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89話




「くるぞ」


 男がそう口にするのとほぼ同時、球体の内部から鞭のようにしなる縄状の、触手らしきものがヒューゴ達の方へ向けて飛び出してきた。

 ヒューゴは背中に掛けていたハルバードを咄嗟に抜いて応戦する。一本目は弾き、二本目は切断。しかし三本目には対応しきれず左の足首を絡め捕られて引き倒される。そして逆さのまま宙吊りにされてしまった。


「うおお!?」


 転倒して逆さ吊りになっただけなのでダメージはほとんどないが、自由を奪われては焦らざるを得なくなる。ハルバードで拘束を解こうにも、この不安定な態勢では間違って自分の足を切断してしまいかねない。そう躊躇っていると、今度はいきなり自由落下が始まった。

 地面に体を打ち据えて呻き声を漏らしつつ、それでも急いで球体との距離を空ける。それと入れ替わるようにローブの男が前に出た。変則的な動きで襲いくる触手の攻撃を全て捌きながら男が声を上げる。


「貴様らはそれを持って地上へ出ろ!」


 その指示は荷物持ちの二人へ向けたものだった。見れば彼らが立つすぐ横の壁には細い直剣が突き刺さっていた。

 恐らくあの直剣は宝箱の中に入っていた物だったのだろう。それを投擲してヒューゴを拘束していた触手を切断し、かつあの二人の下に届けたのだ。荷物持ちだという仲間をこの戦闘に巻き込まないために。

 二人は男の指示に従って、剣を抜くときた道を引き返していった。それを追おうとする球体の前に男が立ちはだかる。そんな彼の横に並んでヒューゴは声を荒げた。


「おい、俺達も逃げようぜ!」


「アイツは番犬だ。奪われた宝を取り戻そうと追いかけてくるぞ」


「あれが犬なんて可愛いもんかよ!なんだろうと逃げきりゃいい!」


「ああ、逃げられるだろう。俺達はな」


 敵を見据えたままの男が口にした言葉にヒューゴは二の句を継げなかった。自分が暴君と呼んだ彼は仲間を、そしてまだ遺跡内にいるかもしれない他の冒険者を巻き込まないためにここであの機械でできたようなモンスターを食い止めようとしているのだと理解できたからだ。

 ヒューゴがスパイラルモールを興奮状態に陥らせてしまったことで、遺跡内を探索していた他の冒険者も異変を察知して地上へ出ているだろう。しかし何らかの理由で留まっていたり、そもそも異変に気付いていない者がいて、そんな彼らがこのモンスターと遭遇したらどうなるか。

 どう考えてもいい結末には向かわないだろう。ならば最善策はここでモンスターを仕留めること。


 突如現れた奇々怪々なモンスターを前にしておいてこれほど冷静に、それでいて危険を顧みない判断ができる人間がどれだけいるだろうか。それだけでも彼が多くの修羅場を潜り抜けてきた男だと理解できる。

 思えばヒューゴを犠牲にして逃走することも選べたはずだ。あの場面ならヒューゴも自分の命を守るために精一杯の抵抗を示しただろう。時間を稼ぐにはちょうどいい捨て駒だったはずである。

 それでも彼は迷うことなく自分を守った。そして今は仲間を、いるかも分からない他の冒険者を危険に晒させないために剣を構えている。

 この男は傍若無人で、怖いもの知らずで、自分勝手で、暴君である。けれどもしかしたら情に厚い人間なのかもしれない。


「……ああ、そーかい。つまりはコイツを倒せば万事解決ってわけだな」


「なんだ、貴様も残るのか?」


「ここでお前一人残して逃げるほど臆病風に吹かれちゃいねぇよ!」


「次は助けてやらんぞ」


「あれはお前がもっと声を張ってりゃ俺も避けれたっつーの!なんだよあの緊張感のねぇ『くるぞ』は。可愛い可愛い小鳥のさえずりか!?」


「ぴーぴーとうるさいのは貴様の方だろう。元より俺がいなければ避けられないと言っているようなものだ。自分の論理が破綻していることにも気付いていないようだな鳥頭」


「うるせぇバーカ!」


 言葉の応酬をしながら、それに負けず劣らず激しい攻防がくり広げられる。巨体だけあって腕による攻撃は重いが、その分速度はない。しかしそこを高速で動く触手がカバーするように攻撃も防御も自在にこなす。

