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17話

長くなりそうなので分割ちょい出し。

それから後書きにて小さな報告があります。



 そんなわけで急遽スメラギ家への遠征が決定したその日の夜、ハロルドはノーマン達へ今後の方針を説明するのもそこそこに、長期的に滞在するための準備を整えた。

 それから数日後にはストークスの邸を発ち、そこからさらに1週間後にはサクラが咲き誇るスメラギ領に到着していた。


 ハロルドの知る桜ならば満開の状態を1ヶ月もキープすることはできないがこの世界ではそうではないらしい。“桜”と“サクラ”は似て非なるものなのだろう。

 そんなことを考えながらハロルドは畳の上に置かれた座布団に正座し、風に揺れる桃色の花弁を見つめていた。


 時間にしてかれこれ30分ほど。元の世界で仕入れた足がしびれない正座の仕方を実践しつつ、時たま緑茶をすすってはタスクが公務を終えるのを待ち構えていた。


「ハロルド君、おかわりはいかがかしら?」


「……次はもう少し濃く淹れろ。香りが薄いし何より温い」


 机を挟んではす向かいに座るタスクの妻、コヨミがまるで侍女のようにハロルドの湯飲みが空になったのを見計らい机の脇にある40センチ四方の小さな囲炉裏で熱されている鉄瓶に手を伸ばす。

 まったくもって恐縮するばかりの内面とは裏腹に恐れを知らない口は注文をつける。まあ美味しくはあるのだが温いのに加え、お茶請けの和菓子の甘さに対して薄めの緑茶が少々物足りなく感じていたのは事実。

 だからといってこんなセリフを吐く必要はないが。


「あら、では次はもう少し濃いめの熱いお茶を淹れますね」


「そうしろ」


 どうやら敬語は目上の人間ではなく両親の前でしか発動しないらしい。しかしハロルドの傲慢な態度にもコヨミは柔和な微笑みを崩すことはなく慣れた手つきで鉄瓶のお湯を急須に注ぎお茶を淹れる。

 余談ではあるが質の良い、つまりは高級な玉露は70度程のやや温めのお湯で淹れるのが適しているということをハロルドは知らなかった。


 い草の匂いが薫るお座敷でサクラを眺めながら緑茶を啜る。耳に入るのは風に吹かれた草木のさざめきと、一定の間隔で響く鹿威しの竹が岩を叩くカコンという音色だけ。

 まるで日本のわびさびを詰め込んだような風流なひととき。


(ああ、癒される……)


 中身が日本人のハロルドにとっては最上級のおもてなしだ。この世界に来てからというもの常に頭か体を動かしているハロルドに初めて訪れたといえる安らぎだったのも大きい。

 そんな至福とも言える時間にほだされ、このままスメラギ家で暮らすのも悪くないかも、などという誘惑が首をもたげる。


 目を閉じてゆっくりと呼吸を繰り返すハロルドをコヨミは微笑んだまま、しかしどこか興味深げに眺めていた。彼女の関心を引いたのはハロルドの堂に入った所作だ。

 コヨミが知る限りこの国において正座という文化があるのはスメラギ領だけである。


 ハロルドがスメラギの文化にある程度精通しているのは前回の訪問で把握済みだ。

 しかし玄関で靴を脱ぎ内履きに履き替える、長時間正座する、箸を使って食事をする。こういったスメラギ独特の文化や習慣をあらかじめ知ってはいたとしてもそれを実際に行えるかは別の話だ。


 普通は知識があっても戸惑うところをハロルドはなんの苦もなく、それこそ普段からそうしているかのように自然とこなしている。玉露の味や温度にさえ自分なりの好みを持っているとはさすがに予想外だった。

 彼はスメラギの文化を知っているのではない。体験しているのだ。


(でもそれはどこでかしら?)


