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71話



 体を襲う衝撃。なにが起きたのか分からないままにフランシスは吹き飛ばされる。

 視界は高速で入れ替わり、そこに映っているのが何なのかも定かではない。自由を失った身体は何度も地面をバウンドしながら転がり、再び大きな衝撃を背中に感じてようやく止まった。

 朦朧とする意識の端で、乗馬場を囲っていた柵の一部が破壊されていることを認識する。恐らくは何かしらの攻撃を受けた自分の身体が柵を破ってようやく停止したのだろう。

 だとすると軽く数十メートルは転がったことになる。


 それほどの威力のある攻撃をまともに食らって無事なわけはない。左の脇腹から痛みがジワジワと昇ってくる。やがてそれは激痛へと変化し、身体を動かすのはおろか呻き声を漏らすことさえ苦痛な状態へと陥った。

 今すぐに戦闘不能と判断されてもおかしくないフランシス。そんな彼の元へ歩み寄るひとつの人影。

 右の頬を地面につけたまま、僅かに首だけを動かしてその正体を確認する。


 人影は他の誰でもない、ハロルドその人のものであった。

 深紅の瞳はその色から連想される炎とは真逆、凍てつくような冷たさを宿してフランシスを見下す。事実、ハロルドにとっては興醒めする、非常につまらない結果だったのだろう。

 そんな苛立ちが募ったのか、打ち据えられたままのフランシスに容赦のない言葉を浴びせる。


「もう終わりとは他愛もない。貴様のような雑魚に少しでも期待をかけたなど俺の人生における汚点だな。この責任をどう取ってくれる」


 なんと理不尽な物言いだろうか。

 しかし文句のひとつも返せないほどにフランシスの受けたダメージは深刻だった。ただ痛みに耐え、荒く、不規則なリズムの呼吸をくり返すのが精いっぱいである。

 ハロルドはそんな彼の肩口を掴んで身体を引き起こした。


「まあいい。雑魚は雑魚なりに足掻いて精々俺を楽しませろ」


 そう言ってハロルドはなにかをフランシスの口に押し込んだ。

 無機質な感触。次いで液体が流れ出してくる。

 フランシスは抵抗することもできず、咽ながらもその液体を飲み込んでいく。それを飲み干した直後、身体を苛んでいた激痛が消え失せ、身体に力が戻ってくる。

 それを確認してハロルドはフランシスから手を離した。


「今のは、エーテルか……?」


 回復アイテムのひとつ、エーテル。

 その味と感覚は何度も味わったことがある。受けたダメージは一気に回復したが、なぜハロルドがそうしたのか分からずに戸惑う。当のハロルドは踵を返すと落ちていたそれを拾ってフランシスの方へ投げつけた。

 フランシスの足元に刺さったのは彼の武器であるレイピア。


「取れ。決闘はまだ終わっていない」


「……そういうことか」


 どうやらハロルドは結果の分かり切った勝負の続きを望んでいるらしい。

 ついさっき受けた攻撃を思い出し、レイピアに手を伸ばすかどうか悩んでしまった。もう一度あの攻撃の餌食になると考えれば恐怖を感じてしまう。

 だがここまでされて引き下がるのはフランシスのプライドが許さなかった。自らを奮い立たせてレイピアを手に取り、眼前のハロルドに向けて構える。


 ハロルド・ストークス。

 伝え聞く彼の人柄はとにかく悪名名高い。人を殺し、物を奪い、尊厳を踏みにじる振る舞いは悪逆非道。人を人とも思わない彼こそまさに人外の悪魔と言える。

 彼がそんな男だと聞いていたからこそフランシスは友人のイツキへと進言した。ハロルドとは距離を取るべきだ、もし彼に脅されているなら自分が力になると。


 しかしイツキの反応はフランシスが予想していたものとは正反対だった。流布している噂ほど悪い男ではなく、むしろ本質は真逆。悪名はハロルド自身が意図して被ったものだろうとイツキは考えているようだった。

 フランシスはその言い分には納得できなかった。

 ならハロルドという人間を自分自身の目で確かめればいい、とイツキは言った。


 そうして仕掛けた、ハロルドへの奇襲。結果は散々だった。

 彼は驚きも恐れも怒りもせず、ひたすら冷静に状況を把握すると言葉ひとつでフランシスを屈服させてみせた。ハロルドがただ強いだけの男ではないと理解するには充分過ぎる一幕。

 同時にフランシスはあのまま自分の無礼な行いの責任を負わされるのだろうと思った。


 ところがハロルドが提案したのは決闘という手段。その勝敗によってどちらの主張を通すかという、すでに優位に立っていたハロルドからすれば得のない話だ。だからこそその行動がハロルドへ対するイツキの評価を微かに理解させる一助になった。自分本位な男がすることではないように思えたからだ。


