43話
「聞いていた通りの少年でしたね」
二手に分かれ星詠族が暮らすという集落へ向かう途中、並走する同僚が不意にそう漏らした。
「ああ。旦那様から伺っていて良かったよ」
高圧的というか、傲慢というか。
事前に人柄を聞いていなければとてもではないが彼らとしてもハロルドに命を預けることを容易に認められはしなかっただろう。
しかし最後の鼓舞からも分かる通り、ハロルドは素直に人と接することができないだけで、優しさに溢れた少年だ。でなければこんなことまでできはしない。
緊急招集を受け、今回の命が下された日のことを思い出す。
神妙な面持ちで彼らの主人であるタスクが口にしたのは大規模な戦闘が予想される戦場への介入だった。
命懸けの仕事は何度もこなしている。その勅命が嫌だったわけではない。
しかし旦那様らしくない、と皆が感じていた。それを察してか、タスクは今回の経緯を語り出す。
『今回の仕事についてだけどね、表向きは騎士団と星詠族との争いだと言ったが、その陰にはサリアン帝国の存在がある。騎士団と星詠族を潰し合わせるために』
『……帝国軍の思惑は?』
『正確なところは計り兼ねているが星詠族の捕縛だという情報がある』
確かにそれが事実ならば国家の一大事だろう。見過ごせば国内での紛争に発展しかねない。
だがどうしても違和感を拭えなかった。
『それだけの事態ならば我らのような日陰者ではなく正規兵を送り込むべきでは』
『今回の情報は確証が乏しく大々的に動くことはできない。本当ならば君達の派遣も避けたいところだ。くれぐれもスメラギとの繋がりがあることは悟られないようにしてもらいたい』
『それほどの危険を冒してまでも我らを向かわせる、と』
暗に、それはなぜですか、と問う。
それに対してタスクから返ってきたのは苦笑だった。
『……褒められたことではないのだが、私はハロルド君に肩入れしてしまっている』
ハロルド。その名前には聞き覚えがあった。
スメラギ家の息女であるエリカの婚約者。
婚約が決まってからハロルドに関する情報も集めてはいるがあまりいい噂を耳にしない少年だ。そのため婚約を素直に祝福できない人間も多い。
『どうしてここで彼の名前が?』
『ハロルド君は今回の戦いを止めるために一人で戦場に赴くつもりだ』
『……無謀としか言えません。止めるべきです』
『あの子は止まらないよ。ずっと一人で、孤独に、戦い続けてきた子だからね』
悲しげにタスクが呟く。その姿は力及ばぬ自分を責めているようにも見えた。
タスクはスメラギ家の存亡を賭してまでハロルドを支援しようとしている。ハロルドの素性を知らない人間からすれば簡単に納得できる話ではなかった。
『なぜそこまで?』
『……これは本当なら秘密にしておくべきことだ。墓場まで持っていくつもりだったが、ハロルド君に命を預けることになる君達には話しておいた方がいいだろう――ただし、これから先に私が話した内容は絶対に他言無用だ』
一気に部屋の気温が下がった。そう錯覚するほどにタスクから重々しい威圧感が放たれる。
いくつもの死線を潜り抜けてきた彼らの頬を冷たい汗が伝う。
『旦那様への忠誠に懸けて誓いましょう』
『ありがとう。さて、この中にハロルド君が使用人を殺した、という話を知っている者はいるかい?』
『聞き及んでおります』
間諜の役割も担う彼らの耳にもハロルドの悪行は届いている。使用人を殺害したというのはその中でも最たるものだ。
それが大きな要因として婚約反対に繋がっている。
『実のところ彼は使用人を殺してなどいない。ハロルド君の両親に殺されそうになった使用人を庇うため、人殺しという咎を背負ってまで救ったんだ。ハロルド君から受けた無償の資金提供のおかげもあってその使用人と娘は今も平穏に暮らしている』
タスクが打ち明けたのは、にわかには信じ難い内容の話だった。
ハロルドが使用人を殺したとされているのは3年前、彼がまだ10歳だった時だ。そんな年端のいかぬ子どもがそれだけのことを成せるのだろうか。
『それが事実ならなぜ伏せているのです?公にすれば婚約反対派を黙らせることもできるでしょう』
『ハロルド君がそれを望んでいない。救い出した彼女達の安全を最優先し、敢えて“殺した”と喧伝したんだ。自身への称賛や名声なんて二の次なんだよ、あの子は』
