127話
「なぜハロルド様のことを?」
「今回の襲撃について、そして今後のことについてハロルドと話をしたい。だが私は彼の居所を知らないものでね」
「ですからそれを私へ聞きにきたということですか」
「ああ。ハロルドと親交のある君なら知っているのではないかと思ったんだ」
そう言われたエリカの瞳が一瞬だけ揺らぎ、ぐっと何かを飲み込むように口を真一文字に結ぶ。
だが、大きく息を吐き出すと元の凛とした雰囲気を取り戻していた。
「確かにハロルド様の足取りは把握しております。ですがそれをお教えできるほど私達の間に信頼関係があるとは言えません」
エリカはフィンセントを真っ直ぐ見つめたままピシャリとそう言い切った。
あまりの歯切れの良さに思わず笑ってしまいそうになるが、そんな態度を見せれば余計に溝ができてしまうだろう。
「隠さずお伝えいたしますが私は貴方に、正確には騎士団の上層部に対して不信感を持っています」
「……なるほど」
フィンセントはエリカの言いたいことをおおよそ理解する。
五年前、ベルティスの森での一件で当時の騎士団長とハロルドが参加した遠征部隊の隊長は彼の処刑に賛成の立場を示した。そう考えればエリカが騎士団という組織に不信感を抱いている気持ちは分かる。
「君は私を含めた騎士団の上層部がハロルドに敵意を持っていると考えているわけか」
「当時貴方がハロルド様の処刑に反対の立場だったことは承知しています。けれど今もそうである保証はありません」
恐らくエリカは騎士団という組織が何者かの意思に取り込まれていることを強く疑っているか、あるいは確信している。事実、聖王騎士団の成り立ちは数世代ほど遡るが現国王の祖先が私兵として登用していた者達である。
その影響が今でも色濃く残っているのはもはや周知の事実ではあるが、エリカの口振りから察するにそういった意味ではないのだろう。つまり国王の意向以外の力が働いていると考えているわけだ。
「確かにそうだ。ではまず手始めに私の方から君に情報を開示しよう」
「お聞かせください」
「騎士団の上層部にある者の息が掛かっていたことは間違いない。そのある者の名前は、ユストゥス・フロイント博士。ハロルドは彼と敵対していて、今回のトラヴィス襲撃の黒幕であると私は見ている」
ユストゥスの名前を出し、そして彼を疑っているとフィンセントが口にすると空気が色めき立つ。彼らもユストゥスに対して何かしらの情報を握っていると見て間違いないのだろう。
そんな中にあってエリカの表情だけは変わらない。
「息が掛かっているのは貴方も含めて、ですか?」
「そう“だった”。今は違うがね」
「そう言い切れる根拠は?」
「洗脳と言えばいいのかな。恥ずかしい話ではあるが私もフロイント博士に操られていたが、それをハロルドに助けてもらった身だ」
これ以上どこまで話そうか、とフィンセントは逡巡する。
ハロルドと親しいエリカに対してなら隠す必要はないのかもしれないが、ハロルド自身がそれを望んでいないのではと思う。
言動から察するにハロルドは秘密主義者だ。より正確に言うなら多くの物を一人で抱え込んで、他人に協力を求めない類の人間だとフィンセントは感じている。それは能力の高さからくる自信なのか、それとも明らかに危険なことへ首を突っ込んでいるため他者をそれに巻き込みたくない故なのか。
後者であればここですべて打ち明けてしまうのはその想いを蔑ろにしてしまうかもしれない。
「それが根拠になるということは、トラヴィスに騎士団が展開できたのはハロルド様から今回の襲撃を教えられたということですね」
しかしそんなフィンセントの思考を飛び越えるようにエリカは真相にたどり着く。
確かにひとつひとつの関連性を考えれば思い至れるのかもしれないが、それを瞬時にやってしまえる辺り相当頭は切れるのだろう。
「えっと……どういうこと?」
話についていけていないのか赤い髪の少年は首をかしげている。
その隣のポニーテールの少女もよく分かっていない表情をしていた。
「ライナー、アンタもハロルドがユストゥスの企みを潰して回ってるのは知ってるでしょ?団長様の洗脳を解いて騎士団をトラヴィスに寄越したのもその一環ってことよ」
「まあそれも彼の言っていることを信じれば、という条件が付くけどね」
「おいおい、それを言い出したらキリがねぇじゃねぇか」
疑おうと思えばいくらでも疑えるだけに、彼らの中でも意見が割れるのは当然と言える。
