130話
「笑わせるな、何が百点だ」
できる限りの嫌悪を込めてハロルドはそう吐き捨てる。そんなことをしても無意味なのは百も承知だが、かといって殊勝な態度を見せたところで事態が好転するわけでもない。
可愛らしい少女の見た目をしているとしても、意図して反抗心を奮い立てなければユストゥスの狂気に飲み込まれてしまいそうだった。そんな内心を知ってか知らずかユストゥスは笑みを崩さない。
「この状況でも変わらず口が減らないとは。ああ、もしかして君の未来予知では切り抜けられる予定なのか?」
「はっ、どうだかな」
「否定はしないか。まあどちらでもいいのだがね」
椅子をギシ、と軋ませて腰を下ろしたユストゥスは膝立ちとなったハロルドと相対する。
以前の牢屋とは異なり、二人の間を阻む柵などは存在しない。だというのにユストゥスはまるで無警戒のままハロルドの眼前で足を組んでいる。
少女には似つかわしくない、しかし堂に入った所作が違和感を生む。先ほどまで浮かべていた笑みは影を潜め、感情の読み取れない顔でハロルドを見下ろす。
ユストゥスが何を考えているのか、ハロルドには分からない。
ゲーム内で描かれていた目的や手段、そしてその動機。それらを知ってこそいるが、そういうものだという情報を与えられているだけに過ぎない。
ユストゥスの思考を、その心情をもって作り上げられたロジックなど理解できた試しは一度もないのだ。
「ハロルド、ボクは君という存在に興味がある。その理由は分かるかな?」
「知ったことじゃないな。分かりたいとも思わない」
「……ふむ、嘘ではなさそうだ。そもそも君はこれまでボクに直接的な嘘をつくことをしなかったな」
ユストゥスの言葉にハロルドの顔がわずかにだが苦々し気に歪む。
その指摘は事実であり、同時にそこまで見抜かれていることが恐ろしい。
「面と向かって嘘を付けばボクにそれを見抜かれる。そう思っていたのだろう?」
「……」
「それは裏を返せばボクに知られたくない秘密があるということだ。未来予知という力もその一つ」
その言葉はもはや疑問形ですらなく、まるで数式でも証明しているかのようなトーンなのはユストゥスの中で答えが出ているからだろう。
「未来予知など荒唐無稽な話だと思うがな」
「その言葉を吐くには君の行動に不審な点が多かったよ」
まあそうだろうな、とハロルド自身も思う。
特にここ最近の動きなどユストゥスは把握済みで、早い話がいつか自分を裏切ると承知の上で扱っていたのだろう。であれば当然そうなった場合の対策もしているはずだ。
「あり得ない可能性を排除していった後に残ったものは、どれだけ非現実的でも最も真実に近しい答えだと言える。自明の理だ」
「それが未来予知という結論か。だがそれが事実だとしてどうするつもりだ?」
「どうもしないさ。例えその力を得る方法があったとしても、それはボクの興味の対象ではない」
未来予知程度どうでもいい、とユストゥスは言い切った。
この言葉が嘘でも強がりでもないことがハロルドには分かる。分かるからこそ底知れない不気味さがある。
どう考えても強力な力で、ハロルドはそれを駆使してどうにかここまで生き抜いてきた。敵対している相手がその力を持っているとしたら、普通は最大限に警戒するもののはずだというのに。
「貴様が他人に対して無関心なのは承知しているが、未来を予知する力にさえも関心がないならなおさら俺に興味を持つ理由が見えないな」
「そうだな、端的に言えば君の存在そのものが興味の対象だ」
ハロルドの存在そのもの。その言葉の細かい意味合いまでは分からないが、なんとなく嫌な予感が頭をよぎる。
そしてそれは続いた言葉を聞いてほぼ確信へと変わった。
「君が内包するいくつかの異常性。まあそこに未来予知を含めてもいいだろう。これらを踏まえて考えれば、君はこの世界の理から外れた存在だ」
「……何が言いたい?」
「まだ仮説の段階だが、敢えて問うならばこう尋ねようか。ハロルド・ストークス、君は何者だ?」
字面だけを見ればなんとも哲学的な問いのようにも思えるが、もちろんそういう意味ではないことは明確だ。
ユストゥスはハロルドに、ハロルド・ストークス以外の何かを見ている。その原理も正体も掴めていないようではあるが、平沢一希の存在を朧気ながらも察知している。
無機質な声とこちらを射抜くような冷たい視線を前にすると、そう感じざるを得なかった。
「……質問の意味が分からないな。俺は俺だ」
