70話
フランシスとイツキによる茶番劇からおよそ二時間。
その二人も含めたハロルドの姿はカブランの街外れ、自然豊かな湖畔にひっそりと建つ白亜の洋館、その敷地内にあった。建物や庭は管理されているのか定期的に手入れされている様が見て取れる。
ここはベルリオーズが所有している空き家なのだという。
「売りに出しているんだけど中々買い手が現れないようでね」
まあそうだろうな、とハロルドは思う。
街中からは少々離れた辺鄙な場所に建っているが湖とその後ろに聳える山々とのロケーションは抜群。三階建ての洋館は鮮やかな白亜が水面の青に映える佇まいは美しいの一言。湖の縁にはボートの停泊場も設置されていて、広々とした敷地内にはコテージなども併設されている。
購入するとなれば一体いくらになるのだろうか。その辺の貴族ではおいそれと手出しできない物件なのは間違いなさそうである。
「少々手狭だが別荘にするなら悪くはないな」
「そうだろう?値段も手頃なんだけど、やっぱり立地の問題なのかな」
そんなハロルドの心情などどこ吹く風で上流階級の二人はそんな会話を繰り広げる。
三階建てでちょっとしたホテルほどの部屋数がありそうな洋館が別荘でも手狭という感覚がもう理解できない。少なくともこの洋館はストークスの邸よりも大きいのだが。
ブルジョワ共め、などと毒を吐く気も湧かない。
なぜ三人がこんなところを訪れているのかと言えば、当然ながら物件の吟味にきたわけではない。
いざ決闘だ、と意気込んだところでそれを行う場所がなかった。まさかベルリオーズの邸でそんな物騒なことを始めるわけにはいかず、苦肉の策として「フランシスが別荘を探しているから観光も兼ねて街を案内してくる」という体で三人揃って抜け出してきたのである。
人目もなく、気兼ねなく戦えるような広い場所。その条件に合致していたのがここだった。
「物件の品定めがしたいなら俺がいない時にしろ」
「それもそうだ。イツキ、どこで戦えばいい?」
「裏に回ろう」
そうしてイツキに連れてこられたのは木の柵で囲われた乗馬場だった。確かに乗馬は貴族の嗜みではあるしストークスの邸にも厩はあるが、走らせるためには敷地外に出るしかない。
その乗馬場も今はもぬけの殻だった。管理はされているが主役となる馬がいないので当たり前だが。
「確かにここなら思う存分力を発揮できる」
「あまり派手に暴れられても困るんだけどね」
「いらん心配だ。俺は剣を抜かない」
そんなハロルドの言葉にイツキとフランシスが固まる。決闘だというのに剣を抜かないなどと言えばそんな反応にもなるだろう。
一瞬の間を置いてフランシスが怒気を放ちながら聞き返してきた。
「それはどういう意味だ?」
「言わないと分からないか?貴様相手に剣など必要がないということだ」
とんでもない舐めた発言だということはハロルドも理解している。
しかし今のところハロルドがフランシスに負ける要素は見当たらない。
ここ数年にわたり様々な方法で検証した結果、原作『Brave Hearts』に合わせて言えば今のハロルドのレベルは70を超えている。ゲーム内ではハロルドとの対戦が三度あるが、レベル70となれば三度目の戦いにおける数字と同等だ。
目に見えるステータス表示などがあるわけではないが、特定のモンスターとの戦闘を何百と行い、そのモンスターのHP値から逆算しで一撃あたりの威力を割り出すという地道な作業から自分のレベルを算出した。
これがかなりの苦行だった。もしこの世界がゲームと同じレベルアップ制で強くなるという前提で考えれば何度も戦うことで当然レベルは上がる。それが一つ二つならまだ誤差で済むが、おおよその見当がつく前に大幅なレベルアップをしてしまうと自分のレベルを正しく把握できなくなってしまう。
そこでレベルを見極めるもう一つの目安になったのが使用できる技だ。
『Brave Hearts』ではメインのキャラクターと同じようにハロルドやフィンセントといった敵キャラクターにもレベル準拠によって使用制限が解除される技があるのだ。