とはいえフィンセントとしてはここで揉めている時間も惜しいのが実情であり、まずはエリカ達に信用してもらわなければいけない。
何より向こうはフィンセントが想定した以上にこの件に関しての情報を持っているようだ。ハロルドと繋がりがあることを考えればそれは当たり前のことだったのかもしれないが。
「今から二ヵ月近く前のことだ、私はハロルドから直々に忠告を受けた。その内容は『トラヴィスに人員を割いておけ』『あそこはいずれ地獄になる』というものだった」
「やはりハロルド様はトラヴィスが襲撃されることを知っていたのですね」
「ああ、そう考えてまず間違いないだろう。そしてさらにその忠告からしばらくしてハロルドから今度は一通の手紙が届いた」
「その手紙にはなんと?」
「バーストンという町の地下にも大量のモンスターが蠢いているのを発見した、との内容だった」
「マジかよ……」
思わずといった様子で青い髪の青年がそう漏らした。
エリカの表情もわずかではあるが強張ったように見え、室内の空気がより一層重たくなったように感じる。
「その手紙を受けてバーストンにも団員を向かわせたが、そこでも確かにモンスターの大群を確認している。それについての情報共有や対応策をいち早く彼と話し合いたいと……」
「お待ちください。騎士団の方ではすでにバーストンでも襲撃が起きたことを把握できていないのですか?」
「何?」
そんな報告は受けていない。確かにここ数日はトラヴィスでの対応で手一杯だったが、向こうでも襲撃が起きたとなればフィンセントまで報告が届いているはずだ。
(一体、何が起きている……?)
トラヴィスとバーストンで同時に起きたモンスターの襲撃、これらはまず間違いなく関係がある。それが同時に発生するというのは確かにあり得る話だ。
しかしだとすればなんの報告が届いていないのはおかしい。
「どうやら寝耳に水のようですね。騎士団はこれからどのように動きますか?」
「まずは速やかな事実確認が必要だ。確認が取れ次第、現地に人員を派遣しなければならない」
「そのような手順を踏むしかないのでしょうね。現地への到着が早くても一週間はかかるとしても」
エリカの言う通り、それくらいの時間はかかってしまうだろう。騎士団が空船を有していると言っても現地の事実確認や被害状況を把握してから初めてどういった部隊をどれだけの規模で派遣できるか決められる。もちろん有事の際にはフィンセントの現場判断である程度の融通を利かせることは可能なのだが、今はこのトラヴィスも有事の最中なのだ。
王都の治安維持のために残っている人員を除くと、現在動ける者の内のほとんどがここトラヴィスにいる。そして被害状況を鑑みればトラヴィスの人員も可能な限り動かしたくはないというのが実情だ。そのためバーストンに動員可能な団員の選定にも時間がかかる。
「組織である以上は仕方のないことだ。それでもできることをやるしかないのでね」
「では私から一つ提案を。明日の午後、スメラギが手配したサンティア商会の空船がトラヴィスに参ります。積み荷は主に食料と医療品、そして各種日用品」
サンティア商会と言えば国内でも有数の大商会である。王都にも頻繁に出入りしているし、大きな商船も複数所有していたはずだ。
それだけの規模の商会であれば常に多くの在庫をストックしているし、足りないものも自前の流通経路で速やかに確保、運搬することも可能だろう。今回のような有事にこそ最も輝ける存在と言えるだろう。
「……スメラギほどの名家ならば確かに大きな商会との伝手もあるのでしょう。それでも些か迅速に過ぎるとは思えるが」
「ええ、事実それらの支援物資は元々別の目的でスメラギが確保していたものですから」
「どういうことです?」
話が見えずにフィンセントは聞き返す。
「少し前、スメラギにも同様にハロルド様からのお手紙が届けられていました。内容を要約すれば『バーストンがモンスターに襲撃される恐れがあり、それに伴い住民を避難させるからスメラギでも受け入れ態勢を整えていてほしい』というものです」
つまりハロルドは騎士団にトラヴィスとバーストンの襲撃を警告し、自身はバーストンで住民を避難させつつスメラギに避難民の受け入れを申し入れていた。故にスメラギは多くの支援物資を事前に用意してあり、それをトラヴィスにも提供するということなのだろう。
それならばここまでの速さで動けたことも頷けた。