「やはり君は嘘をつくのが苦手なようだ。まあ仮説が正しかろうと間違っていようと同じような答えしか返ってこなかったんだろうけどね」
「ふん、当てが外れたか?」
「そうでもないさ。こうして私と会話をしていることも、ある意味では仮説のちょっとした証明にはなっている」
ユストゥスの思考がハロルドにはまるで読めない。なぜこうして話しているだけでも仮説の証明に繋がってしまうのか。
原作から大きく離れた展開となった今となっては原作知識も役に立たない場面が増えた。こうなってくると言葉一つ、反応一つさえも自分では気付かない内にヒントを与えしまっているかもしれないと思えばこの上なく恐ろしい。
この男と対面していると、抑え込んでいる死への恐怖という感情が掘り起こされてしまいそうだった。
「それはよかったな……それで、貴様は俺をどうするつもりだ?」
「ボクの計画を成功させることを最優先とするならば君はそれを阻む最も危険な存在と言える。殺した方が安全であることは間違いないが……」
普段は光のない、まさに“死んだ魚のような”と形容するに相応しいユストゥスの瞳だが、今はサラの体に憑依しているのもあってか爛々とした輝きが灯る。狂気に染まった瞳はハロルドを映しているようで、しかし他の何かを見ているようにも感じられた。
「ハロルド、君はボクと彼女にとっての可能性だ」
「可能性だと……?」
「ああ、そうだとも。ボクの計画を無価値にしてしまうほどの可能性を君は秘めている」
ユストゥスが何を言っているのか、ハロルドには皆目見当がつかない。
かつて亡くした最愛の恋人・エステル。彼女を生き返らせる、正確に言えば彼女のアストラル体を回収して星の子の素体に定着させることで疑似的に死者を蘇生させようというのがユストゥスの計画だ。
そのためにはまずこの星の核を露出させる必要があり、さらには自身を星の核と同期するという暴挙を行うことで核が崩壊して大陸が沈む可能性がある。
確かにハロルドはその計画を阻止しようとしている。けれどそれを“計画を無価値にしてしまう”などとは表現しないだろう。可能性と言っている以上、ユストゥスの既存の計画を上回るだけの何かをハロルドが有しているということだ。
しかしいくら考えても自分がそんな手札を握っているとは思えない。
「とうとう頭がおかしくなったか?」
「確かめてみるかい?狂っているのはボクか、それともこの世界か」
いや絶対お前の方が狂ってるよ、という言葉は飲み込む。ユストゥスを相手に嫌味や罵倒をぶつけても意味がないのだ。
そんなことよりもまるで分らないことばかりのこの状況から少しでも情報を得て、抜け出すことが何よりも最優先だ。故に上機嫌で言葉を連ねるサラの姿をしたユストゥスの様子をじっと見つめる。
「まあどっちであろうと些事だがね。ボクにとって唯一の目的さえ果たせるのなら、この世界の何もかもが狂っていても構わない」
それは嘘偽りのない、心の底からの言葉だろう。
ユストゥスにとって大切なのはエステルという存在ただ一つで、それを取り戻せるのなら自分や世界がおかしかろうとどうでもいいのだ。まさに狂気的な愛と呼べるだろう。
「話を戻そうか。ハロルド、ボクが思うに君はその身に自分とは異なる存在を有しているだろう?」
勿体ぶることもなく、なんの気なしに放たれた核心に迫る一言。
どうやってその答えにたどり着けたのかハロルドには分からないが、しかしずっといつかはバレるのだろうという確信にも近い思いがあったし、だからこそ最も警戒していた。
「君の異常性は二重人格や解離性の症状とは完全に異なるものだとボクは見ている。元々一つであった自己が分離するのではなく、別々の自己が一つの肉体の中に存在する事象だとね」
ハロルドの体を動かし今こうして思考している一希は、確かに体の中に眠っている原作のハロルドとは明確に異なる自己を有している。一希としての視点から見れば、そもそもハロルドとは存在していた次元が違うのだから。
あのユストゥスがこの世の理から外れたと言うほどの事象ならば間違いなく珍しい、恐らくはこの世界においてハロルドの身にだけ起きているものだろう。ユストゥスはそこに何かしらの可能性を見出している。
「君が眠っている間に色々と調べさせてもらった」
眠っている間に、ということはバーストンの町での戦闘からすでに何日か経過しているのだろうか。意識を失っていたハロルドからすればつい数時間、長くても昨日くらいの出来事という感覚なのだが、もしかすると認識していたよりもさらに危険な事態に陥っているのかもしれない。