 おまけに切り落としても次から次へと体内から触手が湧き出てくる。いくつか本体への攻撃も入ってはいるが、外殻の硬さもあってどれも決定打にはなっていない。数十度に及ぶこちらからの仕掛けがことごとく弾き返される。


「だーもう!キリがねぇ!」


「大見得を切っておきながらもう泣き言か」


「そんなもん吐いてねぇよ!空耳だろ!」


 男に煽られては息を巻いて言い返す。

 確かに攻略の糸口は掴めていないが、ヒューゴの中に大きな焦りはなかった。その要因は戦いやすさだ。

 無論、敵が与しやすいという意味ではない。戦いやすいと感じたのはローブの男との共闘だった。

 一手足りないところに追撃が入る。守りの隙を上手くカバーしてくれる。ヒューゴの戦闘スタイルと間合いを完璧に把握したのか、自分の攻撃が届く範囲には絶対に侵入してこない。

 それどころかやや無茶なヒューゴの特攻を、敵の防御を崩したり始動を潰してむりやり成立させたり、時折出してくる「屈め!」「後ろに飛べ!」などの指示に従えば死角から迫っていた、ヒューゴ自身気付いていなかった攻撃が薄皮一枚の隙間を残して空を切る。

 それは敵の攻撃や間合いさえも完全に見極めていることを意味していた。どれほどの経験を積めばこれだけの技量を身に付けられるのか想像すら及ばない。

 だが、そんな男が味方なのだ。これ以上心強いことはなかった。


「しょうがねぇ。ここはいっちょ必殺技で決めてやらぁ!」


 ヒューゴは自分を鼓舞するように叫ぶ。ここまでくればさすがに男の思惑は察知できた。

 男は自分の強さを見極めようとしているのだ。恐らく倒そうと思えば彼ならあのモンスターをあっさり撃破できるだろう。だがそうはせず、ヒューゴのサポートに徹している意味はそれしか考えられない。

 そうする理由は分からないが、見たいというなら見せてやる。


「ってなわけで援護は任せた!」


「俺を顎で使おうとはいい度胸だな」


 言いつつ、その場に留まって集中力を高めるヒューゴに攻撃が届かないよう、男は盾となりしっかりガードしてくれる。

 頼りになるぜ、と口端を上げる。今日初めて、数時間前に出会ったばかりだというのに、彼との共闘には一抹の不安すらありはしない。そう思えるのが自分でもおかしくて、けれどその感覚は悪くなかった。

 そしてヒューゴの集中が最高潮に達したそのタイミング。男の剣が触手をまとめて切り飛ばし、敵まで真っ直ぐに伸びた一本道が出現する。男を追い抜き、全身の筋肉を隆々と盛り上げ、ヒューゴは両手に握ったハルバードを全力で振り下ろした。


「『剛斬ごうざん荒波あらなみ』っ‼」


 それは斬撃によって生じた地を走る衝撃波。地面を抉り、その威力を増幅させながら敵に迫る様は、まさに嵐の海を暴れ回る巨大な荒波であった。

 防御も回避もできずにヒューゴの必殺技が直撃した球体の怪物は成す術もなく、大波に飲み込まれた小船のように沈むこととなった。





  ◇





「はあ、出口はまだかよ……」


「無駄口を叩く暇があるならキリキリ歩け」


 男が番犬と呼んだモンスターを撃破してからしばらく。これ以上あそこに留まる理由もないので地上を目指して黙々と歩いている道中、愚痴をこぼすと男から手厳しい注文が入る。

