78話
グリフィス家から宝剣グラムグランを盗み出したハロルド一行はとんぼ返りで隣町へ戻る。どうにか夜明け前に宿屋へと帰ってくることができた。
一時的にローブを脱ぎ何食わぬ顔で自分の部屋に入る。ようやく一人になったところでベッドに腰かけて大きく息を吐き出した。
往復十時間に及ぶ道のりを踏破した肉体的な疲れに加え、侵入・強盗・傷害という犯罪のトリプル役満をしでかしてしまったという事実が良心を呵責して精神的な負担を重くする。悪評は数多く流布されてこそいるが、ここまで明確な悪行を行ったのは初めてのことだ。
気分のいいものではない。
壁に立てかけた長方形の箱を見やる。大切に保管されていたのかあの雑多な倉庫内にあったとは思えないほど小奇麗だ。
夜が明け、部屋の窓から薄く差し込み始めた朝日に照らされキラキラと輝いて見える。
この剣がこれから原作を……いや、この世界の命運を大きく左右する重要なファクターの一つとなる。
ふと頭を過ったのはこれを素直にライナーに奪い返させてはどうか、という展開だった。宝剣と呼ばれるだけあってグラムグランの性能は高い。これに最初から慣れていけばライナーもいずれ相当な使い手となるかもしれない。
だが剣を取り返してしまえばライナーは恐らくそのまま騎士団に入るように行動するだろう。そうなるとユストゥスが引き金となって起こる事件やユストゥス自身の計画に巻き込まれ、解決するというプロセスを踏めなくなる可能性が高まる。
剣を返しつつ上手いこと原作通りの展開に誘導できないかとも考えたが、今回の命令が下されてから実行に移るまでの期間が短すぎて策を練る時間もなかった。またエルの協力を仰ごうにもハロルドの弁舌では原作知識という未来を知っている前提条件を避けて、かつ相手にも悟られないように丸め込むという芸当などほとんど不可能である。
それに何より任務を失敗したことで自分の立場がどうなるかも分からない。そんな不確定要素が大きい賭けに出るよりは宝具の所在や回収するペースをある程度管理可能な今の立場を利用した方が賢明だと判断した。
だからああだこうだ言ってないで盗みだろうと何だろうと腹を括ってやるしかないのである。黒ローブの主犯が自分だと露見しないよう祈るのみだ。
そんなことを考えながらハロルドは日の出とともに深い眠りに落ち、一時の休養に身を委ねるのだった。
◇
エルを始めとしたフリエリのメンバーはブローシュ村の人の往来が盛んになりだした頃合を見計らって行動を開始した。それぞれが全く関係ない人間を装い、ただこの町に用があって訪れたフリをしながら村の中に散らばる。
それほど大きくない村だけに情報の収集はかなりの精度を持って行えるだろう。
エルが旅商人の連れとして偶然この町へ訪れた若者を演じながら村人達と交流を開始してすぐ。想定していた情報が引っ掛かった。
昨夜グリフィスさんの家に泥棒が入ったんですって。
商店の店先で店主とお客であろう奥さんが井戸端会議をしている最中、近くにいたエルの耳にそんな話題が届いた。今朝までにハロルドからの接触がなかったため成功したのだと分かってはいたが、とりあえず第一段階はクリアできて上々の滑り出しである。
「ねぇお姉さん、今の話は本当なの?」
自分と同じくすぐそこで繰り広げられている井戸端会議を耳にしたであろう隣の買い物客にそれとなく話を振ってみる。
お姉さんと呼ばれた四十代と思しき女性はエルの問いかけにも快く乗ってきた。実は話したくてうずうずしていたのか、それともお姉さんと呼ばれたことに気を良くしたのかもしれない。
おかげで彼女の口は流暢に回る。
「そうなのよ。押し入りの強盗らしいんだけど」
「こんなのどかな村で押し入り強盗とは穏やかじゃないですね。家の人は大丈夫だったんですか?」
「それが旦那さんと奥さんが切りつけられて入院したんだって。幸い軽傷で済んだみたいだけど、あの二人に傷を負わせるなんてねぇ」
「グリフィスさんは腕に覚えが?」
