35話
ハンマートレントと遭遇した以外は大型モンスターと出くわすこともなく、特にこれといった問題も起きないまま野外演習は滞りなく消化されていく。
最終試験の大部分はモンスターとの戦闘だ。そして戦うモンスターは新兵に必要な実力を考慮して事前に決められている。
メインは単独での撃破が可能な小型から連携を用いて倒す中型までのモンスターだ。
しかし都合よく狙ったモンスターとエンカウントできるわけもなく、そういった場合は棲息域で数日間張り込むことも珍しくない。その中で戦闘能力だけでなく体力や忍耐力、仲間との連携能力が見極められる。
今回は特例で最終試験に臨むのはハロルドのみなので進捗率はかなり順調ではあるが、それでも待機ないしは索敵に時間を取られるのはやむを得ないことであった。
結局、最終試験の全行程が終了したのは試験開始から3日後。最後にバジリスクを倒した時には日も暮れかけていた。
ハロルド達が川沿いで夜営の準備を整えている最中、サクリスはこの3日間の出来事を振り返る。
急遽として組まれた基礎訓練課程の最終試験、その唯一の参加者は話題の少年・ハロルドだった。
13歳という年齢もだが、何より驚かされたはハンマートレントとの戦闘である。あのような大型のモンスターを新兵だけで倒すとするなら最低でも四人以上で組まなければ難しい。
だからこそサクリスは小隊長のルーカスとセリムをサポートにつけたのだが、ハロルドは二人の力を借りることなくあっさりとハンマートレントを倒してしまった。
断言するが、たとえサクリスでもあれだけの速さでハンマートレントを屠ることは不可能だ。
異常なまでの戦闘能力。騎士団の歴史に名を刻むことになる逸材がどういうものなのか思い知らされた。
ハロルドの年齢であれだけの強さを手にしたのなら増長するのもある種当然のことなのかもしれない。自信に溢れ、刺々しく、人を見下すような言葉はそれが原因なのか、とサクリスはそう思った。
だがそれは、裏を返せば身勝手な単独行動に繋がる。ハロルドのように強さに自信を持つ者ほど仲間との連携を軽視する傾向にあるからだ。
どれだけ強くても一人でできることには限界がある。そこを理解できなければ易々と合格にはできない――などと息巻いたのはわずかの間だけだった。
いざコーディー隊との連携が必要な場面になればハロルドはそつなくこなしてみせた。
最初は互いの息が合っていないところもあったが、数を重ねていく毎にその部分も改善されていく。3日目にもなれば安定したコンビネーションを披露するまでに至った。
そしてそれはハロルドの方からコーディー隊の面々に合わせたからこそ可能なものである。
個人の実力だけで言えばロビンソン達よりもハロルドの方が上だ。彼らがハロルドの技量に合わせようとすればお荷物にしかならない。
ハロルドが自身の力を抑えたことでスムーズな連携を取れるようになったのだ。
終始毒舌ではあるものの、仲間の強みを活かし短所を消そうとする立ち回り。突出した実力を持ち他者を低く見ているにも関わらず、そんな相手を尊重し活用する能力にも長けている。
なんとも言動が噛み合わない少年だ。
本当に仲間を取るに足らない存在だと見下していたならここまで見事な連携は取れないだろう。
そう思う反面、本心はどうであれそれだけのことが可能なほどハロルドの実力が高いのでは、とも考えてしまう。
試験を通してハロルドの本質を見定めることはできなかった。かといって間違っても不合格など言い渡せないほどの結果を残している。
ただ、判然としない違和感をサクリスは覚えていた。
そんな引っかかりを抱えながらも試験は終了し、翌朝には王都へ帰還するために移動を開始した。早朝の6時に出立し、何事もなければ今日中には到着できるだろう。
行きと同じように隊列を組み、途中で昼食を挟みながら滞ることもなく歩みを進めていく。
やがて王都までの道のりも半ばを過ぎた頃、それは起きた。
「何だあれは?」
最初に気付き、声を上げたのはルーカスだった。その声に全員が前方を注視する。
サクリス達から数百メートル離れた先に、ポツリと赤黒い何かが蠢いていた。
「……煙か?いや、それにしては色や動きが普通じゃない」
「なんかモヤモヤしてますけど」
「もしかして新種のモンスターとか?」
