出ていた彼女は、導火線が燃え尽きるのを待つこと無く爆発する。


「今の話はどういうことなんですか!! 共存してきたポタロ村の者達を……一人残さず殺すと、私にはそう聞こえました! 訊き間違いだと言って下さい族長! 私の耳がおかしくなったのだと!!」


 詰め寄ったミアキスの剣幕を見ても、族長はただ眉間に皺を寄せるだけで、彼女の欲しかった言葉を発しはしなかった。その態度からは、先程の会話が冗談では無かった事が如実に伺える。ミアキスは「嘘だ」と蹌踉よろめいた後で、眼前の族長を憎しみを込めた瞳で睨みつけた。


「仕方のないことなのだ。トロアスタの言う通りにしなければ……人狼族に滅びが訪れてしまう」


「――――滅び?」


 唐突に飛び出した不吉な言葉に、ミアキスは大きく目を見開く。

 そんな彼女の様子を横目に見ながら、族長は諦めたかのようにぽつりぽつりと理由を口にした。


「エデンの軍がポタロ村の者達を調査した結果、人だけに流行る疫病が多く確認されたらしい。このままではポタロ村が全滅するだけでなく、エデンの民にまで影響が出るかも知れん。かといって人間が粛清に乗り出せば感染の可能性が出て来る、だからトロアスタは我々に頼んだのだ」


「そ……そんな……。う、嘘だ! あいつは嘘をついているんです!」


 疫病に感染。


 ミアキスの脳内でその言葉が何度も反復し、親交を深めたポタロ村の住人達が浮かんでは消える。記憶の中の彼らはいつも元気で、病魔に侵されているなど彼女にはどうしても信じる事が出来なかった。そしてそれは、族長とて同じ気持ちであったのだ。


「“大参謀”とまでうたわれる男だ。確かにそれはただの口実なのかも知れん。だが、それが真実か否かなどは些細なこと。大切なのは、粛清を行う事で人狼族が救われる事にある」


「私達が救われる? 意味が……分からない」


 混乱を極めていた彼女の頭だったが、それでも何とか理解しようと務める。

 聞き返したミアキスの質問に、族長は再び口を開いた。


「今まで人狼族は、エデン国にも魔王国にも味方をしては来なかった。対岸で起きた火事のように、知らぬ存ぜぬで生きてきた。だが……これからの戦乱の時代、必ず一方に付かねばならない時がやって来る。今回トロアスタが接触をして来たように……な」


 天を仰ぎ過去に思いを馳せる族長の姿が、ミアキスの瞳にはとても寂しそうに映った。だが、族長の話はまだ終わらない。


「大きな衝突が起これば、国境の近くにあるこの里は戦火に巻き込まれる事となる。中立を貫く者達など、両国にとっては目の上のこぶでしかない。どちらの国からも攻撃を受け、人狼族は瞬く間に歴史より姿を消すだろう。そうなる前に、トロアスタは我々に好機をくれた。もし彼の言う通りに粛清を行ったのならば、エデン国としてこの土地を保護する。そう誓いを交わしたのだ」


「エデン国の…………保護?」


「そうだミアキス。人狼族はこれから、エデン国の一部として生きる事となる。森の戦士は、エデン国の戦士に変わるのだ。夜目も利き、小さな音も見逃さない我々は、暗殺に秀でた部隊として魔王国と戦う。それが、先祖代々からの土地と我等を守る、唯一の方法なのだ」


 理由を語った族長の前で、ミアキスは体をわなわなと震わせていた。

 頭では何とか理解した現在の状況を、彼女の心が否定していたのだ。そして心の命じるままに、ミアキスは一つの質問を族長へと投げ掛ける。


「なぜ魔物である我等が……魔王ではなく、人間側へ?」


「人狼族が他の魔物達からなんと呼ばれているか知っているか? 『人間の犬』だ。人と共生していた我等を、奴らは受け入れはしない。人間に付くしかないのだミアキスよ」


「……人間の犬」


 人狼族がそんな不名誉な名で呼ばれているのは、ミアキスには初耳である。

 だがこの時の彼女は、その言葉に全くと言っていいほど違和感を覚えなかった。キッと目をすぼめたミアキスは、絞り出すような声を喉奥から響かせる。


「その通りじゃないか……。嘘か本当かも分からない言葉を鵜呑みにして、何の罪もない人間達を殺す。人狼族の誇りを捨て軍人に尾を振る姿は、『人間の犬』以外の何者でもない!!」


