99話
そんな突拍子のない質問にエリカが動揺する様子はなかった。
「なぜそのようなことをお聞きに?」
「興味本位って言ったらあれだけど、エリカってハロルドが婚約者だってこと否定してるじゃない。だからもしかしたら他に好きな人がいるのかなって思ったのよ」
「そういうわけではありません。ただ、あの方とは価値観やものの考え方に大きな違いがありますから」
「だからアイツとは一緒になれないってこと?」
「ええ」
今までと変わらない返答。
ここでその答えが嘘なのではないかと問い詰めてみたところで意味などないだろう。エリカの言葉を覆すだけの根拠は何もないのだ。
エリカは掛け値なしに優秀である。
ただ行動を共にしてきた中でそんな彼女にも弱点と言える部分があることは判明している。リーファとしてはそれを弱点と呼ぶのもどうかと思うのだが、つけ込み易さという意味では脆いと言わざるを得ないだろう。
エリカ自身も恐らくその弱みは自覚している。だからこそそこだけは晒さないように注意を払っているはずだ。その結果がハロルドへの強固な拒否反応なのだろう。
エリカはハロルドに関することに対しては感情が表に出やすい。それを隠すために今のような態度を取っているとリーファは推測する。
そしてそのカモフラージュは完璧とは言い難い。少なくともハロルドを拒否する言葉が本心なのかと疑いを持たれる程度には。それに全く気付く様子のないライナーやコレットは……まあ純粋なのだろうと胸の中でお茶を濁した。
「……これは別にエリカを説得しようとかそういう意味じゃないんだけど、聞いてくれる?」
「聞き役に徹するくらいでしたら」
ありがと、と言葉を返してから数秒の間を空けてリーファは語り出した。
「あたしは変わり者でさ。村では家族にまで疎まれて、自分の居場所ってものがなかったの。まあ働きもせず勉強ばっかりしてればそれも当然なんだけど」
ハロルドにも話していない自分の過去。それを赤裸々に語る。
「初めはね、魔法の才能がない人間は貧しくなるしかない世の中を変えたくて勉強を始めたんだ。魔法がろくに使えない人間でも科学の補助で才能のある人間に劣らない魔法が使えるようになれば世界が……ううん、そこまで大きなことは考えてなかったわね。ただ、自分の家族や村が豊かになればいいって思ってた」
エリカは静かに、言った通りの聞き役に徹してくれている。
ここで同情を寄せたり憐れんだ様子を出さないでくれるのはリーファとしても話しやすかった。別に不幸自慢がしたいわけではないのだから。そういう機微を察してくれたのだろう。
まあリーファからすればこんな身の上話、不幸ではなくただの自業自得としか思っていないのだが。
「でもその思いがいつからか変わっていった。科学に打ち込むあたしを見放した家族や村の連中を見返してやるんだって、そう思うようになって……要するに意地になってたのよ。だから引くに引けなくて行き詰った時は無茶なこともたくさんやったわ」
聞く人が聞けば呆れるような話かもしれない。
分不相応な夢を見た、現実というものを知らない小娘が意地を張っているだけ。そう言われたとしても言い返せはしなかった。
「アイツと出会ったのはそんな時だった。むかつくことしか言わないし、初対面の印象は最悪だったわね。まあそれは噂話のせいもあったんだけど」
ちょうど居合わせたエルがハロルドについて教えてくれなければ最初の印象はもう少しましだったかもしれない。
とはいえあそこでエルに教えてもらわなければ護衛という役目をハロルドに頼むこともなかったのだろうが。
「……アイツはあたしの努力を笑わなかった。今にして思えば何か思惑もあったんだろうしユストゥスの手を借りてっていうのも癪だけど、それでもハロルドが手を差し伸べてくれたおかげで前に進むことができた」
そこには間違いなく打算があったのだろうということは察しがついている。ハロルドに利用されているだけなのかもしれない。おまけにユストゥスの誘いに乗ってしまって迷惑をかけたとさえ言えるだろう。