 まあそれもこれも生きてここまで戻ってこられたからこそなのだが。そこまで考えて、ヒューゴは男に直接聞いてみることにした。


「なあ」


「なんだ?」


「さっきのモンスターだけどよ。なんで俺に任せたんだ?お前ならもっと簡単に勝てたと思うんだが」


「そんなことか」


 ヒューゴの質問を、男はふん、と一笑に付す。


「貴様への戒めだ。これに懲りたら無謀な探索は止めることだな」


 そういうことか、と得心がいった。

 ヒューゴは遺跡探索の定石に反する行為でスパイラルモールを興奮させて死にかけた。のみならず他の冒険者を危険に晒すことになってしまった。それで自分が死ぬだけならまだしも、自分以外の死人が出れば後悔してもしきれない。

 それに対する戒めなのだろう。


「ああ、肝に銘じておく」


「そうしておけ」


「もう一つ聞いていいか?」


「……なんだ?」


「お前は冒険者じゃないんだろう?どうして遺跡に潜ってるんだ?」


「……なぜそう思う?」


「遺跡探索に関する知識がいくらなんでもなさすぎる。それに最後に取った剣以外、宝やアイテムにまったく興味を示さねぇからな。というかあの剣が目的だったのか?」


 そうならばこの男は剣があそこにあることを知って潜ったということになる。それはそれで気になるところだ。

 しばし押し黙った後、男は絞り出すように言葉を口にした。


「貴様は秘宝と呼ばれる物を知っているか?」


「そりゃまあ伝承くらいはな……って、まさか……」


「さっきの剣がそれだ」


「いやいや!秘宝なんて空想上の代物だろ?」


「そう思いたければ思っていろ」


 男はあくまで本物だと断言する。その雰囲気に気圧されてヒューゴは言葉に詰まった。

 信じられないと思う反面、この男の特異性を考えるとあれが本物の秘宝だとすれば納得がいく。異常なまでの強さ、古代文明に対する知識、普通とは言い難い仲間。遺跡の踏破はあくまでもついでであり、古来より遺跡の奥底で眠りについている秘宝を入手するためだけに組まれたチームと考えると偏りのある編成も頷ける。


「今、秘宝を大陸各地から掘り返している者がいる。すでに所有者がいる場合は盗み出してまでな」


「遺跡から発掘するならまだしも、盗みとなると穏やかじゃねぇな」


「窃盗云々はさして重要ではない。問題は秘宝を集めて“何をしようとしているか”だ」


「そりゃ収集家に売り捌いて金に換えるとかじゃねぇの?」


「……それで済めばいいがな」


「含みのある言い方しやがって。んで、結局のところお前が秘宝を探してる理由はそいつらに渡さないためか?」


「そんなところだ。ちなみに秘宝を盗んでいる奴らの見た目は黒いローブをまとった三人組で、言葉を一言も発さないと聞いている」


「へー……ってまるっきりお前らじゃねぇか!」


 ヒューゴは飛び退って距離を取る。

 そんな彼の反応を男は見下したように笑った。


「上出来だ。俺達が本物にしろそうでないにしろ、これで黒いローブの三人組というキーワードが広まっていく」


「……それが狙いかよ。まったく、ビビらせやがって」


 からかわれていたことに気付いて冷静になるヒューゴ。

 この男がもし本当にそんな窃盗犯なら、その存在を知らない自分にわざわざ打ち明けるようなことはしないだろう。言動から察すると本当はその逆、犯人の存在と行動を知らしめるために同じような格好で、同じようなことをしているのかもしれない。今日の一件を喧伝すれば黒いローブの三人組は冒険者だけでなく、市井でも注目を浴びるようになる。そうなれば相手も動きにくくなるはずだ。要するに、自分達のしたことを窃盗犯になすり付けようという魂胆らしい。地道だが効果的と言えなくもない。

