25話
「ふわぁ~あ、なんでこんな時間から見回りなんぞしなきゃならんのかねぇ」
聖王騎士団を示す黒曜石を模した黒い翼と銀色の剣というエンブレムが刻まれた甲冑を身にまとう20代後半の男が、大口をあけて欠伸をしながら気怠げにそんな言葉を漏らした。
あからさまにやる気の無い彼を随伴していた部下がたしなめる。
「仕事なんですから文句を言わないで下さいよ分隊長。自分だってこんな朝早くから見回りなんてやりたくないんですから」
現在時計の針は午前5時を少し過ぎた辺りを指している。さらに言うなら見回りは日の出と同時、午前4時台から開始されていた。
その理由はすでに開店し賑わっている店々にある。特に酒の類いを出す店は繁盛している。
年に一度、3日間に渡って開催される闘技大会の期間中はほとんどの漁師が仕事を休み、昼間から酒を酌み交わしては大会で盛り上がりどんちゃん騒ぎを繰り広げるのだ。
酔っ払いが町中に溢れ返るので諍いも多発して治安も些か悪くなる。その抑止力と事案の対応を兼ねた見回りでもあった。
「お祭りだからって騒ぎすぎちゃいかんと思うのだよ、オレは」
「とか言いながら何酒を飲もうとしてるんですか?」
部下がごく自然に酒屋へ入ろうとした自分の上官である分隊長・コーディーの肩を掴む。
彼が上官に対してここまで砕けた言葉遣いと態度で対応しているのも偏にコーディーの人柄によるものである。コーディーに敬意を払っていないわけではない。
「エールがオレを呼んでいるんだ」
「急に真顔でバカなこと言わないでくださいよ」
コーディーの部下は引きずるようにして彼を巡回コースに連れ戻した。
遠ざかる酒屋をコーディーはなす術なく見送る。どちらの立場が上か分かったものではない。
「はぁ……周りの連中が酒を飲んでる様を見ていることしかできない日があと3日も続くのか……」
「そんなこと言いますけど分隊長はお酒に弱いじゃないですか」
しかも絡み酒で鬱陶しいですし、と注文を付ける部下にコーディーはこう反論する。
「オレは酒を飲むのが好きなんじゃない。酔うのが好きなんだ」
コーディーにとってエールを飲むのは手段であって目的ではない。酔えるならばなんでもいい、と彼は言い切った。
美味くもない安酒に付き合わされ、しまいには絡み酒に巻き込まれる身からすればたまったものではないが。
二人がそんなくだらない掛け合いをしていると前方の路地から突如としてガラスが割れるような音が届いた。それに伴って女性の悲鳴や派手な騒音も聞こえてくる。
顔を見合わせると、どちらともなくはぁ、というため息を吐いた。
「お仕事の時間みたいですね」
「まったく……もっと楽しく飲めないもんかね」
「分隊長が言えた義理じゃないですけど」
「黙らっしゃい。さあロビン君、その見る者がすべからく恐怖する強面で事態を収めるぞ」
口と一緒に足を動かして音がした方へと走る。路地の角を曲がって何が起きたのか確認すべく人垣をかき分けていく。
背後でもうちょっと言い方を……などとぶつくさ言っているロビンことロビンソンは無視した。
「はーい、ちょっと失礼しますよー」
「あぁん?割って入ってくるんじゃあ!?」
海に生きる屈強な男は振り向き様、割り込んできたコーディーに文句を言いつつさらにその後ろにいたロビンソンの顔を見て言葉を失った。
190センチほどの長身に筋骨隆々の体躯、そして漁師よりも焼けた浅黒い肌。鈍色の三白眼はつり目と相まって凶悪なまでに相手を威嚇しているように見える。
その辺のモンスターより余程恐い。
ロビンソン本人の気性は穏やかな方だ。いわゆる見た目で損をするタイプの人間である。
だがそれは騎士を務める上で利点として作用することは少なくない。気の弱い敵ならば睨みを効かせただけで気後れするし、今のような場面なら自然と道が開かれる。
今回も効果は覿面だった。ロビンソンの存在に気付いた途端人垣が割れたほどである。
「ほんと、ロビン君がいるとスムーズだわ」
「褒め言葉として受け取っておきます……」
