88話
ヒューゴは十五歳の時から冒険者として生きてきた。危険を承知でその道に進んだ理由は、遺跡に眠るアイテムを発掘して一攫千金を夢見たからである。冒険者としては別に珍しくもない理由で、ロマンを追い求めているという言い方もできなくはない。
なんにせよかれこれ八年は冒険者として活動している。まだ二十三歳と若手ではあるが、すでに一端の冒険者だ。
そんなヒューゴから見てローブの三人組、取り分け暴君ことリーダー格の若い男は異質であった。それは冒険者としてでもそうだし、戦闘能力を指してもそう言える。
案の定というか、遺跡内部のモンスターが通常より活動的になっていた。遺跡のように狭い空間は戦闘に不向きであり、冒険者であれば大抵この時点で撤退を判断する。当然ヒューゴもそう進言した。
しかし男の反応は「腰抜けが」という一言だけ。その上でまだ自分に道案内を強制する始末。自分で名付けておいてなんだが、正しく暴君だ、と嘆息した。
「でも、強ぇんだよなぁ……」
すでに幾度となくくり返された光景を前にして、ヒューゴはそう呟く。ローブの男の足元には頭、上半身、下半身と三つに分割されて鮮血をドクドクと湧き出し続けるモンスターの死体が転がっていた。
ほんの数秒前に現れ、こちらを見るや否や攻撃してきたと思ったらこの有様である。ヒューゴの目が慣れたのか、それともスパイラルモールの群れを相手にした時ほど本気ではないからなのか、男の動きが少しずつ見えるようになってきた。
今のも腰に下げた鞘から剣を抜刀した勢いで首を切断。返す刀で上半身と下半身を真っ二つにして納刀、という動作である。たったそれだけで倒してしまうから荷物持ちだという仲間はもちろん、それなりに戦闘経験のあるヒューゴの出番すらない。
気が付けば現在踏破されている最深部付近まで来ていた。本来なら警戒して進み、モンスターに遭遇すれば待機ないしは撤退を余儀なくされることがほとんどの遺跡探索において、ローブの男の圧倒的な強さによりそれらを考慮する必要が全くないからだ。
冒険者であるヒューゴからすれば反則だ、くらいは言いたくなる。この男には遺跡探索の常識など通用しないし、最早定石に則る必要もなかった。
そしてあれよあれよという間に遺跡の最深部まで到着してしまう。ここまでたったの数時間しかかかっていない。
「ここが現在までに踏破されている限界点だ。ここから先に進んだ奴は誰もいない」
そんなヒューゴの言葉が反響するほど広い、直径五十メートルはあろうかという円柱の空間。ここも入り口からすぐのところにあったドーム状の空間と同様、螺旋状の通路が壁沿いに伝っている。
何よりも目を引くのが、巨大な模様が刻まれた扉。この固く閉ざされた扉が開いたことはない。
なぜならばこの扉を開くには、円柱の空間内にある何かしらの仕掛けを解かなければならないからだ。そしてこれがまた難易度が高く、扉の壁画と所々に散見している古代文明時代のものと思われる文字を手掛かりに解読を進めているが遅々として進まない。
ハイバール遺跡が比較的新しく発見されたものだというのも原因の一つだが、一番の関門は古代文字だ。まともな資料も現存しておらず、ほとんど憶測でしか読み解けないことから歴史研究の専門家ですら“失われた文字”と呼ぶほどである。
強さだけでは踏破できない。これこそ遺跡探索が一筋縄ではいかないと言われる所以だ。
さしものローブの男もこれにはお手上げだろう。そう思いつつ、ヒューゴは彼を横目で盗み見る。一向に表情は分からないが、男は腕を組んだまま一点を見つめていた。視線を追えば、その先にあったのは古代文字。
しばしそれを眺めていた男がふと呟いた。
「なるほどな」
「まさかこれが読めるのか!?」
「当然だろう」
「んなわけねぇだろ!」