この世界にきた当初からハロルドが使えるはずの技を試したが、結果は散々。多くの技が使えなかった。そこに惜しい惜しくないなどはなく、完璧に使えるか全く使えないかの二択。そしてある日を境に今まで全く使えなかった技が使えるようになったりもした。
以上のことからハロルドはこの世界もゲームのようなレベルアップが存在すると考えている。
ちなみに最終戦のハロルドのHPは十四万を超えている。暴走状態ではないという違いはあるが、二戦目のハロルドですでに九万はあるので今でもその中間値くらいはあるだろう。
対してフランシスの初期レベルはその時のパーティーの平均レベルに設定される。プレイスタイルにもよるがだいたいレベル30前後での加入になることが多い。
今のハロルドのHPを十万、フランシスのレベルを30と仮定すると、そのHPの差は十倍以上だ。火力に定評のないフランシスでは単体で100コンボを繋いだとしても削り切れない。
ただし何事においても例外は存在するもので、ゲームの仕様上、急所攻撃というものが存在する。ゲームでの急所攻撃はダメージ二倍という設定だが、ゲーム的な要素と現実的な部分が入り混じるこの世界ではそう簡単な話ではなくなる。
ギラン雪山で倒した氷竜もゲームだとHPは二万弱あり、リーファの攻撃では三分の一も削れていなかっただろう。
だがハロルドは一体の氷竜を一撃で、万全だったはずの仲間の氷竜さえ十回にも満たない斬撃で倒しきった。これはハロルドの攻撃力が高いということではなく、急所攻撃で致命的な傷を多く与えたからに過ぎない。
まあ氷竜を相手にあっさり急所攻撃を発生させるにはかなりのレベル、技量が求められるし、攻撃への耐性もレベルが上がるごとに強くなるのは間違いない。だからレベルが高ければ強いという事実こそ変わらないが、ガードを怠ればレベル1の相手が放った攻撃でも急所攻撃になり得る。
そしてこの世界で急所攻撃を一度でも食らえばそれだけで致命傷になりかねないのだ。
話が逸れたが、要するに急所攻撃への注意さえ怠らなければハロルドの勝利は揺るぎがない、ということである。
逆に自分の攻撃でフランシスに怪我を負わせてしまっては困るし、これくらいやらないのハンデがないと戦いにならないだろうとも思う。
「……その言葉、すぐに撤回させてみせる」
「やってみろ。俺に剣を抜かせれば貴様の勝ちでいい」
ハロルドは嗤笑する。
これは圧倒的な実力差のある相手に負けるための口実づくりでもあった。煽って攻め立て、フランシスが渾身の一撃を放ったところをいかにも咄嗟に、という感じを醸し出しながら剣でガードすればハロルドが負けるという寸法だ。
柵の内側に入り、その中心辺りでフランシスと向き合う。闘志の漲った顔つきをしていた。
「最後の確認だ。決闘に臨むのはハロルド・ストークスとフランシス・J・アークライトの両名。立会人は僕、イツキ・スメラギが務める。決着は僕が戦闘不能と判断するかどちらかが降参、ハロルドにおいては武器を使用した時のみ。異論はあるかい?」
「「ない」」
二人の声が重なる。お互い、すでに相手しか見えていなほどの集中。
そして――
「それではエリカ・スメラギとの婚姻を賭けた此度の決闘、いざ尋常に「待て」」
その集中はイツキの言葉によりいとも容易く崩された。
今彼はエリカとの婚姻を賭けた決闘と言った。ハロルドの聞き間違いではない。
「どうかしたかい?」
「どうしたもこうしたもあるか。なぜこの決闘にエリカの婚姻が関わってくる」
婚約ではなく婚姻。つまり勝った方がエリカと結婚するという意味だ。
おかしい。この決闘はハロルドが勝てばフランシスへの命令権を手にし、フランシスが勝てばハロルドがイツキやエリカの前から消える、という話だったはずである。
「大丈夫だよ。エリカと結婚したいなら勝てばいいのさ」
「バカが。そういう心配をしているわけじゃない」
