47話
任務から帰還した者達の内、その多くが怪我を負っていた。中には長期の療養を必要とする者もおり、それでも死者が出なかったことだけは幸いであったと言える。
そしてその結果はハロルドが命を賭してもたらしたものだと各々が口にした。
ユノの話では自分達を逃がすためにハロルドは満身創痍で帝国軍の少将に戦いを挑んだのだという。それを聞かされたエリカは、すぐにでもハロルドの元へと馳せ参じたい衝動に駆られた。
この目で無事を確かめたい。そして感謝を伝えたい。
そんなことなどハロルドは望んでいないだろう。迷惑としか感じられないかもしれない。
それでもユノをはじめとしたスメラギの人間を救ってくれた感謝だけはどうしても直接述べたかった。
だが、それをすぐに行動へと移すわけにはいかない。
今回の任務でハロルドが重症を負ったことを知っているのは、現時点で現場に居た者だけである。エリカがハロルドの安否を確認しに出向くこと自体は不自然ではないが、最短でも騎士団が王都へ帰還してからだろう。
わざわざ遠征中の騎士団の元まで赴くのは自ら疑いの種を蒔くようなものだ。
だからエリカは一足先に王都へ向かい、そこでハロルドの帰還を待つことにしたのである。
そう決断し、王都へ到着したのは1カ月前。騎士団が遠征を終えて王都に戻り、すでに2週間が経過していた。
「……今日も会えないのかもしれませんね」
沈痛な面持ちでエリカがそう溢す。
その傍らに佇むユノも、いつもの柔らかな笑みは影を潜めていた。比較的軽傷だったことから変わらずエリカのお付きを務めているが、今は主従共々気落ち気味である。
騎士団が遠征から帰ったという情報が公になり、その日からエリカは連日騎士団の本部へと足を運んではハロルドとの面会を申し出たが、許可は下りなかった。まさか、と思ったエリカだったが、取り次ぎの口振りからして生きているようではあった。
それについては一安心というところだが、面会謝絶の理由については一切明かされないまま時間だけが過ぎていく。
遠征当時、ハロルドはサリアン帝国の軍服を着込んでいたのだという。そのことが騎士団にバレて面倒事に発展しているのではないか、とユノは推測した。
確かに王国の人間であり騎士団に所属しているハロルドが帝国の軍服をまとっていれば、たとえ事実無根でも疑いをかけられるのは仕方のないことだ。
恐らく身の潔白を証明するのに時間がかかっているのだろう。
そんなハロルドの苦悩を想い、エリカは今日も騎士団本部へと訪れた。
「また来たのか……」
エリカを、そしてその付き人であるユノを見て、門の兵士はうんざりした顔をする。
2週間毎日、一目だけでもハロルドに会わせてほしいと懇願されるのだ。長々と食い下がることはしないが、どうしても辟易してしまうのだろう。
それを申し訳なく思いつつ、エリカは会釈して用件を伝える。
「ご機嫌よう、ロウリーさん。ハロルド様へのお目通しを願えますか?」
「はあ……何度も言うが彼との面会は許可できん」
今日もすげなく門前払い。
ここで無理を言ってもハロルドにとっても不都合になるだろう。何より彼、ロウリーにも仕事上の立場があるのだ。
しかし大人しく引き下がろうとしたところで横から口を挟む男が現れる。
「おやおや、何事?」
全員の視線を集めた男はヘラヘラとしか形容できない表情を浮かべながらこちらに歩み寄ってくる。
「コーディーか。何の用だ?」
「いやー、ロウリー君がいたいけな少女を虐めてるみたいだったから……」
「断じてそんなことはしていない!」
「冗談冗談」
コーディーと呼ばれた男性はカラカラと笑う。
そんなやり取りを見つめつつ、エリカは彼がハロルドの上官かと、その姿を観察する。表情や服装、そしてまとっている雰囲気など全てが緩い。
顔を隠していたとはいえユノとも会話を交わしているので警戒すべき一人ではあるが、今のところ気付いている様子はない。ユノも彼の前で喋りさえしなければバレることはまずないと言っていたのでそこまで用心しなくても平気そうである。
