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55話



 ユストゥスの仲裁によって事無きを得たエル達はそのまま応接室に招かれることになった。通されたのは研究所というイメージからは想像がつきにくい、床や壁、天井板まで木造で統一された落ち着きのある空間である。

 部屋の整理や掃除も行き届いている。南側にはこれまた木造のサンルームまで設置されており、そこでは少数ではあるものの色鮮やかな花々が育てられていた。

 なんというか、ユストゥスの外見から受ける印象にそぐわない。それがエルの率直な感想だった。リーファもそうだったのか隣で意外そうな顔をしている。


 しかし考えてみればユストゥスはこの研究所の最高責任者というだけだ。建築物の設計やインテリアに携わることもなければ、研究とは直接的に関係のない応接室の管理を自分でしているとは考えにくい。

 となれば元々のコンセプトに管理している人間の好みがプラスされて完成されたのがこの部屋なのだろう。


「えっと、ティーカップはどこに置いていたっけ」


「大人しく座っていろ。貴様の淹れた紅茶など悍ましくて飲めたものじゃない」


 直属の雇い主であり経緯を考えれば頭が上がらないはずの人間に対してもハロルドは容赦なく煽りを入れる。

 だが気が付けば彼は口と同時に手も動かしながら手際よくティーポットと人数分のカップを用意していた。それもまたエルやリーファにとっては意外な光景だった。


「誰が君に飲ませると言ったかな?ボクは彼女達に振る舞おうとしただけなんだがね」


「はっ、客に吝嗇な姿を晒したいとは相変わらず酔狂な人間だ」


「それを言うなら任務のついでに女の子をひっかけてくる君も見境ないな。もしかして現地妻にでもするのか?」


「こんな貧相な女を好き好んで娶るわけがないだろう」


「つまり豊満な体つきの女性であれば考えるわけだ。君の婚約者が妾を認めてくれるのか賭けてみよう」


「科学者の癖に一足飛びの結論に至るとはとんだ笑い種だな。そんな極論で物事を判断するくらいだ、お得意のアストラル体の研究とやらも高が知れる」


「その研究の恩恵を受けているのは誰だったかな?発言には気を付けることだ、礼儀知らず《ルードネス》」


「貴様は痴呆が進んでいる自分の身を案じていろ。アイツとの婚約は破棄したと何度言ったら記憶できるんだ?」


 視線が交わることもなく展開される舌戦。言葉による暴力とも呼べる応酬を二人は唖然としながら傍観するしかなかった。途切れずに続く淀みない煽り合いは最早逆に息が合っているのではないかとすら思える。

 しかし言葉だけを聞いていれば完全に睨み合いの口論だが、意外なことにハロルドとユストゥスの間には殺伐とした空気は存在していなかった。無論親しそうな雰囲気などは微塵もないが、敵意をぶつけ合っているにも関わらず、まるで事務的な会話をしているかのようなやり取りに感じられる。