こうしてコーディーとロビンソンが辿り着いた人垣の中心には一人の少年と大人、そして店先の水瓶に上半身を突っ込んで足をバタつかせながらもがいている人間がいた。
コーディー達がいまいち状況を理解しきれないでいると、少年は水瓶にはまっている男を引っ張り出した。ずぶ濡れになりながら四つん這いでげほげほとむせる男を見下ろしながら少年は皮肉げに呟いた。
「どうだ、少しは酔いが覚めたか?」
息を吸うのに必死な男に返答する余裕はなかった。代わりにもう一人の男が少年に食って掛かる。
「てめぇ、何しやがる!」
「見ていて分からないのか?どうやら貴様も前後不覚なようだしコイツと同じく冷や水でも被ったらどうだ?まあ元から正気じゃないなら意味をなさないけどな」
「好き放題言いやがって……!ガキでも容赦しねぇぞ!」
酔いが多分にあるからだろうが男は少年を殴ろうと助走をつけて右腕を振りかぶる。
間に合わない距離と分かっていながらコーディーは男を止めるために駆け出した。そして彼の目は捉える。
少年の底冷えするような瞳を。
自分を害そうとする男を目前にしながら、少年はその相手に敵意はおろか関心すら抱いていなかった。それだけに留まらず男の背後から急接近してきたコーディーまでも視界に捉えていた。
この状況において子どもとは思えない冷静さと視野の広さ。
少年と目が合う。その瞬間、無感動だった彼の瞳に灯ったのは驚愕、そして警戒の色。
だがそれも刹那の出来事だった。少年は男の大振りな拳を掻い潜ると肘鉄を鳩尾に叩き込む。
男の膝を折るにはそれで充分だった。崩れ落ちるように倒れた男の向こうから表れた少年は周囲から拍手喝采をあびながらも厳しい視線をコーディーに向けたままである。
一連の行動を踏まえてコーディーは思い至った。
(まさかオレの強さを察知したってぇの?あんな一瞬にも満たないような視線の交錯だけで?)
やる気の無い態度としがらみを嫌い実力を隠していることが影響して役職こそ分隊長という地位に甘んじているコーディーだが、その戦闘能力は騎士団の中でも上から数えた方がはるかに早い。次期団長として有力視されているフィンセント・ファン・ヴェステルホールトと互角に渡り合えるほどだ。
そんな彼の強さに驚き、介入しようとしていることに警戒したのだとしたら少年の反応に納得がいった。
(大の男を一撃で倒す実力もさることながら驚くべきはその観察眼だねぇ)
見ただけで相手の強さを、自分より格上か格下かを正確に見抜くには本人にも相応の力量が求められる。どうやら少年はかなりの実力者らしい。
未だにこちらを注視している少年の警戒心をほぐそうとコーディーは両手を上げ、顔にはくたびれた笑顔を貼り付ける。
「いやー、見事なお手並みだ。お兄さんびっくりだよ」
はっはっはっと笑う姿は非常に胡散臭い。しかしコーディーに事を交える気はないと判断したのか少年は警戒を緩めた。
これならば彼に事情を聞くことも可能だろうと言葉を続ける。
「悪いんだけどできればちょっとばかし何が起こったのか教えてくれたりしない?オレ達も駆けつけたばかりで状況が把握できてないんだよね」
「……酔っぱらい共がもみ合っていただけだ。その内の一人が俺の方に突き飛ばされてきたから対処した」
「なるほど。あれは中々に芸術的な対処だった。冗談抜きで」
水瓶に生えた足を思い出して笑いが込み上げてきた。後々酒の席での笑い話になるだろう。
少年はもう語ることはないと立ち去ろうとする。
「おっと、待った待った!怪我とかしてない?かすり傷でもバイ菌が入ると大変だぞ」
「準備運動にもならない連中の相手をしてやっただけだ。問題はない」
「ほんとかい?甘くみないで体を隅々まで動かしてみたら痛みが……」
「くどいぞ。事の次第が知りたいなら野次馬にでも聞け。それとも聴取で俺の時間を奪うつもりか?」
「ありゃ、バレてました?」
本心を語れば状況の把握が2割。残りは少年の正体が気になって会話を引き伸ばそうとしたのだが無駄に終わる。
少年はあっさりと白状したコーディーを一瞥して去っていった。