「引退してしばらく経つけどどっちも元冒険者なのよ。今でも村一番の腕利きで近くに危険なモンスターが出た時なんかはいつも先陣を切って退治してくれてるの」
「つまり強盗はそんなグリフィス夫妻に勝るほど腕が立つ人物だと。相当恐ろしい存在ですね」
「そうなのよ。だから今村中この話題で持ちきりよ。今夜にも家に入られたらと思うとおちおち寝ることもできないわ」
まあ強盗はすでに村を出ているのでその心配はするだけ無駄なのだが、この事件をただの強盗だと思っている村人としては至極当然の反応だ。自衛の手段が乏しいのならばなおさらである。
しかしそれはさて置き確認しておくことがもう一つあった。
「その強盗はどんな人なんです?姿を見た人がいるならどんな人相でどんな出で立ちか周知しておいた方が良さそうですけど」
「私も直接聞いたわけじゃないけどグリフィスさんは二人組だったって言ってるらしいわよ」
二人組。事前にハロルドが言っていた通りの状況だ。
万が一交戦となった場合自分は姿を消し、星詠族の二人に足止めを命ずる。それがいくつかある取り決の内の一つだった。
戦闘好きのハロルドが陰に引き下がったのは顔が知られている可能性が高い自分が強盗の一味だと第三者に知られるリスクを下げるためだろう。ハロルドがまた面倒なことになるのは目に見えている。
まあそんなことは今さらだと思わなくもないのだが。
とりあえず欲しい情報は得られた。あと探すべきはハロルドが言っていたライナーという少年とコレットという少女。
ハロルドの話ではライナーが先ほど話に出たグリフィス夫妻の一人息子で、コレットはその幼馴染みだという。そこまで知っているということは面識があるか、何らかの理由により彼らを巻き込みたいという思惑でもあるのだろう。
エルとしては気になるが聞いたところで「貴様には関係ない」とでも言われ切り捨てられるだろうと理解しているので尋ねはしなかった。
ライナー達に対して直接的にハロルドの名前は出せないが、彼は悪い意味で名は知れ渡っている。いずれその関係性を窺い知る機会は訪れる。
どうにも長い付き合いになりそうなのだから。
まずはその一歩としてライナーと知り合いになる必要がある。両親が怪我で入院したということは彼もまたその病院にいるはずだ。
しかしハロルドはライナーとその幼馴染みがすぐ剣を盗んだ彼らを追ってくると睨んでいた。その予測が的中するならばあまりゆっくりしている時間もない。
女性との会話を自然な流れで終わらせながら、エルは次の目的地となった病院へ向かう。
あまり大きくないブローシュ村だけあってグリフィス夫妻が入院している病院はすぐ分かった。病院というより診療所と言った方がしっくりくる、こじんまりとしてやや古ぼけた施設ではあったが。
これでも村唯一の医療機関であるらしい。
エルは「道中の緊急時用に備蓄しておいた薬が無くなりそうなので補充していきたい」という理由をこじつけて診療所を訪れた。
診療所内は三人掛けが限界のソファー一つしかない待合室と、外来患者の診察室及び処置室。そして入院者用のベッドがいくつかあるだけ。
村唯一の医療機関でこれはさすがに少ないのではと思ったが、待ち時間に雑談を交わした看護師によれば基本的に自宅療養なのだという。入院するのは本当に重篤な患者だけらしい。
「それにしても一向にボクの順番がきませんね」
その理由には見当がついているし、あえてそちらに話題を誘導するためにエルはそうこぼした。
「もしかしてこの後に用事が?」
「いえ、特にこれといっては。数日は滞在する予定なので構わないんですけど、他に患者さんがいない割には呼ばれないなと思いまして」
「あー、実は今緊急で入院した人達がいてね」
「もしかしてグリフィスさんですか?」
「あれ、知ってるの?」
「村の皆さんがその話題で持ち切りだったので」
「なるほど」
エルの言葉に看護師が納得とでも言いたげな声を出した。
物取りが侵入して元冒険者で腕の立つグリフィス夫妻が傷を負ったとか、と先ほど買い物客から伝え聞いた話をそのまましていく。そこでいかにも今思いついたかのように話題を振る。
