第95話 「二人のエルルゥ」
物語の進みが遅い気がする。
ということで、次回からは少しペースを上げようかと思います。
暴言少女に言われた通りの場所に辿り着いた稲豊は、その屋敷の異様さを目の当たりにし、しばらく言葉を失っていた。
家自体は特に目立った箇所の無い、ごくごく普通の貴族の屋敷。
なのに何故“異様”と断ずるのかいうと、その異様の全てが屋敷の“庭”に集約されているからである。
「……何これ?」
庭を見た稲豊が自然とそう零してしまったように、そこは摩訶不思議な物体で溢れ返っていた。少女が言っていた『変な生き物』。稲豊はそれをユニトラの事とばかり考えていたのだが、彼はその認識が甘かった事を思い知る。
頭が二つあるフラミンゴに良く似た鳥、巨大なカメの甲羅から顔を出す大きな鼠、茶の体毛に覆われた小さなサイなど。広い庭の至る所を、そういった謎の生物が跋扈していたのだ。それを敢えて例えるならば、不思議生物達の動物園(檻なし)。といった具合である。
「変わった生き物を創り出すんがアリスの趣味なんよ。今でも相変わらずみたいやね」
「創り出すって……。まあ、他人の趣味にとやかく言っても始まらない。目的地に到着出来たことを喜ぶべきだな、うん」
「でもコレってさー、どうやって入んのー?」
タルタルの言葉を受けて、稲豊は屋敷の周囲を見渡した。
鉄柵で出来た門の向こう、三十メートルほど先には大きな屋敷が見えているのだが、そこに辿り着くには言わずもがな。この奇々怪々な生物の蔓延る庭を突破しなければいけないのだ。
「ここまで来て引き下がる訳にはいかねぇ! 俺は行く!」
勇気を振り絞った稲豊が門に手を掛けると、意外な事に鍵は掛かってはいなかった。彼はゆっくりと門を開け、そろりそろりと庭へと足を踏み入れる。それにマリーとタルタルも続くが、やはり二人とも何処か緊張を隠せない面持ちをしていた。
「意外と……大丈夫そう……」
出来るだけ声を潜め、衣擦れの音にまで配慮しながら進む一行。
珍獣が自身の脇をすり抜けていく度に心臓を跳ねさせながら、それでも稲豊はゆっくりと歩を進める。そして庭の中頃を過ぎた所まで到達した時、彼は安堵の息を薄く吐いた。
「なんだ。普通に行けそうだな。杞憂だったか?」
「せやね。大人しい子達みたいや」
一行の間に安心の空気が流れ出した――――まさにそんな時。
「ん?」
体はカンガルーなのに顔はアリクイという珍妙な生き物が、稲豊の方へと近付いて来る。そして、一行に今までで一番の緊張を持つ風が駆け抜けた。そんな彼等の気持ちを知ってか知らずか? 謎の生物は稲豊の正面で足を止め、首を傾げるように彼を見つめている。
「…………どうしよう?」
撫でるわけにも退かすわけにもいかず、困惑顔を浮かべる稲豊。
無視して脇を通り過ぎるべきなのか?
それとも、謎の生物が移動するまで待つべきなのか?
