第93話 「・・・・・・え?」
「――――それでシモン。妾達は何をすれば良い?」
早朝という時間帯に珍しく顔を覗かせたルートミリアが、皆の集まった客間でそんな質問を稲豊へと投げ掛けた。自然と彼へと集まる皆の視線に、少年は些かの照れ臭さを感じながら、主の方へ向けて口を開く。
「そうですね。取り敢えず俺はちょっと王都まで出掛けて来ますので、ルト様はここで待機していて下さい。そしてアドバーンさんはルト様の護衛。ナナには屋敷の仕事をしてもらいます」
「なるほどのぅ。取り敢えず却下する」
自分一人で解決へと導こうとした稲豊の提案は、呆気なくルトに一刀両断される。
「ヒドイですイナホ様! ナナ達ではお役に立てないってことですか!!」
「イナホ殿。私めもさみしゅう御座いますぞ」
「い、いや……。そういう訳では」
当然飛び出す非難の言葉。
後退った稲豊は、たじろぎながらも弁解を始める。
「ちゃんと理由があるんスよ。今から俺は“貴族街”にある双子の王女の所に行って来ようかと考えてます。そしてその場で……ある“ちょっかい”を出すつもりです。それはあまり褒められた方法ではありません。なので、ルト様について来て貰う訳には行かないんスよ」
「……むぅ」
そう唸ったルートミリアの表情には、明らかな困惑の色が浮かんでいた。
褒められたものではない“従者のちょっかい”に自らが参加、或いは見て見ぬふりをしていた事が世間に知られると、唯でさえ『半魔』という肩書きを背負った彼女には大きな痛手となる。ゆくゆくは魔王になる身としては、出来るだけ他の王女とのすったもんだは避けて通りたい。しかも今回はマリアンヌと違い、本当の意味での“王を目指すライバル”である。ルトは理性と感情の中で大きく揺らめいていた。
「それでルト様が屋敷に残った場合。当然護衛する者も必要な訳で」
「それは……そうで御座いますなぁ」
今現在この屋敷の使用人の中で、一番腕が立つのは間違いなくアドバーン。
彼以外にルトの護衛が務まらないことは、老執事も良く理解していた。
「最後にナナ。双子の王女の家に行くということは、当然そこには“アイツ”も居る訳で……」
「うっ!!」
未だにネロを見る度に体を震わせてしまうナナは、「もう二度と会いたくない」と心の底から考えていた。勿論ミアキスやルト、ひいては自分の為に行動したかったのだが、それが稲豊の足を引っ張るとなると話は別。屋敷の主と同様に、少女メイドも葛藤の表情を浮かべざるを得なかった。
「だから今この屋敷で動けるのは俺しか――――」
「ダメじゃ!」
ルトが机をバンと叩き、稲豊の言葉を途中で遮る。
「貴族街は人間にとっては特に危険な場所じゃ。貴族の中には、人間を珍味として高値で購入する者もいると聞く。そんな場所にシモン一人……いや! そこらの護衛がついていたとしても、妾は絶対に許可は出さんぞ!」
「し、しかし……」
只ならぬ剣幕のルートミリアに、稲豊は狼狽しつつも嬉しく感じていた。
そこまで気にかけて貰えれば、“仲間”冥利に尽きるというものだ。だが、現状維持でミアキスが戻って来る日は間違いなく訪れない。ジレンマの崖に立たされた少年は、皆と同様に困惑の表情を浮かべた。
暫しの沈黙が客間を支配する。
そして稲豊が、『ルトに黙って向かう』ことを考慮し始めたそんな時。
客間の扉が、唐突に音を立てて開いた。
「話は聞かせてもろたで!!」
開口一番。
客間にいきなり現れたマリアンヌは、驚き声も出せない屋敷の者達にそう告げる。そんな皆の状態など歯牙にも掛けず、彼女は我が道を行くが如く、その勢いのままに稲豊の胸に飛び込んだ。
「ハニー! 帰って来てたんなら言ってぇな! ウチ寂しかったぁ!!」
「あ、ああ。悪かった」
少年の首筋に顔を密着させ、気持ち良さそうに鼻を鳴らすマリアンヌ。