世界中の学者や専門家が研究しても精度の低い、半分以上は憶測でしか読み取れない文字だ。それを事も無げに解読できると言われて驚かないわけがない。
その発言が本当なら男の持つ知識は世界の歴史を紐解く、非常に重要なものとなる。世界中の研究施設から引く手数多の存在となるだろう。いや、もしかしたらすでにそうなのかもしれない。
「ちなみにそれはなんて書いてあるんだ?」
「『頂の灯火』『星の原点』」
「……聞いてもよく分かんねぇな」
お世辞にも学があるとは言えないヒューゴには古代文字で記されているらしい言葉の意味はまったく理解できなかった。
だが男には何やら思いついたことがあるらしく、視線を上に向けて何かを探し始める。やがてとある場所でその動きが止まると、何も言わずに上へと昇っていく通路に足をかけた。それをヒューゴと従者の二人が追いかける。
そのまま建物で言えば四、五階相当くらいの高さまで到達した。柵もなければ、途中足場が崩れている箇所もあったがローブの三人組は躊躇なく進んでいった。恐怖心とかないのか、と疑いたくなる。
ヒューゴだけがやっとの思いで到着したのは通路に沿うようにいくつも存在する小部屋の一つだった。といってもこの辺の小部屋は粗方発掘されているのでめぼしい宝の類いはもう残っていない。
あるのは成人男性ほどの大きさの燭台くらいだが、これはどこの小部屋にもある。しかしローブの男はそれに近付くと魔法を使って火を灯した。それによって小部屋の中が明るくなったがそれ以外に変化は起きない。肩透かしかと思いきや、男は燭台の足元を注視するとこんなことを言った。
「松明を寄越せ」
すると従者の一人が言われた通り一メートルほどの長さの木の棒を取り出した。それを受け取った男は松明を燭台の火に触れさせて火を移す。
それを持ったまま小部屋を出ると、ある程度下ったところで今度は違う小部屋に入り、松明の炎を使って再びそこにあった燭台にも火を灯す。その後も昇ったり下りたりしながら、時折様々な場所に記されている古代文字を解読しつつ、合計五つの燭台に同様の行為を行った。
その瞬間、ゴゴゴゴゴという地鳴りのような音と地面の揺れが伝わってきた。まさか、と思いヒューゴは小部屋から出て眼下の扉を確認する。そして言葉を失った。
扉が開いている。幾人もの冒険者が頭を悩ませ、試行錯誤を繰り返し、それでも終ぞ誰一人迎え入れることのなかった扉が。
それでもあっさりと仕掛けを解いた男はさしたる感慨もなく、通路を下って扉へと向かう。ヒューゴとしてはその背中に疑問を投げかけずにはいられない。
「お、おい!なんで扉の開き方が分かったんだ?」
「手順がご丁寧に書かれていただろうが」
「あの古代文字にはそんな意味があったのかよ……」
あれを完璧に読めればこうも簡単に解けるものだったらしい。まあ古代文字を読める人間なんてこの男以外、今の世界にいるか定かではないが。
本当に彼は何者なのだろうか。その強さも、知識も、常識から並外れている。
声からして若い男だが、今なら武神だとか賢者だと言われても信じられそうな気分だった。
男はそんなヒューゴの心情など察することもなく進んでいく。扉の先は奥に向かうにつれて広く、そして人工的になっていった。砂利や砂だった地面が滑らかない白い石造りの床になり、壁も足元と同様ゴツゴツとした岩肌の洞窟から、削り整えられたものへと変化していく。さらには途中から太い柱や精巧な彫刻といったさらに手の込んだ作品すら居並び始める。
そして何より、遺跡内とは思えないほど明るい。よくよく見れば床も壁も天井も光石でできている。それならばここまでと同じだが、光石の種類が違う。太陽光とは異なる白い輝きは本来暗闇であるはずの空間をくまなく照らし出し、それでも目を刺すような刺激的な明るさではない。むしろ温かみすら感じるほど柔らかい光だ。壁を削り取って持ち帰ればこれだけでも結構な稼ぎにはなるだろう。
