131話
ガラン、と無機質な音を立ててハロルドの眼前に一本の剣が放り投げられる。それはもはや使い慣れたとさえ言える、かつてユストゥスから渡された使用者の命を削る剣であった。
同時に拘束されていた鎖から解き放たれる。
「剣を握れ、ハロルド」
圧倒的に自分が有利なこの状況下でハロルドに剣を握らせるなどどう考えても悪い予感しかしないが、それでもさすがに武器の一つもなければこの場を切り抜けることはできないだろう。ユストゥスはハロルドを今ここで殺す気はないだけで、アストラル体のことを調べるためなら手足の有無などは気にしないはずだ。
普段よりも重苦しく感じる体に力を込め、剣を取って立ち上がる。出入口はコーディー達が入ってきた扉の一ヵ所だけ。つまり彼らを突破するしかこの包囲網を突破する術はない。
ハロルドは悪態を吐きながら剣を構えた。
「自らの優位性を捨てようとは、愚かだな……」
「問題は無い。精一杯抵抗するといい」
この男にとって一体どこまでが計算の内なのか。原作知識を持っているハロルドのことさえあっさりと上回ってきそうな恐ろしさがある。
だが、そんなラスボスの風格に尻込みしている場合ではない。ここを切り抜けられなければ死を避ける未来など掴み取れはしないだろう。
(とはいえどうすりゃいいんだ……)
仮に目の前にいるサラの姿をしたユストゥスを倒したところで、それは本人の意識を分割した内の一人でしかない。それどころかハロルドを除いたこの場にいる全員にユストゥスの意識が分割されている恐れさえあるのだ。
早い話が今対峙しているのはユストゥスに洗脳されてしまった者達だ。それを承知の上で斬り殺すことなどハロルドにはできない。
となれば目指すのはここからの脱出が最優先目標だろう。問題はここがどこにあるどんな施設なのかという点だ。
壁や天井の素材を見れば坑道の奥にあった研究施設のものに近いが、あれだけモンスターが暴れ回ったバーストンに残っている可能性は低いだろう。ユストゥスの口振りからすればハロルドはそれなりの時間意識を失っていたようであり、それを踏まえれば当然場所も移されているはず。
(やたらと近代的な場所……近代的?まさか……)
『Brave Hearts』の世界に近代的と呼べる建物はほぼ存在しない。唯一の例外と言えるのは最先端の科学研究施設だったアストラル研究所くらいだろう。
しかし、確かにあった。ハロルドの記憶に残っている、この世界でアストラル研究所以外にも近代的な質感を有した人工物が。
そう、それは――
(空中要塞の内部か……!?)
この星から消えて久しい、古代文明を築いた星の子。そんな彼らが遺したとされる空中要塞は、同じく彼らの文明のものとされる遺跡とも異なった建造物である。
詳細については触れられておらず「そういうもの」という認識でしかないが、ゲーム内においても雰囲気や質感がこれまでの世界観と一線を画すような描写をされていた。
ここが空中要塞の内部だと仮定すると、今は地下深くに鎮座しているはずである。この空中要塞が飛び立てば星の記憶である核の一部が露出し、物語はいよいよクライマックスへと向かう。
ムービーの描写では大地やら山々をひっくり返しながら飛び立った空中要塞。現実的に考えれば普通は要塞の方が破壊されるだろうと思うのだが、それでビクともしないのだから何でもありの代物だ。
ゲームの古代文明にありがちな話ではあるが、さすがにオーパーツすぎる。
「ああ、一つ言い忘れていたが彼らを死なせたくないのならしっかりと倒すことをすすめるよ」
「……何が言いたい?」
「彼らの生殺与奪はボクが握っているという話だ。アストラル体の侵食状態、君でも理解しやすい言葉で表すなら洗脳された状態を解除しない限りはね」
アストラル体の侵食状態というものがどういうものか正確には知り得ないが、ハロルドとしてはコーディー達と戦うつもりはない。逃げに徹してひとまず体勢の立て直しを優先するべきだと考えていた。
しかしユストゥスはそんなハロルドの思考などお見通しなのだろう。暗に「逃げれば彼らを殺す」と言っているのだ。真偽は分からないがユストゥスならそれくらいやっても全くおかしくは無いだろう。
「本当に、貴様の悪趣味には反吐が出る」
的確にハロルドが嫌がるところを突いてくる。
仮にコーディーを除けば全員を無力化すること自体は恐らくそこまで難しいことではない。
だが無力化するということはこの場の全員に対してフィネガンやウェントス達の時と同様に剣の力を使う必要がある。要するにユストゥスはハロルドに剣の力を使わせたいのだ。
その狙いが分かっていても、彼らの命を見捨てることのできないハロルドはそうせざるを得ない。おまけにコーディーという原作キャラまで相手にしながら、である。
ため息とも深呼吸ともつかない、大きな息を吐く。
(さすがにこれは、ちょっと骨が折れるな……)
◇
到着したバーストンの町はトラヴィスと同様にひどい有様であった。