 そしてここまで考えるとさっきの言語機能を持たない二人というのも、窃盗犯である相手方を模倣しているだけのような気もしてくる。言葉を話せない人間というのがそうそういるとはヒューゴには思えなかった。

 それよりも彼としてはどちらかというとこの男がなぜそんなことをしているのか、という方が気にかかる。そのことを尋ねてみようかと思っていると、今度は男の方から質問が飛んできた。


「貴様はなぜ遺跡に潜る?」


「そりゃお宝見つけて一攫千金を手にするためよ」


「欲にまみれた動機だな」


「当然だろ。俺は冒険者だぜ?」


 男の皮肉にもヒューゴは豪快に笑って返す。

 今のご時世、冒険者という道を選択している時点でまともとは言い難い。確かに貴重な宝を発掘できれば一生遊んで暮らせるだろうが、実際にそんな生活を送れる冒険者など一握りと言うのも憚れる程度の話だ。確率的にゼロではないというだけで、ほぼ無理である。

 そんな極めて小さい可能性のために命を懸ける人間をバカな奴だと見下している人間も少なくないし、冒険者である当人からしても自分達がバカなことをしているという自覚はある。

 命の危険という点では騎士団や国軍に所属するのと同じようなものだが、国や民を守る彼らとは違い冒険者の死は尊いものではない。モンスターのエサとなったり、遺跡内の罠にかかったり、遭難したり、落石や滑落などの事故に見舞われたり。死因は様々だがどれも危険を承知で臨んだ結果の自業自得である。


 中には過去に大陸を支配していたとされる古代文明に対して歴史的見地からアプローチをかける学者もいることにはいるが、そんな人間は冒険者総数の千分の一にも満たないし、そもそもそれは正しい意味で冒険者とは言えない。

 故に騎士団や国軍を夢見る子どもは親に背を押されても、冒険者になるなどと言い出せば鉄拳で制裁されるか考えを改めろと説教を受けるのが通例である。少なくともヒューゴはそうであった。父親から食らった拳の痛みはまだ覚えている。


「だが、それならばなぜここで油を売っている?」


「どういうことだ?」


「カディス遺跡。そこに貴様の求める物がある」


 そこへ行け、と男は言った。

 カディス遺跡は決して大きな遺跡ではなく、また踏破も終わっていると聞く。ヒューゴも一度潜ったことはあるが中はもぬけの殻で特筆すべきこともなかった。

 だが、もしあそこにもハイバール遺跡のような仕掛けが潜んでいて、まだ奥底があるとしたら。そしてそこに何かしらの宝やアイテムが眠っているのだとしたら。秘宝の在処を知っていたような男からの助言だ。気にしない、というのは無理な話である。

 しかしなぜこの男は自分にそんな情報を与えるのだろうか。彼には恩を売るどころか借りを作ってばかりのヒューゴからするとそれが疑問だった。


「なあ、お前は……」


「おいお前ら!さっさと出てこい!」


 そう問いかけようとしたところで怒声にも近い逼迫したような声が飛んできた。何事だと男の背中越しに前を見れば、スパイラルモールの死体が山となっているあのドーム状の空間に通じる横穴からこちらに向かって叫んでいる男がいた。

 いつの間にかもうここまで戻ってきていたらしい。その横穴から出ると、まだ血は残っているがスパイラルモールの死体は半分ほどに減っていた。

 恐らく遺跡内の異変が麓にいる冒険者たちに伝わり、彼らが総出となって後処理をしてくれているのだろう。本来ならヒューゴが率先してやらなければいけない仕事であり、それだけに彼の胸に申し訳なさが募る。

