81話
クララが泣いている。声こそ上げていないが、顔を覆った両手の隙間からこぼれた涙が頬を伝ってポトポトと地面を湿らせる。もう号泣と言えるレベルだ。
そんな彼女にハロルドは面食らっていた。
確かにクララとその娘であるコレットの命を救ったということを考えれば泣いて感謝されるのも納得の反応ではある。
しかしハロルド自身はあの一連の出来事に彼なりの負い目があった。マッチポンプとまでは言わないが、あの一件はハロルドの不注意とストークス夫妻の言いがかりが原因であってクララに落ち度はまったくない。だというのに娘共々強制転居だ。そういった経緯のせいでハロルドとしては泣くほど感謝されると、むしろ申し訳なさが込み上げてくる。
加えてハロルドに成り代わること約八年。その間、顔を合わせた相手が見せる感情は大抵が恐怖か嫌悪の二択だった。そんな状況に慣れてもうずいぶん経つ。
だからこそこうして感謝の気持ちを前面に押し出されると対応に困ってしまう。しかし客観的に見て今の状況がまずいというのは分かる。深夜に玄関先で未亡人を泣かせる男など即通報ものだろう。
とりあえずクララを落ち着かせて家の中に上げてもらわなければならない。
「貴様、いつまでそうしているつもりだ?俺は聞きたいことがある、と言っただろう」
「も、申し訳ありません。お目汚しになるかと思いますが、どうぞ中へ」
そう言って通されたのは木造平屋の一戸建て。ランプが灯され、その光によって照らし出された室内は確かにハロルドが生活している環境と比べれば質素だった。しかしこじんまりとしながらも小奇麗な生活空間はいつまで経っても庶民感覚が抜けないハロルドにとって不快に感じる点は一切ない。
そんなことよりも、さしあたっての問題は物陰から覗くようにしてこちらを見ている、母親譲りの金髪が特徴的な少女、コレットである。
「コレット、ハロルド様がお見えになったのよ。ご挨拶なさい」
「お、お久しぶりです、ハロルド様……」
おずおず、といった様子で頭を下げるコレット。五年ぶりの再会になるが、やはりというか、美少女と形容するしかないほどきれいに成長していた。ハロルドが知るゲームと同じ姿である。
最後に逢ったのはデルフィトの闘技大会。あの時に強くなってほしいと思い、少々きつい言葉を浴びせたせいかコレットはどこか怯えているようだった。
「コレット、と言ったな。貴様もこちらへ来い」
有無を言わせずコレットを着席させる。小さなテーブルにアメレール親子が腰かけ、その対面にはハロルド。「お口に合うか分かりませんが……」と出された紅茶に口をつけてから、ハロルドは改めて事の次第を説明しはじめる。
「昨夜、隣の家に盗人が入ったと聞いた。事実か?」
「はい」
「人数は?」
「二人組だと聞きました」
「身なりを見た者はいないのか?」
「盗みに入られた家に住むグリフィス夫妻と、その息子のライナー君。私が知る限りはその三名です。噂では黒いローブで顔を隠していたと」
「隣は不在だったが」
「犯人に襲われて夫妻は入院中です。ライナー君は犯人を追いかけて今日の昼過ぎに村を……」
自分が持つ情報とクララが知る事実関係を照らし合せていく。そこに大きな齟齬はないようである。当然だがまだ犯人に目星はついていないようだった。
それに安堵しつつ、ハロルドは先ほどから押し黙っているコレットへと視線を向ける。
「犯人を追いかけたライナーというのは、あの赤頭だな?」
「は、はい」
あの赤頭で通じたようで、依然怯えたような反応を見せながらコレットは頷く。
そんな彼女に悪いとは思いつつ、わざと不安を煽る言葉を口にした。
「俺の予想が正しければアイツは死ぬ」
コレットとクララが息を呑む。ここまでハッキリと言われるとやはり衝撃は大きいようだ。
だがこれは脅しでもなんでもない。ライナーが単独行動を取り、ウェントス達と戦闘になれば今の実力だと敗北が濃厚だ。そしてこの世界での敗北はゲームのコンティニューとは異なりほとんど死と=である。
それを防ぐ為にウェントスとリリウムには殺すなと命令をしておいたとは言え、戦闘に不慮の事故はどうしたってついて回るものだ。なのでハロルドとしては早々に、できることなら今すぐコレットにライナーの後を追ってもらいたい。
その為にハロルドが選択したのは、とにかくコレットのお尻を叩くということだった。
「目撃情報からして犯人は最近王都周辺を騒がせている『トリニティ』という窃盗グループである可能性が高い。コイツらは厄介なことに総じて戦闘能力が高く、犯行の現場を押さえても強行突破で逃げおおせている」
