36話
試験を終えて王都に帰還したハロルドは、合否の報せを待つ間これまで通りの雑務と訓練に勤しむ日々を送りながら、どうすればユストゥスと接触できるかについて頭を悩ませていた。
王都にはユストゥスの研究所があるし、ゲーム内でも王城まで足を運んでいた。接触する機会を作ろうと思えば作れるだろう。
しかし警戒されずに、という条件を付け加えると難易度は跳ね上がる。ユストゥスの計画は極秘裏なものであり、その過程に誰かを組み込んで利用することはあっても核となる部分は個人で行っているはずだ。
何よりハロルドはそんな極秘計画の全容を把握してしまっている。天才を相手にして言動からその事実を見抜かれる危険もある。
そうなればあらゆる手段を駆使してハロルドの口を封じようとしてくるかもしない。
「ハ……」
ならばいっそ不意を突いて捕まえればいいか、というとそれもリスクが高い。
最たる懸念は大地侵食の度合いである。仮にユストゥスを捕縛できたとしても大地侵食が進行していれば、現段階だと彼でなければ止められないだろう。
「……ルド」
だがユストゥスが自ら計画を中止することは絶対にあり得ない。たとえ自分の命を投げ出してでもユストゥスは願望を成就させようとする。
加えて“あの力”を覚醒されてしまえば一人で倒せるとも思えない。
下手をすればライナー達の活躍を待たずして大陸が崩壊してしまうことも考えられる。
そもそもユストゥスを捕まえるに足る証拠もないのだ。フィンセントらに計画の全貌を打ち明けても突拍子がなさすぎてまともに取り合ってもらえないことは想像に難くない。
まさかユストゥスが世界を願望器に作り替えて死者を蘇らせようとしている、などという与太話を誰が信じるというのか。
「ハロル――」
「黙れ」
先ほどから繰り返されている自身への呼びかけを遮る。こうもしつこく名前を呼ばれては無視をするにも限界があった。
剣を振るっていた腕を止めて渋々と声の主、シドへと向き直る。
「なんだ、気付いてたのか」
さも意外そうにシドはそんなことを言う。
生憎と人っ子一人いない物陰で訓練しているのだから、誰か来ればすぐに分かる。以前は馬屋らしきものだった廃屋と茂みの陰になって薄暗いという、ぼっちになるにはベストスポット。
なぜこんな場所で訓練しているのかといえば、最近は訓練場でも絡まれるようになったからだ。訓練と称して公然と痛めつけられるとでも考えたのだろう。
最悪ここでなら絡まれても周囲の迷惑にならないだろうと判断したのである。
「当然だろう。聞き流していただけだ」
「そっちの方がひどいだろ」
全くもってその通りである。とはいえ取り繕うことすらできない口なのだから諦めるしかない。
ハロルドはシドの突っ込みをスルーして話を続けた。
「で、なんの用だ?」
水を向けられたシドはバッと勢いよく頭を下げた。腰を直角に折り曲げた深い礼である。
そんないきなりの行動に内心で面食らうハロルドへ、シドはこう申し出た。
「頼む、俺達に稽古をつけてくれ!」
ハロルドはしばし言葉を失う。
確かにまだ一人前とはいえないシドだが、それでも3年間騎士として厳しい訓練に耐えて実力を磨いてきている。そんな彼が新入り、それも6歳も年下のハロルドにそう願い出たのだ。
願い出された当人としてはかなり予想外である。
「目障りだ、顔を上げろ。そもそも“俺達”というのは誰を指している?」
「俺とロビンとアイリーンだ」
やはりというべきか、申し出はいつもの三人組らしい。
それを聞いてハロルドは隠しもせずため息を吐いた。そこに込められているのは“コイツらもか”という思いだった。
「その二人はどこに行った?」
「街の巡回中だ。だから俺一人で頼みに来たがこれは俺達の総意だ」
そうまでして手解きを求められても困惑するしかない。恐らくハロルドでは彼らに教えられる技術はないからだ。
騎士団員としての基礎は言うまでもなくシド達に一日の長があるし、逆にハロルドとしてはそんなに頼られても困惑するばかりだ。
ゲームでの動きを再現しようとしているだけで確かな技術論もあるわけがなく、そんな状態で何を教えろと言うのか。