 そして実際に戦ってみれば自分との実力差は一目瞭然。武器や魔法を用いず体術のみで圧倒されるというのはさすがに予想外であった。

 薄々その強さは肌で感じ取っていたが、ハロルドは今までフランシスが戦った誰よりも強い。

 それが嫌でも身体で分からせられる。フランシスの攻撃は全てが空を切り、いい様にあしらわれては殴られ、蹴られ、投げ飛ばされた。その都度地に伏したフランシスにハロルドはエーテルを無理やり飲ませては戦闘を強制させる。


「立て」


 体力は回復し、傷は癒えても精神的に受け続ける重圧まではそうもいかない。地に伏すことすでに十度以上。ついにはエーテルを流し込まれても片膝をついたまま立ち上がれなくなったフランシスにハロルドは慈悲もなく言い放つ。

 彼は怒っていた。一方的な考えで襲いかかったことに対して、というわけではないだろう。邸でのハロルドに怒りをまとっていた雰囲気はなく、その様子が変わったのは決闘が開始されてからだ。


 そして期待外れだ、という趣旨の発言。それがフランシスにひとつの答えをもたらす。

 ハロルドはこの程度の力しかなくエリカに近寄ろうとしたことを怒っているのではないか。


 言動を鑑みるにハロルドはエリカが婚約者である自分以外の人間と結ばれることを許容している。しかしそれはエリカに対して無関心だからというわけではなかったようだ。

 恐らく彼はエリカを任せられる自分以外の誰かを探しているのだろう。フランシスにエリカとの仲の進展を促したのも、彼がエリカのナイト足り得るかを見極めるため。

 なぜそうしようとしているのか分からない。だがそう考えれば納得できることがある。


 イツキはハロルドがそう悪い男ではなく、数々の悪評は自らが意図して被っているだろうと言った。仮にそれが事実だとするならばハロルドはこう考えているのではないだろうか。

 そんな自分がエリカに隣に立つことなどできない、自分が傍にいれば彼女にも危険が及んでしまう、と。


 故にエリカに相応しい人間、彼女を守ることのできる人間を探しているのだとしたら。そんなエリカに言い寄った人間が論ずるに値しない程度の男だったとしたら。

 それがハロルドの怒りの原因なのではないか。


 だとしたらフランシスはこう言ってやりたい。

 ふざけるな、と。

 腹の底からふつふつと沸き上がってくる怒り。


 ハロルドは強い。それも個人であれば王国でもトップレベルに数えられる人間だろう。

 そして頭も切れる。様々な要素を加味して瞬時に判断できる洞察力や事を思い通りに運ぶ知略もフランシスは比肩できない。彼は十八歳にして圧倒的な武力と優れた知力、そして剣を突き付けられてもまるで動じない胆力をも兼ね備えている。

 世はそういう人間を才気溢れる英傑、天才だと評するのだ。


 それだけの男が自ら進んで汚名を被るなど愚かの極み。ましてやそれによって婚約者を危険に晒すことを嫌いその身を引こうと考えている。

 どうしてそんなに迂遠なことをしなければならない。

 ハロルドほど強く、優れていれば大抵のことからエリカを守ることはできるはずだ。こんなにもエリカの行く末を案じ、フランシスにここまで怒りを示すほど彼女のことを想っているのに、なぜエリカの元から遠ざかるという手段しか選べないのか。


「ふざけるなよ……」


 フランシスはゆっくりと立ち上がりながらそう呟いた。

 レイピアを握る左手には自然と力がこもる。


「なに?」


「ふざけるな、と言ったんだ。君は俺では足下に及ばないほど強い。なのにどうしてもっと真っ当な方法でエリカを守ろうとしないんだ!?君にならそれができるだろう!それが彼女にとっても最善なんじゃないのか!?」


 フランシスが思いの丈を叫ぶ。それはハロルドへ怒りでもあり、彼に勝てない己への情けなさでもあった。


「……」


「ハロルド、君は俺にはできないことができる人間だ。しかし君はその役目を全うしようとせずに他の人間へ託そうとしている。その結果としてエリカが幸せになれなかったとしたら、俺は君を責めずにはいられない!」