もちろん嘘っぱちである。そんな窃盗グループは存在しない。ハロルドが適当にそれっぽくつけた名前と設定だ。ゲーム内でもあの三人に名称はなかったので自分で考えるしかなかった。
しかしそれを知るよしもないコレットとクララの顔は蒼白になっている。おかげでなぜハロルドがそんな危険人物達を追っているのか、という疑問までは思い至っていないようだ。そのままスルーしてもらえると助かる。
「そんな……」
ライナーを失うかもしれないという悲しみ、無理にでも止めなかったことへの後悔。そういったものがコレットの声色からありありと伝わってくる。
心は痛むが、ハロルドはそれを無視して再びクララへと尋ねる。
「で、ソイツらはどこへ消えた?」
「隣町、西の方へ……」
「ふん、ならば一度王都へ戻って体制を整える方が得策か」
「お、追いかけないんですか?」
狙い通り、ハロルドの言葉にコレットが食いついた。
コレットからすれば追いかけてライナーを助けてほしいのだろう。分かっているがそうしてしまっては結局コレットがライナーについていくことはなくなってしまう。かといって一緒に連れて行くというのも離脱するタイミングが非常に難しくなる。
下手をすれば自分が犯人の一味、というか主犯だということが露見してしまう。
「今すぐにはな。トリニティを捕らえるには準備が必要だ」
「でも、それじゃライナーが!」
「アイツを助ける為に俺に危険を冒せ。貴様はそう言いたいのか?」
あえて厳しい言葉で他人任せの選択肢を潰していく。
「そ、そういうわけじゃ……」
「ほう、ではどういう意味だ?」
「……」
コレットは唇を噛んでうつむく。言い返す言葉が出てこないのだろう。
そんな彼女に言い聞かせるようにハロルドは言葉を止めない。
「アイツらは盗みの為なら人を殺す。その戦闘能力は折り紙付きだ。貴様は自分の都合でそんな連中を追えと言うのか?」
「でも……だって、ハロルド様は強いから……」
「ああ、確かに俺なら勝てる」
「なら!」
「言っただろう?相手は複数だ。一人捕らえたところで他の奴に逃げられては意味がない。つまりトリニティを捕縛するには俺以外の人員が必要になる。果たしてソイツらに命の保証はあるか?貴様が全ての責任を負えるというなら今すぐ追ってやろう」
常に正論を述べることが正しいとは限らない。どこかの誰かがそんなことを言っていたような気がするが、今はまさにそんな状況だろう。たとえ自分が十割正しくても、いたいけな少女の願いを砕くことが正しい選択と言えるのかどうか。
いや、そもそもこんな無茶ぶりをしている時点で正論とは言えないのかもしれない。そんなことを考えながら、それでもハロルドは態度を崩さない。
「甘えるなよコレット。“頼る”のと“依存する”のは別物だ」
「え……?」
「『弱くあることがいかに無力か、貴様は身を以て知ったと思っていたがな。それでもなお弱者として生きる道を選ぶなら好きにしろ』」
五年前、彼女に言い放った言葉をくり返す。
頼ること自体は良い。家族や友達、仲間というのは支え合い、頼り合う関係性で成り立っているからだ。
だがコレットは周囲に甘え、依存している。自分では何もせず、一方的に頼るだけというのは絶対に間違っている。この八年、誰にも打ち明けられない悩みと死への恐怖を抱え込んで、それでも足掻いてきた平沢一希としては「もっと頑張ってくれよ」と言いたくなる。
まあそれもひどく自分勝手な言い分ではあるのだが。
「この言葉を貴様が覚えているかどうかは知らないが、助けられ、生き延びた結果がこれか。無様だな」
「っ!」
ガタン、と椅子を鳴らし、クララの制止も振り切ってコレットがハロルドの暴言に耐えきれず家を飛び出す。暗闇にわずかに反射したのは彼女の涙だっただろうか。
ハロルドとクララの間に沈黙が降りる。
(……言い過ぎたかもしれん)
元々過ぎることに定評のあるハロルドの口だ。本来ストッパーにならなければいけない自分が熱くなってはこんな有様にもなるだろう。
内心でどうしようと冷や汗をかきながら冷めはじめた紅茶を飲み干す。というかどうするも何ももう時間がなかった。
エルに馬を頼んでいるとはいえそろそろブローシュ村を出ないと夜が明けるまで隣町に到着できない。そうなればライナーを単身でフォグバレーに乗り込ませてしまうことになる。セーフティーとして自分がこっそり後をつける為にはここでゆっくりしてもいられない。
「クララ」
「……はい」
