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9話

明けましておめでとうございます。



 およそ3週間振りに戻ったストークスの邸にこれといって変わった様子はなかった。何かしらの変化を上げるとしたらジェイクが自宅の庭でLP農法による自家栽培を始めたくらいのものである。

 どうやら話を聞いただけでは半信半疑だったらしい。


 しかしその甲斐もあってLP農法に財政難脱出の希望を見出だしたジェイクは精力的に試験運用へ向けて尽力している。

 ノーマンも上手く水面下で動いてくれているので両親に勘付かれてもいない。ここまでは計画通りと言えた。


 そしてスメラギ領から舞い戻り10日ほど経ち、LP農法の試験運用が差し迫ってきたある日。日課の鍛練をこなしていた一希の元へ来訪者の報せが届いた。


「俺に来客だと?」


「はい、そのようです」


 いきなりそんなことを言われても一希に心当たりはなかった。さすがにハロルドの幼少時の交友関係までは把握していない。


「来客者の名前は?」


「エリカ・スメラギ様です」


 ノーマンが口にした名前に一希は振るっていた剣を止めた。


(なんでエリカが来るんだよ……)


 LP農法の試験運用開始直前という微妙に忙しい時期に面倒事は勘弁してくれ、というのが一希の偽らざる心境だった。

 そもそも何用なのだろうか。初対面であれだけ悪態を吐いた相手にわざわざ自分から会いに来るとは思えない。


 考えられるとするならば例の手紙に対する何らかのレスポンスだろう。そのメッセンジャーにエリカが抜擢されたのは納得できなかったが。

 何にせよ剣を手にしたまま裏庭で考えていても埒が明かない。


「テラスの方に通しておけ」


 ヘイデンは仕事で不在だが母親のジェシカは在宅だ。本日もパーティールームで優雅に貴族流ママ友会を開催しているので屋内の来客室でも遭遇確率は低いだろうが、手紙の件があるだけにできるだけ邪魔が入りにくい場所を選ぶ。

 本当ならば自分の部屋が最適なのだが仮にも婚約者をいきなり連れ込むのはいらぬ誤解を招きそうなので自重した。10歳児同士で誤解も何もあったものではない気もするが念には念を、である。


 ひとまず一希はかいた汗を水で流し着替えを済ませてからテラスへと出向く。

 そこにはストークス家の給仕が淹れた紅茶を楽しんでいるエリカの姿があった。


 先日の着物とは違い、今日の装いは袴を履いた書生姿である。純和風の出で立ちで洋風のウッドチェアに腰掛けているというなかなか不釣り合いな光景だ。


「何をしに来た?」


 向かいの席に座りながらハロルドはいかにも不機嫌そうな声を発する。

 手紙の件であれば誰かに聞かれるわけにはいかないのでとりあえず手を振って給仕を下がらせた。


「この場合の第一声は普通なら“お待たせしました”ではありませんか?」


 一希としては似たようなことを言ったつもりである。言葉もニュアンスも全く反映されていないだけだ。

 相手をするのが面倒、という本音が滲み出たのかもしれない。


「俺は貴様と違ってヒマじゃないんだ。こうして顔を見せてやっただけありがたいと思え」


「うっ……確かに急に訪問したこちらが悪いのですけど……」


 正論をぶつけられて悄気るエリカ。

 言い分としては自分の方が正しいのだが、相手が子どもということもあってシュンとされるとまるで虐めているかのような気分になる。


「ふん、まあいい。用件は何だ?」


 良心を抉られた一希はさっさと話を進めることにした。

 ハロルドの空気を察してエリカも凛とした雰囲気を瞬時に整える。


「まずはスメラギ家を代表してお礼をさせていただきます。此度は多くの民を救っていただきありがとうございました」


 エリカが深々と頭を下げる。救った、ということは一希が手紙に記した調合アイテムを作り、実際に使用して効果があったのだろう。


 タスクが手紙を受け取ったのが20日ほど前。タイムラグを踏まえれば一希が去ってすぐに試したということになる。

 予想していたより行動が迅速だ。


「あんな眉唾物に飛び付くとはスメラギも相当追い込まれているようだな」


 せせら笑うかのようなハロルドに対してエリカは表情を崩さない。


「ハロルド様のおっしゃる通りです。現状ではスメラギに打つ手はありませんでした」


「ならその恩は高く売っておいてやる。だが勘違いするなよ」


「どういうことでしょうか?」


「俺が貴様らに提示してやったのはあくまで対症療法だ。根本的な解決はできないし副作用が出ないとも限らない」


 ゲームなら材料を選んで調合するだけだが実際に作るとなればそれぞれの分量を試行錯誤していくつもの割合を試さなければならない。それだけに一希はこうも早く効果が出るなど思ってもみなかった。

