6話
「んじゃ行ってきまーす!」
そんな訳でハロルドの命を受けたゼンは意気揚々と部屋を飛び出していく。なぜそこまでやる気があるのか分からない一希は首を捻るばかりだ。
張り切りすぎて余計なことを仕出かさなければいいけど、と一抹の不安が募る。
まあノーマンの判断を信じるのなら悪いようにはならないだろうと自分を納得させ、気分転換も兼ねてそろそろ日課になりつつある剣の鍛練を行うことにした。
ここはRPGの世界だ。人の生活圏外には普通にモンスターが闊歩している。
危険極まりないこの世界で生き抜くためには相応の強さが求められるのは言うまでもない。ましてや一希はこれからハロルド・ストークスとして激しい戦いの渦中に飛び込んでいかなければならないのだ。
可能な限り戦闘は避けていくつもりだが原作イベント関連ではそんなことも言ってはいられないだろう。
なので有事に備える意味で剣術の真似事を始めたのだ。
ゼンがレイツェで購入してきた剣を携えて裏庭に出ると、周囲に誰も居ないことを確認してから自分なりに考えたトレーニングメニューを実践していく。
両手で剣の柄を握り、頭上まで掲げて一気に降り下ろす。その状態から手首を左に返し右手1本で右上に切り上げる。
そこから踏み出した右足を軸にして時計回りに旋回し、遠心力を利用して左から真一文字に切り裂く。
これがゲームにおけるハロルドの基本となるコンビネーションだ。操作キャラで攻撃ボタンを3連打すると出るタイプの連続技である。
剣道の経験すらない一希にはこの攻撃が果たして実戦で有効なのかどうか判断がつかないが、今はこれをベースにしようと考えたのだ。
最初は剣道の素振りのように踏み出して上段から切りつける練習をしていたのだが、実戦を想定するならゲームと似た動きを練習した方が恩恵が大きい気がしたからである。
こうした鍛練を開始して1月近く経過したこともあって動き自体は体に馴染んできた。それを感じ取れる感性は一希本人のものではなく、恐らくハロルドのものだろう。
考えてみればハロルドは最低なクズ野郎ではあるものの、単独でダンジョンを踏破したり主人公パーティーと渡り合ったりこと戦闘においてはかなり優秀なキャラクターだ。こうして真面目に鍛練していればそれに劣らない強さを手にできるかもしれない。
(そう考えるとちょっとテンション上がるな!)
この非常識な事態に遭遇しながらもそんな風に思ってしまう一希はやはり根っからの『Brave Hearts』ファンであった。
憑依したのが原作最大の嫌われ者であっても、ゲーム内と同じ技が使えるかもしれないとなれば心が踊るのを抑えられない。
決意と興奮を糧に一希は黙々と剣を振り続ける。小さな少年が大人サイズの剣を軽々と振り回す光景は傍目から見るとかなり異様な光景だった。
本来ならまともに振り抜くこともできないだろうが、スペックだけは高いハロルドの体がそれを補っている。まあ一希自身もその事実には気付いていないのだが。
何だかんだハロルドという男は優秀らしかった。
こうして作物の世話、剣の鍛練、両親のご機嫌取りが一希のルーティーンと化しておよそ1ヶ月と半月。バルコニーの鉢植えが揃いも揃って青々と茂った頃、ようやく次の行動に移る準備が整った。
その日一希が自室に呼び寄せたのはメガネを掛けた細身の男。年は30代の前半であり、鋭い目つきのせいか見る者にどこか冷たい印象を与える。
男の名前はジェイク。ストークス家の財政管理を担っている経理の1人だ。普段から愛想がなく無口なジェイクも自分が置かれた状況に少なからず戸惑っていた。