「コレットがライナーを追いかけると言い出したら止めるな」
「……なぜ、でしょうか?ハロルド様が仰る通りなら、私は母親としてコレットを止めないわけにはいきません」
ご尤もである。
だがここで頷いてもらわないわけにはいかない。今回の説得が駄目そうならエルに焚きつけてもらうしかないが、そうしたところで関門になるのはこのクララなのだから。
その為にそれらしいことを言っておく。
「ふん、この親にしてあの娘ありか。貴様もまるで変っていないな」
「それはどういう……」
「意味のない杞憂に囚われるその愚かさが、だ」
「まさか、ハロルド様は最初からあの子のことをお守りになってくれるおつもりで……?」
別にそこまで言うつもりはない。けれど原作通りになるように陰からのサポートは惜しまないつもりでいる。コレットが生存するにはそれが最も高い可能性かもしれない。
ユストゥスの計画が成功してしまえばほとんどの人間が死んでしまうのだから、計画阻止に奔走する主人公パーティーの一員であるコレットは命の危険がある死地にこそ活路を見出せるはずだ。
「話は以上だ。俺がここに来たことは他言無用だと心得ておけ」
そう言い残してハロルドは家を出る。
夜が明けるまで、残り三時間。
◇
春が過ぎ、暖かくなったとはいえ夜風はまだ少し染みる。咄嗟に飛び出してしまって薄着のままの体であれば余計だ。
けれどコレットは家に戻ろうという気がまるで湧いてこない。
『“頼る”のと“依存する”のは別物だ』
『弱くあることがいかに無力か、貴様は身を以て知ったと思っていたがな。それでもなお弱者として生きる道を選ぶなら好きにしろ』
ハロルドの辛辣な言葉がずっと頭の中で反響している。
彼の言いように怒りを覚えた。言い返せないことが悔しかった。けれど一番は、現状に満足してハロルドの忠告に気付けず、何も成長できていない自分が情けなかった。何もしてこなかった日々に後悔した。
どうしてこんなことになってしまったのだろうと、コレットは星空を見上げながら込み上げる涙を堪える。
昨日までは慎ましやかな生活だったけれど、幸せだった。愛しい母がいて、仲のいい幼馴染がいて、不満も不安もありはしなかった。
そんな日常が瞬く間に崩れ去っていく。そうして残されたのはしてもしきれない後悔と、無力な自分。五年前、ハロルドが危惧していたのはこういうことだったのだろうか。
力なく、あてもなく、コレットはトボトボとさ迷い歩く。そこかしこにライナーと過ごした思い出が溢れている。今まで当たり前にありふれていたそれらがどれほど大切なものだったのか、こんな状況になるまで理解できなかった。
「あれ、コレットかい?」
不意に、夜風に乗ってそんな声が届いた。声がした方を向けば昼間と変わらない笑顔をたたえたエルの姿があった。
気が付けば村の出入り口になっている西門まで歩いてきてしまったようだ。どこをどう歩いてきたのかは覚えていない。
「こんな夜更けにどうしたの?それもそんなに薄着でさ」
自分の愚かさを容赦なく指摘されて逃げ出してきた、とは言えなかった。
コレットは答えるのを拒むようにエルに質問を返す。
「色々あったの。エルこそ馬なんて連れてどうしたの?」
「いやー、さっきおっかない人が来て叩き起こされてさ。自分の馬を乗り潰したから新しい馬を売ってくれって言われたんだよ」
「おっかない人?」
「そうそう。赤い目をしてる、コレットと同じくらいの年齢の男の人。眼光が鋭くてさ、思わず二つ返事で売っちゃったよね」
エルの言う“おっかない人”の人相にコレットは心当たりがあった。間違いなくハロルドだろう。その言動からすると余程急いでこの村にやって来たようだ。
そして今度は王都へと……。
「あれ?」
そこでコレットはおかしなことに気が付いた。どうしてハロルドに馬を売ったエルが、王都方面へと通じる東門ではなく、隣町へと向かう西門の方からやってきたのだろうか。
「どうかした?」
首を傾げるエルに聞かずにはいられなかった。
「ねえエル。その馬を売った人はどっちに行ったの?」
「西の方角だよ。急いで隣町に向かったみたい。急用でもあったのかな?」
どうして?そんな感情がコレットの中に渦巻く。
ハロルドは一度王都に戻ると言っていた。一人でトリニティを追うのは危険を伴い、結果も得られないと言っていた。
そんな彼がどうして王都とは真逆の西、隣町へ向かったのか。それも夜中に逗留中の行商人を起こしてまで急ぐほど。
(もしかして、ライナーを助ける為に……?)