けれどハロルドのために何かしようと思ったのはそんな恩や罪滅ぼしが理由ではない。もっと単純なことだ。
それはリーファと同じ……いや、リーファよりももっと過酷な孤独の中で戦っているハロルドにどんな形であれ自分の努力を認めてもらえたこと。それが嬉しかったのだ。
一方的な同族意識かもしれないが、リーファが危険を顧みずハロルドの力になりたいと思うにはそれだけでも事足りる理由だった。この気持ちはきっと自分にしか理解できないでしょうね、とリーファは苦笑を浮かべる。
ずっと一人で努力してきた。それが独りよがりで間違ったものかもしれないと迷った日々は決して少なくない。
自分はずっと孤独なのだと思っていた。誰に認められることもなく努力を否定されるかもしれないという恐怖に涙した夜は数え切れない。
そんな暗闇に光を差し込み、進むべき道を照らしてくれた。それがどれほどの救いだったかなど他人には分からないだろう。
「……あたしはハロルドに救われた。アイツにどんな思惑があったにせよそれは変わらない事実」
そして、それだけあれば充分だった。
リーファはハロルドに救われたのだ。だったら今度は自分がハロルドに救いの手を差し伸べたい。たとえ叶わぬことでも、迷惑だったとしても、リーファはそうせずにはいられなかった。
「……リーファはハロルド様に信頼されているのですね」
「信頼ねぇ……」
確かにあの常軌を逸した戦闘力には信頼を置いている面もある。何を相手にしても早々後れを取ることはないだろうが、あの剣のせいで寿命が削られるのだからそこを信頼しすぎるのは……。
(いえ、違う。今エリカはあたしがハロルド“に”信頼されてるって……どうしてそんな言い方を――)
その場に生じた一瞬の空白。それは紙一重の差だったのだろう。
思考により導き出された結論ではなく、直感の類いでそれに気が付いたリーファがハッと顔を上げる。そこにあったのは一瞬だけ瞳を揺らし、鉄壁だった相貌を崩したエリカの顔だった。
しっかりと目と目が合う。エリカの瞳にわずかな動揺が浮かび、それを認識されたと理解してか、次に浮かべたのは諦めの色だった。
先ほどの直感に思考が追い付く。ああ、そういうことだったんだ、とリーファは得心がいった。
これまで無数に散りばめられてきた欠片が繋がっていく。
なぜエリカは今の話を聞いて真っ先にハロルドに信頼されているという認識を抱いたのか。それは恐らくリーファの行動がハロルドに許容されていると思い込んだからだ。それほどまでにエリカの中でハロルドの判断が絶対なのだ。
そして言葉にこそしなかったが、その声色にわずかながら滲んでいたのは羨望。直後の動揺も含めてそれらの意味するところはもはや明確であった。
「……ふう」
沈黙を破るようにリーファが大きく息を吐き出す。向かい合ったエリカは何も口にはしない。
少しだけ間を置いてから、答え合わせをするかのようにリーファは語り出した。
「理由はいまいち分からないけどさ、ハロルドはエリカを遠ざけようとしてる。それは分かってるわよね?」
「はい、もちろん」
「だからエリカはハロルドを嫌ってるのね。ハロルドがエリカに嫌われることを望んでいるから」
エリカは何かを堪えるように目をつぶる。
それから夜空を仰いで、身を切る思いを込めたように言葉を吐き出した。
「違います……と即答できなかった時点で答えは出てしまいましたね」
そのセリフの意味するところは肯定。
やはりというか、エリカの頑なな態度はハロルドの意向に沿うためにしていたことらしい。裏を返せばそれだけハロルドを思ってのことだ。
「まだ言い逃れできないこともないのに素直に認めたわね」
「そんなことをしてもリーファには通じないでしょうから」
どうやらエリカは自分のことをそれなりに評価してくれていたらしい。
彼女にそう言われるとどこかむず痒い思いもするが、今は照れている場合ではない。
「一応訂正しておくけど別にあたしはハロルドに信頼されてここにいるわけじゃないのよ。脅してまで関わるなって言ったアイツに無理を押し付けて同行しただけ」