部屋に中にいたのは合計3名。部屋の主人たるハロルド、古株の使用人ノーマン、そしてゼンである。
「座れ」
部屋を訪れた彼に対し、呼び出した一希は開口一番そう口にした。
ハロルドの斜め後ろに立っていたノーマンが大人しく椅子に腰かけたジェイクへ数ページの冊子を手渡す。
「それを読め」
「はい」
一体なんだというのか。ジェイクの戸惑いは増すばかりである。
しかし冊子を開きその中身を読み進めると彼の目の色が変わった。
そこに記されていたのはストークス家の事細かな財政状況。頭が痛くなる数字ばかりが並んでいるが、悲しいかなジェイクには見慣れた数字でもある。
「記載に大きな間違いはあるか?」
「……いいえ、ありません」
間違いも何もこれはジェイクが取りまとめた収支報告書の内容を丸写ししたものだ。自分が作成した書類に不備がないかはしっかりと確認している。
もしやこの内容にいちゃもんの1つでもつけるために呼び出されたのでは?そんな考えが頭をよぎる。
「だろうな」
だが彼の予想とは裏腹にハロルドが重々しいため息を吐く。そこにジェイクをなじるような色はなかった。
どちらかといえば心底うんざりしたような声である。
「ここ数年ストークス家の財政は赤字続きだ。最たる原因は両親が見栄を張るための無駄な浪費。先代までの蓄えや重税で補填しているがそれも長くは続けていられないし領民への負担も増すばかりだな。この見解に異論は?」
「そのような傾向にあることは承知しております」
感情の機微が表に出にくいジェイクだがその内心は狼狽に近かった。
幼い少年が収支報告書の内容を完璧に理解していることも驚きだが、何よりも質問の意図がまるで掴めない。
当主の嫡男であるハロルド本人がその当主たる両親を批判しているのだ。どんな態度が正解なのか分からない。
反応に窮したジェイクはノーマンを見る。しかし彼は穏やかな表情でハロルドの後ろに佇むばかりでジェイクの視線に取り合う様子はない。
「火急の事態というわけじゃないがこのままだといずれはストークス家も領民の生活も立ち行かなくなる。まあ貴様らにとってはストークス家なんて潰れてしまった方が良いんだろうが」
「そのようなことを仰らないでください。誰かに聞かれれば叛意があると勘違いされてしまいます」
とりあえずジェイクは無難な対応を取る。
しかし一希からすればあながち勘違いというわけでもない。お家騒動を起こして家督を奪うなんて大それたことは考えていないが、何がなんでもストークス家を存続させて次期当主になりたいとも思っていないのだ。
はっきり言うなら原作通りに潰れてしまっても構わない。
自分は原作終了とともにフェードアウトして無難に町人Aにでもなれればいい。
もちろん最善は1日でも早く元の世界に帰還することだが、そのための手掛かりは全く掴めていないので今はとりあえず脇に置いておく。
「ふん。何にせよ領民、特に農業地区の収益を増加させなければ将来的に破綻するのは目に見えている」
ジェイクは言葉を返せない。何故なら事実、ストークス領の農業は既にもう衰退が始まっているのだ。
重い税率を課されたことで経営が苦しくなり辞める者、ストークス領地から離れる者が増えてきている。特に小さな農家などはその傾向が顕著だ。
この流れが止まらなければ農業地区からの税収が著しく下がる。そうなった時、果たして現当主が不利益を覚悟で税率を緩めるだろうか。
ジェイクにはあの男がそんな対策を打つとは思えない。逆に税率をさらに重くして金をむしれる所からむしり取ろうとするだろう。
(ハロルド様はそれを理解しているのか……?)