 加えて大量摂取や長期服用によって副作用が引き起こされるかどうか、またその程度などゲームで描かれていない部分は一切不明だ。


 当然それらについては手紙でタスクにも伝えてある。

 そういったリスクを天秤にかけても試すほどにスメラギは手詰まりなのかもしれない。


「つまりハロルド様のお薬では完治しない、と」


「症状が軽度であれば根治は可能かもしれないが重篤患者は無理だ。そしてそこまで面倒をみてやるつもりもない」


 なぜならそれを解決するのはライナー達主人公一味であり、エリカが主人公パーティーに加わるきっかけとなるイベントでもあるからだ。


 冷たい物言いかもしれないが、しかしそれはエリカも承知の上だ。

 婚約者という間柄ではあっても所詮は政略結婚。物資や資金の援助など最低限の義理を通しさえすればストークス家は面目を保てる。

 それでもハロルドはわざわざ――


(作った……?“薬”を?)


 エリカの頭を過った疑問。

 それはハロルドがいつあの薬を作ったのかということ。


 エリカとの婚約が決まってから、というのはあり得ない。専門的な知識のないエリカでもたった数日で薬を開発するなど到底不可能だということは分かる。


 では知識として知っていただけでハロルドが作ったものではない?先程もエリカが「ハロルド様のお薬」と口にした際に肯定も否定もしなかった。

 ハロルドはあくまで“対症療法を提示した”というスタンスでいる。


 しかしスメラギが総出で調べ上げたにも関わらず有効な手立てが見付けられなかったものをハロルドが知っているというのも考えにくい。

 仮にそうだったとしても有効性が少なからず実証されるほどの臨床例があれば相応の資料や文献が残っているはず。副作用についてまるで分からないというのもおかしな話だ。


(それでは一体どうやって……?)


「貴様の用件はこれだけか?」


 深く潜りそうになったエリカの思考を遮ったのは億劫さを隠そうともしないハロルドの声だった。

 追い返そうという雰囲気が嫌でも伝わってくる。


「まだあります。父からハロルド様へ手紙を預かって参りました」


「寄越せ」


 やはりエリカはメッセンジャーに抜擢されたらしい。

 タスクが手紙だけでは礼に欠くと判断して感謝の意を直接示そうと考えたのかもしれない。


 エリカも不本意なんだろうなぁと彼女に些か同情しつつ、一希はタスクからの手紙に目を通していく。


 その内容は予想通り。

 例の薬は効果があったこと、副作用を始めとした諸注意事項に関しても今のところ問題は起きていないが経過を注意深く観察していく意向であること、そしてハロルドへの感謝の言葉が綴られていた。


 まあ現時点でこちらに報告できるのはそんなところだろう。

 手紙は拝見した、後は静観する、という旨をタスクに伝えればこれ以上干渉する必要もされることもないはずだ。


(ん?)


 ふと2枚組みだと思っていた便箋の後ろにさらにもう1枚便箋が重なっていたことに気付く。その書き出しには“追伸”の文字があった。


『追伸


 君も知っての通り今スメラギの地は異常な事態に見舞われ、その対応に追われていて立て込んでいる。前例の無い出来事だけにいつ不測の事態が起きるかも分からない。

 そこで心苦しいのだが君に相談がある。誠に申し訳ないがエリカの身をしばらくストークス家で預かってはもらえないだろうか。私情を挟むのは当主として失格かもしれないが大切な1人娘を案じる父親として――』


