122話
「なあ、本当にこのままでいいと思うか?」
避難するバーストンの住民達と一緒に山を下っていたシドが、周囲を警戒したまま顔を向けることなくそんな言葉を溢した。それを向けられたアイリーンは否定も肯定もせず、口を真一文字に結んだまま前を向いて歩く。
いいわけないでしょ、と言いたかった。恐らくシドもそんな言葉が返ってくるのを望んでいることも分かっている。
しかし今、二人には避難する住民の護衛という任務がある。騎士団としてその仕事を放り出すことはできない。騎士団自体が大規模作戦の影響で即時展開可能な人員のほとんどがトラヴィスに出向いているため、今回の避難誘導でさえハロルドが組織したというフリエリの手を借りなければままならない、というのが現状なのだ。
それに脅威は町の地下に潜んでいるというモンスターだけではない。それ以外にも山の中に生息するモンスターがこちらを襲ってくる可能性だって充分考えられるのだ。ハロルドが心配だからと言って、戦う力を持たない人々を置いてこの場を離れることなどできるはずがない。
「ほんとにアイツは無茶ばっかりして……!」
そう憤ってみても、だからと言って現状以上の解決案を自分が提案できないことはよく分かっている。そう理解しているからこそ余計に歯がゆかった。
自分がもっと強ければ、違う作戦を立案する能力があれば。無駄だと分かっていてもそう思ってしまう。
生意気を通り越し傲慢で、年下としての可愛げなど一切ない。それでも死んで当然な悪人だとは思わないし、命懸けで避難の時間を稼いでくれているハロルドのために自分にできることがあるのならば……。
「……ん?なんか後方が騒がしくねぇか?」
シドがふと何かに気が付いたように振り向く。言われてみれば確かにざわついているような気配がする。
モンスターに襲われてパニックに陥っている、というわけではなさそうだが。
何事かと様子を窺っていると一人の団員が駆けてきた。シドがその団員に声をかける。
「おい、何かあったのか?」
「ああ、シドか。実はな……」
そうして彼から語られた事の顛末を要約すると『“子どもが少し目を離した隙に忘れてきたぬいぐるみを取りに町に戻ったかもしれない”と訴える夫婦がいた』という話だった。
「いや大問題じゃねぇかそれ!」
「というか周囲を護衛してる連中もなんで気付かないのよ!」
町に戻ったにしろ単にはぐれたにしろ、集団から離れていく子どもの存在を見落としてしまったのは完全に騎士団の失態だ。確かに人手に限りがある厳しい状況ではあるがそれを言い訳にはできないし、してはいけない。
これで子どもに何かあればその子の両親にも、危険を冒してみんなが無事に避難できるよう時間を稼いでくれているハロルドにも顔向けができない。
「返す言葉もないが、ひとまずラガレス隊長に事態を報せなければ」
「……分かった、俺が隊長のところまで伝えてくる。代わりにお前はここに残ってくれ」
「了解した」
「んで、アイリーン」
「何よ?」
「お前は後方指揮を取ってるバーベイト分隊長のところに走れ。避難民の護衛は続行されるけど、それとは別に少数の捜索班が組まれるはずだ」
シドが言いたいことを理解して、アイリーンは強く頷いた。
両親の話をもとに捜索をするとなればバーストンの町にも向かうことになるだろう。ハロルドやフリエリが作戦に失敗すればどれほどの危険を伴うかは明白だ。
「そういうことね……早く戻ってきなさいよ?」
「当然だろ。つーか俺が行くまで先走るんじゃねーぞ」
「それが嫌なら急ぐことね」
そう言葉を交わし、次の瞬間に二人はそれぞれ前方と後方、真逆に向かって駆け出し始めた。
◇
殺到するモンスター達の攻撃を躱し、捌き、利用する。
双剣で切り裂き、魔法で焼き払う。
戦闘を開始してから数十分。ハロルドは淡々と、それこそ無心でモンスターを屠り続けている。その数はとうに百を超えた。
それでもなお、ハロルドは戦うことを止めない。
町の住民達の避難が完了すれば信号弾が上がる手筈になっている。それが打ち上げられるまで耐え切ればひとまずハロルドの勝利だ。そのために限られた時間の中でできることには手を尽くしたつもりである。
しかし経過した時間を考えれば避難完了の信号弾が上がるのはまだ先であるし、それまで何事もなく順調に事が運ぶほどこの世界が優しくないことをハロルドは身を持って知っている。
だがその中で、ハロルドにとって朗報とは言えないまでもこの作戦を成功させる光明を得ていた。
それはレッドボトルの影響か、モンスター達がしっかりこの場に留まって執拗にハロルドを狙ってきているということだ。もしモンスターが完璧な統制下にあった場合、ハロルドを気にも留めずに住民を追う可能性があった。
そうなればハロルドだけでは対応できるはずもなく、フリエリや騎士団、そして住民にまで犠牲者が出ていただろう。そうならないだけでも戦いやすくはあった。
しかしその一方で想定していなかった問題にも直面していた。
広場でモンスター達の相手をするまでは計画通りだったが、そこに積み重なった屍で足場がなくなりつつあることだ。
当たり前の話なのだがこの世界はゲームとは異なり、倒したモンスターの死体が勝手に消えることはない。倒した分だけ広場を、足場を埋め尽くしていく。地面も大量に流れ出た血液のせいで滑りやすくなり広場での戦闘継続が困難になり始めていた。
つくづく自分の見通しの甘さを痛感する。
ハロルドは戦闘において自身の最大の強みはその速さであることを理解している。それを活かすために開けた場所でモンスターを待ち構えていたわけだが、これ以上広場に留まっての戦闘はかえって不利になるかもしれない。
