52話
「……ということがあったらしい」
「怖っ!何よそれ」
エルの話を聞いたリーファは両手で肩を抱くようにしながら身震いした。確かに気味の悪い話だろう。
まあだからこそリーファに聞かせたのだが。
これでリーファにハロルドを取り巻く状況を断片的に、そして強く印象付けることができた。好奇心旺盛な彼女のことだ。
「それで続きは!?」
エルの狙い通り食いついてきた。興味を持たせることはできたようだ。
「今日はここまでかな。そろそろ寝ておかないと火の番で居眠りしちゃいそうだし」
「えー……」
「それに明日も山を登ってモンスターと戦うんだよ?しっかり休んでおかなきゃ」
「分かったわよ……」
若干不貞腐れつつ、そう言ってリーファはゴロンと横になる。ほどなくして寝息をたて始めた。
何度も言うがエルはリーファに性別を明かしていない。男か女かも不明な人物が隣にいるというのに些か無防備ではないだろうか。
そんな一幕がありながらも迎えた翌日。
昨晩の話が効いたのかリーファは朝からチラチラとハロルドに視線を向けては逸らす、という行動を繰り返していた。
とても忙しない。恐らく好奇心と自制心のせめぎ合っているのだろう。
当のハロルドはそれに気付きながらも無言でずんずんと進んでいく。
ハロルドの目的地は頂上らしい。氷竜がいるのも頂上付近ということでその足取りに迷いはない。
時たま遭遇するモンスターも先頭を歩くハロルドがほとんど一人で片付けていくのでエルとリーファは本当にただ登るだけだ。
順調ではあるが無駄口を叩かないハロルドと、そんな彼に話しかけるきっかけを見つけられないリーファ。その二人を興味深げに観察するエルと誰一人として口を開かない。
そんな空気に、というよりはリーファからの視線に耐えかねてか、不意にハロルドが足を止めて振り返る。
そしてリーファを問い詰め始めた。
「おい」
「な、何よ……?」
「さっきから鬱陶しいんだよ。用があるなら口に出せ。ないならこっちを盗み見るな。不快だ」
高圧的な物言い。普通ならそれだけで気圧されてしまいそうなものだが、リーファの反応はそれと真逆のものだった。
ちょうどいいと言わんばかりに聞き返す。それだけでも大したものだとエルは思う。
「じゃあまどろっこしいことは抜きにして聞くわ。アンタ、処刑されそうになったっていうのは本当なの?」
ハロルドの鋭利な視線がエルへと突き刺さる。
まあハロルドのことを知らなかったリーファが昨日の今日でこんな質問をしたのだ。誰が彼女に情報を吹き込んだのかは考えるまでもない。
「……どこまで聞いた?」
誰から、ではなく、どこまで。それは質問に対する肯定だった。
そして同時に、エルが睨んでいた通りこの話にはまだ何か秘密が潜んでいる可能性がより高まった。
ただ肯定するだけならばどこまで知られたかなど気にする必要はほとんどないはずだ。裏を返せば知られたくないこと、または隠しておきたいことがあるのだと言える。
ハロルドの返答はリーファがどこまで知っているのか確認しながら、彼女に情報を与えたエルへ対する牽制でもあるのだろう。不都合な真実までたどり着いているのかいないのかを見極めるために。
そんな意図には気が付いていなさそうなリーファは昨夜エルから聞いた話をそっくりそのまま話し出す。それを聞くハロルドは終始不機嫌そうな顔をしていた。
「――とまあこんなところよ」
「それで概ね合っている。分かったら今後はあの不快な視線をやめろ。さもなければ両足の腱を切断してこの山に放置してやる」
「アンタの発想って恐ろしいわね……」
リーファの話を最後まで聞き終えたハロルドは警告をしつつもまたもやあっさりと肯定した。
完全に納得できたわけではないだろうが、伝え聞いた悪行からしてもそれくらいなら実際にやってしまいそうだと思ったのかリーファは引き下がった。
しかしずっとハロルドを注視していたエルは、彼が小さく反応した瞬間を見逃さなかった。それは二度。
一度目はコーディーの名前が出た時。二度目は“被験体”という言葉が発せられた時だ。
あの反応からして恐らくハロルドはおかしな点に気が付いただろう。その上でそこを指摘せずに肯定した。
これならば彼の方からエルへ接触してくるかもしれない。
ハロルドからどれだけの情報を引き出せるか非常に楽しみだ。そのワクワクは迷宮の奥に眠る宝箱を前にしたトレジャーハンターの気分に近い。