つらつらとそんなことを考えていると、ロウリーとの会話に一区切りをつけてコーディーがエリカの方へ向き直った。
そして思いがけないことを口にする。
「んじゃ行こうか」
そう言って、コーディーは騎士団本部を指差す。それはつまり入ることを許されたということだ。
「おいコーディー!」
「良いのですか?」
「もっちろん。だって君、ハロルド君の婚約者でしょ?」
「立場上、そのような間柄ではあります。どうして貴方はそのことを?」
「オレはハロルド君の上司だからね。それに彼も自慢の彼女がいるって自慢を――」
「失礼ですが嘘ですよね?」
「あ、はい」
エリカはコーディーの与太話をぶった切った。悪気はないがハロルドがそのようなことを吹聴するとは思えない。
言葉を遮られたコーディーは素直に自身の嘘を認めた。
「でもまあ彼の上司だってのは本当だし、折角なら色々とお話ししてみない?聞きたいことがあるならだけどね」
「お言葉に甘えさせていただきます、コーディー様」
それはエリカも知っているので悩む必要もなく了承する。ロウリーは「何かあったら責任は自分で取れよ」と無関係を装うことにしたらしい。
こうしてエリカとユノはそのままコーディーに連れられて来客用らしい応接室に通された。お茶を用意するから待っててー、と残して彼が去ってもう十分以上経過している。
椅子に腰かけ、そろそろ戻ってくるだろうかと考えていると部屋の扉がノックされた。
そして返答しようとしたところで思いがけない人物の声が扉の向こうから聞こえてきた。
「入るぞ」
待ちわびたその声の主は、エリカの姿を目にした途端、ビシリと硬直した。冷静沈着なようでいて意外と表情や態度に焦りが出る性格だ。
「怪我をしたと聞いておりましたがお元気そうで何よりです、ハロルド様」
「はっ、残念だったな」
硬直が回復するや否や早速飛んでくる皮肉。いつも通りだ。
なんなら最後にスメラギの屋敷で言葉を交わした時よりも元気そうである。
「滅相もありません」
「ふん、まあいい。何の用だ?」
ハロルドがエリカの対面に腰を降ろす。踵を返されなかっただけ上出来だろう。
改めて姿勢を正し、外に聞こえぬようにやや声のトーンを落として告げた。
「ご無事の確認と、此度の件でお礼を」
横目でユノに視線を送る。ユノは無言でペコリと頭を下げた。
それで全てを察したらしいハロルドは嘆息した。
「下らない……」
「申し訳ありません。ご迷惑は承知の上でしたが、どうしても会ってお伝えしたかったもので」
「……」
ハロルドはただ黙している。
心配も感謝もあくまでエリカの身勝手なものだ。ハロルドがそれを受け取る義理はないし、実際受け取るとも思えない。
それでもいい。ハロルドの元気な姿を目にできただけでも王都まで来た甲斐があったと感じてしまう。
本当ならハロルドに迷惑などかけたくないのに、自分の感情を優先してしまった。それで自己満足を得て、ハロルドが自分の話を聞いてくれただけで舞い上がりそうなほどに喜んでいては世話がない。
嬉しさを感じる反面、ハロルドの支えになれるような人間としてはまだまだ未熟だと落ち込んでしまう。
「話はそれだけか?」
「い、いえっ、あの……なんでも、ありません」
立ち上がったハロルドを反射的に引き止めようとして、しかしそれを思い留まった。これ以上、今のエリカがハロルドにかけられる言葉がない。
エリカ自身がそう思ってしまった。
俯きそうになるのをなんとか堪えて、ハロルドから視線を逸らさない。自分が追いかけている存在、その背中の遠さから逃げないように。
「ならこれで切り上げるぞ。貴様に構っていられるほど俺も暇じゃない」
「貴重なお時間を割いていただきありがとうございました」
「分かっているなら俺を煩わせるな。次はあの胡散臭い男を介さないで正規に取り次げ」
「はい、そのように……えっ?」
次?それはまたハロルドへ会いに来てもいい、ということだろうか?
なぜ?自分を遠ざけようとしていたはずでは?