 けれどヒューゴには何よりも確認しなければいけないことがあった。


「怪我人や死人は出てるのか?」


「怪我人は何人かいるがどれも軽傷だ。リストの人数と照らし合わせても潜ってたのはお前らで最後だな」


 遺跡探索をするには事前に探索リストへ記名することが義務付けられている。今回のような有事の際や戻らない人間がいた場合はそれを用いて確認できるようになっている。

 自分が喜ぶのはお門違いだと思いつつ、それでもその返答はヒューゴを安堵させるものだった。


「それにしても出てくるまで時間かかったじゃねぇか。何してやがった?」


「面目ねぇ……」


 男の叱責するような言葉にも、ヒューゴは消沈するばかりだった。ここで遺跡の最深部の仕掛けを解いた、などと言えばまた混乱を招くことになるだろうと思い、まずはここの後処理を最優先にしようとヒューゴは判断した。

 だがその前に、まずはこの騒動が自分の責任であると認めなければならない。しかしそうすると一緒にいたあの男にまで迷惑がかかってしまうと考え、自分から離れろと言おうと振り返る。しかしそこに男の姿はなかった。

 慌てて辺りを見回してみても影も形もない。まるで煙か幻覚であったように立ち消えてしまっていた。あれが幻覚の類いだったならヒューゴはこうして生きていないのでそれはないだろうし、こういう人目がある場所に留まりたくない理由でもあったのかもしれない。ならばまあちょうどいいだろう。


「なあ、ちょっと聞いてくれないか」


「なんだ?元気ならテメーも手伝えよ」


「そのことなんだけどよ。俺は謝らなきゃいけねぇんだわ」


 これでヒューゴは自分の失敗を素直に告白することができる。

 ただ最後に、あの男の名前を聞けなかったことだけは彼の心残りであった。





  ◇





「……ほう、ハロルドはもう遺跡内から秘宝を奪ったか」


 自分の下へ届いた情報に、ユストゥスにしては珍しく驚きの声が漏れた。

 現在ハロルドが向かっていたハイバール遺跡。その最深部に秘宝の一つが眠っていることはほぼ間違いないと睨んでこそいたが、そこに至るまでの道のりは決して容易ではないとも思っていた。

 遺跡発掘のプロである冒険者がこぞって挑んでも踏破できないのだから、当然そこには相応の理由がある。故にハロルドでもある程度苦戦はするだろうと予測していたし、その上で彼ならば力業でもなんとかできるだろうという見込みがあった。


 それがどうした。上がってきた報告によればハロルドは迷うこともなく遺跡の仕掛けを正しく解いて、たったの一日で秘宝を手に入れてみせた。

 予想以上の働きであることは間違いなく、その点で言えばよくやったと褒めたいところだ。

 しかし兼ねてより抱いていたハロルドへの疑念疑惑が、これにより確信へと決定づけられた。


 初めて彼を知った時からおかしな存在だと感じていた。

 ただ強いだけならば手駒として使ってやろうと接触を試み、そこでハロルドを前にして直感的に悟ったのだ。彼は自分と同類なのだと。

 目的のためならどんな手段でも講じてみせるという強い意志がその瞳には宿っていた。


 その結果がサリアン帝国の侵攻に対する迎撃だったのだろう。しかしそれも調べれば調べるほどに不可解な点が噴出してきた。

 まずどうしてあの侵攻を察知できたのか、という点だった。あれは他国の人間を用いて研究用の星詠族モルモットを入手するのと同時に、騎士団の権威を貶め、計画の障害となり得る男、フィンセント・ファン・ヴェステルフォールトを失墜ないしは篭絡するためのきっかけになるはずだった。

 しかし蓋を開けてみれば最年少で騎士団に入ったという天才が、侵攻を食い止めた挙句、敵将を討ち取ってしまった。


 それがただの天才であればよかった。だがハロルドは天才ではなく、イレギュラーだった。

 彼はベルティスの森で帝国の軍服を身にまとって騎士団の前に姿を晒した。そうすることで騎士団員に敵が星詠族ではなく帝国軍であると認知させたわけだが、これは事前に侵攻してくる情報を掴んでいなければ実行できない。