などと内心でエルが昂っている最中も先頭を行くハロルドの歩みは止まらない。そして昼を少しばかり過ぎた頃。
三人はギラン雪山の頂上に到着した。
「着いたー!」
自分の目的など忘れたかのようにリーファが喜びの声を上げる。
ギラン雪山の頂上は所々岩肌が目につくが、基本的には平らだった。今は雪の少ない季節だが、冬になれば岩肌も全て覆い隠されるだろう。
そして平らな頂上の中心には直径200メートルほどの火口。
登頂の達成感を味わうリーファを無視して、ハロルドはその火口へと近付いていく。何をするのか気になったエルはその後に続いた。
ハロルドは火口の中を覗き込むと、傾斜が比較的に緩やかで足場にできる場所が多い部分を見付けるとジャンプして飛び降りていく。
タン、タン、タンとリズムよく下っていくハロルド。休火山ということもあって溶岩の海に落ちる危険はないが、あっという間に100メートル以上も降りていった。
火口の底まで到着したハロルドは何やら機械のような物を取り出した。遠目なので確かかは分からないが、それを火口の中心に取り付けている。
ものの数分で作業を終えたハロルドは行きと同じように軽々と跳躍しながら戻ってきた。
「すごい運動能力だね。ボクには真似できそうにないや」
「ふん。どうだかな」
「それで何をしていたの?」
「貴様には関係のないことだ」
にべもない返事を浴びる。まあそう易々と教えてもらえるとは思っていない。
彼が所属している研究所で行っている何かしらの観測装置だろうか、とエルは当たりをつける。
「ところで貴様……」
ハロルドの鋭い目がさらに細められる。ここで先ほどのおかしな点を追求されるのか。
そう考えたのも束の間、二人の空気を切り裂くような絶叫が上がった。問答をしている暇はなくなってしまう。
リーファの姿を探せばすぐに見つかった。問題は彼女が巨大な、氷の鎧を纏ったようなドラゴンと対峙していることだ。
あれが氷竜。
敵か、はたまた餌さと認識したのかは、氷竜はリーファを追い回す。彼女はそれをすんでのところで回避しては試験管を投げつけて爆発を起こした。
攻撃は命中しているもののあまりダメージは通っていないようだった。このままではリーファが負けるだろう。
ふとハロルドを見れば腕を組んで佇んでいる。リーファと氷竜の戦闘を観察しているようだった。
「助けに行かないのかい?」
「最初から力を貸してやるつもりはない。限界までは一人でやればいい」
「厳しいなぁ」
エルの目から見てリーファのみの火力で氷竜を倒せるとは到底思えない。助けに入るのは遅いか早いかの違いしかなく、リーファの危険を考えるならばすぐに手助けした方が良いのではないだろうか。
「……この程度の相手に手も足も出ないんじゃ話にならないんだよ」
「それってどういう意味?」
ハロルドの呟きを拾って聞き返すが返事は無言。彼は真剣な面持ちでリーファの戦いを見守っている。
今は何を聞いてもダメそうだと諦めたエルもリーファへと視線を戻す。一応、いざという時は助けに入れる準備をしておく。
氷竜の鉤爪や氷のブレスを回避しながら彼女はまたもや試験管を投げつけた。しかしそれは爆発することもなく、透明の液体が溢れて氷竜の体を濡らすのみ。
それを何度か繰り返したリーファは、次に自分と氷竜の中間辺りに試験管を投げる。すると立ちどころに白い靄が広がっていった。
氷竜の視界を奪う目眩ましだろうか。その狙いが上手く嵌まった。氷竜は濃い靄のせいでリーファの姿を見失って右往左往し始める。
その隙を逃さず距離を取ったリーファは、詠唱を完了させて魔法を放った。
「これで終わりよ――!『フレイムバースト』ッ!」
まるで流星のように火球が氷竜へと降り注ぐ。そしてそれが直撃した瞬間、耳をつんざく轟音と大爆発が発生した。
エルが知るフレイムバーストとは威力がまるで違う一撃。確かにあの魔法は無数の火球が降り注ぎ、最後に爆発を起こして炎が相手を飲み込む。
しかしここまでの威力はないはずだ。一体リーファは何をしたと言うのか。
高く立ち上る炎。それを成したリーファは肩で息をしながら炎を、その奥を見つめていた。
地に伏した氷竜の影。今度こそ相当なダメージを与えられただろう。
しかしその影はピクリと動き出す。首をもたげて立ち上がった氷竜は、晴天の空へと向かい咆哮した。
「嘘でしょ……これでも倒せないの……?」
絶望感に満ちたリーファの声。彼女は全力をもって挑んだのだろうが、それでも氷竜は倒れなかった。
