126話
モンスターの大群による侵攻という未曽有の災害はトラヴィスの街に大きな被害をもたらした。人々は我先にと逃げ惑い、発生した火災を止める時間も人手も足りるはずがなく延焼し続けた。
その結果として逃げ遅れた数百人が亡くなり、現在も捜索を続けている行方不明者を含めれば被害は千人を優に超えるだろう。街の建物も五割は倒壊するか焼け落ちた。
聖王騎士団がいなければその被害はさらに拡大していたことは間違いない。それでも尽力した騎士団、その団長であるフィンセント・ファン・ヴェステルフォールトには安堵も達成感もなかった。
多くの命を救ったのだと実感するには、救えなかった命が多すぎた。
「だが、ハロルドからの助言がなければ被害はこんなものでは済まなかっただろうな……」
『トラヴィスに人員を割いておけ』『あそこはいずれ地獄になる』と、ハロルドはそう言っていた。それもこの災害が起きる数ヵ月前に、である。
そうなると彼はトラヴィスの街がモンスターに蹂躙されることを事前に知っていたと考えるのが妥当だ。
(それはいつ、どうやって知り得た?)
一種族ではなく、複数の種族のモンスターがまとまって街を攻めるなどという事例はフィンセントとしても聞いたことがなかった。つまり何か予兆なようなものがあったとは考えにくいし、あったのだとしてもそれを予兆として捉えることができるとも思えない。
だが、誰かがなんらかの手段でモンスターを“操った”のだと仮定すればフィンセントの脳裏に一人の人物が思い浮かぶ。その人物はハロルドとも強いつながりを持っていて、ハロルド自身は彼と敵対しているとフィンセントやコーディーに明言していた。
ユストゥス・フロイント博士。
王国を代表する科学者であり、ハロルドによれば愛した者を生き返らせるために世界を破滅させる可能性がある極めて危険な男。
そしてフィンセント自身も彼に洗脳まがいのことをされた経験がある。
ユストゥスがこの一件の首謀者であり、彼の近くにいたハロルドがその目論見を見破って助言をくれた、と考えれば自然な流れのようには思える。少なくともハロルドは騎士団が把握していない情報をかなり多く握っているのは間違いない。
「もう一度、ハロルドと話をしたいところだな」
「ハロルド……ハロルド・ストークス氏ですか」
「ああ」
副官であるシャノンがフィンセントの呟きを拾う。シャノン自身はハロルドと直接の面識はないが、入団試験での大立ち回りを目撃し、フィンセントからの指示でハロルドの身辺調査を行った過去もあるためその存在や人物像は把握できている。
「問題は彼が今どこにいるのか分からないことだが」
「フロイント博士と行動を共にしているのでは?」
フィンセントとしてはその可能性は低いだろうと考える。理由はもちろんハロルドがユストゥスへ敵対行動を取っていることを知っているからだが、それをシャノンに伝えても混乱させてしまうだけだろう。
「そうだとしてもフロイント付博士は行方知らずだ。こちらからコンタクトは取れないだろう」
「では知っていそうな人をあたりましょう」
「誰のことだい?」
「ハロルド氏の婚約者……いえ、今は元が付くようですが。エリカ・スメラギ氏が今現在この街に滞在しています」
「……」
このタイミングでハロルドの元婚約者がトラヴィスにいる。それは果たして偶然と言えるのだろうか?