ハロルドのたった一言で、エリカの思考は極度の混乱に陥る。疑問か噴き出してきて喜ぶどころではなかった。
そんなエリカの心境など知ったことかと言わんばかりに、疑問など全て吹き飛ばしてしまうように。
すれ違いざま、ハロルドの手がエリカの頭に触れた。撫でるほどでもなく、ポンと軽く乗せられただけの右の手のひら。
初めて触れたその手は、とても温かかった。
「貴様の叱咤も多少は役に立った。褒めてやる――エリカ」
屋敷でハロルドに向けた、誰かを頼ってほしいという祈り。ハロルドらしくあってほしいという願い。
そんな想いがたとえわずかでも彼の力になったのだろうか。
言葉を返せないでいるエリカに構うことなく、ハロルドは応接室から出ていく。バタンと扉が閉まる音で我に返った。
「……今、私の名前を?……っ!」
心臓が爆発しそうな勢いで早鐘を打つ。頭から湯気が出るのではないかと思うほど体温も上がる。
ハロルドの手が触れた。自分からエリカに触れてくれた。
初めて名前を呼んでくれた。貴様ではなく、エリカ、と。
両手で口元を抑えながら、エリカはその場でうずくまり、顔を伏せた。
とても人目に、姉のような存在でもあるユノにだって見せられるものではない。夕焼けよりも赤く染まった、喜びの涙が頬を伝う顔だけは。
◇
「久々に会ったんだからもっとイチャイチャしてきたらいいのに。早い男は嫌われるぞ?」
エリカの元を足早に去ったハロルドを待ち受けていたのは首謀者のコーディーだった。
悪びれもせずにそんなことを口走る。
精神的にはほぼコーディーと同年齢なハロルドだが、肉体的には完全に子どもだ。そんな相手にぶち込む下ネタではない。
代わりに股間を蹴り上げてやろうとして、惜しくもギリギリのところで防がれた。
「貴様の手引きか?余計なことをするな」
「あ、普通に話すの?というかとんでもない。かれこれ2週間、エリカちゃんが門前で君との面会を求めていたんだよ。健気じゃないの」
2週間ということはハロルド達遠征部隊が帰還した辺りからずっとだ。無事云々は建て前もあるだろうが、お礼のためにそこまでやるとはさすがのエリカである。
世界の人間がエリカのようになれば、世はきっと慈愛で満たされるのだろう。ハロルドの死ぬ確率が跳ね上がりそうな世界でもあるが。
「そんなエリカちゃんを見かねてオレはね……」
「もう黙れ。だいたい俺は忌々しいことに軟禁の身だ。おいそれと連れ出すな」
「それなんだけど今日裁決が下るよん」
「……聞いてないぞ」
「そりゃあ今言ったからね」
今度は顔面を狙ったハイキックをお見舞いするも華麗に躱された。
ハロルドは舌を打ち鳴らす。
「そういう重大なことは前以て知らせておけ、バカが」
「そんなカリカリしなくても大丈夫だってぇ。審議所でちゃんと説明したし、帝国の少将も単独で撃破した。何より結果として騎士団の死傷者数を格段に減らせたんだから、ハロルド君だって減刑されてるって」
むしろ表彰まであるんじゃない?とどこまでも気楽なコーディー。
対してハロルドはと言えば、それがフラグ発言にしか思えなかった。
(おいバカやめろ、そのセリフ完全に減刑されてないフラグ――)
などと脳内ツッコミをかました瞬間、驚異の回収率を発揮してフラグが立った。
不意に背後から声をかけられる。
「おい、君」
「……誰だ貴様」
「私は審議所の者だ。ハロルド・ストークスとは君で間違いないな?」
「ああ」
「……軟禁中だと伺っていたが」
「野暮用だ。すぐに戻る」
「いや、その必要はない」
来た廊下を引き返そうとしたハロルドに、審議所の男はそう告げた。
そして懐から紐で円柱に結ばれた羊皮紙を取り出し、ハロルドが見やすいように開いてから突き出す。
そこに記されていたのは絶望的な状況。
『貴君、ハロルド・ストークス。この者を他国の間諜容疑、及び帝国軍の襲撃を知り得ておきながら意図して報告せず、助けられたはずの仲間の命を見殺しにした裏切り者として斬首の刑に処す』
「これが審議所の正式な判断だ。期限は1週間後。当日までは審議所地下の牢屋で拘束させてもらう。来い」
大きな山場を越えた先には、再び特大の死亡フラグが待ち受けているのだった。
今回で第2部は完結。
次回から第3部に入ります。