二つの大きな膨らみと柔らかいその肢体に、一瞬にして幸せな感情に包まれる稲豊だが、周囲の目があるので表情には表さない。
「離れんか万年色情魔!!」
「そうです! イナホ様から離れてください!!」
「や~め~て~! あんたらも羨ましいなら抱きつけばええやんか!」
「だ、黙れ! 人前でそんなこと出来るか!!」
マリーの出現により、客間の静寂は一度に吹き飛ぶ。
そしてしばらく騒動した後に、息を切らした彼女達はようやく椅子へと座れるだけの落ち着きを見せる。
「ハァ……ハァ……で? 何しに来たのじゃ?」
「フゥ……フゥ……きゅ、救世主に対して……何て口の利き方するんよ」
「……救世主じゃと?」
「やから……ウチが何とかしたる言うてるんや」
乱れた髪でそんな会話をした姉妹。
その妹の方が指を鳴らすのを合図に、再び客間の扉が開く。
皆の集まる視線の中でそこから顔を出したのは、眠たそうな眼から雌黄色の瞳孔を覗かせる青年。爬虫類人間のタルタルだった。
「あー、護衛ならおれがやるよ。シモっちには色々と借りがあるしねー」
「ウチが一緒なら通行証も要らへんし、久しぶりにクリスとアリスの顔も見てみたいし。それにウチは魔王争いから脱却した身やからな、向こうもそんなに敵視せんと思うで? まさに適任や!」
「う、うぐ! マリアンヌのくせに、やたらと説得力のある言葉を言いよる……」
大きく鼻息を吐き出し、これ以上ないぐらいのドヤ顔を浮かべるマリー。
それとは対照的に「ぐぬぬ」と拳を握りしめたルートミリアは、しばらくの間、何か反論が出来ないかを考えていたが、結局それ以上の手を思いつくことが叶わなかった。
やがて項垂れた彼女は、かなりの時間を掛けてから――――
「頼む」と一言だけ声を出した。
「やったー! ハニーとデートやー!!」
「いや目的分かってる!?」
またも抱きついて来たマリアンヌに稲豊がツッコミを入れるが、まるで彼女の耳には届いていない様子。満面の笑みを浮かべ、先程よりも少年の体を強く抱きしめる。マリーの機嫌を損ねる訳にもいかないルトとナナは、下心満載の救世主を悔しそうな瞳で眺めることしか出来ないでいた。
「これも青春ですなぁ」
「何でもそれでシメないで下さい!」
うんうんと頷くアドバーンに少女メイドのツッコミが入ったところで、場面は次への転換を見せる。
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まだ頷いている老執事と、複雑な面持ちのルトとナナに見送られた稲豊一行は、タルタルが手綱を握るマリアンヌの猪車を使い王都への旅路についていた。
「なぁ」
その中で稲豊は、隣で寄り添う上機嫌なマリアンヌに声を掛ける。
「ん~? なんやハニー? 何でも聞いて!」
喜色満面のマリーは、猫でも撫でそうな甘えた声を出す。
稲豊はそんな彼女の機嫌を損ねるのも覚悟の上で、
「あの双子について教えて欲しいんだけどさ?」
と問い掛ける。
姉妹とはいえ、他の女性について聞いたのだ。案の定マリアンヌは瞬く間に膨れ顔に変わり、より稲豊にくっつきながら、つまらなさそうに口を開いた。
「デートの時に他の女の名前出すんはマナー違反やで?」
「大事なことなんだよ。今から会うかも知れない相手だからな。どんな奴なのか知ってた方がやりやすいだろ?」
マリーは更に一回り頬を大きくしたが、チラと視線を送った先にある少年の困り顔知ると、やがて表情を戻し彼の正面の席へと移動する。そしてビジネスパートナーとでも会話するかのように、真面目な口調で稲豊の質問に答えた。
「ウチより一つ年下の双子、ハーフエルフのおかんから生まれる。姉のクリステラは真面目っ子ちゃんで、妹のアリステラは誰かをからかうのが何よりも好きなやんちゃっ娘。二人仲よう魔王を目指してるそうや」