「なんとでも言うが良い。戦士でもないお前では、何を言おうとも結果は覆らん。事さえ起こしてしまえば、反対する者もいなくなるだろう。当然ながら他言は無用。もしも誰かに口を滑らせれば……ミアキス。お前を里より追放する。これは“命令”だ。良く考えろ、その尾が何の為についているのかを……」


 族長はピシャリと話を終わらすと、悔しげなミアキスを残してその場を立ち去った。しばらくの間、俯き呆然と立ち尽くすミアキスだったが、やがて緩慢に面を上げる。その表情に、覚悟と決意を宿して――。



:::::::::::::::::::::::::::::::::::::



 それから数時間後。

 そこには自宅の玄関扉を潜る、一人の人狼の姿があった。

 金色の髪を揺らしながら弓を背負い、強い力で大地を蹴る。目指すはポタロ村。目的地へ向けて意気込み駆け出した彼女だった――――が。


「……そんな顔をして、どこへ行くつもりだミアキス?」


 目の前の道を塞いだ人狼を見て、ミアキスは足を止める。

 歯噛みする彼女の正面に立つのは、普段の締まりのない表情を何処かへと隠した、彼女の父親であった。そして、父の漂わせる真剣な空気を感じ取った彼女の母は、家の裏の畑から姿を現すと同時に声を上げる。


「ミアキス!? あなた一体どうしたの!!」


 悲鳴にも近い母の声を聞いたミアキスは、苦悶に表情を歪ませた。

 今の“自分の状態”を見られたくない二人に、同時に目撃されてしまったからである。敢えて両親が家に居ない時間帯を狙った彼女だが、結果は自身の目論見の甘さを痛感するものとなった。


 ばつの悪そうな顔を浮かべるミアキスに、父は目を細めながら、



「…………尾をどこへやった?」



 と問い掛ける。


 父が眉を顰め、母が嘆いた理由。

 それは娘に生えていた美しい尾が、どこにも見当たらなかった事に他ならない。


 彼女は初めこそ何も告げずに行こうとしたのだが、両親の心配とて当然のことである。知られたからには、もう逃げ場はどこにもない。ミアキスは自身の生き様を表現するかのように、目の前の父を真っ直ぐに見つめ、そして言った。


「私……いや、我は誇り高き人狼族です。しかし皆の中には、どんな命令でも尾を振る人狼もいるかも知れない。けど、我は違う! 正義のない命令に振る尾など、最初から持ち合わせてはいない! 誇りを失ってまで……人狼族でいたいとは思わない……」


 苦しげな表情で、血を吐くように語るミアキス。

 家族を巻き込むわけにはいかない人狼の、精一杯の思いの丈であった。彼女は例え自分がこの里を追放される事になろうとも、自らの【正義】に嘘を付くことだけは、どうしても出来なかった。尾を切ったのは、全てを受け止める覚悟と、族長にはなびかないという不器用な彼女なりの意思表示である。


 それを静かに聞いていた父は、項垂れる娘の前へ近付くと、その大きな右手を彼女の頭へと置く。そしてゆっくりと前後させながら、表情を緩めた。


「まだまだ子供だと思っていたお前が、いつの間にか成長していたんだなぁ。ミアキス、お前の好きなようにやりなさい」


 そう優しく言いミアキスの頭から手を離した彼女の父は、次はその手を自らの腰に回し、装着していた剣を鞘ごと外した。それは金色の輝きを放つ、ロックブラッド家に代々伝わる家宝の片手剣である。父親は取り外した剣を娘の前へ差し出すと、


「お前はもう立派な戦士だ。人狼族としての矜持きょうじを持って進みなさい。父さんに出来なかった事も、お前には出来るかも知れない」


 道を開けながら娘に想いを託した。

 家宝の剣を受け取り、喜びに震えるミアキスの肩に、今度は母の手が置かれる。彼女が振り返ると、母親は全てを察しているかのように無言で頷いた。


「あり……がとう……」


 両親の愛を全身で感じたミアキスは、双眸に涙を浮かべ感謝の言葉を述べる。

 そして受け取った剣を父がそうしていたように腰へと装着すると、彼女は涙を振り払いながら面を上げ、力強く言った。


「父さんと母さんは私の誇りです。だから私も、二人に負けないぐらい誇り高くありたい。だから――行ってきます。父さんと母さんの娘だって、胸を張りたいから!」


「行ってらっしゃい。貴女がこれから何をしたとしても、私達は貴女の味方だからね?」


「行って来い。そんで一人で無理なようだったら、遠慮なく父さん達を頼れ。人狼族の家族の絆は、何よりも強い」


 両親の温かい言葉に背中を押され、ミアキスは「行ってきます」と快活に走り出す。背後に二つの視線を感じつつも、彼女は振り返りはしなかった。ポタロ村へと通じる獣道を進みながら、ミアキスはただ只管ひたすらに前を見つめる。正義を叫ぶ、自身の心を信じて――――。



