91話
それはハロルドにとって苦渋の決断だった。スメラギ領とはハロルドにとって直接的な命の危険はないもののユストゥスの下と大差ないほどのフラグ乱立地である。なにせエリカという最大級の爆弾を抱え込んでいる場所なのだから。
しかもユストゥスがリーファの行動を完全に把握していたことから考えても、彼女に同行するハロルドの動きもバレるだろう。つまりスメラギ家との繋がりが露見すると見てまず間違いない。
それを分かっていながらどうしてスメラギの地へ向かったのかと言えば偏にリーファを野放しにしていれば彼女が殺される可能性があったからだ。そうなれば原作との違い云々などとは言っていられなくなる。
ライナー達の進行状況からしてもゲームにおける最終決戦まではあと数ヵ月だろう。これからはライナー達の活躍でユストゥスも手を焼くようになるし、ハロルドがこれまでしでかしてきた裏での動きや計画を阻止しようとしているという狙い、そしてそれを証明するだけの根拠を揃えられる前に逃げ切れると踏んだ。そちらに賭けることにした、といった方が正しいか。
正直なところ、ハロルドは自分が疑われているだろうということは以前から察していた。ユストゥスの言動から何かを感じ取ったわけではないが、客観的に見て自身の行動が相当怪しいのは分かり切っている。それをユストゥスが見逃すはずもない。
リーファの動きを監視していたのもハロルドが不用意に連れてきたせいでもあるのだ。つまりはもう何度目か分からない自業自得である。
しかしそれでもこうして生かされているのは決定的な証拠は掴めていないか、まだハロルドに利用価値があると考えているからだろう。ならばそうやって余裕を見せてくれている内にやれるだけやってしまおうと腹を括ったのである。
現状、ユストゥスを倒すために必要となる最後のピースがリーファだ。彼女を主人公パーティーに合流させてしまえば最低限ハロルドのやるべきことは完了となる。あとは残り一つとなった秘宝を回収しつつ、裏から手を引いてフリエリに必要な指示を出せば攻略もスムーズに進むだろう。
疑いたければ疑えばいい。どうせそれを形にする時間はほとんど残されていないのだ。
土壇場まで必要な役目をこなし、最終決戦までの期間さえ生き延びればユストゥスの悪事は白日の下に晒されることになる。仮に追われる身になったとしても数ヵ月程度なら逃げ遂せるくらいわけはない。
それはもう、ある種の開き直りだった。リーファが意思を曲げない限り、ハロルドかライナー達が傍にいないと命の危険がつきまとう。そして彼女にはいくら言葉を尽くしても無意味だとハロルドは悟った。
だから原作通りのパーティーを組ませるには行動で示すしか方法は残されていなかったのである。
そんなわけでリーファを連れて一路スメラギ領までやってきた。せめてもの抵抗としてユストゥスには『殺すのは面倒だからリーファを村に叩き返す』などというバレバレの、嘘というにも烏滸がましい下手な言い訳を便せん一枚に当てつけるように書き殴って送り付けてやった。
どうせ後から問い詰められて嫌味を浴びせられるだろうが、興味本位で首を突っ込んできたガキを殺す趣味はないとでも突っぱねておけばユストゥスとしても攻め手が狭まるだろう。なぜスメラギ領に届けた、と言われればそこで偶然知り合いに会って押し付けてきたとでも言ってやればいい。王都からリーファの故郷であるヴァイス村に向かうにはスメラギ領を経由する位置関係にあるのだから疑わしくとも一応筋は通っているのだ。
「へー、ここがスメラギ領なのね。なんというか独特の町並みだわ」
スメラギ領に入ってしばらく。居住区に入ったリーファは物珍し気にキョロキョロと辺りを見回す。
その姿は初めて王都を訪れて、そのメインストリートを観光した時の様子を彷彿とさせる。
「初めてか?貴様の村からは比較的近いだろう」
「だって特に用事とかなかったし。それにずっと家にこもって研究してたしね」
そう言ってリーファは軽く肩をすくめた。
確かにこの世界では近隣への移動はたとえ近くてもモンスターなどに襲われる危険が伴う。明確な目的がなければわざわざ訪れることもしないだろう。まあリーファが引きこもり体質だという理由も多分にあるような気はするが。
