18話
その提案はタスクにとって完全に意表を突かれるものだった。理由は語るべくもない。
タスクはLP農法の開発になど全く携わっていないからだ。
「どういうことかな?私は開発に関わっていないけど……」
「今まではな。だがこれから先、LP農法を広めて行くに当たってはスメラギの名を出す」
その言葉にタスクは思い至る。ユノからの報告の中に“両親の前では振るまいが違う”という情報があったことに。
単に身内とそれ以外の差だと考えていたのだが、脳裏にひとつの可能性がよぎる。
それはハロルドが自身の能力を両親に隠しているのではないか、ということだ。もし彼らがハロルドの有能さを知っていたならば婚約の取り決めに際してもっとアピールしてきたはずである。
加えて当のハロルドは以前手紙でストークス家の凋落を示唆していた。それが意味するところは……。
「ハロルド君はLP農法がご両親に知られることを得策とは思っていないのかい?」
「さすがに俺の両親の人間性をよく理解しているな」
彼らがLP農法を知れば十中八九タスクが危惧した展開へと発展するだろう。ハロルドはそう確信している。
だからこうしてスメラギ家へと協力を仰ぎに来たのだ。
「さらに言うなら俺には手駒が足りない。これ以上試験農家を増やせば監視の目が届かなくなるんだよ」
「なるほど」
ここでハロルドの言わんとしていることを理解した。
彼は両親に知られることなくこの事業を拡大させたい。しかしそうするためには今のままだと限界がある。
これほどまでに画期的な手法であれば情報の漏洩を防ぐために管理を徹底しなければならない。そのための人員が足りないからこうしてスメラギ家へと話を持ちかけてきたのだろう。
「でもどうして私のところへ?これだけの旨味があれば誰でも飛び付くと思うけどね」
「求める条件を満たしている中で最も与しやすい相手が貴様だっただけに過ぎない」
これは虚勢だ。タスクに首を横に振られれば他に伝のないハロルドは窮地に立たされる。
だが彼の人柄とウイークポイントを把握しきっている強みはここで活かせるのだ。
「貴様が断るなら第2、第3の候補に声をかけるだけだ。まあその必要はないだろうがな」
「私が絶対にこの提案を受諾すると?」
「ああ、貴様はそうせざるを得ない」
どこまでも絶対的な自信。何が彼をここまでそうさせるのか。
根拠もなく強い姿勢に出るとは思えない。むしろ理詰めで事前に相手の退路を塞ぐぐらいはしそうなものだ。
(待て、退路を塞ぐ?まさか……!)
タスクの頬をじとっとした嫌な汗が伝う。
唐突にもたらされた閃きが散りばめられていたピースを繋ぎ合わせてひとつの答えを形作る。それ辿り着いた瞬間、タスクの背筋に凍りつくほどの悪寒が走った。
「気が付いたか?」
その声はまるで死神の鎌のような禍々しい鋭さを宿してタスクの耳朶を打つ。
「……君は最初からこの状況を見越していたのかい?」
「だとしたらなんだ?それで貴様の返答が変わるのか?」
タスクが目を伏せる。ハロルドの言う通り、答えは変わらない。
どちらであったにせよエリカの身を天秤にかけられたのでは頷くしかなかった。
「これが手紙に記されていた『産業技術の提供』か……」
タスクは肩を落としてポツリとそう漏らした。その理由はエリカの婚約破棄に関してだ。
愛娘が責任感だけで受け入れた、本心では望んでいない束縛された未来。それをハロルド自身が破棄しても構わないと以前渡された手紙で申し出ている。
その条件となるのが抵抗薬を調合・服用させ患者の症状を改善させること、予想された瘴気の最大汚染範囲を目安に予防線を張ること。そして提供された産業技術を活用して経済力を回復させることだ。
あの時は世迷い言か第3者の甘言としか考えなかった。
しかしあの手紙の内容を全てこの少年が書いたとなれば話は違う。当主としてではなく1人の父親として、その条件はあまりに魅力的だ。
ハロルドの提案に不利な部分が見当たらないことも決断を後押しさせる。
年齢にそぐわない大人びた文章は意図したものだったのかもしれない。そうすることで相手に黒幕の存在を匂わせ、その疑念を抱かされたことによってハロルド本人が書いたものだという可能性まで思い至れなかった。ユノからの報告があったにも関わらず、だ。
つまりあの手紙を受け取った時からタスクはハロルドの掌で動かされていたに過ぎない。彼はこの状況を作り出すために、いったいいつから動き始めていたというのか。
まるで未来を見通しているかのように打たれていた布石に愕然とする。
「確かに思わず飛び付きたくなるくらい魅力的な話だよ……だけどここまでスメラギに手をかける理由は何なんだい?」
