80話
エルからとある報せがもたらされたのは宝剣を盗み出した翌日の夕暮れだった。日が暮れたら闇夜に紛れて移動を始めよう、と考えていたハロルドは出立直前に舞い込んできたその報せに大いに動揺させられた。
ウェントスが顔を見られた、というのはまあいい。原作でもそうだったのだからむしろそうでないと困るくらいだ。
問題は『コレットがライナーの追走に同行しない可能性が高い』ということだった。エルによれば今すぐ犯人を追いかけたいライナーと、それは危険だからやめた方がいいというコレットの意見が対立中らしい。
え、なんで?というのがまずハロルドが抱いた率直な疑問だった。
混乱した頭でなんとかその答えを探ろうとする。今まではゲームでそうだったからという理由で、ライナーとコレットが別行動を取るなんてことは考えたことすらなかった。
それがなぜここにきて致命的な原作乖離を起こそうとしているのか。
原作とこの世界におけるコレットの違いは何か。挙げられる要因はただ一つ、彼女の母親であるクララの生存。それに尽きる。
ではそれによってどんな変化が起こるのか。原作のコレットは母親を理不尽に殺されたことでハロルドを恨んでいた。もしそれを原動力にしてライナーと一緒に鍛錬を積んでいたと仮定しよう。
しかし母親が生存し、復讐心を滾らせる必要がなくなればどうか。一概には言えないが、復讐だの戦闘だの血生臭い世界からは縁遠い少女になったとしておかしいところは何もない。むしろそれが普通とさえ言える。
そんな少女が強盗犯を追おうとする幼馴染に追従するだろうか。感情が先に立つ、猪突猛進気味なライナーには当てはまらないようだが、普通の感性なら本職の人間を頼るだろう。
まあそれはともかく、これで大きな問題が発生したことになる。
コレットがライナーについていかず、メインパーティーのメンバーが一人抜けるとなれば戦力的に見て結構な痛手だ。原作のコレットは可愛い見た目に反してゴリゴリの前衛である。物理攻撃値が全パーティーメンバーの中で三番目に高く、HPと防御の値も軒並み高い。
その代わり魔法はからっきしで、攻撃系の魔法は格下相手にしかダメージソースとして計算できない上、回復系の魔法は一つたりとも覚えない。ライナーでさえ効果は薄いものの最低限の回復魔法くらいは使えるようになるのだが。
とても女の子らしくない、どちらかというと脳筋系のステータスを活かし、トンファーを振り回して敵を殴り殺していくのがコレットというキャラクターである。
加えて原作の流れがどう変わるのか予想がつかなくなってしまう。コレットの復讐イベントフラグはすでに折ってしまっているので今さらな部分もあるが、それ以上に全体のストーリーにも大きな影響を与える可能性がある。この八年間で何度もハロルドの目に立ちはだかってきた難問だ。
とにかく影響を最小限に留め、自分の知る展開にコントロールしていくためにはなんとしてもコレットにはパーティーメンバーに加入してもらわなければならない。序盤とはいえライナーがソロで行動しては最悪死にかねないのだから。
(どうすればいい?あくまで可能性って言ってるけど、エルがわざわざその情報をくれたってことはそうなるのはほぼ確実なような気がするんだよなぁ)
仮に万が一を想定したものだとしても、その万が一が起きてしまっては手遅れである。可能性が高かろうが低かろうが、その危険を孕んでいるとなれば見過ごすことはできない。
現地にいるエルになんとかしてくれ、とぶん投げてしまいたくなるがそうもいかない。エルにコレットを説得してもらうにしても電話やメールのないこの世界では離れた相手に自分の意思を伝えるのに時間がかかる。どう説得するにしても今すぐブローシュ村に向かわなければ何か手を打つこともかなわない。
時刻は日没間近。本来ならあと一時間と経たずこの町を出る予定である。
そして周囲から見つかりにくいフォグバレーを通ることでいるかもしれない追手の目を躱しつつ夜の内に踏破し、明るくなってから街道に出る、というのがウェントスとリリウムに伝えていた行動予定だ。
あの二人は直前になってその行動を変えたところで文句の一つもなく従ってくれるだろうが、それがいずれユストゥスに露見した時、なぜそうしたのかを問われるかもしれない。それをきっかけに天才的な頭脳を誇るあのマッドサイエンティストに疑いを持たれたとしたら。