:::::::::::::::::::::::::::::::::::::



 ポタロ村に到着したミアキスは、すぐにその異変に気が付いた。

 普段村には一人見掛けたら珍しいぐらいの僧兵が、今日に限っては三名もの数で巡回していたのだ。その誰もがピリピリと肌を刺すような雰囲気を孕んでおり、ポタロ村にはかつてないほどの嫌な空気が漂っている。


「疫病の蔓延している村を巡回とはな……。やはりこの件は不明朗ふめいろうすぎる。レトリアはこの事を知っているのか?」


 そんな独り言を呟きながら、金色の人狼は仲良くなった僧兵の少女を捜す。

 レトリアの協力があれば、解決へと導く心強い味方となりうる。ミアキスはそう考えたのである。しかし村のどこを捜索しても、その姿はおろか香りさえ見つける事は出来なかった。


「くっ……。仕方ない」


 時間の許されていない今の状況で、ミアキスは孤独な戦いを強いられる。

 僧兵達の目を盗み彼女が訪れたのは、ポタロ村でも一際大きな民家。そこに住む者が誰であるか? 子供でも知る周知の事実だ。


 周囲を警戒しながらミアキスがその家の扉をノックすると、戸はすんなりと口を開く。体を滑らせるように民家に進入した彼女は、驚く住人を横目に急ぎ扉を閉めた。


「な、なんだなんだ?」


 どこか穏やかではない人狼の様子に、住人の一人である青年が素っ頓狂な声を上げる。そしてそんな二人の様子に導かれるように部屋の奥から現れたのは、口髭を蓄えた初老に近い男。この村の長である。ミアキスの只ならぬ雰囲気を悟った村長は、彼女の挨拶を聞くよりも先に、


「……こっちへ」


 と、ある部屋へと歩き出す。

 そして誘導されるがままにミアキスが通されたのは、彼女にとって好都合な窓のない部屋。この場所ならば、込み入った話も十分に可能。人狼は全身に浮かぶ冷や汗が引いていくのを感じた。


 淡く白い魔石に照らされた部屋の中央には木のテーブルがあり、それが部屋の半分を占めている。会議室の役割も果たす閉鎖的な空間。そこで椅子に腰を落とすのは、村長とミアキスを出迎えた長男。そして部屋奥の扉から現れた次男と、入り口近くの人狼の三人と一匹である。


 緊張した面持ちの長男と、いぶかしげな瞳で人狼を見つめる次男。

 その間に挟まれた村長は、正面に座るミアキスに茶を出した後で口を開く。


「最近良く村に顔を出す娘だな? まず村の長として礼を言う。仕事を手伝ってくれる若い人狼は皆の間で評判でね。感謝するよ」


 表情を緩めた村長の言葉にも、ミアキスの険しい顔は崩れはしない。

 人狼の漂わせる空気に不吉を感じ取った初老間際の男は、面持ちに緊張の色を取り戻す。そして「挨拶は不要なようだ」と前置きし、


「本題を伺おうか人狼族のお嬢さん。今日は何用でこの村へ?」


 核心部分に手を伸ばす。

 口下手な人狼は、その言葉に“待ってました”と言わんばかりに面を上げ、そして――――


「実は……」


 森の中で聞いた族長と神官の話を、包み隠さずポタロ村の長へと語った。


 あまりに衝撃的な内容に、村長と息子二人は驚愕の表情で固まってしまう。しかしそれも仕方がない。目の前の人狼は、村全体に病魔が蔓延はびこり、更には懇意こんいにしてきた人狼族が村人の命を狙っていると言うのだ。