 そこまで読み進めて一希は手紙から目を離した。眼精疲労でも起こしているのかと思いながら目頭を揉み、再び手紙に視線を戻して最初から読み返す。

 しかしそんなことをしてもエリカの身の安全に助力してほしいという文言に変化はなかった。


 両手で頭を抱えてテーブルに突っ伏しそうになるのを堪え、それでも絞り出した声は怨嗟を含んでいた。


「どういうつもりだ、これは……」


「如何致しました?」


 一希は無言で追伸が書かれた便箋をエリカの前に置く。

 それを読み終えたエリカはさも驚いたようなセリフを淡々とした調子で口にした。


「まあ、これは困りました。婚約者とはいえ同じ屋根の下で暮らすなどご迷惑をお掛けすることになってしまいます」


「……おい」


「ですが私を乗せてきてくれた馬車はもう帰ってしまいました。ここはどうかハロルド様のご慈悲で助けていただくしかありません」


「おい貴様」


「はい、なんでしょう?」


 ニッコリと笑うエリカ。初めて見せる満面の笑顔だった。


「なかなかいい根性をしてるな」


「お褒めにあずかり光栄です」


 ハロルドの皮肉に涼しい顔で皮肉を返すエリカ。この一件はタスクの独断ではなく彼女も承知の上らしい。

 つまりエリカは何かしらの目的を持ってここに居座ろうとしている。


 単純に婚約者だからという理由ではないだろう。タスクにはエリカがストークス家に嫁がないで済む手段を知らせている。

 まあそれはあくまでタスクが手紙の内容を信じてくれればの話だが、そうではなかったとしてもエリカを送り込んでくる理由に見当がつかない。


 加えて一希を困惑させているのがエリカの言動だ。

 ゲーム内では確かにお茶目さやささやかな悪戯をする描写はあったが、言葉だけの応酬とはいえ決して意趣返しを行うような性格ではなかった。

 まだ精神面が成熟しきっていないといえばそれまでなのだが、そのギャップは一希を惑わせるには充分だった。


「こんな一方的な申し入れを聞き入れてやる義理はない」


 格上貴族からの願い入れなどほとんど命令のようなものではあるが、それを一希は躊躇なく突っぱねた。

 タスクの人柄、スメラギの現状を考慮して問題はないと判断したからだ。


 もしこれでストークスとスメラギの仲が多少拗れたとしてもそれはそれで一希の望む展開でもある。

 いずれ婚約を解消する際の後押しになればいい。


「つれない方ですね。他領の民は救ってくださるのに婚約者は無下に扱うだなんて」


 エリカがこれ見よがしに悲しげな表情を作る。

 まさに“作った”表情であり悄気ていた時とは違って一希の心は微塵も揺れない。


「あれは高い恩を売れると踏んだからだ。だがこの件に関しては俺への見返りが少ない」


「そうですか。そこまで言われるのならこれ以上ハロルド様にお願いするわけにはいきませんね」


 すっと立ち上がったエリカは再びハロルドへ深々と頭を下げる。


「改めてハロルド様に感謝を申し上げます。スメラギの民を救っていただき本当にありがとうございました」


 ここが畳の上ならば三つ指をついていたんじゃないかと思うほど丁寧な一礼に、エリカの偽り無い心が見えた気がした。

 彼女が民を想う気持ちは本物なのだろうな、と一希はそう感じだ。だからといって居候を認めてやる気は毛頭ないが。


「この貸しは後で盛大に取り立ててやる。精々今の内に切れるカードを増やしておくんだな」


「お気遣いのほど痛み入ります。それでは失礼致しました」


 そう言い残し、エリカは淀み無い足取りでストークスの邸を後にした。

 やけにあっさり引き下がったことを不審に感じつつ、そういえば馬車もないのにどうやって帰るつもりなのだろうという疑問に思い到ったのはそれからしばらく時間が経ってからだった。


 その答えを知るのはそれから数時間後、ヘイデンの口から告げられることになる。




年末は忙しかった分、年始は5連休なので最低もう1話は投稿したい。

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― 新着の感想 ―
これ以上ハロルドにお願いするわけにはいかない→じゃあ父親にお願いするか ってことですね
[良い点] エリカ頭良すぎない?まだ子供の設定だよね?主人公は精神年齢高めだからいいとして。。。
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