入り口だったはずの門は迂回しなければ町の中に入れないほどに崩れ、建物はモンスターが暴れ回ったせいで壊滅状態に近く、何より目を引くのが巨大な陥没の跡だ。直径数十メートルの縦穴を覗き込めば土砂に埋もれるいくつかの建物も見て取れた。
町の至るところにモンスターの焼死体が山積みにされているのも目に入る。住民を避難させるだけでなくその後の処理にもしっかり手が回っているのはさすがと言えた。
とはいえ一目見て復興には相当の時間がかかる、むしろ復興はかなり難しいだろうということは理解できる。被害の規模で言えばトラヴィスの方が間違いなく大きくはあるが、程度で言えばバーストンの方が重いだろう。
これで死人が出ていないのは奇跡と言っていい。
「……いえ、奇跡などではありませんね」
そう、この結果は奇跡などではなく、ハロルドを含めて住民達を避難させるために動いた人間全員の努力が結実したものだ。
そのためにハロルドは迫りくるモンスターを相手に殿を務めて、ただの一人の被害も生ませなかった。その代償として崩落に巻き込まれたハロルドだが、きっと生きていると信じてエリカはここまでやってきた。
「待たせたね」
バーストンに派遣されていた団員達と情報共有を済ませたフィンセントがエリカ達の元に戻ってくる。その後ろには見たことのない男女の騎士団員二人と、身なりからして傭兵と思わしき男性が付き従っていた。
「現状はだいたいエリカさんから聞いていた通りだ。住民や騎士団、そしてハロルドに雇われているという傭兵団にも被害は出ていない」
「逃げ遅れなどは?」
「そちらについても今のところは見つかっていない。避難先で住民台帳を基に正確な情報を確認中だ」
犠牲者や行方不明者はおらず、大きな怪我人も出ていない。避難者の当面の生活基盤も確保されている。
となればこれから先のことは行政の、土地を管理している領主と王国の仕事だろう。
「そしてハロルドの捜索についてだが、彼が消息不明になる直前まで一緒に居たという者達がいた」
「それが彼らですか?」
「ああ。どうやらハロルドが行方不明になる寸前まで彼と共にこの町に留まって戦っていたらしい。なのでまずは彼らの話を聞いて状況を整理しよう」
ついてきてくれ、というフィンセントの後を追うと掘っ立て小屋まで案内される。中には数個の長椅子とテーブルが一つだけ置かれていて、急いで片づけたのか隅の方に荷物が乱雑に置かれていた。
先陣の騎士団が何かに使っていた場所を空けたのだろう。落ち着いて話を聞くだけならこれでも充分だ。
「では改めて話をしてもらう。シド」
「はい!」
シドと呼ばれた青年は水を向けられてハキハキと当時のことを語り出す。
「自分は騎士団として避難誘導に従事していました。それで避難中に子どもが町に戻ったかもしれないって言い出した夫婦がいて」
「そのご夫婦はどうして町に戻ったと?」
「聞いた話では忘れたぬいぐるみを取りに戻ったかもしれない、と言っていたそうです」
迫っている危険を理解できていない幼子が、両親の目を盗んで忘れてきてしまったぬいぐるみを取りに戻る。
まああり得ない話ではないだろう。
「俺とこっちのアイリーン含め数名で町の方に戻りながら子どもを捜索していて、町の入り口まで来たところでキースさんと会いました」
「俺はハロルドの旦那に雇われている身でな、こっちも少人数で町に残っていた。騎士団の奴らと合わせりゃ十人いたかいないかくらいだったか」
「それで正門から町の中に入ったらハロルドが一人の子どもを守りながらモンスターの群れの相手をしていて……」
「私達に気付いたハロルドは子どもをこっちに引き渡して、その子を連れて逃げろと」
三人の口から語られる当時の状況にエリカの胸が詰まる。
他者の安全を最優先にして自分は常に危険に身を晒す、ハロルドらしい行動だ。
「俺ら『フリエリ』のメンバーが子どもを抱えて避難、騎士団がそれの護衛。そんで、ソイツらに子どものことは任せてその場に残ったのが俺達三人だ」
その状況でよく逃げ出さずに踏み留まれたものだ、と素直に思う。それが騎士団としての正義や、傭兵としての忠義なのか。
「まあ九割は旦那頼りで、俺らがいてもいなくても大した変わりはなかっただろうがな」
キースと呼ばれていた傭兵は自嘲気味に笑う。
「旦那がモンスター共を押し止めて、討ち漏らした少数を俺らで狩る。とにかくこの町から出さねぇように立ち回った」
「押し止めてって、ハロルド一人で?」
思わず、といった感じでライナーが尋ねる。トラヴィスで似たような経験をした身としては、どうやったらそんなことができるのかと疑問に思うのも無理のない話だ。
「そうだ。信じられんかもしれんが数百ってモンスターを一人で相手にしていた」
「……いえ、信じます。アイツがそれくらい強いっておれは知ってるから」