それぞれが憶測で物を言うが正体が判明するわけもない。進路上に存在するのでひとまず近寄って確認してみることにしたが、その中でハロルドの顔がいつもより険しくなっていた。
それを感知したのはサクリスと、もう一人。
「ハロルド君、あれが何か分かるかい?」
コーディーが小声でそう尋ねる。聞こえていたのはハロルドとサクリスのみだろう。
「さあな。だが、あれに対して何も感じないなら貴様らは相当焼きが回っている」
問われたハロルドは赤黒い何かから視線を逸らさずにそう答えた。彼がなぜそこまであれに危険を感じているのか分からなかった。
しかしハロルドの勘が的中していたことをすぐに知ることになる。
近付いてはっきりしたが、赤黒いそれは霧状のものだった。形状は円柱に近く、まるで地面からジワジワと湧き上がっては150センチほどの高さまで昇ると霧散していく。
ただし、それ以外は何一つこの赤黒い霧の正体に迫る手がかりは得られない。
「なんか埋ってんのか?」
シドが膝を折って屈もうとした瞬間、霧が大きく揺らめいた。その一部が意思を持ったように変形する。
それと同時にハロルドの鋭い声が飛んだ。
「下がれ!」
「え?うおっ!」
形作られた鋭利な鎌が鞭のようにしなってシドを襲う。
突然のことに対応できないシドの襟首を引いて攻撃を回避させたのは、叫びながら飛び出していたハロルドだった。
まさに間一髪。ほんの一瞬でも遅れていればシドの首を霧の鎌が切り裂いていただろう。
霧の鎌に切られたらしい前髪がハラハラと散っていた。
何が起きたかを理解したシドは些か顔を青くしながらハロルドに礼を述べる。
「た、助かったぜ……ありがとよハロルド」
「そんなことはどうでもいいからさっさと立てノロマ」
今まさに命を落としかけた人間に対してなんとも厳しい物言いだが、それだけ事態は逼迫していた。
なぜならばいつの間にか赤黒い霧がいくつも出現していたからである。
「囲まれた!」
「何なんだこれは?」
サクリス達を取り囲むように現れた霧状の何か。新しく現れたものも合わせ6本の霧が、一様に鎌を形成して円を描くように動き始める。
現実離れした異様な光景に誰もがたたらを踏む。
そんな気味の悪い光景を前にしても揺るがない者が一人。
ハロルドは一呼吸の間を空けてから臆することなく霧へ攻撃を仕掛けた。試験の最中には見せなかった速力。
まだまだ底がしれない実力に驚愕するが、そんな間にハロルドは目にも止まらぬスピードを駆使して敵を切り刻む。
攻撃を受けた霧は霧散したかのように見えた……が、すぐにまた元通りになる。それを幾度か繰り返すと、ハロルドはこちらへ引き返してきた。
「物理的な攻撃は効かないな。刃を合わせても剣がすり抜けた。防御もできないだろう」
「その上あちらの攻撃は有効というわけか……」
シドの髪が切られたのをみてもそれは間違いない。
相手に攻撃は通じず、防ぐことのできない攻撃に晒される。
「そ、そんなの勝てるわけない……」
「逃げた方がいいんじゃないですか!?」
不測の事態に陥る経験が浅いロビンソンとアイリーンは取り乱している。シドも恐怖から立ち直りきれてはいない。
こんな状態では戦闘など無理だ。一旦下がらせようとしたところで、そんな彼らをハロルドがピシャリと諌める。
「狼狽える暇があるなら頭を回せ。死にたくないなら剣を構えろ。『ボルトランス』」
バリバリと空気をつんざくような音と共に放たれた巨大な雷の槍。相手を殺すには十二分な威力を誇るだろうその槍が霧のひとつに直撃する。
それにより霧は散り散りとなるが、またもやすぐに元の状態へと戻る。だかハロルドはそんなことなどお構いなしに魔法を連続で放つ。
「『フレイムカラム』『アクアスラッシュ』」
その効果はすぐに表れた。フレイムカラムに飲み込まれた霧は何事もなく元の形を取り戻すが、アクアスラッシュを受けたものは霧散し、そのまま空中に漂うように消えていった。
「水属性の魔法は効果ありか?」
霧に向けてアクアスラッシュを連発するハロルド。すべて直撃したがそれによって消失したのは1本のみ。
他の4本は健在だった。これから導き出される答えは――。
「特定属性の魔法のみ効果的、ということか」
「個体によって有効な属性が違うっていうのは面倒だねぇ」
「貴様らは木偶の坊か?文句を言う前に片っ端から魔法を叩き込め」
「それはごもっとも」
ハロルド、コーディー、サクリスの三人で魔法の一斉射撃を見舞う。