押し黙ったフィンセントを不思議がりながらシャノンが続ける。
「団長は彼女がこの街にいることをご存じではありませんでしたか?」
「ああ、初耳だ」
「エリカ氏はモンスターの侵攻時に前線でモンスターを一掃していたようです。団長も見たでしょう?空が裂けたのかと錯覚するような魔法を」
「何者の仕業か調べるのは後回しになっていたな。あれをやったのが彼女か」
騎士団がモンスターの物量に押されていた際に、何度か目を疑うような威力の魔法が放たれていたのはフィンセントも確認している。
そのおかげでモンスターの圧力が弱まりフィンセントが中心となって押し返すことが可能だった。深窓の令嬢かと思いきや腕の方もかなり立つらしい。
「つい先ほど報告が上がってきたばかりです。侵攻の終息直後は避難所に詰めて多くの患者を治療していたようで、今も炊き出しなどの作業を行っているそうです」
「それは頭が下がるな……」
スメラギ家といえば王国でも有数の名家だ。エリカはそのご令嬢であり、前線での危険な戦闘はもちろん、衛生兵や炊き出し作業など彼女の身分だけでいえば参加するようなものではない。
それでもここまで人々のために尽力するのはひとえに彼女の人柄なのだろう。
「彼女だけでなくその仲間と思われる数名が戦闘でもかなりの働きをしてくれたようで、それが被害の拡大を食い止めたのは間違いありません。感謝を伝える意味も込めて会いに行きますか?」
「ああ、そうするよ。私一人で行くから君には引き続き現場を任せても平気かい?」
「当然です。戦闘では役立てない分、こういう時こそ私の働きどころなので」
確かにシャノンは戦闘向きの人員ではないが、どうにも謙遜が過ぎるのが玉に瑕だな、とフィンセントは思う。そんな上司の気など素知らぬように現場作業に戻っていくシャノンの背を見送ってからフィンセントもその足を避難所へと向ける。
現在避難所になっているのはこの街の高台にある教会とその庭園だ。元々観光の名所の一つだったこともあり広さも充分で、高台という立地のおかげでモンスターの攻撃や火事に巻き込まれなかった場所である。
今のフィンセントは甲冑こそ脱いでいるが腰には剣を差しているし、その上しっかりと制服を着ているので一目で騎士団の人間だと分かる出で立ちだ。そもそも元から知名度が高いことも相まって、かなり混雑している避難所に現れたとなれば当然ながら注目を集める。
しかしフィンセント自身はそうやって注目されることは慣れていた。むしろこうして姿を公に晒すことで不安を感じている者には騎士団という存在によって安心感を与え、騎士団へ不満や怒りをぶつけたい者に対しても自分が矢面に立つようにするという思惑もある。
剣によって物理的な脅威を退けるだけが騎士団の役割ではない、というのがフィンセントの騎士としての信念であった。
まあ今回に限って言えばすでに避難所内で援助活動を行っている団員もそれなりにいるので悪目立ちすることもなくスムーズに話を聞くことができそうであった。
申し訳ないと思いつつ、忙しなく動き回っている修道女の一人に声をかける。
「すまない、少し良いだろうか?」
「き、騎士様!ええっと、何か御用ですか?」
「ここで患者を治療していたエリカという女性がいると聞いた。彼女に少し話があるのだが、今はどちらに?」
「エリカさんですか?確か先ほど教会内の応接室に入っていくのを見かけましたが」
「応接室か。来客でも?」
「どうでしょう?仲間の方たちも一緒でしたけど、詳しいことは……」
仲間、というのは恐らくフィオナからの報告で聞いた者達だろう。
彼らもエリカと同様にモンスターとの戦闘に参加していたらしいし、一緒に居るなら感謝を伝えるには良いタイミングかもしれない、とフィンセントは考える。
「そうか。ひとまず場所だけ教えてもらえるだろうか」
「教会の中に入って右手側の扉の奥になります。ただ、基本的には関係者以外は立ち入りが禁止されていますので……」
「その辺りの交渉は自分でしよう。時間を取らせてしまい申し訳なかった、ありがとう」
現在エリカがいるのは応接室ということらしい。教会内に足を踏み入れれば避難している住民が未だ多くいた。
ただ話に聞いていた通り怪我人や重症者の姿は見受けられない。そんな教会内を見渡すと向かって右側に教えてもらった扉を見つける。その扉をゴンゴンゴン、と三度ノックすると一呼吸を置いて開いた。
扉を開けたのは六十代だろう白髪の男性だった。その格好からこの教会の司祭であることが一目で分かる。
そして相手側もフィンセントが誰であるか知っているようだった。