そう言って膝の上で強くこぶしを握るライナー。その胸中で果たして何を思うのか、エリカでは慮れない。きっと言葉で簡単に言い表せるようなものではないだろう。
彼は彼で色々な想いを抱えてここにいるはずだ。
「まあそうやってなんとか堪えてたんですけど……」
ここまで淀みなく話していたシドが口ごもる。
黙り込むわけではなく、どうやら言葉を選んでいるようだった。
「ここからは自分達もよく分かっていなくて、恐らく状況だけ説明しても困惑されると思います」
「それで構いません。何があったのか聞かせてください」
「分かりました。耐えていると避難完了の信号が上がって、撤退のタイミングを作るためにハロルドが高威力の魔法を連発して一時的にモンスターを一掃したんです」
ハロルドが魔法を使えることも、その腕が相当であることもエリカは知っている。ただ彼の主軸となる強さは目で追えないほどのスピードと剣技で、相対的に魔法の印象は薄いものだった。
しかしモンスターの大群を一掃できるほど、威力の高い魔法を何度も使ったという話を聞くと改めてハロルドの底知れなさを感じる。
「おかげで撤退するタイミングができて、いざ逃げようって瞬間に女の子に呼び止められたんです」
「女の子……?」
語られる状況にそぐわない単語が出てきて、エリカの目が鋭くなる。
「はい。どこへ行くんですか?って尋ねられて、その声に振り返ったらモンスターの群れの中から一人の女の子が現れたんです」
それはまるでモンスターを従えているようだった、とシドは続ける。
想像するだけで異様な光景だ。シド達だけでなくハロルドすらも困惑した様子で動きが止まっていたと言われても不思議ではない。
「それで……何故かは分からないんですが、ハロルドは女の子を『ユストゥス・フロイント』と呼んでいました」
その名前にエリカ達の表情が強張る。
確かにこうして話を聞いているだけでは何がなんだか分からない。どうしてハロルドが少女をユストゥスと呼んだのか、果たして本当にユストゥスなのか、そうであれば何故少女の姿をしているのか。
疑問は尽きない。そしてそれらの答えがここで出せるようなものだとも思えなかった。
「……そのあとには何が?」
「ハロルドが逃げろ、と叫んだんです。アイツが余裕をなくすくらい危険な状況なんだってことだけは理解できて、言われた瞬間には正門に向けて走り出していました」
エリカからしても焦って取り乱すハロルドの姿は想像しにくい。だがいかにハロルドと言えど想定外の事態に面食らうことだってあるだろう。
思い返せば五年前、思いつめた様子でスメラギを訪ねてきたこともあった。八年前には一人で涙を流していることだってあった。
ずっと前から知っていたはずだ。ハロルドは強く、いつだって余裕があるように見えて人並みの弱さや不安を抱えて生きているのだと。
だから自分はそんな彼の支えになりたいと思い、けれど自分の弱さゆえにその想いを諦めかけてしまった。リーファがいなければ今ここに立っていることすらなかったかもしれない。
「逃げろって叫ぶのと同時にハロルドだけは女の子の方に駆け出していて、次の瞬間に大きな爆発が起きました。その煙がはれた時には地面が崩落していて、ハロルドの姿も……」
「その爆発は旦那が用意してた仕掛けで、本当なら全員脱出してから門と石壁の一部を崩してモンスターを通せねようにするためのもんだったんだがな。偶然かはたまた相手にバレてたのか、勝手に作動しちまってよ」
「そうでしたか……」
彼らの話を聞いて、ユノの報告だけでは分からなかった詳細な状況は把握できた。どうやら事態は想定していた以上に深刻なようである。
けれど、今ここで何をすべきかは変わらない。
「ハロルド様は私達の知り得ないことを知っているはずです。ならばその指示に従ったのは決して間違いではありません……と、言葉で慰めるのは簡単でしょうけれど」
「え?」
「悔いているのですよね?その時、ハロルド様に背を向けたことを」
今度はシド達三人の顔が強張る番だった。彼らの気持ちがエリカには痛いほど分かる。
ハロルドの力になりたいと思っていても、力や覚悟が足りず、結局ハロルド一人に背負わせてしまう。それが悔しくて情けない。
けれどそこで折れそうになる心を繋ぎ留め、止まりそうになる足で一歩を踏み出していかなければハロルドに追いつくことは叶わないのだ。
「ハロルド様が望んでいないのだとしても、私はあの人を支えられるようになりたい。独りにはさせたくない。そして……共に在りたい、と思うのです」
それは親愛や恋情だけでなく、様々な感情が込められた言葉だった。
その場にいた誰もがエリカの想いと覚悟の強さを肌で感じる。藤色の瞳に迷いは一切浮かんでいない。
「どれほどの危険が潜んでいるかは分かりません。それでも私は絶対にハロルド様を助けます。そして貴方達にも無茶を承知でお願いいたします、救出にどうかお力添えを」
そんなエリカの願いを聞き入れない者は、この場には誰一人としていなかった。




