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85話



「は、ハロルド、なのか……?」


 背後で呆然としていたライナーがハロルドの名前を口にする。その姿はコレットと同様に背が伸び、顔つきも精悍なものとなってハロルドが知る原作の容姿になっている。

 しかし名前を呼ばれた本人はそれに反応する余裕がなかった。

 今のこの状況はかなりの綱渡りである。ハロルド達の眼前でなんとか、といった様子で立っている黒いローブの男を一刻も早く退場させなければいけない。

 先ほどライナーに襲いかかった彼はユストゥスに作られた、ウェントスやリリウムのような感情のない人間……ではない。フリエリの構成員だ。


 ハロルドがブローシュ村でエルに頼んだのは二つ。一つは町に入ったライナーをこのフォグバレーへと誘導するための人員を配置すること。そしてもう一つは、黒いローブのダミーを用意することだった。

 一つ目の理由は言わずもがな。二つ目の理由は、予定になかったコレットの動きのせいで彼女の前にハロルドが姿を現さなければならなくなったからだ。自分では助けないなどと言って煽りこそしたが、それで本当に助けに現れなければコレットに悪印象を与えかねない。

 そして助けに入るためには自分の身代わりとなる人間がどうしても必要になる。そこでフリエリの人間を選出したのだ。フリエリの人間を使う以上、どうしてもウェントス達を離脱させなければならなかったが。

 それにないとは思うが追走を続行されてそのままハリソンの元まで行かれても困る。原作シナリオ中盤のイベントにこんな初っ端から突入されたら負けるのは目に見えている。どうせ原作通りに進めばそこで剣もライナーの元に戻ってくるのだし。


 加えてライナー達の手によってフリエリの人間を犯罪者として騎士団や自警団に突き出されても困るので、とにかく迅速に事を納めなければならない。しかし無実の人間を切り伏せるわけにはいかず、事前の打ち合わせにより素手で打倒することに決定している。

 それも本当に殴るわけではなく、あくまでそう見えるようにする、ということだ。だから彼が今ふらついているのも演技だったりする。彼はハロルドのようなスピードで動けないので、こうやってダメージを負っているふりをしているのだ。

 これなら素手であっさり倒しても不審には思われないだろう。

 相手が弱々しく剣を構え直す。それにライナーとコレットが警戒するが、ハロルドは悠然と言い放った。


「見苦しいな。貴様程度に剣を抜くまでもない」


 それはどちらかと言えばライナー達に聞かせるセリフだった。それが二人にしっかり聞こえたのを確認してからハロルドは動いた。

 やることは簡単である。最速の一歩で間合いを詰め、右の拳を腹部に叩き込む……ふりをするだけ。

 ローブのように体のラインが分からないほどダブついたものを身にまとっているおかげで、拳が薄皮一枚で止まってもそれを視認することはできない。あとは殴られた側が衝撃を受けたように体を折り、剣を取り落として倒れ込めばおしまいだ。

 そうして倒れ込んだ男を見て、ライナーは顔を引きつらせていた。


「い、一撃かよ……」


 自分が苦戦していた相手をこうも難なく倒されてはそう言いたくなる気持ちも分かる。まあそれは全て見せかけなのだが。

 そんなライナーはひとまず放置するとして、ハロルドは指を鳴らす。するとどこからともなく数人の男達が現れた。彼らもフリエリの人員だ。


「その男を回収しろ」


「了解」


 ハロルドの指示を受けて彼らは倒れた男を拘束し始める。これでライナー達にどうこうされる心配はないだろう。

 それを確認してから、ハロルドはようやくライナーとコレットと向き合った。


「手痛くやられていたようだな」


「うるせぇ……でも助かったぜ。ありがとな!」


「ふん」


 相変わらず真っ直ぐすぎて、あれこれ画策して打算により動起き回っているハロルドにとっては目が痛くなるほど輝いて見える。

 思わず視線を逸らす。そこにあったのはコレットの顔だ。破顔している。物凄くニコニコだ。悪い印象を与えないで済んでようだが、これはこれで何を言うにも悩ましい態度である。この場はスルーすることにした。

 そしてちょうどいいタイミングで男達から声がかかる。


「回収完了したぜ、旦那」


 傭兵という殺伐とした環境で生き抜いてきたからなのか、彼らの言葉遣いは総じて荒い。だがだからといって雇い主のハロルドを舐め腐っていることもなく、仕事に見合った給金さえ渡せばこんな三文芝居やら町の便利屋のような仕事も文句の一つ言わずにこなしてくれる。