「荷下ろしが終わればサンティア商会の空船に同乗させてもらう手筈を整えております。そしてこちらの条件を飲んでいただけるのであればバーストンの状況をできる限りお伝え致しましょう」
連絡をもらっていたことで前もってバーストンに人を派遣していたならば向こうの状況を詳しく把握できているのは間違いないはずだ。
エリカの条件とやらを飲めば、本来ならば一週間近くかかるだろう被害状況を確認するための時間を大幅に削減できるだろう。そうなれば騎士団も迅速に行動することが可能となる。
相手が相手なら相当警戒しなければならない話だ。だが今フィンセントの目の前にいるのはハロルドの元婚約者でありながら、今もなお彼の力になろうとしている人間だ。
ハロルドという男は謎が多く表面上は粗野で傲慢であるように見える。しかし直に接して言葉を交わしたフィンセントとしては、誰かを助けるために必死になれる、信頼するに値する男だと感じた。
そしてエリカ自身も今回の一件で知り得た人間性は、そんなハロルドとどこか重なって見えた。
ならば信じてみよう、とフィンセントは意を決する。
「良いでしょう。その条件とは?」
「貴方を含め、可能な限り騎士団の方にもバーストンまで同行を願います。明後日の朝にはここを発つことになりますが、その日の午後にはバーストンの町がある山の麓には到着できるでしょう」
「……条件、というにはこちらにデメリットが無いように思えるが」
バーストンの被害状況を共有してもらえるだけでフィンセントとしては大助かりだというのに、商会の空船に搭乗させてもらい考え得る限り最速で現地に入れるというのだ。
これだけであればフィンセントの方から頭を下げてお願いしたくらいの話である。
「そうですね、私の条件はバーストンに到着してからのものになりますので。ユノ、こちらに」
「畏まりました~」
間延びした口調の女性がエリカに呼ばれて歩み寄ってくる。恐らくはエリカの侍女か何かなのだろうが、そのおっとりとした雰囲気からは想像もできないほど隙のない身のこなしが印象に残る。
エリカはその侍女から何かを受け取るとそれを机の上に置いた。それは一枚の、手のひらサイズほどの大きさの金属プレートだった。
「これは?」
「マジックアイテムの一つです。その機能は現実の光景を切り取り、映像として記録できるというもの」
一口にマジックアイテムと言ってもその実態は地味なものからどんでもないものまで多岐にわたる。フィンセントも大して詳しくはないが、現実の光景を映像として記録できるのならかなりの代物だろうということくらいは理解できた。
そして机に置かれたそのプレートには衝撃的な光景が映し出されていた。
「これは……ひどいな」
「はい。ですがこれがまぎれもない今のバーストンです」
言葉もない、とはまさにこのことである。トラヴィスの惨状も目を覆いたくなる光景ではあるが、バーストンもまた負けず劣らずの被害であるようだった。
町の中にはモンスターの死体の山が築かれ、家々はトラヴィスと同様に破壊されていたり焼け落ちているものが大半。そして何より、町の三分の一ほどの面積が陥没したのか崩落してしまっていた。
「幸いにしてモンスターの襲撃に巻き込まれた住民は居ませんでした。しかしその避難の時間を稼ぐために戦っていた方達がいます」
「まさか、彼が?」
フィンセントの問いかけにエリカは小さく頷いた。
「住民やハロルド様と共に戦った騎士団の方達はみな助かったと報告がありました。ですが最後まで残ったハロルド様は、崩落に巻き込まれて……行方不明だと」
「……それはつらいことを聞いてしまったね」
「いえ……構いません」
気丈にもエリカは目じりに涙をためることもなくしっかりとフィンセントと向かい合う。
ハロルドとエリカの間に何があったのかは分からない。
しかしきっとエリカはまだハロルドのことを心から想っていて、だからこそ行方不明という報には悲しみ、恐怖しているのだろうと思う。そのうえでそれを押し殺している彼女の強さは、フィンセントとしても尊敬できるものであった。
「ご覧の通り、今のバーストンはかなり危険な状態です。それを承知で言いましょう。貴方には崩落に巻き込まれたハロルド様を探すために協力をしていただきます」
「それが君からの条件ということでいいんだね?」
「はい」
「承知した。今すぐ準備に取り掛からせてもらう」
そう伝えて、フィンセントは席を立った。
踵を返す間際、やや俯いたエリカの瞳に涙が浮かんでいたような気がしたが、それは見えなかったことにした。