彼がそんな葛藤を浮かべていたの束の間、先に動いたのは謎の生物からだった。
生物は長い舌をチロリと覗かせると、それを稲豊の顔にベロリと這わす。
「うわっ!?」
それ自体が意思を持ってるような舌に顔を撫でられ、稲豊は思わずそんな声を上げた。そしてその行動が“悪手”だと彼が気付かされたのは、それからすぐのことであった。
「うおわぁ!!」
「ハニー!?」
驚き声に反応した他の生物達が、何を思ったのか? 我先にと少年に群がったのである。瞬く間に大小様々な生物に揉みくちゃにされる稲豊。マリアンヌやタルタルは当然救出に向かうが、あまりに数が多すぎる。近付こうにも近付けず、マリーは泣きそうな顔で彼の名を呼ぶばかりだ。
「このままじゃハニーが! こうなったら地魔法で一掃するしか!!」
「ダメですよー、シモッチも一緒に吹き飛んじゃいますって。ほらー? 騒いだから何か来たみたいですよー?」
「え?」
庭の生き物達の騒ぎは、当然の如く屋敷で働く者達の耳にも届く。
そして駆けつけた“その者”もそれは同じ。その使用人は勇敢にも生き物群がる庭へと突入し、手にした餌を周囲にばら撒いた。餌を求めて稲豊を囲った輪を広げていく生物達、やがてそれは散り散りとなり、ようやく中心部が陽光に照らされる。
「ハニー!! 無事!?」
いち早く少年に駆け寄り、うつ伏せに倒れていた彼を抱き起こしたマリアンヌは、心からの心配の声を出す。
「………………なんとか」
稲豊が返事をしたことで、マリーもしばらくぶりに表情を緩める。
少年は体中が涎まみれになっただけで、無傷のままに生還したのだ。
「シモッチもタフだね―。まーそれでも、いちおーあの子に感謝しといた方が良いと思うよー?」
「…………あの子?」
状況が理解できない稲豊がタルタルの見ている方へ視線を向けると、そこには“何か”がポツンと佇んでいた。
背は稲豊の腰ぐらい。
白い羽毛に覆われた腕、平たく伸びた黄色い嘴。それと同様の色をした、水かきの付いた細い足。白いお尻を小刻みに振ったその姿は、稲豊の元いた世界のアヒルを連想させる。
上半身にだけ服を着た“アヒル人間”は、黒真珠のようなつぶらな瞳で稲豊の方をジッと見つめていた。
「お? もしかして助けてくれたのか? ありがとな。助かった」
稲豊はその生き物の脇に、餌の入ったバケツを見つけ状況を理解する。
そしてすかさず体を起こし感謝の言葉を述べるが、アヒル人間はモジモジと照れたような仕草をするだけで、口を開くような事はしなかった。
「話せないタイプの魔物かなー? この子かなり獣寄りだからねー」
「ああ。なるほど」
人間がベースのようなタルタルと違い、稲豊の眼前にいる魔物は殆ど魔獣と言っても過言ではない。服を着ていなければ、初見は誰だって周りの生物の一匹としか思わないだろう。稲豊がうんうんと納得の頷きを見せたところで、彼の知る顔が屋敷の扉より姿を現した。
「どうした『カール』。何か異変でも――――って、またお前か」
「よ! また俺だよ」
煩わしそうな顔を向けてくるネロに、稲豊は逆に不敵な笑みを返す。
しばらくの間、視線をぶつけ合う両者だが、それはネロがある事実に気付いた事で終わりを告げる。
「間違っていたら申し訳ないのですが、貴女様はルヴィアース様ではいらっしゃいませんか? クリステラ・アリステラ様の姉君の」
稲豊の事など忘れてしまったかのように、マリアンヌに近付き恭しく頭を下げるネロ。言葉を向けられた彼女はバサと広げた扇子で口元を隠し、普段とは違う厳かな声を発した。
「マリアンヌで構わない。今日は久方ぶりに二人の妹の顔を見に訪問した。取り次ぎを頼みたい」
「承知致しました。ではこんな場所では何なので、屋敷の方へ――――。カール! マリアンヌ様と護衛の方を客間まで頼む。そこの人間に関してはその辺りに放置しておけ」
「俺は動物か何かか?」
何処までも自分を邪険に扱うネロに、稲豊は非難の眼差しを向ける。
「この者も私の護衛だ。先程お前は『護衛の方』も一緒に入って良いと言った筈、よもやこの私を謀ったわけではあるまいな?」
「い、いえそんな事は決して! カール、皆さんを客間へ! 僕は主の元へ行く」
一触即発の雰囲気すら漂わせた両者の空気は、マリアンヌの機転によって拭われる。そそくさと屋敷の中に入っていくネロを見て、マリーは扇子の内側でVサインを作り稲豊にウインクをした。