ユストゥスのことだ。そのきっかけ一つでハロルドが抱えている秘密を根掘り葉掘り暴かれないとも限らない。
ならばしっかりとした理由をつけて別行動を取るしかない、とハロルドは考える。
ライナー達に襲撃者が二人組であること、ウェントスに至っては顔を見られたということを踏まえ、それらの情報を頼りに目撃者が迅速に追ってくることも考えられなくはない話だ。もしも追手がいた場合はそれを逆手に取り、相手が認識していない三人目であるハロルドが不意を突いて倒せばいい。
逆に追手などいないならばそのまま逃げおおせるだけだ。濃い霧の中に姿を隠せるフォグバレーであれば、ハロルドがやろうとしている隠密からの奇襲も大いに効果を後押しすることになる。別行動の理由づけとしてはそこまでおかしなものでもない。
そこまでやるか、と聞かれれば万全を期した、とでも返せばそれで済む。追手が来ればハロルドの判断が間違っていなかったことになるのだから余計な詮索をされることもないだろう。
そう考えたハロルドは、姿と顔を見られたという事実を論拠に追手の可能性を考慮し、フォグバレーで後顧の憂いを絶つため追手の有無を確認し、いた場合には排除するという名目で、ウェントスとリリウムに別行動の命令を与えた。
なんのことはない、ハロルドが合流するまでフォグバレーで待機していろ、というだけのものだ。当然ながらこの指示に二人は素直に従った。
あの二人ならモンスターにやられるという心配も無用だろう。もしもハロルドが戻るより早くライナーがウェントス達に接触してしまった場合に備えて「殺さずに相手の手の内を探れ」という命令も出しておく。これでライナーが殺される確率も下がるはずだ。
そして訪れた日没と共に町から去った姿を見送ると、ハロルドはその足でブローシュ村へと向かった。
なにせもう時間がない。ゲームではライナー達が旅立つのは事件の翌日。つまりは今日の朝か昼か、とにかく日が高い内のことである。どちらにせよもう行動は開始しているはずだ。
そう考えるとライナーも中々の強行日程である。侵入した強盗犯に両親をズタボロにされ、宝剣は盗まれるという悪夢のような一夜が明けるや否や犯人を追いかけるのだからバイタリティーに富んだ人物と言えよう。
まあ昨夜盗みに入って明け方直前に宿へ戻り、数時間の睡眠をとっただけでこうして二日続けて深夜の散歩片道五時間コースにチャレンジしているハロルドも人のことをどうこう言えないが。
エルの一報から行動の計画を改め、それを実行に移すまで時間があまりにもなかった。もう少し早ければ馬を借りられることも可能ではあったが、無理なのであればもう自分の足しか頼れるものはない。
ほとんど走るような速度で突き進むこと数十分。ハロルド耳がとある音を捉えた。
鈍い金属音に、重低音の獣らしき声。珍しくもなんともない、誰かがモンスターと戦っているだけのことである。
急いでこそいるがこの辺りに出現するモンスター程度ならばすれ違いざまに瞬殺することくらいわけもない。ちょうど進路上で交戦しているようであり、ピンチなら手助けするのもやぶさかではない、と思いながらハロルドはそこに近付いく。そうすることで、その誰かの正体が判明した。
燃えるような赤い髪に聞き慣れた声。モンスターと戦っていたのはこの世界の主人公、ライナーだった。
危うく「お前かよ!」と突っ込みそうになるのをぐっと堪える。幸いにもライナーが戦闘に集中しているのと暗闇に包まれているおかげでハロルドは存在を気付かれていない。
それにかこつけてハロルドはその戦闘を観察する。モンスターが強くないというのもあるが、ライナーの立ち回りには安定感があった。まず負けることはなさそうである。
少々の怪我を負ってはいるようだが致命傷になりそうなものはない。恐らくここに来るまでの間に他のモンスターとの戦闘で受けた傷だろう。
しばし悩んだハロルドは、このままライナーをスルーすることにした。
ライナー一人でもこのモンスターに負けることはないだろうし、ここから次の町までは目と鼻の先であり強力なモンスターに遭遇することもないだろう。
何よりハロルドはライナーと面識がある。ライナーとは非常に気安い少年であり、こんなところで出会ってはフレンドリーに絡まれかねない。そんなことをしている時間すら惜しい今、ライナーと接触するのは避けたいところだ。