ハロルドからすればいい迷惑かもしれないが、それでも瘴気問題の解決に一役買ったのだから無駄ではなかったはずだと納得する。
「それでどうしてアイツがエリカのことを必要以上に遠ざけるのかは知ってる?」
気を取り直してリーファは質問を続けた。
「私達が結ばれてもお互いのためにならない、という理由からです。ただ、それが具体的に何を危惧した言葉なのかは……」
エリカが言葉を濁す。
しかしリーファには心当たりがあった。それも的中してほしくなかった方面に。
まるで鉛を飲んだようにズシンと胃と気持ちが重くなる。まさか予測していた中でも最悪に近い展開なのではないだろうか。
もしそうだったとして自分に何ができる?どんな言葉をかければいい?様々な考えが頭の中で忙しなく渦巻く。
「……一つだけ答えてほしいことがあるの」
「なんでしょう?」
「ハロルドのことをどう思っているのか。その本心を聞かせてほしい」
きっと彼女にとっては答えにくい、もしかしたら答えたくない質問かもしれない。
けれどここだけは明確にさせておかないと先へ進めないのだ。エリカも、リーファも。そして恐らくはハロルドも。
「……ハロルド様のことはお慕いしています。幼い頃より、ずっと」
まるで大罪を告白するかのような、そんな声だった。
エリカにとってそれを口にすることがどれほどの禁忌だったのか痛いほど伝わってくる。同時に彼女の想いがどれほど大きいのかも感じられた。
スメラギの屋敷で顔を合わせた時、エリカはリーファに「お互い、苦労するかもしれませんね」と口にした。あの時はハロルドが持ち込んできた厄介事に巻き込まれた者同士、苦労することになりそうだという意味合いを込めたものだと受け取っていた。
けれど思い返してみればあの視線はそれだけに留まらないものだったように思う。それはきっと“ハロルドのことを想い、彼のために行動する似た者同士”だと考えたからこその言葉だったのだろう。
あの時はまだエリカとほとんど面識をもっていなかったためにその場で気付くことができなかった。まあそこで気が付いていれば何かが変わったわけでもないのだろうが。
結局のところハロルドの目的とそれを為すための手段が不明な以上、リーファやエリカは行動を起こしたくても起こすことができない。
それでも、だ。自分の命を削りながら死をも厭わず前に進むハロルドと、そんな彼に想いを寄せるあまり、その意思を尊重するために自分の気持ちに嘘を吐き続けているエリカの関係は間違っているとリーファは思う。
人間関係なんて当事者自身の問題だというのは百も承知だが、このままなら確実に訪れるハロルドの死によってエリカが深い傷を負うことは確実なのだ。それを分かった上で見過ごすのは友人として、人間として、絶対に正しくはない。
「なら分かってるわよね?ハロルドは目的のためならどんな無茶でもするってこと」
「ええ、身に染みて」
ハロルドを子どもの頃から知っているエリカのことだ。いつからあんな感じなのか定かではないが、色々と見てきたのだろう。
そしてだからこそなのかもしれない。エリカはハロルドのことを絶対視し過ぎているように思える。考えてみればハロルドは優秀な人間だ。そんな彼が成してきたことを間近で見てきたのならそうなってしまってもおかしくはない。
それらがどれだけ困難なことなのか理解できる聡明さがあったのならなおさらだと思う。
けれどそれは過信だ。どれだけ優れていても人間一人ではやれることに限界がある。
それなのにハロルドの判断を全て信じて、彼が望む行動しかとらないというのは、それはもう信頼ではなく盲信だ。
「確かにハロルドは優秀だし普通の人じゃできないことをやってのけるヤツだと思うわ。でもアイツはあたし達と同じ人間なの。だから間違うことだって失敗することだってあるのよ」
「……耳が痛いお話です」
「エリカはそれくらい理解してるはずだし、物事を冷静に考えることができる人だと思ってる。知ったようなことを言うかもしれないけどアイツの無茶を止めるために自分が力になれることを必死に探す方がよっぽど“らしい”わ」
「私には……自信がありません」