間違いなく、ここが彼女の限界だった。
氷竜が翼を広げ、空へと羽ばたく。炎から飛び出したその体には決して軽くない傷がいくつも刻まれている。
だが、それでも氷竜にはまだ戦う意思も力も残されていた。
ぐんぐんと上昇していく氷竜。このまま逃げるのかと思いきや、突然その巨体が反転する。
上空からの垂直落下。落下途中にも羽で推進力を得て加速していく。
標的は当然リーファであり、力を使い切った彼女はその攻撃に対応できない。
直撃すれば死。掠りでもすればその部分は欠損するだろう。
そんな一撃必殺とも呼べるような攻撃は、ガキンという重々しい音と共に遮られた。
相当な速度で落下してきた氷竜が弾き飛ばされ、山頂の岩肌を削り取りながら転がっていく。
その光景にリーファは勿論のこと、離れた位置にいたエルですら目を剥いた。いや、離れていて何が起きたのかしっかり見ていたからこそ信じられなかったとも言える。
上空から襲い来る、優に1トンは超えていそうな氷竜の巨体。それをハロルドは二刀の剣による斬撃だけで叩き落としたのだ。
疲労、恐怖、驚き。それらによって力が抜けたのかリーファがその場にへたりこむ。
「……面倒だな」
ポツリと、ハロルドがそんな言葉を漏らした。彼の視線を追えばそこにはこちらへ向けて飛んでくるもう一体の氷竜。
もしかしたらあの咆哮は仲間を呼ぶためのものだったのかもしれない。
普通に考えればあまりにも危機的な状況。それでもハロルドに逃走という選択する素振りは微塵もない。
右手に握るのは幅の広いロングソード。重量がありそうな鈍色の刀身には青い樋が走り、剣の根元には翡翠色の水晶が埋め込まれ、鍔はまるで燃え盛る炎を象ったようである。
対して左手にしているのは細い黒剣。無駄な装飾の省かれたそれは切れ味を感じさせるという点において、これ以上ないほどハロルドに似つかわしくあった。
右手の剣を肩に担ぎ、左手の剣はだらんと下げたまま、ハロルドは唸りながら体を起こす氷竜とこちらへと飛来する氷竜、二体を視界に捉えたまま微動だにしない。
やがてその二体が並び立つ。それに戦いを挑むなんて命を捨てるようなものだと思わせる威圧感。
そんな氷竜に向けてハロルドは言い放つ。
「貴様らに待つのは死だけだ。抵抗せずに大人しく殺されろ」
相手はモンスターだ。ハロルドの言葉が理解できたわけではないだろう。
それでも氷竜達は怒っていた。体を傷つけられたからか、自分達の領域を侵されたからか。
しかしその怒りも長くは続かない。
剣閃が走ったような気がした。気がした、というのは実際に視認できたわけではないからだが、一拍の間を置いてそれが正しかったと証明される。
すでにボロボロだった氷竜の首が落ちた。呆気なく、なんの抵抗もなく。
まるで子どもに壊されるちゃちな玩具のように。
首を切断され、断面から赤黒い血を噴出させながら倒れ行く仲間。その背に立つハロルドへ向けて氷竜がブレスを吐く。
食らえば人など瞬く間に凍り付くそれが放たれた瞬間にはハロルドの姿は消えていた。そして上がる絶叫。
見れば氷竜の右目が斬り裂かれていた。
いつの間に?などと考えるほどの猶予もない。次は左の鉤爪が三本まとめて斬り飛ばされる。
たまらず空に逃げようと翼を開いて数メートル飛び上がったところで飛膜がズタズタに斬り刻まれて地に落ちる。
ハロルドは止まらない。残像だけを残して縦横無尽に攻撃を加える。
最早それは戦闘と呼べるものではなかった。圧倒的な強者が弱者を嬲るような残虐行為。
全体を見渡せる視界を確保しているエルでさえハロルドのスピードと軌道を目で追いきることは叶わない。間近で斬撃を浴びている氷竜はきっと何がなんだか理解できない内に傷を負っているだろう。
これがハロルド・ストークスという存在。
悪童?騎士殺し?史上最年少で騎士団へ入団した天才?
軽々しくそんな言葉で形容できる程度の存在ではない。
ピチャッ、と何が頬に付着した。はっと我に返る。
右手で拭ったそれは氷竜の鮮血。拭った手は小刻みに震えていた。
エルはこれまで強者と呼ばれた者を何人かその目で見てきた。各地で語られる大袈裟なまでの逸話と、聞きしに勝る猛者達の武勇。
だがそんな彼らが霞む、人の強さから隔絶したとしか思えない力。まるで死を撒き散らすような厄災。
エルは、そしてきっとリーファも、今この瞬間、ハロルドに畏怖していた。