59話
最近リーファの様子がおかしい。ハロルドがそう感じたのは明らかに顔を合わせる機会が激減したからだった。
ただそれだけならば偶然だろうと考えられたかもしれないが、ハロルドを見た途端、踵を返して元来た方へ戻っていくという行動を目の当りにすれば話は別だ。いい加減に毒舌に嫌気がさして距離を取られているのかもしれない。
ハロルドが最後にリーファと言葉を交わしたのは数日前。いつもの早朝鍛錬を見学していたらしいリーファに「研究所内を一人で出歩くのはやめた方がいいぞ」と小声で警告した時だ。それも案の定皮肉めいたものになってしまったわけだが、もしかするとそれが原因なのかもしれない。
これまでの態度を顧みれば色々積み重なっていてそうなったとしても何ら不思議ではなかった。
彼女に嫌われておくメリットも無くはないのだがエリカ相手とは違って絶対ではないし、それでユストゥスの方に鞍替えされては困る。万が一そうなりそうなら最悪主人公パーティーではなく自分の陣営に取り込むことも考えなければならない。
こうして一応もしもの場合の対応を模索してはいるが、どうやらエルはリーファの態度が変わった理由を知っているらしい。なぜか詳しく教えてはくれないもののあまり深刻な事態が発生しているというわけでもないようで、ハロルドにとって不利益に繋がる可能性が低そうであるというのは救いである。
とにかくリーファの変調は気にかかるものの、隣にエルが居てくれているだけで心配事が格段に減るのはありがたいことだった。エルが居れば大抵のことはなんとかしてくれるだろうと思ってしまうほど頼りきりである。
今のようにユストゥスの遣いで研究所から離れなければならない場合などは特に。
(……それにしても合流予定地まではまだなのかねぇ)
数日前、ユストゥスに呼び出されて告げられたのは新たな任務だった。それ自体は毎度のことだが、いつもと違ったのはそれがユストゥス本人の下したものではなく第三者から依頼された仕事をこなすということだ。
ユストゥスの下について大分経つがこんなケースは初めてである。
これまでならどこに行って何をするかを具体的に伝えられたのだが、今回に限って言えば合流予定地で依頼人から直接話を聞け、ということらしい。ちなみに拒否権はないと事前に言われている。
さらにおかしいことにそのユストゥスから昨夜メッセージが届いた。それ自体はこれまでも度々あったのだが、その内容が「力の使い過ぎには注意するように。君の命がもう長く持たないことは肝に銘じておきたまえ、ハロルド」という不可解なものだった。
力、というのはユストゥスが製造した剣を指しての言葉だろう。水晶が埋め込まれている剣は使用者の魔力を吸い、命を削ることを代償に強力な力を与える――という設定になっている。そういったリスクを負わせることで危険人物であるハロルドを自分の配下に置くことを対外的に納得させたのだ。つまりは嘘八百。
そもそも騎士団の上層部や審議所の議員がハロルドを危険だと判断するに至った根拠からしてユストゥスのねつ造なのだが、だからこそ彼がハロルドに対してそんな注意をする意味がない。
そう考えるとあのメッセージはハロルドではない第三者に向けて発せられたもの、というところだろうか。
(実はあのメッセージが盗聴されていて、それを逆手にとるためにわざと……とか?)