ということで、ハロルドはモンスターを倒した後ライナーが進むだろう進路上に心ばかりの回復アイテムを置いてその場を立ち去った。せめてもの気遣いである。
それからさらに数時間後。もうすぐ日付も変わろうかという深夜になってようやくハロルドはブローシュ村へ到着する。
見れば村の入り口となる門の脇に人影があった。暗闇に佇んでいたのは他ならぬエルである。どうやらハロルドの行動を予見して待ち構えていたらしい。
「お早い到着だね」
「状況を教えろ」
「ライナーは一人で出て行っちゃったよ。ハロルドのあては外れたみたいだね」
「……コレットはどうしている?」
「思い悩んでいるようではあったけど後を追いそうな気配はなかったね」
ハロルドが望んでいる情報を淀みなく提供してくれるエル。じゃあ説得しておいてくれよ、と思うのはハロルドのわがままだろう。
元よりハロルドの見通しの甘さが招いた事態であり、事情を知らないエルにそこまで求めるのはさすがに酷である。それにエル自身はハロルドが頼んだ通りライナーやコレットと面識を持つという目的をしっかり果たしてくれているのだ。
自分のミスは自分で取り返すべきだろう。
「馬を二頭用意しておけ。今お前らが乗っているもので構わん」
「いつまで?」
「一時間以内だ」
「了解だよ」
急な注文にも快諾してみせるエルが頼もしい。余計な詮索を入れてこないのも助かる。さらにハロルドが泊まっていた町にいる人員にもとある指示を出すようにお願いしておいた。
それも了承してくれたエルの惜しみない協力にいずれ必ず結果で報いようとハロルドは決意を強くする。
一旦そこでエルとは別れ、ハロルドはライナーの家を探す。聞くところによるとコレット達の新居はライナーの家の隣らしい。以前コレット達を気にして定期的にブローシュ村を覗いていたゼンから「お隣さんと上手くいっているようですよ」という報告を受けていた。その際にそれとなくお隣さんの正体に探りを入れ、赤い髪の少年というフレーズが出てきた時は内心で歓喜した。
そんなことを思い出しながらゲームのマップほど狭くない村の中を、月明かりを頼りに見覚えがある風景から辿って目的地を目指す。ライナーについていっていないのならコレットは自分の家にいるはずだ。
静まり返った村の中をしばらく進むと探していた家が見えてくる。何度となく目にしてきた二階建ての一軒家と、その脇に建つ木造の倉庫。そしてそんな家のはす向かいに佇む平屋の民家。他にはお隣と言えるような位置に民家はない。恐らくはこれがコレットとクララが暮らしている家だろう。
もう就寝しているのか窓から漏れる光はない。申し訳ないと思いつつ、ハロルドはその扉を力強く叩いた。ゴンゴンという重低音が響く。
しばしの沈黙を経て、扉の向こうに人が動く気配を感じる。だが扉は開かない。
(まあこんな時間に誰かが来たら警戒するよな。ましてや母と娘、女二人しかいないし)
ゲームでの強さを考えればそんじょそこらの男にコレットが後れを取るとは思わないが、それとこれとは話は別だ。ましてや昨日の夜、隣家に強盗が侵入していればなおさらである。
しかしハロルドとしても引くわけにはいかず、このままコレットとクララを怖がらせるのも本意ではない。
「誰もいないのか?昨夜あったという強盗事件について尋ねたいことがある」
とりあえず強盗じゃないアピールを試みる。が、その言葉だけでは信用されなかったようで玄関の扉は固く閉ざされたままだ。
ハロルドはため息を一つ吐く。そして奥の手を出すことに決めた。
たとえ悪評が届いていたとしても命の恩人であれば迎え入れてくれはするだろう。そう思いわざとらしいほど、そして扉の向こうの相手へ聞かせるように自分の名前を名乗る。
「中にいることは分かっている。この俺、ハロルド・ストークスに対して逆らうようなら相応の覚悟を――」
そんなセリフは言い切れなかった。その前に扉が勢いよく開かれたからだ。危うく扉に衝突するところだった。
それほどまでに慌てているのがその様子から、そして相手の表情から察することができた。その相手、コレットの母親であるクララはハロルドの姿を前にすると驚愕からか目を大きく見開き、そして目尻に涙を浮かべる。
感極まったのか込み上げる何かを必死に抑えるようにして、クララは頭を垂れた。
「お久しぶりでございます、ハロルド様っ……!」