 ストークスの邸というのは考えにくい。当主のヘイデンはそれらに対してほとんど無知だった。

 もしハロルドの近くにスメラギ出身の者がいたとしたら彼にだけマナーを教えヘイデンには黙する意味が分からない。

 とにかく不可解な点の多い少年だった。


 そのせいかコヨミはついハロルドの動作を観察してしまう。

 結果として無言の空間が形成されていた。まあお互いが苦に感じていないので困ることもない。

 こうして静かな時間を過ごすことさらに10分、トントンと廊下を歩く音が近づいてきた。


「お待たせしてすまない。仕事が長引いてね」


 開け放たれている障子の向こう側から歩いてきたタスクが姿を現す。その顔はハロルドを待たせたことに対する申し訳なさからかばつが悪そうな笑みを浮かべていた。


「相変わらず手を焼いているようだな」


「これでも大分ましにはなったよ。ハロルド君が作ってくれた抵抗薬のおかげさ。本当に感謝している。ありがとう」


 座布団に腰を降ろすや否やタスクは深々と頭を下げた。コヨミもそれに倣う。

 唐突な出来事にハロルドは面食らった。


「頭を上げろ、見苦しい。俺は貴様らに感謝されるためにしたんじゃない」


「そういうわけにはいかないさ。ハロルド君が何を考えての行動かは分からないけど、それでも君のおかげで状況が好転したのは揺るぎない事実だ」


 だからスメラギ家の当主として礼の意思を示さないなんてことはできないよ、とタスクは裏表など感じさせない朗らかな表情でハロルドの目を見つめる。

 それに耐えきれずハロルドは視線を逸らした。


「ふん、下らない。俺のような子どもに頭を下げざるを得ない自らの無能さを恥じろ」


「返す言葉がないよ。まあ私としては君のような将来を嘱望できる若者と出会えたことは喜ばしい限りだけどね」


「そうか。なら尻尾を振って俺に協力するんだな」


「……それが私と話をしたいと申し出た理由かい?前置きもなくいきなり本題に入ろうとするなんて気が急いているのかな?」


「ゴマのすり合いなどする気はないからな。まずはこれを読め」


 ノーマンとジェイク謹製、現時点で判明しているLP農法の効果と活用法をまとめ上げた最新版の資料を机に置く。

 ハロルドに視線で“読め”と促されたタスクはそれを手に取った。


 そしてページを捲るごとにタスクの顔には真剣味が増していく。その反応はハロルドとしては予想通りである。

 というかそうでなければ困るのだ。まずはLP農法に破格の価値があることを理解してもらわなければならない。

 そこが今回の交渉を行う上での前提だ。


 食い入るように資料を読み込むタスクは、最後の1ページまで目を通し終えると小さくふぅ、と息を吐いて冊子を閉じた。


「なんというか……突拍子のない内容だね」


「だろうな。だが事実だ」


「疑われるのは想定内というわけかい?」


「疑う?素直に“信じていない”と言ったらどうだ」


 不敵。口角を釣り上げてほくそ笑むハロルドを表すにはその一言で充分だった。

 裏を返せばそれだけの自信がある、ということだ。もしこれが仮にブラフならば中々の役者だろう。


 しかし彼には実績がある。スメラギ領内の森に発生した瘴気に対する抵抗薬の製造法を無償で提供してきた。

 それによって追い込まれつつあったスメラギ領の運営は建て直しに光明が差し始めている。


「……そう言い切ってしまえない辺りが君の凄味だ。こんな荒唐無稽な内容でありながら、話を聞いてみたいと私に思わせるのだからね」


「真実でも嘘でも聞く分にはタダだろうが」


「確かにね。だけどこの資料を見せてもらっただけでも私としては大きな収穫だよ?」


「そんなものが欲しいならくれてやる。どうせ写本だ」


 どうでもよさげに切って捨てるハロルドにタスクは内心だけではあるが初めて動揺した。

 LP農法という独自の栽培法が記されたこの資料は、内容もさることながら情報量も多くよくまとめられている。方法自体も簡単なうえにリスクも低く手を出すことは容易だ。

 ここで「やはり信じられない」と話を打ち切ってしまえば、スメラギは損なく利益を得る可能性だけを手にすることができる。


 だというのにハロルドは話し合いの主導権をこちらに預けてきた。それの意味するところは、このLP農法そのものは本題の前座に過ぎないと考えているということだ。


(その可能性に気付かされた時点で引くことはできなくなった)


 正確に言うのならば引くことへのリスクが増したのだ。LP農法に何か欠陥があるのか、スメラギに試させること自体が狙いなのかもしれない。

 もしくは実質的な被害がなくとも他のところへその話を持って行かれて、いずれ自分達を苦しめる危険もある。

 それを防ぐためにはやはりここでハロルドが言う本題を聞き、彼の思惑を可能な限り読み取らなければならない。


 この思考誘導まで折り込み済みなら手強いどころではないな、と嘆息する。

 数日前にユノから届けられた報告書ではハロルドは何者かの傀儡ではなく、自らの意思で考え行動している可能性が高いという報せを受けた。そしてこうして向かい合い、実際に言葉を交わせばそれが事実であると確信した。

 入れ知恵や洗脳でここまで高度に操ることは不可能だ。


「ならそのお言葉に甘えさせてもらうとしようかな」


「そうしろ。というかそうでなければ話が進まない」


「フム、それはどういう意味だい?」


「その資料に書かれた内容が全て事実だと仮定して貴様はどう考える?」


 ハロルドの問いかけにタスクは一拍の間を開けてから答える。


「画期的な発明だ。実践して成果を上げ、特に問題が生じなければまずは自領で生産体制を整える。そしてある程度優位性を確保してから国中に広めて行くだろうね」


「独占はしないのか?」


「限られた人間が富を独占すればそれは遠からず争いの火種になる。目先の利益に囚われて四面楚歌に陥るほど愚かではないと自分では思っているからね」


「……いいだろう、合格だ」


 タスクの人柄を熟知するハロルドからすれば理想的な返答だ。

 自分自身に「何様だよ」と突っ込みたくなる衝動を抑えて交渉を続ける。


「俺も貴様とほぼ同じ意見だ。LP農法で儲けたはいいが周囲の有象無象から目の敵にされるのも鬱陶しい。そこで提案をしにきてやったわけだ」


「是非聞かせてもらいたいね」


 両者の視線が交錯し座敷の雰囲気が一気に張り詰める。

 そして再びハロルドはあの不敵な、猛禽類のような笑みを貼り付けた。


「貴様にはLP農法の共同開発者になってもらう」




Twitter始めました。

アカウントは『@orefura』です。

RTか野球の話がほとんどですが興味のある方はちょっと覗いてみてください。

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