「それにエリカと婚約しているのはハロルドで、君が負ければフランがエリカを口説こうとするだろう?似たようなものじゃないか」
「全く違う。だいたいアイツの意思は……」
「あー、ちょっといいか?俺にはいまいち状況が呑み込めないんだが……要は勝てばエリカを嫁にできると?」
「フランでは無理だと思うけどね」
笑顔で煽っていくイツキ。もしかしたら彼の性格はハロルドに影響されているのかもしれない。
しかし当のフランシスは目を閉じると腕を組み、物思いに耽るように黙り込む。しばしして瞼を開いた彼の顔は先ほど以上に滾っていた。
「俄然やる気が湧いてきた。本気の本気でいかせてもらおう!」
エメラルドグリーンの瞳をらんらんと輝かせ、レイピアを構えるフランシス。
嫌な予感がした。
仕切り直しを終え、イツキが開始の合図を発した瞬間。その予感が的中していたことを知る。
一足で間合いを詰めて放たれた突き。ハロルドからすれば余裕を失うような速度ではなく、間合いを保ったまま対処できる攻撃。
しかし予想していたより速さも鋭さもあった。だから思わず対処してしまった。フランシスにとって“渾身の一撃”になるだろう攻撃を。
(開幕ブレイブモードってどういうことだよ!?)
闘技大会でライナーが見せたものと同等のそれは一種の無敵モードだ。攻撃力が上がり、ダメージは半減、攻撃を食らってものけ反り無効や発動途中の技を潰されなくなる等の利点が多く存在する。
しかしそれは攻撃やガード、コンボを繋いでゲージを溜める必要がある“ゲージ技”だ。開幕初手で発動できるものではない。
(まさかゲージ溜めは必要ないってか?気持ちが昂ぶってれば使えるとか冗談じゃないぞ!というかそれよりも……)
混乱した思考を何とかまとめようとしながら回避をくり返す。本来なら自分が負けるために想定していた攻撃を苦も無く、易々と、回避を続けてしまう。
負け筋を失ったことが余計に思考を散らばらす悪循環。
予定では素手の技で打ち倒し、準備してきたアイテムで回復させるという手順をくり返して“ハロルドの持つ経験値を稼がせる”という計画だった。
この世界にもレベリングが存在することは先述したが、それは言い換えると戦う相手には経験値が設けられているということを意味する。『Brave Hearts』では戦闘に参加したキャラクターに十割、戦闘中に瀕死もしくは控えのキャラクターに七割の経験値が入る仕様だった。そして経験値はたとえ負けても入る。
RPG故にフィールドでエンカウントできるモンスターの経験値は多いものではないが、ボスとして設定されているキャラクターから得られる経験値は段違いに多い。
ハロルドは押しも押されぬ、主人公パーティーとの最多対戦回数を誇るボスキャラクターだ。
ハロルド戦は一度目で八千、二度目で三万五千、最後の戦闘では七万二千とかなりの経験値を稼げる。レベルから考慮すると今のハロルドでも六万くらいはあるだろう。
戦闘に負けた場合に入る経験値は一割。今回で言えば六千。
そしてレベル30における必要経験値は五千台。レベル35以降は六千台に突入するが、それでも一回か二回戦うごとにフランシスがレベルアップする計算になる。
あくまで計算上は、だが。こればかりは確かめようがなかったので確証はない。何度フランシスを打ちのめしても無意味という可能性も当然考えられる。
だがこの仮説が正しかった場合はフランシスの劇的な強化を望めるのだ。制約が少なく自由に動けるこの機を逃せばユストゥスの駒に逆戻りとなり、ライナー達と原作以上に戦闘回数を重ねることは難しくなるだろう。
だからやるなら今しかない。ゲームではプレイヤー達に「微妙」「器用貧乏」「貧乏王子」など酷評され、スタメン落ちは常連、おまけに“王子を操作キャラにしてクリア”という縛りプレイまで存在する彼を強化できれば主人公パーティーの底上げになることは間違いない。
どうやって負ければいいのか、それは戦いながら考えればいい。
そんなやけくそ気味な気持ちを込めて、ハロルドはフランシスの脇腹に蹴りを叩き込むのだった。