そんな自分に都合の良い考えが浮かぶ。ハロルドはライナーを追わないと言っていたのだからそんなわけがない。
けれどその考えを否定するだけの材料をコレットは持ち合わせていなかった。
そして同時に思い出す。クララから何度も聞かされた、ハロルドが自分達を救ってくれた時の顛末を。
両親に嘘をついてクララを地下牢に匿い、その間に周到な計画を整えたこと。
剣をねだって父親から引き出した大金を無償で自分達に与えてくれたこと。
それでは資金がなくなり剣を買えないのではないかという騎手からの疑問を「バカか貴様は。適当に安物の剣を見繕えば済むだろうが」と一刀両断したこと。
その結果、人殺しと蔑まれながらもそれを受け入れ、自分達の生存が知られないように身を挺していてくれたこと。
「……わたし、本当にバカだ」
彼の優しさは素直じゃないと知っていたのに。
彼の厳しさは優しさの裏返しだと知っていたのに。
彼が途方もなく優しい人だと、この身を以て知っていたのに。
彼がつく嘘は自分を傷つけ、誰かを救うためのものだと知っていたはずなのに。
何がライナーを追いかけない、だ。ならどうして今、王都とは真逆へと向かって馬を走らせているのか。
悪評だって、もしかしたら自分から背負ったものなのかもしれない。だってあの人は自分が汚れることで誰かを救う人間なのだから。
思い返せば、あの時だってそうだった。
『弱くあることがいかに無力か、貴様は身を以て知ったと思っていたがな。それでもなお弱者として生きる道を選ぶなら好きにしろ』
あの言葉にはまだ続きがある。ハロルドはその後に『俺の知ったことじゃない』と、そう続けた。コレットはそれを一字一句覚えている。
それも偽りだったということに、今、気付く。
(俺の知ったことじゃない、なんて嘘だ。ハロルド様はずっと私達のことを気にかけてくれてた……)
決して直接訪ねてはこなかったけれど、自分達をこの村まで運んだ騎手がたまに遠くからこちらの様子を窺っていたことをコレットは知っている。それも一度や二度ではなく、定期的に。
きっと彼がハロルドにコレット達の暮らしぶりを伝えていたのだろう。
もしかしたらハロルドはそこで危機感を覚えたのかもしれない。だからこそ、再会した時にあんな痛烈な言葉を浴びせたのではないだろうか。
自分はそれに気付けなかった。それどころかライナーを助けてくれないハロルドに対し、一瞬とはいえ怒りを覚えた。
先ほどとは比較にならないほどの後悔と恥ずかしさ、情けなさが攻め寄せる。
ハロルドがここまで手を尽くしてくれているのに、自分は何をしているのか。落ち込み、うずくまっているだけではなんにもならない。
ライナーを助けることも、ハロルドの想いに応えることも。
「――追いかけなきゃ」
必要な物を取りに行く為に踵を返す。
その背中にエルの声が投げかけられる。
「追いかけるってそのおっかない人を?」
「うん」
「馬に乗ってる人に走って追いつくのはムリじゃないかな?」
それはとても現実的で、正しい判断だ。
けど、それだけだ。コレットが足を止める理由には、もうならない。たとえムリでも無茶でも、ここで諦めたら何かが本当に終わってしまう。そんな気がした。
「それでも行くよ」
「そっか。ちなみにこれは独り言なんだけど、おっかない人は相当急いでたみたいでお金を余計に置いていったんだよね。具体的には馬二頭分くらい。このままだと彼に選んでもらおうと用意した馬の片方が無駄になっちゃうなぁ」
「え?」
「でもこんな額のお金を持って帰ったらお客からだまし取ったっておじさんに疑われるかもしれないし、余った馬はその辺にくくりつけておこう。これじゃどこかの誰かが持って行ってしまうかもしれないけどしかたないね。なにせお金は二頭売った分がしっかりあるわけだから」
うんうん、しかたないしかたない。
棒読みでそんな言葉をくり返しながら、エルは泊まっている宿がある方へ消えていく。残されたのは寝巻のままのコレットと、門柱と繋がれた一頭の早馬。
コレットは去っていくエルに頭を下げた。
「ありがとう、エル」
「なんのお礼かは皆目見当もつかないけど、折角だしありがたく受け取っておくよ」
肩をすくめる所作があまりにわざとらしくて、思わずクスっと笑いがこぼれる。繋がれていた馬も、二人のやり取りを理解したようにブルブルと鼻を鳴らす。
夜明けまで、残り二時間を切っていた。
エル視点も入れたかったけど長くなったので断念。
前話の脳筋コレットが読者の皆さんに受け入れられてるようでうれしいです。