というのがハロルドの偽りない心境である。だがシド達が強くなれるように手段を講じるのもメリットがないわけではない。
シド、ロビンソン、アイリーンの三人は2年後の戦闘で命を落とす可能性がある。そしてハロルドは原作の破壊を覚悟で彼らを助けるかどうかをまだ決めかねていた。そもそもハロルドの行動でどうにかできるイベントかも分かっていないのだ。
シド達と出会ってもう1ヶ月以上になる。なにかと親睦を深める機会も多く、できることなら彼らには死んでほしくない。
いざ助ける覚悟が決まった時にはすでに手遅れ、という状況にならないためにも彼らを強化しておいても無駄にはならないはずだ。
「……いいだろう。明日、他の二人もここに連れてこい」
「おお、ありがとよ!」
少々悩んだ末、ハロルドはこの件を受諾することにした。将来どう転んでも事態を対処する時の助けにはなるはずだ。
それに他にも思惑がある。シド達を利用しても罰は当たらないだろう。
そんな打算にまみれた返答をした翌日。
うら寂れ、薄暗い空間に八人という中々の大所帯が集っていた。その内訳はシド達三人と、ハロルドを含めた94期生第7班の五人である。
シド達とアイザック達に面識はなく微妙な空気になっているが、ハロルドはそんなものを無視して話を切り出した。
「では始めるぞ」
前置きや説明もなく、いきなりそんな言葉がまろび出た。これには七人がそれぞれ顔を見合わせて戸惑う。
「始めるってまずは何をするんだ?」
「剣を抜け。全員で俺にかかってこい」
「はぁ!?いくらなんでも舐めすぎでしょ!」
声の主は唯一の女性であるアイリーンだった。まるで乙女らしくない声ではあったが。
思わずそんな反応になる気持ちは分かるが、いちいち理由を説明する口はついていないのである。何より色々と分からせるにはとにかく一度、実際に戦うのが手っ取り早い。
「口答えするな」
どういう変換が行われたのか、説明できないもどかしさが怒気となって表れる。すると全員の顔が一気に青くなった。
多少凄んだだけでこうなるほど怖いのか、と我ながら疑問に感じる。もしそうならば普段から人が寄りつかないのも納得というものだ。
先輩に絡まれているだけでも面倒な人間が威圧感まで放っていては、常識人なら避けて通るのは当然だろう。
「雑魚は雑魚らしく徒党を組んでかかってこい。それでも届かない存在だということを教えてやる」
己のぼっちを噛み締めながら今度は挑発する。この1対多数こそハロルドが望んだ状況だ。
今までも一人で複数のモンスターを相手取ったことはあるが、複数人の人間と同時に戦ったことはない。後々のために多人数との戦闘経験を積んでおきたかった。
何せいずれは主人公パーティーを一人で相手にしなければならない可能性もあるのだ。
「貴様らを俺の踏み台として利用してやる。強くなりたければ俺との戦いから学んで、盗んでみせろ。まあ不可能だと思うがな」
だめ押しとばかりにせせら笑う。
「……上等だぜ」
シドが威嚇するようにハロルドを睨み、剣を抜いた。それに追従するように全員が臨戦態勢に入る。
何だかんだと言っても騎士団に集っているのは優秀な人種なのだ。ここまで虚仮にされて頭にこないような人間はいないのだ。
「それでいい。精々足掻いて俺を楽しませてみろ」
そのセリフをきっかけにして、八人が入り乱れる乱戦が開始された。
◇
「――報告は以上となります」
サクリスが特例的に行われた今回の最終試験の報告を終える。
それを受けて試験の合否を判断するために集まった者が各々の所感を口にする。たった今なされた報告の内容に少なからず驚いているのだろう。
ハロルドの高い実力と未知のモンスターらしき存在についてがほとんどだ。中には報告内容に懐疑的な見方を示す者もいる。
そんな彼らを前にしてフィンセントは口火を切った。
「各人思うところはあるでしょうがお聞き頂いた通り、ハロルドは年齢こそ幼いですが実力だけなら中隊長クラスを凌駕しております。また指揮能力にも非凡なものが見られますので、早くから正式に部隊へ配属し実戦経験を培うことでより彼の力を伸ばすことが可能でしょう」
「フィンセント君の考えは理解した。私としてもその教育プランは合理的だと思う」