スメラギと懇意にしたいだけならすでに提供したものだけでも事足りる。ましてや最も強固な結び付きとなる婚約を破棄するはずがない。
ハロルドの思惑が読み取れずに混迷ばかり深まる。
しかしそれは当然でもあった。ハロルドは徹頭徹尾、将来に訪れるであろう自分の死亡フラグを回避するために動いているのであり、それを知らない者からすれば彼の意図を汲み取ることはほぼ不可能だ。
たとえ説明したところで理解はされないのでするつもりもないのだが。
「言ったところで貴様には……いや、俺以外の人間には理解の及ばないことだ」
自嘲するような口ぶり。ここまでの不敵さからハロルドがそんな態度を見せると思っていなかったタスクは言葉に詰まった。
その虚を突くようにハロルドは選択を迫る。
「で、どうする?信用できないというならこの話はここまでだが」
確かにハロルドが信用に値するかと問われればまだ首を縦に振ることはできない。
しかし彼の目的がスメラギを害すと決まっているわけではないし、この提案を飲めば スメラギ家も、スメラギの民も、エリカの未来も救うことができる。
言い方を変えるならばハロルドはそこまで手を尽くしてくれているのだ。今回の件も有無を言わせず従わせたところで異を唱えることはほとんど出来なかったであろう。
そんな圧倒的有利な立場にいながら彼はあくまで提案という形で話を持ってきた。
一見タスクには拒否権の無いような話だったがそれは違う。エリカの婚約という犠牲に目を瞑れば断ることも可能だった。
そうなればストークス家とスメラギ家の結び付きは確固たるものになり、LP農法がなくとも事前の取り決め通りストークス家からの支援を受けるだけだ。
今回の提案でリスクがあったのはむしろハロルドの方だ。それも普通に考えれば負わなくてもいいようなリスクである。
抵抗薬の開発など相当な時間と資金をつぎ込んできただろうことは容易に想像がつく。そうまでして作り出した状況が水泡に帰す危険を省みずに手を取るか否か、その最後をタスクに委ねたのだ。
(中々出来ることではないな……)
素直にそう思えた。思わされてしまった。
よくよく考えてみればハロルドはスメラギが一切損をしないような立ち回りをしている。
本来ここまで都合の良い話を持ち出されれば簡単に頷くことはない。相手を疑い、不審な点を探り、それで疑いが晴れなければ断るだろう。ハロルドからの提案も然りだ。
その判断が結果として得られるはずだった利益をみすみす手放すことに繋がる可能性もある。
だがハロルドは“エリカの婚約を破棄できる”という免罪符をわざわざ用意した。タスクが提案を受け入れやすくするために。
こうまで言うと好意的に解釈しすぎだと思われるかもしれないが、ハロルドが不要なリスクを負ってまで交渉という体面を崩さなかったことへの説明はそれ以外につかなかった。
(この思考を逆手に取るためとも考えられるが、そうだった場合は太刀打ちのしようがない。どちらにせよ私の完敗だ)
タスクは大きく吸い込んだ息をゆっくりと吐き出す。俯かせていた顔を上げ、向かいに座るハロルドの瞳をしっかりと見据えた。
「此度のご提案、お受けさせていただこう」
それがタスクの出した答えだった。
「既定通りだが、まあ即決した点は褒めてやる。近日中に貴様の息がかかった人間とスメラギ家が所有している畑を用意しろ。まずはそこでLP農法に関するノウハウを叩き込んでやる」
「それだけでいいのかい?」
「あとは予定だと数年後に規模の大きい商会が必要になるな。情報を守秘できて信用が置けるところだ。その判断は貴様に任せる」
「なるほど。下地を固めてから商会と協力して管理可能な畑を増やし、ゆくゆくはその商会を通して技術を売り出していこうということかい?」
「俺の手駒よりはましな頭をしているみたいだな」
上から目線ではあるが、タスクの察しの良さにハロルドは内心で舌を巻く。ずいぶんと頼もしい仲間を得られて大満足だ。
技術を売り出すにしても両親に秘匿するためにスメラギの名を借りたい、という意図も彼ならば言わずとも読み取ってくれるだろう。
「他に必要な物は?」
「あとは……」
言いかけて口を閉じた。このタイミングで言うべきことではないか?と逡巡する。
それに勘づいたタスクは純然な厚意で手を差し伸べた。
「何かあるなら遠慮せずに申し出てほしい。ハロルド君が望む物なら可能な限り取り揃えよう」
「……なら強い奴を用意しろ。ここに滞在している間、極力対人戦闘の経験を積む」
この世界を生き抜くために絶対必要となる対人戦の強さ。ストークスの邸では得られないそれを手に入れるため、ハロルドは意を決して1歩を踏み出した。