 エリカを大切に想っているのならば自らの手で守るべきだ。それをしないのはきっとただの逃げだ。

 自分ではエリカを守れなかった時の恐怖から逃げているに過ぎない。そんな臆病者に負けてなるものかと昂ぶった感情は――


「何も知らずに大層な口をきいてくれる」


 底冷えするようなハロルドの声で断ち切られた。昂ぶりが一瞬で鎮められるほどの威圧感がハロルドから放たれる。

 フランシスの全身から汗が吹き出し、身体の震えが止められない。

 まるで未知の怪物を前にしたような経験したことのない重圧。


 それを感じた瞬間、ハロルドの姿がブレた。そう認識した時にはすでにハロルドは間合いを潰していた。

 真正面からの、しかし完全に虚を突いた仕掛け。小細工などない純粋なスピードによる奇襲。


 左手に握った黒い刀身の剣が翻る。差し迫った濃密な死の気配にフランシスの身体は硬直したまま動かない。

 己の死を覚悟する猶予すら存在しない刹那の出来事。


 だが、その死はやってこなかった。代わりにフランシスが知覚したのは左腕への衝撃。

 堪えきれずにフランシスはのけ反り、尻もちをつくように後方へ倒れた。


「殺す価値もない貴様にひとつ忠告をしてやる」


 ハロルドを見上げることしかできないフランシスに、彼は酷薄な瞳のまま告げる。


「エリカは守られていることしかできない、弱く儚い女じゃない。戦う力も、運命に反抗する意志も持った揺るぎのない女だ。貴様がアイツを可憐なだけの花だと思っている内は扱いきれない。エリカの本質はさしずめ大樹だ」


 可憐な花ではなく、力強い大樹。それがハロルドから見たエリカの姿。

 そうか、とフランシスは合点がいった。ハロルドはエリカを信じているのだ。自分が守るまでもなく自分と同じ場所に立てる存在なのだと。

 そんな彼女を自分よりはるかに弱いフランシスが守るなどと連呼している様を見るのはさぞ滑稽だったことだろう。

 結局自分はエリカの外側しか見えていなかったのだと痛感させられる。

 あの美しさに惚れ込み、彼女の人格もまたその麗しさに準じているのだと勝手に思い込んでしまった。それらを不快に感じて憤るのは無理もない話だ。


 エリカへの理解も想いも、ハロルドに遠く及ばない。


「……俺の負けだ」


「貴様にはこれが見えないのか?」


 ハロルドは手にしている剣を見せつける。

 確かに武器を使用すればハロルドの負けだが、そんなことを主張できるほどフランシスは厚顔無恥ではない。

 ここまで完璧な敗北を喫しておきながら


「言わせないでくれ。取り決めたルール以前の問題だ。俺にハロルドと決闘する資格はなかったよ」


「ふむ、なら今回は引き分けで決着としようか」


 ずっと無言で見守っていたイツキがそう宣言する。

 降参したフランシスと、ルールに抵触したハロルド。どちらも勝っており、負けてもいる。

 フランシスとしては負けを宣告してもらった方がすっきりするのだが、落としどころを考えるとこの辺りがいいのかもしれない。


「ちっ」


 ハロルドは不満が残るのか舌を打ち鳴らして二人に背を向けた。その背中をフランシスは呼び止める。


「待ってくれハロルド。ルールに則った決着が引き分けだとしても戦い自体は俺の完敗だ。君の言うことに従わせてもらいたい」


 いつの間にか決闘の主目的がエリカとの婚姻にすり替わってしまったがこちらが本題だった。


「もう白けた。貴様がエリカを口説くというのなら好きにしろ。貴様がアイツに見合うだけの男になれればな」


 ハロルドは「俺は先に戻る。貴様はしばらく野たれ死んでいろ」とだけ言い残してその場を後にした。今度はその背を呼び止めることもできない。

 フランシスはそのまま仰向けに寝転んだ。


「なあイツキ」


「何だい?」


「愚か者は俺の方だった」


「話は見えないけど、君が自分を卑下するなんて珍しいな」


「武人としても男としてもあれだけ格の違いを見せつけられたんだ。感じた部分は多い」


 ハロルドは最後にエリカに見合う男になれと言った。つまりは自分に匹敵するだけの強さを身につけろということだ。

 無礼と無様を晒したフランシスを見限らず、期待外れだと言いながら少しでも認めてくれたのだと思うと、不思議と喜びに満ちた感情がこみ上げてくる。

 なぜイツキが彼を慕っているのか。これほどまでの器の大きさを間近で体験したのならばそうなるのも首肯せずにはいられない。


「俺はまだまだだった。でも今日、俺が目指すべき道が見えた気がするよ」


 寝転んで見上げた空は抜けるように高く、どこまでも広がるように拓けていた。

 フランシスにはそれがまるで自分が臨む前途を表しているように思えたのだった。




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― 新着の感想 ―
ほんとにハロルドの周りがいい人ばっかでよかった
[良い点] 男同士の熱い決闘。最高やね
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