94話
急場は凌いだ……かは微妙なところだったが、少なくとも知られたくないところは隠し通して居間での話し合いを終えることができた。コレットの様子を見てもエリカに話すようなことはなさそうだし、ライナーに目を光らせておけば厄介な状況にはならずに済みそうである。
その上で原作の主人公パーティーが瘴気の問題を解決しに行くように仕向けられたのだからこれはもう上出来と言っていいのかもしれない。
今後の身の振り方については頭が痛いが、少なくともこれで“あの場面”までは順調に進んでいけるはずだ。
あの場面、というのは要するにライナー達との敵対イベントである。
ユストゥス自作の空飛ぶ巨大要塞。そこに乗り込みあと少しで追いつくというところでどこからともなく登場するのは他でもないハロルド・ストークスだ。ユストゥスの甘言に惑わされ、アストラルポーションで強化された状態のハロルドを倒すのは作中屈指の難易度だったりする。そこでハロルドを倒すもユストゥスを取り逃がし、舞台は最終決戦の地へと移るのだが、ここをどうするかというのも悩みの種だ。
回避しようにも、ではハロルドの代役が務まる人間がいるかといえば答えはノーである。残すところ数ヵ月という短い時間で物語終盤の主人公パーティーを足止めできる人材を発掘できるわけがない。
では代役を立てず、そのイベントをスルーしたらどうなるか。ここがさっぱり読めなかった。
ユストゥスを倒してめでたしめでたし、で終わるならばいいが、あの男が自衛手段を持っていないとは考えにくい。ほぼ確実に何かしらの対抗策を用意していると見ていい。
というか追い詰めすぎて原作とは異なる場面で力を解放された方が困るのだ。なにせユストゥスはこの星のエネルギーを駆使して戦ってくるのだ。まともにぶつかれば敗北する可能性の方が高いだろう。
経過はともかくとして決着の場面はハロルドが熟知している状況を整えた方が勝率も上がっていくはずだ。ここの流れは極力変えたくない。
となると……。
(やっぱり俺がやるしかないのかなぁ……)
主人公パーティーに属して動きをコントロールするという手段も考えてはみたが、何一つ自分の思い通りに動かない彼らを御し切るのは難しいと判断せざるを得なかった。エリカとの仲が険悪なのもいい影響になりはしないし、誤解を解いたところでそう簡単にわだかまりは溶けないだろう。
そもそもユストゥスすらハロルドが知る原作と同じ動きをするかは未知数であり、こうしてグダグダと考えていること自体無意味になる恐れもある。そうなった場合はもうお手上げなのだが。
などと思索に耽っているハロルドだったが、それもやむなく中断させられる。
「すげー!」
「こんなでかい風呂は見たことねぇぜ!」
「露天風呂というらしい。慣れない文化だが見事なものだな」
スメラギの屋敷でハロルドが最も評価していると言っても過言ではない露天の大浴場。一旦解散し部屋で休むことになったのでリフレッシュも兼ね久しぶりの露天風呂を楽しんでいたが、突如乱入してきた声によってそんな気分も霧散する。
現れたのはライナー、ヒューゴ、フランシスの三人組。彼らも先に入浴していたハロルドの姿に気が付く。
「あ、ハロルド」
「君もきていたのか」
ごく自然にハロルドを挟む形で浴槽に入ろうとしたので、『剛打掌』の要領で水面を叩き、水しぶきを起こして中々に熱めのお湯を二人にかけてやる。
熱い!と騒ぎながら飛び退き、何をするんだという抗議の声を上げる二人をハロルドは睨みつける。
「汚れた体を浸けるなバカ共が。全身を洗ってから出直せ」
「は、はい!」
「すまなかったな!」
その迫力に押され、ライナーとフランシスは洗い場の方へ逃げていく。別に入浴前に体を洗うのはマナーとして定められているわけではないが、温泉奉行と化したハロルドのこだわりである。