 なんとも不思議な距離感だった。


 そうこうしているうちにハロルドが淹れた紅茶が出される。

 エルとリーファは二人掛けのソファー、ユストゥスはその対面に座っているが、ハロルドは一人離れて窓際の座席に腰を落ち着けた。


「まあいい。あの偏屈な男は放っておくとして君達――そういえばまだ名前を聞いていなかったか」


「あ、あたしはリーファ・グッドリッジです」


「ボクはエルといいます。ご高名なフロイント博士にお会いできて幸甚に存じます」


「ユストゥス・フロイントだ。そう畏まらなくていい」


 微笑むこともなく無表情でそんなことを言われてもはいそうですか、とは普通ならない。まあエルとしては自分が普通という範疇から多少飛び出している自覚はあるが。


「お気遣いありがとうございます」


「それで君達はどうしてここに?まさかハロルドから招かれた、という天変地異に見舞われたわけではないだろう」


「ああ、それはリーファが」


 エルが肘でリーファの腕を小突く。それを合図に彼女が話し始めた。


「あたし魔力の研究に興味があって自分でも勉強してるんです。だから博士と話してみたくてアスティスで会ったハロルドにお願いを……」


「彼の名もそれなりに知られていますから。誰の庇護下にあるのかも含めて」


「なるほど。彼がそんな頼まれ事を了承するとは珍しいこともあるものだ」


「それについてはリーファの研究……と呼べる代物ではないですが、アストラルの運用に関する着想に興味があったらしくて」


「ほう……」


 リーファの言葉を引き継いでエルがそう説明する。その視線は、まるで不味いと言いたげなむすっとした顔でカップに口をつけるハロルドへと向けられた。

 取り決めた設定としては友人同士であるエルとリーファが滞在していたアスティスの街で偶然ハロルドに出会い、そこで彼がユストゥスと繋がりが強いことを知っていた為、無理にお願いして連れてきてもらった、という感じである。

 エルにとってはハロルドに認めてもらう為の初仕事。リーファはギラン雪山への同行を頼み込んだ際に交わされた「条件を飲めば力を貸す」という交換条件を履行することになった形だ。さすがにあの時から想定していたわけではないだろうが、わざわざここでそれを持ち出したところをみるとハロルドにとってこの面談はそれなりの価値があるということだろう。


 エルに出された指示はリーファがぼろを出さないようにフォローしつつ、ユストゥスの言動から可能な限りの情報を読み取ることだ。しかしただ漠然と全てのことに気を配っていても埒が明かない。

 指定されたのはユストゥスが行っている魔力――アストラル体と呼ばれる物質の研究に関するものについて。それでもエルが単体で試みるにはかなり骨の折れる仕事だが。

 それを理解しているのか、事前にハロルドからかけられたのは「過度な期待はしていない。成果があれば儲けもの程度だ。それよりも俺との関係とギッフェルトの人間であることを気付かれないようにだけ細心の注意を払え」という言葉だった。

 あのハロルドがそこまで警戒している。つまりユストゥスという男はそれだけ厄介な男だということだろう。


 ハロルドを中心に巻き起こった五年前の一連の事件を思い返す。あれには審議所すら操作可能な絶対的な黒幕が潜んでいるとエルは考えていた。

 もしかするとユストゥスはその黒幕か、それに近い位置の人間なのかもしれない。

 仮にそれほどの人物と相対させるならあらかじめユストゥスに関して知っている情報は全て話しておいてほしかった、というのがエルの正直な心境である。そうすることをしない、もしくはできないハロルドも、やはり何か大きな秘密を抱えているのだろうが。

 どう考えてもハロルドが只者ではないことは明白である。


(まあ今はそんなことより目の前のことに集中しておこう。気の抜けない相手みたいだしね)


 逸れかけた思考を軌道修正し、エルは内心を探られないように鉄壁の、それでいて自然に見える笑顔を浮かべてユストゥスとの腹の探り合いに挑むのだった。




  ◇




「しかしよくハロルドのことを知っていたものだ」


「どこかの陰険が好き勝手に吹聴して回った成果だろうな」


「そんな人間がいるとは知らなかった。君のことに関して真実しか口にしないボクとは真逆な存在と言える」


「ああ、おかげでどこに行っても鬱陶しい視線に晒されていい迷惑だ」


「君にそんな繊細な機能があったとは驚きだよ。人類史に残る発見かもしれない」


 本当に好き勝手に言ってくれる、とハロルドは内心で憎々しく思う。その感情は隠し切れず表情や言葉尻から滲み出ていた。

 言うまでもなく、ハロルドの悪評を流して印象を悪化させているのは他ならないユストゥスだ。孤立させ、無援の状態にすることで手元に縛り付けやすくしておこうという魂胆なのだろう。悪い噂しか聞かない人間を助けようなどという奇特な人間など現れるわけもなく、今のところユストゥスの思惑は大成功を収めている。

 おかげで騎士殺しなどという物騒極まりない異名までいただく羽目になってしまったのだから。


 加えて生活をしている研究所の職員からも評判はすこぶる悪い。彼らからすれば人非人と言っても差し支えない殺人鬼がすぐ隣にいるようなものなので仕方がないという面もあるし、ハロルドにも多少の落ち度があった。