「二人で魔王って……なれんの?」
稲豊のする当然の疑問に、マリーは首を斜めに傾け、両手を肩まで上げて「さあ?」と一言。そして彼女は、更に説明を続ける。
「クリスは剣術が得意で、アリスは魔法が得意。一見は対照的な二人なんやけどな? 実は恐ろしい共通点があるんや!」
言葉の後半に凄みを持たせるアリアンヌ。
少年がゴクリと喉を鳴らしたのを確認してから、彼女はその先を口にした。
「二人共が“究極のファザコン”なんよ!!」
「………………は?」
ポカンと口を開ける稲豊に、マリーはそれを裏付けるエピソードを真剣な表情で語る。
「ウチら姉妹は大体がお父様の事が好きなんやけど、あの二人は度を超えてんねん。お父様が城にいる時はい~~~っつもベッタリして、夜になったらお休みのキスを迫ったり、朝にベッドに潜り込んだり――」
「つまりお前と一緒ってことか?」
「ウ、ウチがそんな事したいの……ハニーだけやもん」
上目遣いで可愛い言葉を告げるマリアンヌ。
それは稲豊の心にズドンと響いたが、少年はあくまで平静を装い「そうか」とだけ告げる。
「やから気を付けた方がええで? あの二人の前で少しでもお父様の事を悪く言おうもんなら、ウチかて何をされるかわからへん」
「そりゃあ確かに異常だな……。あんがと、気を付けるわ。最後に聞きたいんだけど、あの二人も当然魔能を持ってるんだよな?」
「アリスが【魔神の右手】、クリスが【魔神の左手】。けったいな能力やけど、どっちも基本的には接近しなければ大丈夫。やからあの二人には無防備に近づいたらアカンよ?」
「了解。魔王の事と、接近には気を付ける」
嬉しそうに頷くマリアンヌを横目に、稲豊は来たるべく貴族街での作戦へ向けて、静かに燃える闘志に火を焚べていた。
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そうこうしている内に、見えてきた王都の門。
稲豊一行の乗る猪車は、そのままモンペルガをひた走る。三層住民街を抜け、二層も抜けた。そして再び彼等の前に立ちはだかった門の前で、ようやくその猪車は足を止める。そう、ここから先は、一層住民街。稲豊が初めて赴く、魔族達の街である。
「通行証を拝け……っと! マリアンヌ様でしたか。どうぞお通り下さい」
「どもども~! ついでに猪車預かっといてくれへん?」
「承知致しました」
屈強な門番との簡単なやり取りを終え、難なく貴族街の地を踏んだ稲豊。
彼はその呆気なさに拍子抜けをしてしまう。
「お前本当に王女なんだな。なんか実感したわ」
「ヒドイなぁ。ずっとそう言うてるやん?」
「王女らしいことー、してないからねー」
「それは否定せんけどな」
初めて貴族街に足を踏み入れた稲豊は、その世界の違いに息を呑んだ。
完全に整備された道路に、夜でも昼の明るさを維持できそうなほどの街灯の数々。二層住民街のように住宅がひしめき合う事など無く、巨大で豪華な屋敷が自らの陣地を誇示するかのように転々と建っている。大きな門に広々とした庭、隣の街とは壁一枚隔てただけの場所なのに、そこはまるで別世界。他の街とは何もかもが違っていた。
「って、呑まれてちゃダメだな。俺にはミアキスさんを奪還するという崇高な使命があるんだ! 早速だけどマリー。双子の家まで案内してくれ!」
自らに活を入れ、意気揚々とマリアンヌに道案内を頼む稲豊。
その瞳には、メラメラとやる気の炎が宿っていた。そんな少年の熱い瞳と言葉を向けられたマリーは、彼の顔を真っ直ぐに見つめ、そして――――
「…………え?」
と、頬に汗を掻きながら一言返す。
「…………え?」
マリーと全く同じ言葉を零した稲豊。
彼の瞳の中の炎は、あっと言う間に鎮火した。