「でもグリフィスさんは軽傷って聞いていたんですが入院したということはもしかして……」
「ああ、そんなに心配しなくても大丈夫よ。入院も安静にして処置の経過を見るのがメインだから二、三日で退院するわ」
患者のプライバシーに関わることなので難しいかと思ったが看護師はあっさりとグリフィス夫妻の現症について口を割った。
情報を引き出すための手練手管を用意していたのが無駄になる。まあその分苦労は減るので構わないのだが。
「それを聞いて安心しました。皆さんが口を揃えてこの話をしているものだから僕まで心配になってしまって」
「ここは小さな村だからね。他人の大事はそのまま自分達の大事になる、ということが多いのよ」
「まあでも武勇に長けた強盗に襲われるかもしれないと考えれば不安になるのも仕方ないですけどね」
「そうなのよ。こんな辺鄙な村にわざわざ盗みに来るなんていい迷惑だわ」
彼女の言い分はもっともだが、ハリソンは宝剣にそれだけの価値を見出しているということだ。まあその行動原理にもユストゥスが噛んでいるとハロルドは言っていたが。
ハリソンがハロルド達を指揮した気になっているのも彼の企みの一つと見てまず間違いないだろう。そしてハロルドもその企みの内容に勘付いているようである。
決してその中身を話してはくれないが、ハロルドが大人しくこんな仕事に徹していることを考えれば相当な事態が引き起こされるのかもしれない。明確な証拠はないながらも揃っている状況からエルはそう推測していた。
真相を紐解くカギになるのはやはり宝剣の存在だろう。実物こそエルも目にしたことはないが、その存在は知識の上で知り得ていたものだ。
この大地の遥か下、地殻の奥底。
そこには大陸の核となる固形の巨大アストラルが眠っているとされているのだという。そのアストラル体を削り出し、加工して作り出されたのが合計七つの武具。
話の真偽や、そんな地下深くに辿り着く方法などあるのかも不明だ。固形のアストラル体という存在さえ眉唾物であり、噂程度で始まったものに長い年月をかけて尾ひれがつき、果ては大袈裟な逸話を生み出すに至ったのだろう。
発端は恐らく剣を打った鍛冶屋が剣の価値や己の名声を高めるためについた虚偽の類い。そう考えるのが最も妥当で、現実的である。
しかしそこにユストゥスやハロルドの思惑が絡んでいるとなればそうは言っていられない。深く調べてみる価値があるだろうと踏んだエルはすでに調査を開始していた。エル自身だけでなく、ギッフェルトの組織力も用いてだ。
その結果によっては彼らが何をしようとしているのか見えてくるかもしれない。
ハロルドへの背信行為、というわけではないが秘密裏に行う方が得策ではあるだろう。エルが探りを入れることを嫌がる可能性の方が高い。
信頼関係などはまだ築けていない相手とはいえ協力関係が円滑に進むよう表面上は良好さを繕う必要がある。
「あ、ようやく終わったみたいね」
エルが物思いに耽りつつ会話を続けていると看護師がそう声を上げた。それに応えるように診察室へと続く扉が開いた。
出てきたのは白髪混じりの少し小太りな男性。年齢は五十代といったところで人当たりの良さそうな顔をしている。
そしてそんな彼と一緒に現れたのは赤髪の少年と、金髪の少女。どちらもその表情は優れたものではないが、ハロルドから聞いていた人相の二人だ。
この少年と少女がライナーとコレットと見てまず間違いない。彼らこそハロルドが今回の、もしかするとこれから先に待ち構えている“何か”におけるキーパーソンになると想定している人物。
エルに与えられた役目はそんな彼らを陰からサポートしていくこと。だからエルはライナー達の懐に潜り込むべく、目が合った二人に向け極めて自然でさわやかな笑みを浮かべた。
「こんにちは。ボクの名前はエル、商人もどきの旅人だよ」
これがいずれ命運を共にすることになる三人の、初めての邂逅の瞬間だった。