雷が降り注ぎ、炎が逆巻き、風が吹き荒れる。緑が映えていた草原は見る間に焦土と化していった。
赤黒い霧を全て消し去り、なんとか危機を脱したサクリスは安堵する間もなく周囲を警戒して安全を確認する。
どうやら増援はないようだ、と落ち着きを取り戻した。
「怪我をした者はいないか?」
「だ、大丈夫です……」
全員が無傷だった。そのことに胸を撫で下ろすサクリスだが、それもハロルドが瞬時に判断し、状況を打破する糸口を掴んでくれたおかげである。
仮に自分の指揮であれほど迅速かつ的確に、そして負傷者を出さずに切り抜けることができただろうか。
難しい、と言わざるを得ない。少なくともシドの致命傷は避けられなかった。
ハロルドが言っていた通りだ。
『あれに対して何も感じないなら貴様らは相当焼きが回っている』
そう警告されていたのにも関わらず不用意に近付くことを止めなかったのは、この隊の隊長を任されている自分の落ち度なのは間違いない。みすみす一人の命を失わせてしまうところだった。
サクリスはハロルドに頭を下げる。
「ありがとうストークス君。そしてすまない。今の窮地は私の判断ミスが原因だ」
「この程度を窮地に数えるな。だが同じ間違いは犯すなよ」
これではどちらが上の立場の人間か分かったものではない。それでもサクリスはその言葉を胸に刻みつけながら、決意を滲ませてこう返答した。
「肝に命じておこう。絶対に」
◇
サクリスの感謝はハロルドの耳に届いていなかった。ただ機械的に返答するしかないほどに動揺していたからだ。
遠目でもしやと勘付き、いざ本物だと理解した時の素直なハロルドの心境は「なんでコイツがいるんだよ!?」である。
赤黒い霧、原作での正式名称はイアリークラウド。物理攻撃無効、ランダムで定められた魔法でなければダメージが通らないという敵だ。
攻撃力も体力も耐久力も特筆する部分はないが、厄介なのはイアリークラウドの攻撃は防御不可という点である。とにかく回避して魔法をぶち込むしかない。
そんなわけでコーディー達の前で一通り解説しながら戦ったのだ。
ゲームであれば『サーチグラス』という敵の体力や弱点を見極められるアイテムがあるのだが、どういうわけかこの世界ではそれが存在しない。
何から何までゲームと同じなどという考えはとうの昔に捨てているが、その一助になったのがサーチグラスの消失である。
しかし重要なのはそんなことではない。
イアリークラウドというのはストーリー進行と密接な関係にあるモンスターで、本来ならゲームの中盤から終盤に差しかかる辺りで登場し出すものだ。
よりはっきり言うならばラスボスであるユストゥスが大地侵食と呼称していた計画が着々と進んでいる証明でもある。
それが原作開始の5年前である今の段階で現れたのだ。どう考えても早すぎる。
ゲームの演出としてストーリーを一定のところまで消化しないと登場できなかっただけで、実は最初から存在したという可能性もなくはない。
だが最悪を想定するならば、原作よりもユストゥスの計画が早まっていることも考えられる。そうなれば原作イベントの前倒しが起きるし、ハロルドの知らない展開になってしまうだろう。
何から何までゲームと同じではない。そう考えていたにも関わらず、なぜゲームの通りにストーリーが進むと慢心していたのか。
スメラギ領での抗体薬の普及に、自身の騎士団への入団。
それらも言ってしまえば原作の前倒しだ。原作の進行が早まるリスクを軽んじていたハロルドの致命的な油断。
(待て待て落ち着け。まだそうと決まったわけじゃない……)
静かに呼吸を整えてなんとか冷静さを保つ。
今の考えはあくまで最悪の想定だ。必ずしもストーリーが早まっているとは限らない。
だがそれを確かめる必要はある。
ユストゥス・フロイント。
表向きは天才と謳われる科学者。しかしその本質は、自らの野望を叶えるために世界の滅亡を許容した狂人。
そして原作ハロルドを死に導いた張本人でもある。
原作を踏襲するなら接触しなければならないが、どうにかして避けられないかと勘案していたほどの危険人物。
その相手に自ら接近しなければ情報は得られないだろう。気付いた時には手遅れでした、なんて展開にさせないためにもリスクを負わなければならない。
こうして新たな、そして特大の不安要素が芽吹きつつ、ハロルドの最終試験は幕を下ろしたのだった。