到底10歳の子どもが頭を悩ますことのできる問題ではない。普通なら収支報告書の内容を正しく読み取ることすら困難なのだ。
しかし目の前の少年にはその程度のことなど壁にすらならないようだった。ジェイクはすぐにそれを痛感する。
「だから貴様を呼んだんだ。農業地区の査察を任されている貴様をな」
「どういう意味でしょうか」
「ゼン」
「はいはーい!」
ハロルドの呼び掛けに応じてゼンがバルコニーへ通じる窓を開け放ち、カゴに鈴生りとなった赤グルトを収穫してジェイクの前にドサッと置く。
またもや状況についていけず目が点になる。
「あの、これは……?」
「まあまあ、ここは何も言わずハロルド様お手製の赤グルトをご賞味あれ!」
「貴様こそ余計な口を挟むな。肥料にでもなりたいのか?」
「ごめんなさい!」
「これをハロルド様が……?」
率直な感想を述べるなら「なぜ?」である。
ハロルドが部屋で野菜を栽培する理由も、それを自分に食べさせようとする意味も分からない。
とはいえこうして出されたからには口をつけないわけにもいかず、恐る恐る赤グルトにかじりついた。
「……!あ、甘い?」
「ですよね!」
「どうして貴様が自慢気なんだ……」
ジェイクからすればハロルドを敬う様子を見せないゼンに肝を冷やすが、ハロルドはそれを叱責せずただ呆れたようにこめかみを押さえるだけだった。
「とにかく、今貴様が食べたものは俺が独自の方法で育てた作物だ。その方法を広めるために力を貸せ」
「何故私なのでしょうか?」
「この農法を実現させるには当然ながらコストが掛かるし場合によっては専用の設備が必要になる。ストークスの財政を熟知し査察官としても現場をよく知る貴様が適任だと判断した」
確かに必要になる費用は使用する資材とおおよその数量が決まっていれば弾き出せるし、設備がどんなものかによって設置について可不可の判断や条件を満たすための提案をすることもジェイクならば出来るだろう。
ハロルドの言い分は理に敵っている。
問題は新しい農法を普及させる実現性があるかどうかだ。
この赤グルトは通常の物と比べて格段に食べやすい。市場に出回れば需要も大きいだろうということは想像できる。
しかし生産するのに相場で付く値段と同等かそれ以上のコストが掛かるなら作る意味がない。初期費用で嵩む赤字から純利益に転換するまでの期間が長ければ持ちこたえられない農家もあるだろう。
実現するには課題が多い。
「どうやら考える頭は持っているようだな」
協力を要請されても沈黙するジェイクに対しハロルドは気分を害した様子もなくむしろ感心していた。
一希からすれば上からの圧力に唯々諾々と従うような人間より、こうして自分の頭で物事を考えられる人間が必要なのだ。一希が知っているのはあくまでゲームに描かれた部分のみでありそれ以外の問題に気付いてくれそうなノーマンやジェイクはこれから先も頼りになるだろう。
「現状を改善できるならばいくらでもお力になりたいと思います。ですが……」
「話を聞かないことにはおいそれと頷けない、と。父相手なら口答えするなと怒りを買うか、最悪地下牢にぶち込まれるな」
その言葉を受けてジェイクの身が強張る。やはり所詮はあの男の息子なのか、と。
だが何故かノーマンとゼンは苦笑を浮かべていた。
「……まあ当然の反応だ。詳しい説明も聞かずに快諾されればゼンがもう1人いるようで気苦労が増すところだった」
「それどういう意味です?」
「貴様も少しは頭を使えってことだ」
「ひでぇ……」
分かりやすく落ち込むゼンを無視して一希は話を続ける。
ここからが本題だ。
「ではお望み通り聞かせてやろう。鍵になるのはこれだ」
ライフポーションの瓶を見せ付けながらジェイクに説明を始める。一希のプランはこうだ。
作物にライフポーションを与える農法、仮にLP農法と仮称しよう。
現時点で試した3種類の野菜はどれも成長が早く、加えて甘味が強くなることが判明している。
これをいきなり全ての畑で試すのではなくまずは一部分、それもいくつかの農家に共同させて試運転を開始する。最大の理由は失敗した際の経済的リスクを分散させるためだ。
加えて経営規模が小さく一度の失敗が致命傷になったり金銭に苦しくLP農法に割く農地がない農家を救済する意味合いもある。
LP農法が上手くいったとしても経済的に余裕がある農家とない農家で格差がより広がることをなるべく抑え、数件の農家を一纏めにすることでストークス家に備蓄されている内の破棄されるライフポーションだけで対応できる範囲に収められれば理想だ。こうすれば初期費用もあまりかからないはずである。