だがそんな気も起きないくらい、白亜の空間は神聖な雰囲気に包まれていた。例えるならば物語にでも出てくる荘厳な神殿のようである。決して信仰が厚いわけではないヒューゴでも、この場所を自分から汚そうとは思えなかった。
しばらく四人の足音だけが木霊する。そして少し進んだところでその音さえも消えた。
「すげぇ……」
無意識にヒューゴはそう呟いていた。自分が言葉を口にしたことにも気付かないほど呆然としつつ、視線は天井に釘付けになったままである。
彼らがたどり着いたのは祭壇のようなものが設置された拓けた場所。そこもここまでと同じく浮世離れした雰囲気だったが、その天井部分には見る者を圧倒するような、巨大な水晶が群生していた。全長五メートルはありそうな太い水晶を中心に、数百を超える水晶がそれを取り囲んでいる。
白い光石の光を浴びながらキラキラと輝くその様は、手の届く場所まで夜空の星が落ちてきたような錯覚を覚えさせた。
こうしてヒューゴが絶景に息を呑んでいる最中、ローブの男はそんな感傷に浸ることもなく神聖で静謐な空間にズケズケと乗り込んでいく。その図太さには呆れを通り越して舌を巻きそうだった。
男は祭壇の上に奉られるようにして置かれた宝箱の前に立つと、ゆっくりと深い礼をした。ヒューゴはそれを意外に感じる。
自分勝手で、傍若無人な男。そんなイメージを抱いていただけに礼節というものを意識するような男だとは思っていなかった。
顔を上げた男が宝箱に手をかける。しかしそれは開くことなく、ガチャガチャと音を立てるだけだった。
近付いてその手元を覗き込めば、どうやらこの宝箱を開けるには鍵が必要らしい。
「どうすんだ?」
「……鍵がなければ開かないというのはシステムで管理された世界だけだ」
「はあ?」
何を言っているのか意味が分からない。が、そう疑問を発する前に男は行動に出た。
腰に差した剣を抜くと、止める間もなく宝箱へと一閃。キィンという甲高い音と、一拍を置いて何かが落ちる音。
男は躊躇なく鍵を破壊した。それを目の当たりにして、礼節の意識があるというのは早とちりだったな、とヒューゴは認識を正す。まあそれはさて置き。
「で、肝心のお宝はっと?」
ヒューゴの冒険者としての性が騒ぐ。ワクワクしながらいざご対面、と思ったその時だった。
どこからかピシ、ピシ、という何かに罅が入るような異音が聞こえてくる。なんだ?と周囲を見回すが異音の原因は掴めない。そうしている内に音はどんどん大きく、聞こえる回数も増えていく。
困惑するヒューゴの視界が、その端に何かを捉えた。そちらを見れば、あったのは光を反射する透明な、小さなかけら。それも一つや二つではなく複数のかけらが落ちていた。
嫌な予感がした。その予感に従ってヒューゴは上を向く。
そこにあるのは数百に上る巨大な水晶群。それらに無数の罅が走り、今にも砕けて落下してきそうになっている。
「おい、やばいぞ!さっさと逃げ――」
ヒューゴの言葉が最後まで続くことはなかった。水晶が砕け散り、その破片が無数に降り注ぐ。そしてそんな破片にまぎれて、轟音と共に何かが降り立った。
キラキラと散る水晶の雨を浴びながら姿を現したのは三メートルほどの、金属でできたような球状の物体。これが何なのか、何の意味があるのか理解は及ばないが、どうやらあの水晶群の中にこの球体が眠っていたらしい。
「何なんだ、これ……?」
正体不明の物体に近付くことも躊躇われる。どうするべきかと悩んでいると、球体に変化が訪れた。
ガシュン、と音を立てて金属の一部がめくれ、そこに赤い光が点る。さらに球体の中から二本の鋭利な腕と、下部から八本の足が出現してその体を持ち上げた。
その足をガシャガシャと器用に動かして球体がヒューゴ達の方を向く。瞳らしき光点には明確な敵意が灯っていた。