だからタスクはその意を汲んで墓場まで持っていくと決めていたのだろう。
たった10歳の少年がそう決断したのだ。それを思うと胸が詰まる。
何も知らない者達から蔑まれることがどれだけ辛かったことだろうか。それでも彼は自らの決断を貫き通してきたのだ。
『……それにね、瘴気への抗体薬やLP農法を開発・提供してくれたのもハロルド君なんだ』
『真ですか?』
これには全員が驚愕せざるをえなかった。
タスクの突然の大号令により、指定された材料を揃えて製造されたと思っていた抗体薬。あれでどれだけの民が救われたのかは知っている。
画期的な手法で開発されたLP農法。それによってスメラギ領の経済回復に多大な影響がもたらされたことは誰もが理解している。
スメラギ領の民衆は口々にタスクを褒め称えた。さすが私達の領主様だ、と。
そこにハロルド・ストークスの名前など影も形もない。全てはタスクの手柄によるものだとされている。
『ああ。それでも彼は自らの名を表に出そうとはしない。自分が開発者だと両親に知られて利権を搾取されることを防ぐために。そうなっては助けられる人々が減ると考えたのかもしれない』
本来なら自身が浴びる称賛など切って捨て、謂れのない汚名を被ってもそれをそそごうともしない。
ひたすらに誰かを守るために、救うために、己を殺し続けている。それがハロルド・ストークスという少年の本質なのかもしれない。
『今回の情報を掴んだのもハロルド君だ。それだけでも危険な橋を渡っただろうに、私へ依頼したのが“サリアン帝国の軍服を用意してくれ”ということだけだ。あとは自分で片を付ける、と』
『……』
タスクがハロルドに肩入れする理由を、彼らも理解できた。
言うなればハロルドはスメラギ家、そしてスメラギ領の救世主だ。返しきれない恩がある。
その少年が、今度は国内紛争を防ぐためにたった一人で戦場に向かおうとしていた。
『ハロルド君は孤独であることに慣れてしまっている。他人に頼るのが苦手で、不器用な少年なんだ。確かに口は悪いし傲慢な態度を見せるが、本当は誰よりも優しい。私はそんなあの子をどうしても守りたい』
まるで実の子へ向けるようなタスクの想い。
ならばそれを叶えることこそ、自分達の役目である。タスクという男に、そしてこのスメラギの地に、彼らもまた多大なる恩義を感じているのだから。
『委細承知致しました』
一糸乱れぬ動きで全員が頭を垂れる。
今回の重大な危険を伴う任務に異を唱えるものは、誰一人としていなかった。
◇
騎士団の甲冑を脱ぎ捨ててサリアン帝国の軍服姿となったハロルドは、生い茂った木々の合間を縫うように疾走する。悪路とすら呼べない道なき道を高速で移動していく。
それを追走する黒装束達。全力ではないとはいえハロルドのスピードについてこれるのはさすがである。
(さっきので少しでも士気が上がってくれればいいけど……)
そんな彼らを尻目に、ハロルドはそんなことを考えていた。
この期に及んで甘いという自覚はある。それでも可能な限り彼らにも死んでほしくはないのだ。
まあ攻撃を受ける可能性でいえば断然ハロルドの方が高いのだが。
ここに来るまでの間にもたらされた情報を頭の中で整理する。
サリアン帝国の軍隊はおよそ150人とのことだ。内、騎士団と交戦しているのが100人程度。残りの50人が星詠族への攻撃を行っている。
人数は事前にもたらされていた情報の5倍にも登るが、予想していたよりも大分少ない、というのが率直な感想だった。今回派遣された騎士団員は総勢で200人を超えているのだ。数的不利は免れない。
だがここは仮にも王国の領土内だ。秘密裏に大量の軍隊が侵入するのは困難だったのだろう。
そう考えればむしろよくそれだけの数が侵入できたと言えるかもしれない。
さらに森の中で哨戒任務にあたっている騎士の数は120人ほどであるし、その上で15人前後のチームに分かれて行動している。それらが各個誘導されているとなれば探索の陣形が相手に筒抜になっている恐れもある。
だとしたら多少数で劣っていたとしてもその不利は覆るだろう。奇襲ならばなおのことだ。
それにロビンソン達が戦死するという原作の流れから騎士団が壊滅するものだと思い込んでいたが、黒幕のユストュスからすれば星詠族を捕らえることと、“星詠族が騎士団に攻撃を仕掛けた”という既成事実さえ作れれば充分なのだ。