 ましてや本来ならあり得ない十三歳で騎士団に入団したからこそ可能だったのだ。つまりハロルドは相当以前から情報を掴んでいたし、それを阻止するために動いていたと考えられる。

 その仮説を補強するのはベルティスの森での戦いに騎士団でも帝国軍でも星詠族でもない、どこかの勢力の人間をハロルドが率いていたという点だ。あの戦いでの死者数や捕獲数が減ったのはその集団の働きも大きかった。

 ハロルドがそれを率いていたことから、彼が事前に侵攻を察知していたと考えるのが妥当だろう。

 あの集団が何だったのか、正体は掴めずじまいだが、恐らくハロルドの子飼いか、スメラギ家所縁の者だろうと推測している。どちらにせよ手の込んだ準備がなされていたことに変わりはない。


 以上のことからハロルドを不審視しつつ、それでも手駒にしたのは彼の行く末がどうなるのか興味を抱いたからだった。自分のように破滅の道を選ぶのか、それとも自分と似たような目をしながら自分とは違う選択をするのか。

 その行く末に何を見出そうとしたのかは今でも自分自身、よく分からない。ただ本当に久しぶりに研究以外の事象に興味を刺激されたのだ。理屈ではなく、本能的な部分だったのかもしれない。

 だがなんにしろそうも言っていられなくなってきた。


 今回、ハロルドは失われた古代文明の文字を解読した。それはユストゥスを以てしてもできないことである。なにせまともな史料も文献も残されていないのだから。

 現状、この時代に生きるこの世界の人間には不可能と言って差し支えないだろう。

 ではなぜハロルドは古代文字を解読できたのか。


 その一件だけならば彼ないしは彼の家系が何かしらの情報を有しているのではと考えただろう。しかしそこにベルティスの森の一件が加わればその限りではなくなる。

 どちらかの出来事がたまたま、偶然、奇跡のような確率で様々な要素が重なって結果を招いたならまだしも、そんな理論上の確率でしか存在しない可能性を二度も引いたならそれは偶然ではなく必然となる。

 そしてこの必然を起こすには、事前に“知っていなければならない”。何をか、と言えば、それは未来。


 サリアン帝国の侵攻を、いずれ誰かが解読したであろう古代文字を、そしてもしかすれば、ユストゥスの計画そのものさえも。ハロルドは“知っている”のかもしれない。彼は初対面でユストゥスの名前を呼んだのだ。少なくともあの時点でユストゥス・フロイントという個人は知覚していたことになる。

 そしてこうも言っていた。『貴様のような男がここに何をしにきた?』と。あの時は著名な科学者である自分を指して“貴様のような男”という言葉を口にしたのだと思った。けれどそれがユストゥスの本質を知っているからこそ出た言葉だったとしたら。

 ああ、という嘆きともため息とも取れる声がユストゥスの研究室に響いた。彼はイスに座したまま天を仰ぎ、言った。


「君か……君が最大の障害となるのか、ハロルド・ストークス。ボクと同じ眼をした破壊者め」


 皮肉なものだった。自分の最大の武器である好奇心が、最後の最後で自分に牙を向けるとは。

 けれど、それでこそだ、とユストゥスは笑う。その閃きは神からの啓示にも等しく思え、無神論者であるユストゥスが、この時ばかりは神に感謝の祈りを捧げた。

 あの時のユストゥスは、どうしてハロルドを不審に思いながら彼を手元に置いたのか。それは自らの手で、最大の障害になるだろう男を殺すためだったに違いない。


「ボクの愛を証明するために命を散らす君にも感謝しよう、ハロルド。君だけは絶対にボクが殺してみせる」


 一人語るその顔に怒りはなく、ただただ深い慈しみを湛えていた。




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― 新着の感想 ―
[良い点] 現時点でのヒューゴとハロルドの関係性がすごく好きです!!今後もこの関係性のまま進んでいって欲しいなぁ。 [一言] ストーリー展開が変わってるからワンチャンでラスボス改心とかしないかなぁって…
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