 要するに彼らは仕事人なのだ。お金によって結ばれたギブ&テイクの関係。

 逆に言うと金の切れ目が縁の切れ目だろうが、今のところその辺りは心配する必要がないと言い切れる程度の資金はある。


「町まで運べ。尋問する」


「了解だ。野郎共、さっさと運ぶぞ」


 男三人で簀巻きにされたローブの男を担いで町の中へと消えていく。その光景を見ていたライナーが尋ねてきた。


「なあハロルド、あの人達は?」


「俺の手駒だ」


「もしかしてあれがハロルド様の言ってた必要な準備ですか?」


「ああ。結局は無駄足になったがな」


「うぅ、ごめんなさい……」


 その一言にコレットが申し訳なさそうに謝る。ライナーは意味が分からず首を傾げるだけだった。

 とりあえずこの場に残ってもやることがないので一度元来た道を遡って町へと戻る。特に示し合わせたわけでもなかったが、ごく自然にライナーとコレットはハロルドの後についてきた。その間にライナーに強さの秘訣を延々と聞かれて辟易したり、この場に自分がいたことやさっきの手駒の存在は誰にも他言するなと警告したりしつつ、人気のない場所に放置された廃墟にローブの男を運ぶ。

 そこにもついて来ようとしたライナーを、あとで情報をくれてやるという条件で一時的に下がらせ、他人の目がなくなったところで縛られた男を含めた四人にエルと合流するように指示を出して解散させた。


 これでひとまずは軌道修正ができただろうと一息つく。あの場面で自分が助けに入らざるを得なかったのは誤算だが、ライナーとコレットにいい印象を与えることができたというのは後々のことを考えると価値がある。

 あの二人はこれから奪われた剣を取り返すためにウェントス達を追いかけるはずだ。その際にどこを目指すべきか必要になる指針を自然に示せる状況になったのも大きい。これでスムーズに二人を誘導できるだろう。

 適当に時間を潰してから、そんな腹積もりでライナー達を待たせている宿へと向かった。指定しておいた部屋の扉をノックすると中からライナーが顔を出した。


「待ってたぜハロルド!」


 まるで主人を待っていた忠犬のように迫りくるライナーに捕獲され、腕を引かれて招き入れられる。早く教えてくれとライナーの目が訴えかけていた。


「落ち着け!子どもか貴様!」


 やたらと近い顔面を手のひらで押し返す。ライナーは「ぶへっ」という声を上げながら、襟首を掴まれてコレットによって引き剥がされる。


「ご、ごめんなさいハロルド様」


「まったく……」


 呆れたようにため息を吐きながら、ハロルドは部屋に備え付けてある椅子にドカッと腰を下ろした。


「何が聞きたい?」


「剣を盗んだ奴らはどこに逃げたか分かるか?」


「入っている情報だと南西方面に逃走しているようだな。恐らく目的地はロレンツだろう」


 正確にはそこからさらに先にあるソレスフィアでウェントス達と合流し空船で王都に戻るつもりだが、原作のストーリーをなぞらせたいので本当のことを口にする必要はない。

 剣を盗んだ奴らの目的地を教えられたライナーは再び気炎を滾らせ始める。かなり危険な状況に陥った直後だというのにその精神力には感服だ。


「よし!そうと分かったら……」


「今すぐ追いかける、なんて言わないよね?」


 しかしその熱も、コレットによって瞬時に冷却される。調子に乗りやすいライナーの暴走をストッパー役のコレットが制止する。原作でもよく見たやり取りだ。

 後ろ向きになって元気がなかったコレットだが、どうやら本調子に戻りつつあるらしい。戦闘スタイルこそ脳筋だが冷静に物事を見ることのできる性格はライナーといいコンビと言えるだろう。

 幼馴染の迫力にライナーもたじたじだった。


「いや、でもさ……」


「でももへちまもないから」


(この世界にもへちまはあるのか……)


 そんなどうでもいいことを考えるハロルドの前でライナーが説き伏せられていく。結局体をしっかり休めて、準備を整えてから追うことになった。

 コレットは当たり前のように一緒に行くらしい。それならばこうして直々に出張った甲斐もあった。


「あの、ところでハロルド様。さっき捕まえた人はどうしたんですか?」


 ライナーに対する態度とは一変。おずおずといった様子でコレットがそう尋ねてきた。

 もう解放した、などとは言えるわけがなく、それらしく誤魔化しておく。


「然るべき処断を下す。まあ外れだったがな」


「外れ?」


「あの男は剣を盗んだトリニティの仲間ではない。精々協力者といったところか」


「何が違うんだ?それ」


「剣を盗んだ奴らの情報は何も持っていない。アイツからトリニティの根城に辿り着くのは不可能だ」


 具体的な話は避けつつ、あの男はほとんど無関係だということをアピールする。

 ライナーは不満げではあったが、結局ハロルドの言葉に納得した。原作より若干だが物分かりが良くなっているように感じるのは気のせいか、それともこれも自分の行動の影響か。まあ自分に対して聞く耳があるというのは不利なことにはならないだろう。