「で、仕事があるって言ってたけどここで何をするの?」
「まずは人探しだ」
「人探し?」
そう、ここでライナー、コレット、ヒューゴの三人を発見し、そこにリーファを組み込ませることが今回のミッションである。
理由としてはライナー達に協力したいという名目でいけるだろう。今のライナー達は宝剣を取り戻そうとする傍ら、持ち前のお人好しを発揮して各地で発生している異変の解決にも乗り出している。
さすがは未来の騎士団団長を目指す男であり、そんなライナーは近くの町でスメラギ領にて発生している謎の瘴気の話を聞きつけてここまでやってくるのだ。
ハロルドが以前、瘴気の問題を根本的に解決しなかったのはこのためである。原作ではここでエリカが主人公パーティーの仲間になるからだ。
とりあえず理想としてはリーファにライナー達の仲間になるように伝え、自分は姿を現さない方向で事が運べば、といったところか。無用な騒ぎを避けるためにもハロルドとしてライナー達の前に立つのは最終手段にしたかった。
「赤髪、金髪、青髪の三人組だ。まずはソイツらがスメラギの町に入っているかを調べろ」
武器を携帯しているカラフルな頭をした一団というのは目立つ。もしもうこの町を訪れていれば覚えている人間も多いだろう。
エルから届いている最新の定時報告から逆算すればそろそろスメラギ領に到着してもおかしくはない。だからまずは彼らを探すことから始める。
しかしエルからの報告はもっと回数を増やした方がいいのかもしれないな、とハロルドは思う。この世界には電話やメールといった通信手段が存在しないので離れた場所にいる人間との意思疎通はどうしてもレスポンスが遅くならざるを得ない。
その時差がヴァイス村にリーファが不在だという事実に気付けなかった原因の一つである。
「ねえハロルド」
物思いに沈んでいるとリーファが声をかけてきた。
「なんだ?」
「ちなみに黒髪と金髪の二人組は探さなくてもいいわけ?」
「……何を言ってるんだ、貴様は」
質問の意図が読めずに訝しむような声が出る。
しかしリーファはそんな様子に構うことなく、スッと右腕を上げてハロルドの背後を指差した。
「だって――」
その言葉が最後まで発せられる前に、ハロルドの両肩にポンと手が置かれた。
そして両サイドから聞きたくなかった声がした。
「その二人組というのは」
「俺達のことさ」
どちらも嫌になるほど爽やかな声だった。
それを耳にしたハロルドの胸の内は爽やかさなどとは程遠く、冷や汗が吹き出そうなほど狼狽していた。見たくない光景が待ち構えていると分かっていながら、それでもハロルドはゆっくりと背後を振り返る。
「久しぶりだねハロルド」
「しかしエリカ以外の女性を同伴しているのはいただけないな」
「それもスメラギ領の往来でなんてね」
スメラギ兄妹お得意の威圧感を与える笑顔を浮かべたイツキ。やれやれと大袈裟に首を横に振るフランシス。
悪友コンビがそこにはいた。何やら浮気現場を目撃された亭主のような責め方をされているが、そんなことよりも言わなければならないことがあった。
「……どうして貴様がここにいる、フランシス」
「友人の家に遊びにきているだけさ」
「もうエリカのことは知られてしまったし悪さをする気もないようだからね」
「そんなことをすれば恐ろしい番犬がどこからともなく飛んできそうだからな」
「望みなら今すぐ貴様の喉元を食い破ってやろうか……?」
「殺気を出すのは止めてくれ。まったく、相変わらず冗談の通じない男だ」
冗談じゃないのはどっちだ、と思わず言いたくなる。
ライナーについていかないコレット、カディス遺跡にいないヒューゴ、ハロルドの身辺を洗うリーファ。そして本来なら物語の後半近くで仲間になるはずのフランシスが、その登場をかなり繰り上げつつある。
どうしてこうも原作と乖離した行動を取るのだろうか。今のところまともに動いてくれたのはライナーだけだ。伊達に主人公を張ってないな、などと妙な関心を抱きつつ、この分ではエリカもまた一悶着あるのでは不安になる。
(いや、でも考えようによってはこの方が好都合か?)