 端的に言うと敵意むき出しの彼らにビビってしまったのである。それでどうしたのかと言えば、研究所内では自室以外で常にスイッチを入れたまま生活を送るようになったのだ。そうでもしないと平静を保つのが難しかった。言い訳になるが、人間の敵意、悪意というのは強大なモンスターと対峙するよりもよっぽど恐ろしく感じられた。

 その為ハロルドの口は拍車をかけて悪くなり、それによってさらに職員達の反感を買うという悪循環に陥ったのだ。その結果が今の状況である。さもありなん。


「だがハロルドが興味を示したアストラル運用とは気になるな。聞かせてもらえるか?」


「はい。あたしは個人の資質に頼っている魔法の使用を科学的な補助で汎用性を高めることができないかなって考えてて――」


 リーファが自ら考案した科学と魔法のハイブリット技術。重要なのはその技術はまだ構想の段階であり、実用化の段階に移っていることは伏せるように言い含めてある。

 そうさせる理由はいくつかあるが、最大の理由としてはユストゥスから技術やアイディアを引き出してリーファの力を強化させるのが狙いだ。氷竜との戦闘で攻撃の威力に物足りなさを感じたが故に強化が必要だと判断したのだ。

 本当なら後々、ライナー達と一纏めに陰からあれこれ手出ししようと考えたが、こちらの方が効率的だろう。餅は餅屋に、科学技術は科学者に、だ。


 いずれ主人公パーティーに加わるリーファは当然ユストゥスと戦わなければならない。その時に攻撃手段が知られているのは不利になるだろう。それが机上の論理だけだとしても。

 しかしいくらユストゥスといえど今の時点で交戦の可能性を念頭に置いているとは考えにくい。そして相手にリーファがいたと知ってもすぐさま対策を練るのは困難だ。

 その頃にはライナー達に阻害された計画の修正に追われることになる。それもハロルドが裏で介入して手際よく原作のイベントを消化していくつもりだ。計画修正以外のことに割く時間はほとんどなくなるだろう。

 だからこそリスクを承知の上でリーファを研究所へ引っ張ってきたのだ。完全に想定外の出来事ではあるが、絶好の機会が訪れたとも言える。


「……ふむ、ハロルドが興味を持ったのも理解できる」


 話が一段落着いたのか、リーファが展開した技術論を聞いたユストゥスはそんな感想を漏らした。ちなみにハロルドも聞いていたが専門的な言葉が多く、途中からは話半分だった。

 リーファも見た目こそ子どもらしい少女だが、その頭脳は抗体薬を開発したりユストゥスの計画の狙いを見抜いて阻止したりと、天才と呼ばれるだけの優れものなのだ。そんな天才同士の会話に凡庸なハロルドがついて行けるわけがなかった。


「えっと、それでどうですか?何か改善できるポイントとか……」


「実践してみないことにははっきりと言えないが気になる部分はいくつかあった。それを教えても構わないが、ボクもそれなりに忙しい立場だ」


 ユストゥスが部屋の時計に目を向ける。そろそろタイムアップということだろう。

 助言を得られなかったことにリーファは「そ、そうですよね」と気落ちした返事を返すが、次にユストゥスが発した言葉は意外なものだった。


「だが確かにその発想と着眼点は素晴らしいものだ。君の都合が合うならしばらくここに滞在するといい。時間が取れる時に色々と議論しよう」


「え、いいのっ?」


 まずい、と思う前にリーファが食いついた。いや、それ以前にユストゥスが自分の時間を削ってまで受け入れるとは思っていなかった。他人への関心が薄い、あのユストゥスが。

 それだけリーファの提唱した技術論が彼の琴線に触れたのだ。


 だが長期的に滞在するとなればそれだけでリスクは大きくなる。何か一つでもぼろを出せばそこから芋づる式にハロルド達が抱えている秘密が露見しかねない。


「ちょっとリーファ、そんなことしたら村に戻るのが遅くなってボク達が嘘をついて遠出したことがバレちゃうよ。おじさんに知られたら今度は大目玉じゃ済まないって分かってる?」