「随分と今さらだな」
「それだけ警戒していたということさ。どんな罠が仕掛けてあるか分かったものではないからな、万全を期す必要があった」
さすがにそれだけのためにバーストンの一連の出来事を起こしたとは考えにくいが、計画の一部を利用してハロルドを疲弊させ、安全に捕らえる算段だったのかもしれない。だとしたらまんまと罠にかかったのはハロルドの方である。
ハロルドとしては罠と言えるようなものは何も仕掛けられていなかったのだが。精々「もし襲われたら全員ぶっ飛ばして逃げよう」くらいにしか考えておらず、それがかえってユストゥスの目には不気味に映っていたのであれば彼も万能ではないのだろう。
「だがその結果として君の体には二つのアストラル体が宿っていることが判明した。一人の人間の体に二つのアストラル体……これは理論上あり得ないことだ」
「……未来予知のように、か?」
「確かにこれも君の異常性を象徴するものだろう。結論から言えば君に起きている事象がどんな原理によって引き起こされているか、まるで解明できなかった。」
「潔く白旗を挙げるなど貴様らしくもないな」
「解明できないのは“今は”というだけだ。時間さえあればその限りではない」
現実世界の人間がゲームのキャラクター、もしくはゲームに酷似した異世界の人物に憑依するなどそれこそ神の御業のようなものとしか言えないような気がするのだが、それでもユストゥスならば本当にその領域に到達し得るのではないかとハロルドには思えてしまう。
「だから安心したまえ。この事象を解明するまでは君を殺したりなどしないさ」
「……何故だ。どうしてそこまで――」
「君に、この事象に固執するか、か?」
ユストゥスの笑みが一層深くなり、そこに浮かぶ狂気もさらに色濃いものとなる。
「なぜならこの謎を解明しさえすれば!ボクと彼女は同じ体の中、同じ世界で誰よりも何よりも一緒に居られるだろう!文字通り一つになることだって夢ではないんだ!」
同じ体を共有して一緒に居られると、そしていずれは一つになれるかもしれないとユストゥスはそう言った。それが夢のようなことだとも。
ユストゥスにとってはエステルとそうなれることは素晴らしいと感じるのだろう。彼女を取り戻すためなら世界が崩壊をも許容できる男なだけはある。
だが……。
「笑えるな」
自分の口から吐き出された言葉はいつも以上に冷淡なものだった。その理由は腹の底から湧き上がるような激しい怒りによるものだ。
今のハロルドが置かれた状況が素晴らしいと、夢のようだとユストゥスは言ったのだ。ハロルドがこの八年間でどれだけ苦しみ、悩み、恐怖や悲しみを味わったのかを知りもしないで。
ましてや平沢一希は故郷や自分自身の肉体さえ失い、それを取り戻せるかどうかも分からない。それでも死にたくない一心で、もがき苦しみながら駆け抜けてきた。
全ては生きて物語のエンディングを迎えるため、この男の計画を阻むために。
「実にくだらない。だが貴様がそれを望むなら、俺は絶対にその願いを叶えさせてなどやるものか」
「その口振りは自分の身に起きていることをある程度理解しているようだが」
「そうだとしても貴様に教えることは一つもない」
「そうか。予測していたことだが自白剤の効果は無いようだな」
どうやら目覚める前に自白剤を投与されていたらしい。先ほどの会話をしているだけでも仮説の証明になるというのは、自白剤の効果が無いことの要因が二つのアストラル体を持っていることに起因でもしているのだろうか。
元の世界と同じようなモノなら意識が混濁したり、テンポのいい受け答えなども難しいはずだ。なんにしろ相変わらず抜け目がない。
ユストゥスがパチンと指を鳴らす。
すると扉が開き、そこに控えていたのか十人以上の男達が現れる。その中には何人か見覚えのある者がいて、その最たる存在はコーディーだった。
彼らの共通点は服装からして全員が騎士団に所属していること、そしてその瞳の色が“ユストゥスと同じ”空色だということだ。
「君はこの未来を予知していたかい?ハロルド」
言いつつ、コーディーの姿をしたユストゥスが剣を抜く。他の騎士団員もそれに倣い、誰もが生気の薄い笑みを浮かべていた。
信じ難いことだが、サラとコーディーだけでなく彼ら全員ユストゥスが自我を分割した存在なのだろう。
「さて、次の実験を始めてみようか」
少女の声色でユストゥスがそう告げる。
そこは、紛れもない狂気を体現した空間であった。