騎士団を壊滅させる必要性は低い。
ハロルドが睨んだ通りならロビンソン達は運が悪かったのだろう。シナリオ的に死ぬ必要があった、というだけのことかもしれないが。
ならば後援組が到着する前に決着をつけることが理想だが、まあまず無理だろう。
そこは戦線復帰してくるコーディーに頑張ってもらうしかない。
「……近いな」
ハロルドの耳に怒号と悲鳴が届き始めた。足を進めるごとにそれが大きく、はっきりと聞こえるようになる。
まずは一組目のチームに追いついた。
「各自散開。俺が矢面に立つ間に周囲を探れ」
「はっ!」
了解を示す言葉を残して黒装束達の姿が深い森の中に消えていく。隠密性能でいえばハロルドなど遥かに凌ぐ集団だ。
ハロルドが敵も味方も引きつていればそれを最大限に活かせるだろう。
顔の下半分、口元と鼻を覆う革製のマスクを装着した。正体がバレれば後々面倒事に発展するのは目に見えている。
顔を全て隠せる仮面にしようかとも思ったが、視界が狭まり回避に支障をきたす恐れがあったので断念した。
息を吸い込み、さらに力強く地面を蹴って速度を増す。
わざと己の存在を誇示するため、ハロルドは上空へ向けて魔法を放った。バリバリと轟音を立てながら雷が木々を切り裂くように青空へと吸い込まれていく。
突然の雷撃に意識を奪われた名前も知らぬ同僚達の前に姿を晒した。
そこにいたのは騎士団の人間だけだった。サリアン軍の兵士達は姿を隠し、遠距離の攻撃を浴びせているのだろう。
これも数的不利をなくすための手段なのかもしれない。
「な、なんだ!?」
「おい、あれ!」
騎士の一人がとある場所を指差して大きな声を上げる。その視線の先には枝の上に仁王立ちし、騎士団を見下ろすハロルドがいた。
これ見よがしに剣を抜くと、騎士団員達の警戒心が高まる。
だが、まだ足りない。これだけでは敵がサリアン帝国だという意識を決定付けられない。
故にハロルドは剣を突けつけ、悪役感を醸し出しながら告げる。
「喜べ、リーベル王国の騎士よ。貴様らには帝国の栄華のための礎となってもらう」
「帝国の栄華、だと……まさか戦争でも起こす気なのか!?」
(えっ、そういう解釈になっちゃうの?)
今のハロルドはサリアン帝国の軍服に身を包んでいる。そして宣った口上も領土拡大のための侵略戦争を示唆しているように聞こえなくもない。
その上で騎士団と星詠族への攻撃がサリアン帝国の仕業だという真実を白日の下に晒せばどうなるか。
冷静に考えてみれば当たり前のことだった。下手をすればリーベル王国とサリアン帝国の間に戦火を灯すきっかけになり得るだろう。
今さらそんな可能性に思い至り、嫌な汗が流れる。
だがここまで来て引くことなどできない。
それにサリアン帝国を唆したのは他ならぬユストュスだ。一連の出来事が露見すれば、ユストュスが関与していることまでも暴かれる危険がある。
あの天才が自分にまで飛び火する可能性を残しておくとは思えない。恐らく裏でサリアン帝国が糸を引いていたことが王国側にバレても大事にならないように対応策は用意しているはずだ。
だから大丈夫、とハロルドは自身を鼓舞する。
「これから死にゆく貴様らが知る必要はない。総員、構え」
いかにも指揮官のように、潜んでいるだろうサリアン軍に指示を出す……ふりをした。
サリアン軍からしてもハロルドの存在は謎だろう。突如として現れたイレギュラーだ。
しかし見るからに帝国軍人であり、騎士団への攻撃を開始しようとしている。明らかに敵対関係だ。
さらに左胸で輝く勲章を見れば階級は少尉。無視をすれば命令違反になる。
潜んでいる彼らがそう考えてくれればハロルドの勝ちだ。
「攻撃開始!」
そしてハロルドは、見事に勝利を掴んだ。
号令を発した直後、周囲から一斉に弓矢が飛来する。サリアン軍がハロルドの命令を実行した。
騎士達はそれぞれ弓矢を捌き、回避する。幸い、彼らの中にはまだ死者や重傷者は出ていない。
そしてこれで潜んでいるサリアン軍兵士の位置が割れた。
あとは黒装束達が作戦通りにサリアン兵士を捕らえるだけである。
(頼むから1秒でも早く終わらせて!マジで!)
時間を稼ぐため適度に距離を保ち、当たらないように細心の注意を払って魔法を放ちながら、ハロルドは心の中でそう懇願するのだった。