この1ヶ月の間に幾度も栽培を繰り返したがLP農法で育てた作物の成長速度はかなり早いというのが最大の特徴だ。もはや異常と言うべきレベルである。
赤グルトであれば種を撒いてから実が収穫できるまで2ヶ月弱かかるのが通常だが、ライフポーションを与えたものは5日から1週間で実をつけた。ゲームでは種を植え宿屋で1泊すれば翌日には収穫できていたがさすがにそこまでの成長速度はないようである。
ともかくこの回転数の早さなら狭い農地でも利益を生み出せると一希は睨んだ。
「わずか5日で収穫が可能に!?」
衝撃的な事実に普段は落ち着いているジェイクの声も思わず大きくなる。
画期的、もはや革命的とも言える発見だ。
「だがその早さのせいで上手くいきすぎるわけにもいかない」
「何でですか?」
「安価で高品質な商品が大量に出回れば市場を破壊しかねないんだよ。結果としてストークス領外の農家を潰してしまう恐れもある」
LP農法は従来より多少コストは掛かるだろうが生育の早さから短期間で大量に生産できる。生産が軌道に乗れば通常の物と同じ価格、大量生産が可能になればさらに安価で取り引きしても利益が出るかもしれない。
それによって恨みを買いたくない、というのが一希の本音だ。何よりも大切なのは自分の身の安全なのである。
もしLP農法を考案し広めたのがハロルドだとバレれば逆恨みされる可能性もある。
しかし金に執着心のある両親が知ればストークス家でLP農法を独占しようとするだろう。それを避けたい一希としてはまずは小規模で細々と、収穫量に制限を設けてスタートさせるべきだと考えた。
そうして徐々に浸透させ経済的に余裕が出れば他の作物でLP農法を試していくことも可能だろう。
今のところ赤グルトとスズイモは水との割合が半々、ブルーナは7:3で水の割合が大きい方が育ちやすく味も良いことは分かっている。
ブルーナはライフポーション100%で育てれば朝に植えたものが日が沈む頃には収穫できたほどだ。これはゼンに持たせて厨房に送り込んだところ味は不評だったので没にしたが。
つまり作物によってライフポーションを与える割合や成長速度、そして味にも違いが出る。その辺を一通りの作物で試せれば農業地区の収入も高い水準で安定させることができるはずだ。
今回はその資金源を得るための布石ともいえる。
「本来なら専門のチームを組んで取りかかりたいところだが……」
そのためには父親に話を通さなければならない。しかし一希は金に目が眩む両親の姿を幻視する。
農家内での軋轢は生みたくないし、他貴族から無用な恨みも買いたくない。最後まで隠し通すのは無理でも農家の経済状況を回復させ、自分達で必要分のライフポーションを購入できるくらいには経営状況を建て直したいところだ。
どれだけ頭が痛くても死亡フラグを回避するためにはやるしかない。
ふと気が付けば説明を聞いていたジェイクがポカンとしている。ノーマンも似たような顔で、ゼンは話についてこれず半分眠りかけていた。
ゼンは諦めるにしても残り2人の表情はどういうことだろうか。
「貴様らは人にマヌケ面を晒す趣味でもあるのか?」
「も、申し訳ありません。ただお話の内容に驚いてしまって……」
「事前にある程度は聞いていましたがこれほどまで考えていらっしゃるとは感服致します」
(素人の発想にそこまで感心されると逆に不安なんですけど……)
一希に専門的な経済、経営の知識はない。
今はあくまで大枠を組むための材料を提示しているだけである。ここから枠を組み細かい部分を詰めていくにあたって頼りにしたい2人がこれで大丈夫なのだろうか。
「言っておくがイエスマンはいらない。おかしな点があると感じれば1つ残らず進言しろ。いいな?」
でないと一希の心がプレッシャーでヤバい。
そんな思いがノーマンとジェイクには食い違って伝わっていた。
(この歳にして歴史を覆す画期的な栽培方法を発見し、かつ現実的な政策を打ち出す頭脳。それに慢心せず自らに厳しさを課す飽くなき向上心)
(得られるであろう金や名誉など欲には目もくれず、ひたすらに民を救おうと努力なされる強き想いと慈愛の深さも持っておられる)
――ハロルドは人の上に立つ器を備えた人間だ。
確信にも近い直感。
付いていきたいと思ってしまうカリスマ性を彼は放っていた。
「では最終確認だ。ジェイク、貴様は俺の手足となるか?」
その問い掛けに首を横に振るという意思はもう残っていなかった。
「私が持ちうる力をハロルド様の為に使わせていただきます」
「俺に仕えるのなら俺ではなく憐れな領民のために奮え。あいつらはそうでもしなければ生きられない弱者だからな」
あくまでも不遜に、しかしどこまでも弱き者のために。
その在り方は何者よりも誇り高かった。