そう言ってエリカは自嘲的な笑みを浮かべた。
似合わない。こんな彼女は見たくないと、勝手ながらリーファはそう思う。
「果たして自分がハロルド様のお役に立てるのか……その自信がどうしても持てないんです」
先ほどと入れ替わるように今度はエリカが語り始める。
それは彼女の半生であり、同時にハロルドの過去が垣間見れるものだった。
◇
「私がハロルド様と出会ったのは今から八年前、十歳の時でした」
ハロルド・ストークスの存在を知ったきっかけは、政治的な理由で許嫁という関係になったからだった。当時から自分の立場というものを理解していたエリカは、決して前向きな感情だけではなかったもののそれは仕方のないことなのだと受け入れた。
ハロルドと結婚することで領民の生活環境が改善されるのであれば、領主の娘である自分が嫁ぐのは当然のこと。そう考えるようにしていた。
まあ今にして思えばストークス家が純血主義だということもあって、そんな彼らと血縁になるのかと暗い表情を隠しきれていなかったようにも思うのだが。
けれど降って湧いた婚約者によってスメラギ領に蔓延していた瘴気を抑える薬がもたらされた。それも掛かったのは材料の採取と加工にかかる費用のみで、実際は無償で提供されたようなものだった。
本人は恩を売るためと言い張っていたがスメラギ家はストークス家に援助される立場であり、ハロルドがそんなことをする必要性はなかったはずである。
その時点でエリカのハロルドに対する心証はかなり好転していた。
「ですがとあることがきっかけで私はハロルド様に対して致命的な嫌悪感を抱きました」
「とあること?」
少々口にするのを躊躇ってから、しかしそれでもエリカは口を開いた。
リーファを始め、ここにいる者達はハロルドがどういう人間か理解してくれている。コレットに至っては当事者である。
「その当時、ストークス領ではハロルド様が邸の使用人とその娘を殺害したという話が流布していました。そして私はハロルド様にその噂は事実なのですかと尋ねたのです」
どうか根も葉もない噂であってほしい。そう願いながら聞いたのを今でも覚えている。
けれどその願いを打ち砕くようにハロルドは肯定してみせた。
「『癇に障ったから殺した』、『気分ひとつで生かすも殺すも俺の自由だ』、と。あまつさえ使用人を劣等種とさえ罵りました」
あの時に感じた怒りや失望。まだ幼かったこともあってその激しい感情を持て余し、何にぶつければいいのすら分からなかった。
「ですがそれは私にそう信じ込ませるためで、本当はハロルド様の手によって使用人親子は生きてストークス領から逃げ延びていたのです」
両親を欺き、逃走手段と経路を用意し、新しい生活に困らぬよう高額な支度金まで渡して。
その上で使用人親子の安全を最優先するために人を殺したという汚名を今に至るまで被り続けている。
「……いかにもハロルドらしいやり口ね」
「はい。そして私はわけあってそれを知ってしまいました」
ハロルドの優しさ、強さ、そして気高さ。
それらを理解してしまったらもうダメだった。
「なるほど。惚れるには充分過ぎる要素だわ」
「ええ、気が付いた時にはもう手遅れでした」
まあ事実を知った当初は良心の呵責で惚れた腫れたなんて考える余裕もなかったが、あの一件がハロルドに好意を抱く大きな要因になったのは間違いなかった。
「あの方は本当に無茶ばかりで自分を労わることをしません。だからその負担をわずかでも減らせるようにと私にできることをしてきたつもりです」
要らぬ心配を与えないようにハロルドが望む態度を取り続けた。大きな怪我をした時はそれを治せるように治癒魔法の特訓をした。
彼について行けるよう貴族社会のマナーや領地運営だけでなく幅広い知識を得ようと様々な分野を勉強したし、守られるばかりの立場から脱するために攻撃魔法や弓術、体術の腕も磨いた。
「……ですがそれは思えば受け身な行動ばかりでした」
ハロルドに心配を与えたくないなら正面からぶつかって理解し合い、信頼を築く努力をし、自分に果たしてほしい役割を聞けばよかった。そうしていればあんなに大きな怪我を負わせないで済んだかもしれない。