退散した二人と入れ違いに汗や汚れを流したヒューゴがやってきて温泉に入る。
「……あー、ハロルド、でいいんだよな?」
並ぶようにして浴槽に浸かり、しばし無言でいるとヒューゴの方から話を切り出してきた。
「何か用か?」
「実は最近、ハロルドに似た奴と会ってよ。顔は見てないんだけど声とか口調とか」
どうやらもう勘付かれたらしい。当たり前といえば当たり前だ。
ヒューゴに対しては顔と名前を教えなかっただけで、それ以外に正体を隠す手段を講じていない。一度目も二度目も想定していなかったタイミングで遭遇したせいだ。
「……それがどうした」
「いや、別にどうしたってこともないし、誰にも言う気はないんだが。ただソイツが変わった二人の仲間と一緒にいてな。なんとなくあの二人は大丈夫なのかと思ってよ。まあただの戯言だよ」
「貴様の戯言など知ったことではないしその二人組もどうでもいい。……だが貴様が心配をする必要はないことだ、とだけ言っておいてやる」
「へ、そうかい。じゃあ問題ねぇな」
どういう心理かは不明だが、ヒューゴはハイバール遺跡での件を他言しないでくれるらしい。その上でハロルドが“言語機能を持たない”と口を滑らせてしまったウェントスとリリウムを気にかけているようであった。
先ほどの話し合いで出た、人体実験から連れ出した二人の星詠族、という部分で気が付いたのかもしれない。無事ではないという言葉と、言語機能を持たないという情報が繋がったのだろう。
「じゃあ気分も晴れたし、女子風呂でも覗きに行くか!」
しんみりとした雰囲気から一転、いきなりそんなことを言って立ち上がったヒューゴの背中を、ハロルドは容赦なく蹴り倒した。ヒューゴは前のめりに、水柱を立てるほどの勢いでお湯の中に沈む。
それをきっかけに露天風呂が一気に騒々しくなった。温泉のお湯をかけ合うライナーとヒューゴや、その二人に捕獲されて湯口の方へ押し込まれ、熱い熱いと喚くフランシスの姿は年相応の青少年らしかった。
仲良くなるのが早すぎるような気もするが、これから先のことを考えればいいことだろう。とはいえ騒がしくてかなわないので、三人が初めての温泉にテンションを高めている内にこっそりとその場から脱出した。
脱衣所で浴衣に着替えてさっさと部屋に戻ろう。そう思って廊下に出たところでバッタリとリーファに遭遇した。
リーファはハロルドを見ると呆れたような顔をする。
「ちょっと、男共は何をやってるよの。うるさくてお風呂に入る気もなくなっちゃったんだけど」
男三人組が奏でる騒音が隣の女性用のお風呂でも猛威を振るっていたらしい。だがそれをハロルドに言われても困るのだ。
「奇遇だな。俺も同じ目に遭った」
というか目の前でやられたので言い合う声も、水しぶきを立てる音も、じゃれ合う光景も非常に騒がしかった。
「……ああ、そういうこと」
ハロルドの状況を瞬時に把握してリーファはため息を吐いた。
リーファも部屋に戻るところだったのでそのまま並んで廊下を歩いていると、彼女は思い出したかのように不満の声を上げた。
「そうだ、ハロルド。こんなことなら最初から教えておきなさいよ」
「なんのことだ?」
「ここにくるまであの機械を見せられて『これの解除方法を探れ』としか言われてないからこんな大事になるなんて思ってなかったわ」
「なんにしろ貴様のやることは何一つ変わらない。ならどうでもいいことだ」
「んなわけないでしょうが!」
ぷりぷりと怒っているが、そこにも一応理由はある。
まず今回やろうとしていることの前提として、リーファがあの装置を解除できなければ全てが破綻する。原作では瘴気の原因を探るという名目で山の中に入り、捜索の末ようやくみつけた装置をリーファはその場で解除してみせた。