いくらか冷静になって頭を働かせる。フランシスの行動は今までとは逆、仲間にならないのではなく加入を早められるとも考えられる。
ここでフランシスをさっさと自分の領地に送り返してしまえば、そこでまた不確定要素が生れる恐れもある。ならばここで主人公パーティーに加わるよう仕向けた方が確実かもしれない。
早い段階から仲間が増えることで攻略の速度も上がるし、ゲームではプレイヤー依存だった戦闘でのコンビネーションも練度が高くなるだろう。原作にない展開という気がかりな点こそあるが、一刻も早くクリアしなければいけない状況に陥った今のハロルドからすれば、天秤がどちらに傾くかは明白だった。
「ねえ」
リーファにくいくいと裾を引っ張られる。
「この人達は誰なの?」
「妹に並々ならない執着を見せる男といつ刺されても文句の言えない女誑しだ」
「うわぁ……」
「悪意のある紹介は止めてもらおうか!」
などと騒いでいると周囲からの視線が集まってくる。
和装が主流のスメラギ領ではハロルドやリーファ、フランシスの格好は目立つ。さらには次期当主のイツキは領民からの人気と知名度が高く、そんな一団が騒いでいれば否が応でも注目されるのは当然だった。
「少々悪目立ちしてしまったな。うちの屋敷に場所を移さないか?」
「断る。貴様らに付き合っている暇はない」
「何か用事でも?」
「人探しよ。赤、金、青の髪をした三人組」
「急ぎなのかい?そうなら家の者に探させてもいいけど」
その方が効率的だろう?とイツキから提案をされる。
確かに広いスメラギの町をリーファと二人で捜索するのは骨が折れるし、急いでいることを考えればその提案に乗りたいところだ。問題はスメラギの屋敷にはエリカがいるということだが。
考えてみればリーファはハロルドがエリカに与えたくない情報をほとんど知らない。
リーファの中でハロルドは寿命を削って力を引き出し、余命わずか――ということになってはいるが、そこだけは他言しないよう忠告しておけば問題はないだろう。そもそも余命の件は嘘だということを教えてもいいのだが、自分の口の悪さとリーファの性格を考慮すると面倒なことになるのは間違いない。
こんな状況でもなければすぐに種明かしをしたいところだったが、ここまできたら全部終わった後に罵詈雑言を浴びせられた上で絶交されるくらいの覚悟で平謝りするとしよう。エリカだけでなくリーファにまで平手打ちをもらうことになりそうだが、二人の心情を察すれば軽すぎるくらいだ。
「どうするの?ハロルド」
「……いいだろう。こき使ってやる」
「じゃあ案内するよ」
イツキに連れられてスメラギの屋敷に向かう。しばらく徒歩で歩き、馬車が停めてある場所からそれに乗り換え街道に出てからさらに一時間ほど。
桃色のサクラが鮮やかに彩るスメラギの屋敷が見えてきた。
「すごーい……」
馬車から降り立ち、見たこともない雰囲気の光景にリーファが圧倒される。中身が日本人であるハロルドとしてもスメラギ領の自然や町並みはいつ見ても郷愁を刺激されるが、そうでないリーファにも感ずるものは多いようだ。
しかしいつまでも呆けさせていても仕方ないので軽く頭を小突く。
「いたっ!」
「行くぞ」
「あ、ちょっと待ってよ!」
先行するイツキとフランシス。その後にハロルドとリーファが続く。そして屋敷の門に近付いてきたところで何やら騒がしい声が聞こえてきた。
「何事だ?」
「さて、なんだろう?」
イツキも不思議そうに首を傾げている。
そのまま声がする方に足を向けると、何やら門の前で声を上げている者がいた。そんな彼らを見て、リーファがポツリと呟く。
「赤、金、青……」
「……」
ハロルドは俯き、無言でこめかみを抑えた。
スメラギ家の門の前。そこにいたのは間違いなくライナー、コレット、ヒューゴの三人だった。