どれほど自分を磨いたところでハロルドに必要とされなければ意味がない。そして彼の方から自分を必要としてくれる可能性が低いことなど分かりきっていたことだった
そして“必要としてくれる”などと考えている時点で、自分から歩み寄るという選択肢をなくしてしまっている。
『彼が成そうとしている事を見守り、支え、寄り添い、真に理解できる人間になってみせるんだ』
それはエリカが父親から授けられた言葉だ。それを全うしようと努力をしてきたが今になってみてまったくできていないことを痛感する。
ハロルドの何を見守っている?ただ遠巻きに眺めているだけだ。
自分は彼を支えられているか?否だ。
彼が苦しい時に寄り添えているか?ハロルドはそれを望んでいない。
あそこまで危険を冒す理由を理解できているか?彼が何を考えているかなんて分からない。
ひどい有様だ。ハロルドが望んでいない、なんて言い訳にもならない。
リーファはハロルドの意思に背いてまで彼に同行し、信頼を得ているのだから。本当にハロルドのためを思うならどれだけ拒絶されても本音で向き合うべきではなかったのか。
それができなかったのはエリカに勇気がなかったからだ。我が身可愛さに拒絶されることを恐れ、一歩を踏み出すことができなかった。
最初の最初で逃げていたのだ。ハロルドにぶつかることを避け、いつか向こうから手を差し伸べてくれるかもしれないという、不確かな希望にすがってしまった。
「なんて情けない……」
思い返せばきりがない。カブランの街で水路に浮かぶボートの上、ハロルドの手を取った。あの時、はっきりと自分の想いを口にしていればまた違った未来があったかもしれないのに。
けれどあそこでも臆してしまった。
『貴方がどれほどの大罪人だとしても、受け入れる覚悟はできているのですよ――と、兄ならそう言うかもしれませんね』などと冗談めいて伝えることしかできなかった。
傷付くことを恐れずに歩み寄れるか否か。
それがエリカとリーファの違い。リーファにはできて、エリカにはできなかった。自分の想いなど所詮はその程度なのだと思い知らされる。
自信などつかないはずだ。自分は何ひとつハロルドのためにしていたことなんてないのだから。
ただ自己を満たすための努力では意味などないというのに。
そして何よりも、ハロルドが打ち明けてくれるまで胸の内にしまっておくと誓ったクララとコレットのことを話してしまった自分に自己嫌悪を覚える。
リーファの言葉を聞いて今さらながら己の愚かさに打ちのめされてしまった。
「エリカ……」
リーファが自分を励まそうとして、しかし何を言ったらいいのか分からなくなっていた。
こんなことでも迷惑をかける自分がどんどん情けなくなっていく。今のエリカにできるのはせめていつも通りに振る舞うことくらいだった。
「こんな愚痴をこぼしてしまって申し訳ありません。さあ、リーファはもうお休みになってください」
「でも……」
「私のことなら大丈夫ですから」
その後も同じようなやり取りが数度続いたが、最後はリーファが折れてエリカの方を気にしながらテントに入っていった。
一人きりになった空間で未だパチパチと燃え続ける焚火を見つめる。けれどどうしてかそれに温もりを感じない。小枝をくべて火を強めてもそれは変わらなかった。
ああ、もしかして心が折れるというのはこういうことなのかもしれない。まるで他人事のようにエリカは思う。
「……私には貴方の傍に立つ資格などなかったのですね」
そしてついにそう口にしてしまった。これまでは何度も何度も出かかっては寸前で飲み込んできたその言葉が真実であるかのように体の中へ深く、深く染み込んでいく。
それに押し出されるようにエリカの瞳からは涙が零れ落ちる。頬を伝う涙だけは温かい。
けれどその温もりはまるでエリカがこれまでハロルドに募らせてきた親愛と恋慕の情のように感じられ、それらがとめどなく自分の中から流れ出していくことにエリカは恐怖しながら、空が白み始めるまでただただ静かに泣き続けていた。