「これはこれは聖王騎士団の団長様。この度は我らをお守りくださりありがとうございます」
「それが騎士の役目ですので。むしろこちらとしては力及ばず、私の未熟故に救えぬ命も多くありました」
「そうご謙遜なさらないでください。ところで本日は何か御用ですかな?」
「先のモンスターの来襲時、私達に力を貸してくれた者達がここにいると聞きましてね。是非とも彼らに感謝を伝えたいと思い不躾にも訪ねさせていただいた」
「なるほど、そういうことでしたか。しかしながら今はタイミングが悪いかもしれませね」
やはり来客か何かがあったのだろうか。
さすがにこの場で詳しい話を聞くのは難しいと判断したフィンセントは、エリカ達の話し合いが終わるまで待つかどうかを思案する。
「承知の上だ。もしよければ彼らの話し合いが終わるまで待たせてもらっても?」
「それは構いませんが……」
「いいえ、その必要はありません」
フィンセントと司祭の会話に、鈴を転がすような声が割って入る。
その声がした方に目を向ければ、窓から差し込む柔らかな光を浴びた黒髪の女性が一人立っていた。その美貌も相まってかその立ち姿は一種の神秘さすら感じさせる。
フィンセントの記憶にある彼女の姿は五年前のものであったが、それでも見間違うはずもない。
「こうして直接言葉を交わすのは初めてになりますね。エリカ・スメラギと申します」
「聖王騎士団団長、フィンセント・ファン・ヴェステルフォールトです」
お互いに深く頭を下げ合う。
傍目から見れば礼儀正しい二人だが、フィンセントはどこかヒリついた空気をエリカから感じ取った。
「どうぞこちらにいらして下さい」
エリカは特に何かを聞き出そうとするでもなくフィンセントを応接室に招き入れてくれるようだった。
「良いのですか?」
「はい。恐らくですがこうして貴方が訪ねた理由も、今の私にとっては必要になるものだと思いますので」
その言葉の真意がフィンセントには掴めなかった。
しかし何かを含んだような言葉とは裏腹の真っ直ぐとした、それでいてこちらの胸の内を見透かすような視線。
この年齢でこれだけ油断ならないと思わされる雰囲気を持った人間に出会うのはフィンセントとしても初めての経験だった。
ハロルドの元婚約者という肩書にも納得できる。将来的にどうなるかは不明だが、あの傑物と結婚するならば確かにエリカのような女性が相応しいのだろう。
そんなことを考えながら応接室に戻るエリカの後ろに付いて行く。
通された室内にはエリカを含めて十名近くの人間がいた。
「突然の訪問で申し訳ない。私は聖王騎士団団長のフィンセントだ」
「き、騎士団団長!?」
赤い髪の少年が一際大きな反応で驚く。
彼だけでなく他の面々も多かれ少なかれ騎士団の団長という立場の人間が現れたことを驚き、不思議がっていた。
「騎士団ともなれば今は各所への対応で多忙を極めているはず。その長が直々にこちらに出向いた狙いはなんだい?」
「フランシス?どうしたんだ、お前」
フランシスと呼ばれた青年は明確に棘のある言葉でフィンセントを牽制してくる。青い髪の男がその態度を不審がっているのを見ると、普段はこういった物言いをしない人物なのだろうと察しは付くが。
「今回の襲撃事件においてエリカさんを始めここにいるみなが危険を顧みず戦い、負傷者を多く治療したと聞いた。騎士団の団長として、そして私個人としても感謝を伝えたいと思ったんだ」
この気持ちに嘘はない。
見回すように全員と目を合わせてからフィンセントは先ほどよりも深く頭を下げた。
「本当に感謝している。ありがとう」
「感謝だなんてそんな!当然のことをしただけです!」
「そ、そうですよ!頭を上げてください!」
まだ幼さを残した赤い髪の少年と金髪の少女は騎士団の団長から直々に頭を下げられてお礼を言われるという事態に恐縮している様子だった。
対してエリカやフランシス、そしてこの中で最も幼いと思われるローブをまとった少女は警戒とまでは言わないまでもフィンセントの真意を探ろうとしている。
「話したかったのはそれだけかしら?」
「……いいや。エリカさんに聞きたいこともある」
フィンセントが佇まいを直す。
そんな空気の変化を察知してか、恐縮しきりだった二人も真剣な表情で次の言葉を待ち構える。
「私に聞きたいこととはなんでしょうか?」
「エリカさん、君はハロルド・ストークスの居場所をご存じないだろうか?」
その言葉を発した途端、室内の空気が一気に重苦しいものに変わったことをフィンセントは肌で感じた。