 正直に言ってライナーがこれだけ友好的なのは驚きだった。彼の性格上原作ほど嫌われていることはないだろうと思っていたが、それでも闘技大会では手厳しい言葉を口にしたハロルドとしては少しくらい禍根があるかもしれないと考えていた。


 ところがこうして五年振りに再会してみれば想定よりはるかに気安く接してくる。それに関して文句はないが、ライナーといいイツキといい男連中からの好感度が高いのはなんなのだろうか。

 そのせいで困惑することがしばしばである。


「話はこれで終わりだ」


 そう言って立ち上がり、部屋から出ようとしたハロルドの背中にそんな疑問が投げかけられる。


「ハロルドはこれからどうするんだ?」


「貴様に教える必要はない」


「そうは言わずにさ。もしも……トリニティだっけ?アイツらを追いかけるなら一緒に行こうぜ!」


 まさかの主人公からの勧誘だった。

 これに関しては考えたことがないでもないが、自分が主人公パーティーに加わることで未来の出来事がどう変化するか予測がつかない。そのせいで致命的な事態に陥るとも限らないし、そうなるよりは原作通りに進め、要所でフォローを入れた方がユストゥスを止めるには確実だろう。

 何よりパーティーには絶対不可欠なエリカとの仲が致命的に険悪なのだ。原作になかった不協和音をパーティーに持ち込むことはしたくない。

 なのでこれに対する返答は「ノー」である。


「笑わせるな。俺には俺のすべきことがある」


「そうか……ハロルドと一緒なら頼もしかったんだけどなぁ」


 ひどく残念そうではあるが、今目の前にいる相手こそが剣を盗んだ主犯格だとは夢にも思っていないだろう。その事実が露見する可能性を踏まえてもやはり行動を共にするという選択肢はなかった。

 とはいえせっかく顔を合わせ、こうして話をする機会を得たのだ。このまま別れるのはもったいないような気もしてくる。

 それに今回のように自分が予想だにしていない展開がまた起きないとも限らない。それとなく釘を刺しておくことにした。

 しかしあまり直接的だったり脈絡がない話を振っても不審がられるかもしれない。今の会話の流れから怪しまれない程度に、それでいて重要なことを伝えるには……。しばし考えてからハロルドはゆっくりと口を開いた。


「貴様はまだ弱い。俺には遠く及ばん」


「んな!」


 いきなりの暴言にライナーが色めき立つ。が、直後にいじけたように唇を尖らせてそっぽを向いた。


「そりゃ確かにハロルドと比べたらよえぇけどさ……」


「格が違うんだ。当然だろう」


 我ながらずいぶんな言いようだとは思うが、格とは言い換えるとゲームバランスである。四人一組のパーティーを組むことが前提のライナーと、それに一人で太刀打ちする設定のハロルドでは戦闘能力や運動性能に大きな差があるのは事実だ。

 まあゲームのようであり、ゲームとまったく同じとは言い難いこの世界のことなので努力や戦い方次第では必ずそうだとは言い切れないのだが。


「だからそのことを胸に刻んでおけ。自分が強いなどと過信するな」


「どういう意味だよ?」


「弱者が自分の力だけで戦うのは愚かだということだ。一人で及ばないなら群れろ。それが弱き者の宿命だ」


 意訳するとしっかり仲間を作れ、という意味である。今回のように単独で行動されるなど心臓に悪いったらないのだ。

 ここから先はコレットが仲間になってくれるが、その後も順調に原作メンバーを仲間に加えられるかという不安が今回の件で浮き彫りになった。だからこそ自分の弱さを忘れずに、それを補い合えるような仲間を集め、力を合わせて戦ってほしいのだ。

 そうしなければ乗り越えられない困難がこれから待ち受けているのだから。


「弱者……」


 しかし言い過ぎたのかライナーが若干しょげている。

 もっと反骨心ある反応を想定していたが、どうやらハロルドが思っていた以上に今の言葉が心に刺さったらしい。もしかすると言われるまでもなく自分の力不足を痛感していたのかもしれない。


「……だが強くあろうとすることだけは絶対に怠るな。自分が弱いと思っているならなおさらな」


 その言葉に、俯きかけていたライナーの顔がハッと上がる。それを受け止めてから、次にコレットの方を見る。コレットはハロルドの視線を受けてもうろたえることなく強く頷き返してきた。昨夜の件で彼女も感じるところがあったのだろう。

 今のコレットが傍にいればライナーを上手く励ましてくれるはずだ。


「じゃあな」


 これ以上の言葉は不要だ。

 そう判断して、ハロルドは今度こそ部屋を後にした。




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― 新着の感想 ―
[良い点] かっこえぇハロルドさん…
[一言] 「でももへちまもないから」 いや、ここは”でももストもないから”でしょ。 冗談です、済みません。
[良い点] 嫌味が励ましになってるぜ、ハロルド。
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