ハロルドはリストバンドのように腕に巻かれた機械に目を落とす。
ユストゥスが開発した、同一の魔力源を持つ物質に特殊なアストラル体を通すことで音声を送ることが可能になったという端末機材だ。科学を魔力で運用している代物らしいが、詳細を解説しても理解できないだろうと鼻で笑われながら言われたのでいまだに仕組みはさっぱりである。
その態度に腹は立ったが事実ハロルドにそういった専門性の高い知識を理解することはできないので、とりあえずそういうものだと納得している。
一応説明しておくと音声を一度録音して送るというシステムなので、電話のようにリアルタイムでやり取りすることはできないし、距離が離れるとそれだけ相手に届くのも時間がかかる。とはいえ電話が存在しないこの世界においては画期的な発明だ。
ハロルドが身に着けているのも実用化に向けた試作機である。商品化に成功すればまたユストゥスの名声は高まり、懐も温まることだろう。
そんなこんなで色々と未知数なままハロルドは用意された馬車に揺られている。
王都を出てもう丸二日は経過した。すでに太陽は地平線に半分隠れかけており、今日はこのまま夜通しになるのか、などと憂鬱な気持ちになっていると馬車が速度を緩め始める。
そのまま完全に停止すると外側から扉が開かれた。
「到着だ。降りてくれ」
非常に不愛想な馬車の騎手がタラップを降ろす。
馬車から降り立ってみればそこは街の中にある広場のようだった。繁華街なのか街灯や店先には明かりが点り、夜が近いというのに人の活気で溢れている。
だがハロルドの記憶にはない街だ。恐らくはゲームに登場していないか、していても行動範囲内のマップには描かれていなかった場所だろう。
「ここはどこだ?」
「カブランだ」
ゲームには出てきていない街だが、その名前はハロルドとして生きてきた中で耳にしたことはある。地方都市という言い方がこの世界において正しいかは分からないが、王都を除いて国内に点在する都市の中では三指には数えられるほど大きく発展している街だ。
「ここで俺に何をしろと?」
「聞いていない。俺の仕事はここにアンタを送り届けることだけだ」
そう言い残して騎手は馬車に乗ってさっさと走り去っていった。
これはさすがにあんまりではないだろうか。見知らぬ街で何をしていいかも分からないのではこの場で立ち往生するしかない。そう途方に暮れていた時だった。
「そんなところで立ち尽くしてどうしたんだい?」
背後からそんな声をかけられた。
ハロルドは反射的にその声に反応してしまう。平時ならばすぐに気が付いていたであろう。その声が懐かしくも耳慣れたものであることに。
「貴様には関係な――」
振り返ったハロルドは声の主を目にして言葉を失う。その表情は彼にしては珍しい愕然としたものだった。
「関係ないってことはないだろう?僕と君の仲じゃないか」
「……どうして貴様がここにいる、イツキ」
エリカの兄にしてハロルド唯一の友人とも呼べるイツキ・スメラギがそこにいた。
◇
ハロルドが新たな任務を受けて出発した翌日。心なしか研究所内の空気はいつもより穏やかなような気がした。これもハロルド不在の影響だろうか。
そして臨時のルームメイトと化しているリーファもまたここ数日間にはなかった落ち着きを取り戻していた。ただしその意味合いは他の人間とは百八十度異なる。
今の彼女はハロルドの“顔も見たくない”ではなく“顔を見られない”状態である。しかも本人はその原因にまだ思い至っていないようだった。
(まさかこんな展開になるなんてね。恋心……というには早計だけどかなり意識してるのは間違いない)
あの日、リーファが早朝から部屋を抜け出す気配を察知したエルは彼女に気付かれないように後を付けた。なるべくリーファを一人にするなというハロルドの指示を守るためだ。
なんてことはない散歩。その最中に出会ったハロルドに、恐らくリーファは異性の魅力というものを強烈に感じたのだろう。
ハロルドの常に不機嫌そうな表情や人を射殺しそうな鋭い眼光にさえ目を瞑れば、容姿のレベル自体はとても高い。数多くの人間と面識を持つエルからしても、こと容姿に関してハロルドはトップクラスだ。
整った顔立ちに鍛え上げられた体。それを惜しげもなく見せつけながら耳元で何事か囁かれれば、人によってはその場で腰砕けになってもおかしくはないだろう。しかも本人はそれを意図してやっているようには見えなかった。
天然の女誑し。そんな才能がハロルドにはあるかもしれない。この研究所を初めて訪れた時にユストゥスが現地妻云々とハロルドをおちょくっていたが、あながち的外れな指摘ではないかもしれないと思ってしまう。
そんな経緯もあってここのところ情緒が不安定だったリーファだが、今日は二回目となるユストゥスとの話し合いが待っているため頭の中から雑念を排除できているようだ。前回の話し合いで得た新たなアイディアを用意して時が来るのを待つ様はまさに意気揚々である。