「う、嘘だ! そんなのデタラメだ!」


 そう次男が取り乱すのも、当然の事と言えた。


「落ち着け」


 派手に椅子を倒し立ち上がった次男を父が宥める。

 だがそう話す彼の瞳は、右へ左へ泳いでいた。幾多の困難を経験してきた村長が狼狽するほど、今回の件は寝耳に水であったのだ。


「……どうしてそれを俺達に教える? 族長の意思を裏切ったら、アンタは間違いなく里を追放されるぞ?」


 当惑する次男を横目に、長男は極めて冷静に努めた。

 椅子に深く腰を掛けて腕を組み、そんな質問をミアキスへと投げかける。しかし真面目な彼女に答える事が出来るのは、たった一言だけ。


「我の誇りが……それを良しとしないから」


 嘘偽りのないミアキスの言葉に、村長と長男は「むぅ」と唸った声を出す。

 人狼の様子は、二人にはどうしても嘘をついているようには見えない。どうしたものかと首を捻る村長。


――そんな時。


「コイツは嘘をついているんだ! トロアスタ様がそんなはかりごとをするなんて、信じられない!」


 次男は人差し指をミアキスへ向けて糾弾の言葉を吐く。

 今まで信じてきたエデン国の、それも天使に死の宣告を与えられたのだ。彼の反応は、至って普通の反応と言えるだろう。


 だがそんな反応を受ける事も、ミアキスは重々承知している。

 すんなりと信じて貰えるとは、露ほども考えてはいなかった彼女は、既にある種の覚悟を決めていた。まるでその覚悟を証明するかのように、ミアキスはテーブルを離れる。そして――――


「頼む! 明日一日だけで良いから、この村を離れて欲しい! 襲撃相手さえいなければ、この計画は失敗に終わる。そうなれば、我が必ず皆を説得すると誓う。どうか一日だけでも……この通りだ!」


 そう訴えながら、誇り高き人狼は木の床に額を擦り付けた。

 自尊心の高い人狼族が土下座をするなど前代未聞。ミアキスのその行動には、疑い深い次男も言葉を失わずにはいられなかった。


 そして時が止まる村長宅の会議室。


 結論を出すことに皆が戸惑っていた――――正にその時。

 ある人物の登場が、ミアキスにとっての追い風となる。



「彼女の申し出を受けてはどうかしら?」


 ミアキスを援護する言葉を告げながら、部屋奥の扉から姿を現したのは中年の女性。寝間着に身を包んだ彼女は、誰でもない村長の奥方であった。


「母さん! 寝てなきゃダメじゃないか!」


「はいはい。話を終えたらまた戻るから。それよりもあなた。あたしはこの子が嘘をついているとは思えないの。とても素敵な、まっすぐな瞳をしているわ」


 次男の言葉に苦笑した村長の妻は、視線を夫へと移し、柔和な表情で提案する。

 そんな彼女の助け舟は、悩める男の背中を力いっぱいに押した。


「うむ、一日か……。そうだな……ううむ」


 村を一日離れることは、代表としては大きな決断となる。

 しかもそれが罠だった場合、それは取り返しのつかない結果を生んでしまうのだ。あと一歩踏み出す勇気が湧かず首を捻る村長。彼のそんなジレンマは、


「親父。俺もお袋に賛成だ。信じて騙される方が俺は良い。彼女を疑った挙句に村が滅ぶような事になれば、目も当てられないからな」


 長男からの援護射撃により、解消を迎える。


「……よしわかった。ここはお嬢さんを信じよう! 面を上げてください。貴女は我々の救世主になる御方なのですから」


 村長の下した決断に、ミアキスは「かたじけない」と顔を上げる。

 荒唐無稽な話を信じてくれた人間に感謝をしながら、人狼はこの戦いが勝利へと進んだことを実感した。


「決行は深夜が良いと思う。見張りの僧兵三人は我が何とかするし、避難場所までは我が護衛を務めよう」


「村の者の説得なら任せてくれ。普段している挨拶まわりのていで皆を説得する」


「待てよ。親父一人だと大変だろ? 俺も手伝う」


 ミアキスの作戦を聞いて協力を申し出る村長と、その手伝いを買って出る長男。


「どうせ何も起きやしない」


 相変わらず口を尖らせる次男は、母に「その方が良いじゃない」と説得され、渋々に了承する。


 こうして始まった、【住民大脱走計画】。

 作戦の成功を願うミアキスの頭の中には、一人の人間の少女の事が引っ掛かっていた。


『神官の計画にレトリアが関わっていたとしたら』


 そんな思いが人狼の胸を締め付けるが、動き出した歯車は止まらない。

 ミアキスは己と彼女の正義を強く信じ、どこにいるかも分からない友人へ、憂いに満ちた瞳を送った。



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