「分隊長、この人達どうするんですか?」
「あー、そうねぇ。とりあえず回復待ちでその間に……」
ロビンソンに指示を飛ばしつつコーディーは黒髪の少年について考えていた。
あの洞察力と身のこなし、コーディーほどの実力者を前にしても怯まない胆力。それらは実戦を経験していなければ身に付かない力だ。
見たところ12、3歳といったところだったが果たしてどこでそんな経験を積んだのだろうか。
(気になる点は多々あれど、まずは闘技大会に注目しておきますかねぇ。面白いものが観れそうだ)
準備運動にもならないという言葉からして今日の闘技大会に出場する可能性が高い。初日は13歳以下の部門が開催されることを考えれば年齢もドンピシャである。
退屈だと思っていた仕事に一欠片の楽しみが転がり込んできた。少年の名を記憶しておこうとして、そういえば名前を聞き忘れていたことに気が付いたコーディーだった。
◇
(焦ったぁぁぁ!マジで焦った!なんでコーディーが居るんだよ!?)
群衆の中から逃げるように、というか実際逃げ出したハロルドは人目の無い路地裏で頭を抱えていた。
その訳は今さっき遭遇したコーディーである。ハロルドが名前を知っていることからも分かる通り、彼もまたゲームに登場するキャラクターだ。
流れ者をまとめ上げた傭兵集団『フリエリ』の中心人物……なのだがちょくちょく主人公パーティーの前に現れては共闘したり、時には良いように利用したりと掴みどころの無いキャラクターである。まあ基本的には善人でありスポット参戦するお助けキャラのような扱いなのだが。
元聖王騎士団の一員だったという設定は知っているのであの甲冑をまとっていることに驚きはないが、こんな場所で出くわすとは思っていなかった。
日の出と共に動き始めた街の喧騒によってハロルドが目を覚ましたのは午前4時を少し過ぎた頃だ。
騒がしいと思いつつどこか忙しなく、浮き足立った空気が大学時代の学祭を思い出させ、誘われるように足は街へと向いていた。
軽い運動も兼ねてデルフィトの街を散策すること30分ほど、あてもなく市場通りをさ迷っていたハロルドの耳に怒鳴り声が届いた。声がした方に目を向ければ二人の男がお互いの胸ぐらを掴み言い争っていた。取っ組み合いの余波で木のテーブルはひっくり返り、上に乗っていた皿やグラスがけたたましい音を立てて砕け散る。
朝から元気有り余ってるなぁ、と呆れこそすれ止めようとは思うほど世話焼きではないので素通りしようとした時だ。
突き飛ばされた男がハロルドの方へと倒れ込んできた。
だからといってどうということはない。さっと避けてそのまま歩き去ればいいだけだ。
いざそうしようとして、そこで自分の背後に小さな女の子がいることに気が付いた。ハロルドが避ければ女の子は押し潰されてしまう。
そこから先は考える前に体が動いた。バランスを失って倒れてくる男の足を払い、同時に右手首を掴んで蓋の開いていた水瓶の中に落とす。宙に浮いた状態の男に抗う手段はなかった。
その後、ハロルドの皮肉に煽られてもう一人の男となし崩し的に戦うことになってしまった。この時点でハロルドはもうどうにでもなれよ、という開き直った心境だった。
いい加減この口が暴言を吐く度に恨めしく感じていても疲れるだけだと諦めたのである。
適当にあしらおうと考えていたハロルドはそこでいきなり参戦してきたコーディーに気が付いて混乱した。
そのせいで余裕を失い、つい加減を間違えた肘鉄をお見舞いしてしまったのだ。
(スマン、やり過ぎちまったぜ名も知らぬおっさんよ)
悶絶していた男の姿を思い出して謝罪を胸の内で唱えつつ、はたと冷静になってみればわざわざコーディーから逃げ出す必要はなかったのではないかということに気が付く。
そもそも原作の中でハロルドとコーディーの関係性は描かれていない。原作開始時でハロルドは騎士団に所属しているが、コーディーはすでにフリエリを立ち上げている。所属期間が被っている可能性はあるがそれも僅かの間だろう。
(っていうか顔を覚えてもらった方が後々楽だったんじゃ?)