「ナイス!」
それに対し稲豊が親指を立て、ようやく一行は近くて遠い屋敷の中へ足を踏み入れる。カールと呼ばれたアヒル人間の後に続く三人は、謎の動物が飛び出して来ないか警戒しながら、特に変わった様子のない廊下を進む。
「グワ!」
「うん。案内と、さっきはありがとな」
そして狭くも広くもない客間に通された後で、カールは頭をペコリと下げて部屋を後にする。最後の一鳴きはまさにアヒルそのもの。稲豊は若干の懐かしさを覚えつつ、その背中にもう一度感謝の言葉を述べた。
「はぁ~! 死ぬかと思った」
「それはウチもやで? 本当に心臓止まるかと思た。あんまり無茶せんといてな? ハニーが死んだらウチも死ぬんやから。やっぱり先行はタルタルに任せるべきやった」
「おれは死んでも良いんすかー? 主は選ぶべきだったなー」
いつもの軽口を叩きながら、客間の椅子で寛ぐ三人。
もちろんある程度の警戒心は残していたが、先程の庭に比べればそれも微々たるものである。一行は誰かが現れるまで、雑談に興じることにした。
「にしてもシモッチ。本当にケガはないー? 揉みくちゃにされてたけどー?」
「ああマジで平気。噛まれたりした訳じゃないから。ただ延々と舐められただけ」
「それって懐かれてんちゃう? ハニーの魅力は動物にも通じるんやねぇ」
「動物好きだし、あんまり悪い気はしないな」
涎に塗れるのは勘弁だった稲豊だが、嫌われるよりはマシだろうと着地する。
そして皆の顔に多少の余裕が生まれた事を確認した彼は、二人の方へ顔を寄せて小さく口を開いた。
「二人にあまり迷惑は掛けたくないんだけど、これからの相手の出方次第ではこれまで以上に迷惑を掛ける事になると思う。埋め合わせは必ずするから、今回は俺に協力して欲しい。本当すまん!」
「ええよええよ! ウチかて好きでやってるコトなんやから。今度ショッピングに付き合ってくれたらそれでええよ?」
「おれもまた風呂を貸してくれればそれでいいよー?」
「ちゃっかりしてんなぁ。でもありがとう」
軽く笑みを零す一行の間に弛緩した空気が流れたところで、客間の扉が二度音を鳴らす。それが誰かがノックする音だと稲豊が気付いた頃に、扉は開きネロが姿を現した。彼は先程の狼狽をどこかに置いてきたかのように、落ち着き払った様子で口を開く。
「こちらへどうぞ。我が主がお待ちです」
頭を下げるネロに従い、一行は暖炉のある大きな部屋へと案内される。
そんな三人を迎えたのは、上等な椅子に清楚に腰掛けるアリステラと、これまた豪華な椅子で足を組む精悍なクリステラ。そして、二人の後ろで複雑な表情を浮かべる――――ミアキスだった。
「お久しぶりですわ。マリアンヌお姉さま」
「暫く振りですね。マリー姉さん」
「おひさ~! 約二ヶ月ぶりやね。元気にしとった?」
「ええ勿論。姉さんも相変わらず勇健なようで何よりです」
椅子から立ち上がった双子の王女はマリアンヌと簡単な挨拶を交わすと、視線を次はその脇へとずらした。そして、
「あら? 貴方はルートミリアお姉さまの使用人ではございませんの?」
きょとんとした表情を浮かべたアリステラは、当然の疑問を稲豊へと投げ掛ける。ルトの使用人だった者が、次の日にはマリーの護衛として現れたのだ。この場合、首を傾げない方が異端だろう。
「まあ積もる話もあると思うんやけど、それより先に彼の話を聞いてくれへん? 今回来たんは、ここにいる彼の希望なんよ」
「ども。昨日も自己紹介しましたけど、もう一度。ルートミリア様の料理人。志門稲豊と申します!」
マリアンヌの紹介により、頭を深々と下げ自己紹介をする稲豊。
双子の王女は飲み込めない事情に顔を見合わせたが、とりあえず受けた礼儀には報いることとした。
「第五王女の『アリステラ・イルセ・エルルゥ』よ。よろしくねぇ?」
「第四王女の『クリステラ・ロンドアマリウス・エルルゥ』だ。して、用向きは何だ?」
用件を尋ねられた稲豊は瞳に強い意志を宿らせると、その瞳を二人の背後にいるミアキスへと一度向ける。それに気付いた彼女が、申し訳無さそうに視線を逸らしたのを見届けた後で、稲豊は言葉にも力を乗せて言った。
「ミアキスさんを迎えに来ました」