エルとしては彼女のこの切り替えの良さは見習いたい部分だ。そんな彼女を観察している内に決められた時刻を迎える。
「さあ、行くわよエル!」
「はいはい」
時計とにらめっこしていたリーファがエルを引きずらんばかりの勢いで部屋から連れだそうとする。床を引きずられる趣味のないエルは遅れないように足並みを揃えながらついて行くことにした。彼女を一人でユストゥスと対峙させるわけにはいかない。
しかしそれにしても熱が入り込みすぎているように見える。強い探求心に加えて、本人からすれば原因不明の変調を払拭しようと躍起になっているのかもしれない。
どちらにせよ力が入りすぎている。一応リーファ本人にも注意はしているが、何とかつけ込まれる隙を与えないようにフォローする必要があるだろう。
本音を言えばあまりユストゥスとは関わり合いになりたくない。彼に事情を隠しながら情報を読み取るというのは非常に困難なことだともう身に染みて分かった。
だが今さら理由を並び立てて断るという行為は後ろ暗いことがあると自白するようなものだ。あの洞察力と思考力は異常と言える。怪物と呼んでもいい。
そんな人間が待つ部屋へ自ら進んで向かっているのだから我ながら酔狂なことをしていると、エルは自身を嘲笑する。が、これもハロルドに任された仕事なのだから腹を括るしかない。
そんなわけでユストゥスの研究室前までやってきたエルだったが、扉をノックしても何も反応がなかった。普段ならば中に控えているユストゥスの助手が応対するはずだが、そもそも室内から人のいる気配がしていないことに気付く。
時刻はもう夕食時を過ぎているが彼らは昼夜など関係なく研究に打ち込んでいる人間だ。食事にしろ睡眠にしろ一斉にいなくなるとは考えにくい。
「あれ?誰もいないの?」
躊躇なくノブに手を伸ばすリーファ。止める間もなくノブは回り、ガチャリと音を立てて扉が開いた。
明かりが消えた部屋の中を覗いてみるがやはり無人。
しかしよく見れば部屋の奥にあるユストゥスの研究室へと続く扉のわずかな光が漏れている。部屋の主はいるらしい。
果たしてどうしたものかとエルは考える。普通に考えれば時間を指定されて呼ばれた身なのだからこのまま入っていってもいいだろう。たった今到着したのだと言い張れば多少研究室の中の様子を窺っていても決定的な証拠にはならないだろうし、上手くすればそこで大きな情報を手にできる可能性もある。
だが不自然なほど整えられたこの状況はユストゥスにとっても利がある。
ハロルドがおらず、他の研究員も出払っているこの状況。ユストゥスが自分たちにアクションを仕掛けてくる心積もりがあるとするならば絶好の機会なのは疑いようがない。そうだった場合、不用意に踏み込めば手痛いしっぺ返しが待ち構えているだろう。
逡巡。そしてエルが出した答えは、それでも危険を冒すことだった。
ハロルドからは安全を確保してから行動しろと釘を刺されている。しかしそれに従っていてはユストゥスから何も情報を引き出せないだろうと、誰よりもエルが痛感していた。それほどまでに手強い相手。
仕事とはいえそんな人間と正面切って戦いたくなどはない。これまでのギッフェルトとしての活動も、ハロルドが言うように安全マージンを充分に取って行ってきた。
ではなぜ今回はそちらを選ばなかったのか。それはエルとしても気が逸っていたからだ。冷静でいられたならばここまで安直な判断は下さなかっただろう。
ハロルドが協力する対価に示したのは星の記憶。この星の過去現在未来、その森羅万象を知り得ることができるとされている情報の集合体。
知識と情報を求めるギッフェルトの一族からすれば、それを手にするのは組織に属する全員の悲願。真実か定かではないが、ギッフェルトという集団が生まれた起源が星の記憶を見つけ出すためだったとも言われているのだ。
もしハロルドに役立たずと見限られれば再び手掛かりのない状態に戻ってしまう。故にまずエルはハロルドからの信用を手にするため、どうしても有用な情報を引き出しておきたかったのだ。
立てた人差し指を口の前に持っていき、リーファに物音を立てないようジェスチャーで指示を出す。リーファがそれを理解したのを確認すると、エルは全く物音を立てずに部屋の中を突っ切る。その後ろをリーファが恐る恐るついてきた。慣れていない動きだったが音を出さなかっただけ上出来だろう。
部屋の奥、ユストゥスの研究室へと続く扉の前に到着した二人。扉のブラインドに自分の影が差しこまないよう、注意を払って耳を近づける。扉を挟んでリーファも同じ行動に出る。
そして二人の耳が拾ったのは
「――力の使い過ぎには注意するように。君の命がもう長く持たないことは肝に銘じておきたまえ、ハロルド」
今のリーファにとって無慈悲とも思える、ハロルドへの余命宣告だった。
前話投稿後、感想欄でハロルドの裸に思っていたより需要あるという事実が浮き彫りに。
エリカにも見せつけてあげて!という感想が相次いだのはちょっと予想外でした。