それがリーファにとっては造作もないことなのか、それともゲーム的にそういう描写になったのかは判断がつかない。なのでハロルドは事前にリーファに装置の解析を進めさせ、その上で人探しや瘴気問題の解決といった余計な要素に思考のリソースを割かせないようにしたのだ。特に後者に関してはプレッシャーになりかねない。
そのおかげかどうかは分からないが、結果としてリーファの手応えも上々のようだった。解除については問題ないという力強い答えをもらっている。
「まったく、アンタって本当に自分勝手よね」
「貴様がそれを言うか」
ハロルドの言うことを聞かずこうして同行させざるを得なくなったリーファが言えることではないような気がする。
「……そんなアンタが、あの子のことは気にかけてるのね」
不意にリーファはそう呟いた。
「意味が分からないな」
「エリカのことよ。アンタは婚約者じゃないって言い張ってたけど、向こうのお兄さんはそう思ってないみたいじゃない」
「アイツが勝手に主張しているだけだ」
「ハロルドはエリカの何が不満なわけ?美人だしお淑やかだし、さっきまで貴族の出でもないあたしやコレットをかなり手厚くもてなしてくれたわよ。性格もいいじゃない」
「……」
そう聞かれると咄嗟の返答に困る。別にハロルドはエリカのことが嫌いなわけではなく、単にこちらの死亡フラグを誘発する恐れが高いから遠ざけているだけなのだ。
それを除いて考えれば異性としてのエリカに不満や文句などあるわけがない。そんなものを口にできる男が果たしてこの世界に何人いるのか、というレベルの少女である。プレイヤーから一番の人気なのも当然だろう。
そんなことを考えてつい黙ってしまう。
「関係ないあたしが首を突っ込む話じゃないんだろうけどさ。なんていうかエリカに対する態度ってハロルドらしくないのよね」
「俺らしくないだと?」
「そうよ。アンタって皮肉とか厳しいことしか言わないけど、それに構わず近付いてくる人間には割りと寛容じゃない。拉致までされて帰れって言われたのに結局こうしてるあたしなんかいい例でしょ」
「それは貴様がしつこいからだ」
「まあそれもあるでしょうけど、じゃあなんでハロルドは遠ざけようとするわけ?自分から近付いてこないエリカを」
答えられるわけがなかった。それを説明するにはこの世界がゲームと酷似しているだとか、もしくは未来を知っているんだという頭がおかしいと思われるような説明をしなければならない。
「エリカも婚約者っていうのは兄が言い続けているだけでお互いにその気はないって言ってたわ。でもそれが本当ならハロルドがエリカ“だけ”を遠ざける必要はないと思うんだけど」
今まで誰も、ハロルド本人でさえ気付いていなかった、矛盾とも呼べないほどの違和感。リーファはそれを的確に見抜いてきた。
この観察眼と思考能力こそ、天才たる所以なのかもしれない。
「アンタはある意味平等よ。誰に対しても厳しいこと言うし、それで離れていった人間には興味すら抱かない。研究所の人達に対してそうだったみたいにね」
答えられないでいるハロルドに、リーファは言葉を重ねる。
「でも彼らと同じく……いいえ、あれは無関心だから彼ら以上にアンタから離れているエリカに対してはそうじゃない。普段の厳しさとも違う。ハロルドはエリカに“冷たい”のよ。まるで何かに恐れてるように見えた」
それはほとんど正解だった。ハロルドはエリカによって死亡フラグがもたらされることを恐れている。その気持ちが態度として滲み出ていて、リーファはそれを冷たいと捉えたのかもしれない。
「俺が恐れているだと?何をバカな」
「……まあ言いがかりみたいなものよ。悪かったわね、忘れてちょうだい」
じゃあね、と言い残し、リーファはハロルドの顔を見ることなく自分の部屋がある方へと角を曲がり消えていった。
リーファは忘れてと言ったが、彼女が残した言葉はなぜかハロルドの胸の内に楔のように打ち込まれ、すぐに忘れることはできそうになかった。