そう返したのは聖王騎士団の部隊編成を司るミルストラムだ。目を細めると、年期を感じさせる深く刻まれた目元の皺が歪む。
射抜くような鋭いものではないが、それでも圧迫する空気をまといながらミルストラムはフィンセントに問う。
「だが一方で些か性急に過ぎぬかとも感じる。話に聞くハロルドの性質からして周囲との関係に波風を立てるのは間違いない。まだ若いのだし時間をかけてその辺りを教え込んでからでも遅くはないのではないか?」
「仰ることはごもっともです。そしてそういった矯正にうってつけの部隊があるため今回の提案に至った次第」
「聞かせてもらおうか」
「はっ。ミルストラム殿はご存じないことかと思いますが……」
フィンセントは今ハロルドを取り巻いている状況を説明する。
ハロルドが入団試験と称された一騎討ちで先輩を次々圧倒したこと。それにより一部から恨みを買い、執拗に暴行を加えられそうになっていること。
そのせいでハロルドを遠ざける人間が多く孤立していること。こんな状態では周囲との関わり合いになるのも難しいだろうということ。
「……なるほど。ハロルドに悪感情を抱いていない部隊に早々と組み込ませる、ということか。それならば部隊の中だけでも信頼関係が築けるやもしれぬな」
「はい。そして私が推薦するコーディーは人身掌握に長けた男です。特に下の者との関係性を築くには彼以上の人間はおりません。何よりハロルドを勧誘したのもコーディーであり、隊の者達とも面識があるようで談笑している姿もみられています」
多少盛っている。シャノンから伝え聞いた話では基本的にしかめっ面のハロルドにシドがしつこく絡み、それをロビンソンやアイリーンが呆れたり苦笑しながら見守っているという構図らしい。
それでもハロルドが邪険にするような態度はみせていないとのことで、彼も多少なりとも心を開いているのだろう。
「それにしても嘆かわしいことだ。ハロルドの言動にも非はあるが、己の力不足を棚に上げる不届き者が騎士団にも居ようとは」
「不徳の致すところです。彼に暴行を加えようとした者は判明し次第適正な処罰を与える所存。また、ハロルドへの暴行を教唆扇動している者もいるとのことでこちらも確認中です」
「君が動いているならば口を挟むことはせん。して、話を戻すが部隊への配属は経験を積ませつつ、人格矯正と周囲からの反感を遮る風避けも兼ねて、ということで相違ないな?」
「はい。感心されたことではないのを承知で申し上げますが、ハロルドの才を潰さないための措置と考えていただいて構いません」
彼の一言にその場にいた人間が一斉にざわつく。職務において公明正大と名高い、誰に対しても平等な判断を下す彼が公然と、ハロルドを特別扱いすると口にしたのだ。
そして理解する。ハロルドという少年は彼がそこまで肩入れするほど、稀代の才能を有しているの存在なのだと。
「……フィンセント君がそこまで惚れ込んだ才能か。ならばもう言うことはない。正式な部隊への入隊を承認しよう」
「ご理解いただきありがとうございます」
ミルストラムの判断に異議を唱える人間はいなかった。ハロルドのコーディー隊への加入が正式に決定された。
ここまではフィンセントの狙い通りではあったが、最後の最後で想定していなかった横槍が入ることになった。
ガチャリ、と会議室の扉が開かれる。会釈もなく「失礼するぞ」とだけ声をかけて現れたのは腹の突き出た中年の男だった。
「突然すまないね君達。だが何やら期待できる新人が入ったそうじゃないか」
「ええ、喜ばしいことに。ところでハリソン殿はどのようなご用件で?」
「その子の処遇を決めているというから興味があってね。水をさす気はなかったんだが渡りに舟の話があったものでついお邪魔してしまったよ」
誰に断りを入れることなく空席についはハリソンは、腹をさすりながら何が面白いのかはっはっはっと笑い声を上げた。
なんとも横柄な態度である。
「具体的に説明していただけますか?」
「哨戒任務の一種だ。緊急性や危険性の高いものではないんだが場所だけは遠くてな。国境沿いまで行かなければならん」
「それはまた難儀ですな」
「しかし国境付近であれば通常の哨戒任務にあたっている者がいるはずですが?」