コーディーはライナー達と同行することもあるのだから、繋がりを持っていれば主人公パーティーの内情を仕入れる情報源となるはずだ。そう考えると先ほどの行動は早まったものだったかもしれない。
次に会った時はなんとか友好関係の足掛かりを掴めないだろうか、と思案しつつそろそろ朝食にしようと宿へと戻る。
宿の前まで来るとちょうど出てきたイツキと遭遇した。
「おはようハロルド君。どこに行ってたんだい?」
「会場の下見だ」
散歩のついでにチラッと覗いてきただけだが嘘ではない。
思いの外ステージが大きかったことで実は少しだけ緊張していたりする。
「やる気は充分みたいだね。そんな君に渡したい物があったんだ」
「……何だこれは?」
イツキは紙に包まれた何かを手渡してきた。
訝しみつつ包装を剥いていく。中から出てきたのは鼻から上を隠せる、舞踏会でつけるような仮面だった。
「名前を変えて出場するしいっそ素顔も隠してみたらどうかと思ってね」
「要るか!」
それはハロルド全霊のツッコミだった。この体に憑依してから最も力を込めた言葉だったかもしれない。
どうも最近イツキのキャラクターがよく分からなくなってきている。出会った当初は生真面目なシスコンかと思っていたのだが、実は妙な茶目っ気があり、その辺は原作のエリカによく似ているといえるかもしれない。
しかし真顔でこんなアイテムを用意されるともしや茶目っ気などではなく天然の言動なのではないかと疑ってしまう。昨晩ハロルドとエリカを出し抜いた男と本当に同一自分なのだろうか。
仮面のプレゼントでげんなりさせられたハロルドは、そのすぐあとに『Mr.ロード』という怪しさ満点の名前で出場登録をされていることを知り、開会直前にイツキとまたもや一悶着起こすことになる。
結果として緊張は霧散したがその代わり無駄に疲れて初戦の舞台に立つこととなった。
会場のステージを取り囲む群衆の熱い視線と声援。物理的に体を押し退けようとしてくる圧さえ感じられる。
13歳以下の参加者が集められた詰め所から一歩外に出ればそれらを惜しみなく浴びることになる。
「対するは本名不詳のMr.ロード君!」
自分の登録ネームがコールされ、ハロルドは重たい足でステージへと上がる。余談だが大会全参加者で偽名を使っているのはハロルドのみだったせいで必要以上に目立つことになった。
素性はバレないのだとしても注目を集めていては逆効果ではないだろうか。
そんなことを考えながら羞恥を押し殺そうとしているハロルドの顔はあらゆる感情を排したような無表情になっていた。
見る者が見れば試合へ集中しているかのように映るその姿は、間近で相対する年端も行かぬ少年には空恐ろしい存在に思えてならない。
そしていざ試合が開始されようとしたその時。ハロルドは見つけてしまった。
太陽の光を受けてキラキラと輝くブロンドの髪は記憶にあるよりも伸び、今はポニーテールのように結っている、3年前に自分が助けた少女を。まだまだ子どもらしい顔つきながら、ハロルドだけが知る5年後の面影を感じさせる、コレット・アメレールが観戦席にいた。
コレットもまた栗色の瞳でハロルドを見つめ返している。その視線から逃れるようにハロルドは目を逸らした。
完全にバレている。驚きで目を見開いたコレットの表情でハロルドはそう確信した。
エリカが同じ場所にいるという最悪のタイミングでの再会。もし神様がいるのならばその意地の悪さを恨みたくなる。
(あぁ、こんなことならイツキの用意した仮面を装備してくればよかったなぁ……。案外受けたかもしれないし。正体隠せて笑いも取れるとか最強アイテムじゃん)
危機的状況に陥ったハロルドはとりあえず現実逃避を試みるのだった。