ならば場所を移して、とも思うがレッドボトルの効果範囲まで移動した場合モンスター達の標的は果たしてどうなるのか。仮に狙いがハロルドから外れた場合、どういった挙動を取るのか予測しにくい。
そんなことを考えながらモンスターを屠り続けるハロルドの耳にヒューン、という甲高い音が届く。音がした方に目を向ければ赤い閃光が夜空の中に吸い込まれていった。
赤、つまり緊急事態を報せる信号弾だ。悲しいかな予想通り過ぎて微塵も動揺すらしない。
しかしこうなると、ああだこうだと考えている時間も惜しい。緊急事態ということは今回の作戦における前提条件が崩れたことを意味する。今は何が起きたのか、事態を把握するのが最優先だ。
魔法でひときわ大きな火柱を立て、複数体のモンスターを消し炭にしながら一旦姿を隠す。攻撃の対象を見失ったモンスター達の動きが鈍った隙を見計らい、あらかじめ決めていた緊急事態時の合流場所に急ぐ。
とはいえ町の中心部を戦闘領域にすること、加えてレッドボトルの影響下にあるモンスター達が暴走することも考慮して合流場所は町の西端に位置する石壁の櫓にしてある。
幸いにしてバーストンの町は小規模だ。ハロルドの全速力であれば町の中心からでも十分程度でたどり着ける。
「何があった。簡潔に説明しろ」
櫓に通じる階段ではなく窓から直接侵入したハロルドは、着くや否や前置きも相手の反応もお構いなしにそう告げた。
待機していたフリエリのメンバーはハロルドのいきなりの登場に面食らいながらもしっかりと現状の報告をしてくれる。
「せ、斥候からの信号で恐らく逃げ遅れた住民の人影を確認したと……!」
「場所はどこだ。何人いる?」
「発見したのは正門から北東二キロほどの地点ですが、暗闇に紛れてすぐに見失ってしまったとのこと!数は一人、発見者によれば恐らく子どもだろうとの報告です!」
「ちっ、面倒な……」
この状況で逃げ遅れた子どもが一人。しかも今は見失っている状態というのはなかなかに最悪だった。
どうするべきか、足りないと自覚している頭でそれでもハロルドは懸命に思考を巡らせる。
まず優先するべきは子どもの発見とその安全の確保だ。
「捜索はどうなっている?」
「最低限の連絡員を残して周囲の斥候を総動員して捜索中ですが、未だに発見できていません」
フリエリのメンバーが周辺を捜索していても見つからないということは、隠れているか動き回っているかのどちらかだ。正門付近は常に監視の目があるので“避難後の人の出入りについての報告がきていない”のだからやはり逃げ遅れであり、まだ町の中に取り残されているということだろう。
子どもならモンスターの存在に気が付けば怖がるはずだ。そのうえで逃げていないのであれば恐らくはどこかに身を潜めている可能性が高い。
それを見つけなければいけない。この暗闇の中、大量のモンスターを前にして。
「……町の北側にモンスター共を引き付ける。その間に見つけ出してさっさと離脱しろ」
「き、北側って一番大きな坑道がある場所ですよ!?そこに引き付けるなんて無茶です!」
彼の言う通り北側にはこの町で最も大きな坑道の入り口があり、大半のモンスターはそこから湧き出している。そこへすでに地上に出てきているモンスターを引き連れていけばどんなことになるかは火を見るより明らかだ。
当然ながらハロルドも必要がなければそんなことはしたくないが、逆に言えば必要だと判断した以上は四の五の言わずにやるしかない。
「黙れ。貴様らは俺に判断に従え」
「うっ……承知、いたしました」
ハロルドがさらに危険な目に遭うことに納得したわけではないだろうが、そうやって心配をしてくれる程度にはフリエリのメンバーに慕われているなら悪い気はしない。
気圧された様子で他の連絡員に光信号を伝える姿を見てそんなことを考える。
(まあ単に雇用主が死んで路頭に迷いたくないってだけかもしれんが)
そういえば自分に万が一のことがあった場合の運営の引継ぎとか一切やっていなかったな、とこんな時に縁起でもないことに思い至る。
死ぬ気なんてさらさらないのだからそれはある意味で正しいとも言えるだろう。とはいえもしも死んでしまった時の心残りに思えるくらいには彼らに情を抱いているのも事実だ。
始まりは自分の死亡フラグを回避するためだったのに、いつの間にか自分以外の人間を助け、今では死なせたくない存在を多く抱えてしまった。
ライナーにコレット、リーファ、フランシス、ヒューゴ、そして……エリカ。これから先、最も危険な戦いに挑むことになるだろう彼ら主人公達に、何の罪もないにも関わらず命の危機に瀕しているバーストンの人達。
それ以外にもゼンやノーマン、ジェイクらストークスの使用人や兵士達。
タスクやイツキ、ユノを筆頭とした隠密衆といったスメラギ家の関係者達に、わずかながらも籍を置いた騎士団のシドやアイリーン、それに自分が立ち上げたフリエリのメンバー。エル達ギッフェルトにもギブ&テイクの関係とはいえ大いに助けられてここまでやってこられた。
彼らと自分の命とを天秤にかければどちらに傾くのか、それはハロルド本人にも分からない。いや、分からないままでいいのだ、と思う。
自分の命も他人の命も、全部抱えて同じ側の秤に乗せてやれば万事解決だ。どちらの方が大切だとか、そんな無駄なことを考える必要もなくなる。
「報告完了いたしました!信号弾を合図に行動を開始できます」
「撃て。作戦開始だ」
夜空を切り裂くような黄色い閃光と、甲高く響き渡る音。
それらと共にハロルドは再び戦場に向かって飛び出していった。