王都の本部だけでは迅速に対応できないため国内にはいくつか騎士団の支部が設立されている。有事の際には一丸となって動くことになっているが、支部だけで対処可能な案件は基本的にそちらで解決し、事後報告で本部まで情報が上がってくるという仕組みだ。
国境近辺の哨戒任務は支部の通常業務のはずである。
「その彼らから応援を求める報せが届いてなぁ。最近ベルティスの森が騒がしいようで、本腰を入れた調査したいのだが人員が足りんのだそうだ」
「私のところにそのような報告は届いていないのですが……?」
「なに、本当かね?どこかで行き違いがあったのやもしれんな」
腕を組み、小首を傾げるハリソン。
どこか白々しくも見えるが、それよりもハリソンのセリフに聞き逃せない単語が入っていた。
「ところでベルティスの森といえば星詠み《ステラ》族が住まう土地。容易には立ち入れますまい」
星詠族。星の民とも呼ばれる大陸最古の民族。
過去には大陸全土を支配していた星の民も、隆盛を極めながら長い年月の間に繰り返された権力闘争を経て数を減らしていった。今はごくわずかに生き延びた子孫達が狭く閉鎖的なコミュニティで生きる謎多き民族だ。
そのような経緯があったが故か他民族の干渉を極端に嫌う。
ベルティスの森を調査するとなれば相当強く反発されるだろう。無理に押し通そうとすれば戦闘に発展する危険もある。
ミルストラムが懸念した問いかけに、またもやハリソンは得意そうに腹を揺らしながら答えた。
「そこは現在交渉中だ。まあ彼らの生活圏に侵入するわけではないし、事前に話をつけておけば問題はない。ここで本題だが、その哨戒任務に例の新人を同行させてはどうかと思ってね」
「……理由をお伺いしても?」
「いくら優秀とはいえいきなり実戦へ投入するのはリスクが大きいだろう?説明したように今回の哨戒任務は危険性が低い。長期の調査となれば他の隊員と接する時間も長くなるし初めて参加するには適した任務ではないかな?」
確かにハリソンの言は理に適っている。フィンセントとしてもハロルドを最初から戦闘が求められる任務に駆り出そうとは思っていなかった。
その上で早くから任務にあたらせたかったのは事実だ。そんなフィンセントの思惑を見透かして、ハリソンはこの提案を“渡りに舟”と称したのだろう。
気がかりなのは、なぜハリソンがここまで協力的なのかということだ。
彼の役職は統括長というもので騎士団と国軍の両方をまとめ上げる、いわばこの国の軍事力をコントロールしている人間である。
しかしながら騎士団と国軍はそりが合わない。その最たる原因は騎士団が国軍より上、という認識が一般に広まっているからだ。
本来なら騎士団と国軍に上下はなく組織としては対等だ。ではなぜそんな認識が広まっているかといえば、活躍する機会の差によるところが大きい。
騎士団は様々な事態に対して能動的に動けるのだが、国軍は防衛任務がメインになるため受動的であり、そもそもとして大々的な任務が少ない。
派手な活躍も多い騎士団は花形職、国軍は地味というイメージが根付いてしまったのだ。
実際に騎士団を目指し、試験に落ちた者が国軍に入ることが非常に多い。彼らもまた国軍よりも騎士団の方が上だと認識しているからだ。
そんな風潮に晒されながら、ハリソンは国軍所属から統括長まで登り詰め経歴を持つ。彼は国軍に所属していた時から事あるごとに騎士団に対抗意識を燃やしていた。逸話として“騎士団に入団できなかった恨みを力に変えてのし上がった”とも語られている。
彼の本音は彼にしか分からないことではあるが、これまでの言動を鑑みてもそれは騎士団を目の敵にしている節は随所に見られる。
言い方はよろしくないが不審だ。こうも協力的になられては疑念のひとつやふたつ頭をよぎる。
それほどまでにハリソンらしくない出来事だった。
「……そうですね。検討しておきましょう」
ハリソンの意図が読めず、しかしその話を断る積極的な理由もなかったため、フィンセントはひとまずそう答える。それを聞くとハリソンは「君達の力になれたようで何よりだ」と言い残して会議室を後にした。
そして数ヵ月後、その哨戒任務の参加名簿にハロルドの名前が刻まれることになる。