 そんな窮地に口を挟んだのはエルだった。今この瞬間に思いついたのか、それともあらかじめ用意しておいたのかは分からないが、驚くほど自然に長期的な滞在はできない嘘の理由を並べ立ててみせた。

 リーファも始めは何を言われているのか分からずにキョトンとした表情だったが、事態を正確に把握してか少し顔を青ざめさせた。それが傍目にはあたかもエルが言ったおじさんの大目玉を想像して怯えているようにも見える。


「どういうことだ?」


「ボク達の生まれは小さな村で、ほとんどの村人は畑や家畜を育てて生計を立てているんです。そんな村だから科学に執心しているリーファはちょっと浮いているというか、家族からはそういう研究者まがいのことを止めるように厳しく言われていて」


 エルが語っているのは原作のリーファを取り巻いている環境そのもの。これは嘘ではない。

 なんでエルがそれを知っているのか疑問に思ったが、リーファは驚きではなく気まずそうな表情で顔を伏せた。つまりここ数日でリーファが自分の口から話したということだろうか。たったの数日でそんなことまで赤裸々に語るほど仲を深めていたらしい。


「今回はアスティスまで足を伸ばしたんですけど家族には王都まで観光しに行くって嘘をついてきたんです。だから長期の滞在は難しいと言わざるを得ません」


「ふむ。では、猶予は何日だ?」


 ハロルドならば何も考えずにここで「ない」と即答していただろう。

 しかしエルはそう答えなかった。数秒の間を空けてから、神妙な顔でこう返した。


「二週間が限度です」


「まあそれくらいか。しかし思った通りだ。君は頭がいい。即座に時間がないと否定されていれば怪しむところだった」


 その一言でハロルドも遅ればせながら理解する。そして冷たい汗が全身を伝った。

 先ほどの話からしてエル達は村からかかるアスティスと王都までの移動日数の差を計算して来ていなければおかしい。そしてアスティスでハロルドと出会って一緒に王都まで来たということは空船に搭乗したということになる。ハロルドに課された任務にかかる時間と帰還までの日数を鑑みればそれは明らかだ。

 そして普通に考えれば小さな村から少女二人だけで出てきた彼女達が空船という高額な移動手段を用いることを想定しているわけがない。良くても相乗りの馬車、最悪なら徒歩での移動となる。どちらにしろその速度は空船と比較すれば雲泥の差だ。


 そんな状況で王都に立ち寄ってしまっているのだ。王都の経由が村に帰る順路でもそうでなくても、アスティスからの距離を考えれば当初の予定から大幅に余裕が生まれていなければおかしい。

 仮に予定から遅れていたのならば最初からユストゥスに会いたいと願い込むことだってしないだろう。どのような理由を用意していたとしても彼女達がここにいる時点で、時間的な余裕が一切ないということはあり得るはずがない。


 エルの嘘はバレる要素のない、完璧なものだと思った。

 しかしユストゥスにとっては断られるどころか、滞在を確定させるための情報を与えられただけに過ぎなかった。

 おまけに最後の一言。あれは完全にエル達を怪しんでいることを示唆したものだろう。これで下手に動き回ることができなくなった。


「帰る際にも君達の村に一番近い街に停まる空船を手配しよう。それなら滞在の日数もまだ伸ばせる」


 そんなユストゥスの提案が、ハロルドには死刑宣告に等しく聞こえるのだった。




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― 新着の感想 ―
[一言] 誤字報告です。 ハイブリット技術 ↓ ハイブリッド技術
[一言] ハロルドとユストゥスの会話がとても可愛いなと思いました。ある意味仲良さそう〜!
[気になる点] 章?が変わるたびに登場人物変わるのがな… わりと気に入ったキャラ出てきても、そのうち消え去るかと思うと、楽しみがなくなります。 話もどこに向かってるのかよくわからないし、主人公は手のひ…
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