120話
人々が忙しなく行き交い、あちこちで悲鳴や怒号の声が上がる。その光景はまさにパニック状態に近いものであった。
ハロルドはそんな喧騒を人気の少ない高台から見下ろしていた。バーストンの町がこんな状況に陥っている原因は主に二つ。
一つは坑道内のガス濃度が急激に高まっていて、今この瞬間に大爆発を起こしてもおかしくない緊急事態だと騎士団が避難勧告をして回っているためだ。さすが天下の騎士団様というべきか、反対派とはいかないまでも様子見で腰の重かった住民達もようやく避難を始めていた。
この手際の良さは、おそらく事前に逃げ出せる準備は整えていたのもあるだろうが。
そして二つ目だが、これはいつまで経っても避難しない住民にしびれを切らしたハロルドが町の人間を手あたり次第切り殺そうとしている、という噂が出回っているからだ。まあ出回っている、というよりもハロルドが意図して流布させた、というのが正しい。
目的はもちろん避難を焚きつけるためである。つい先日、避難反対派のリーダーを切り捨てようとした瞬間を多くの住民にしっかり目撃されており、当然その件については町全体に広まっているので今回の噂も真実味を帯びた情報として出回っている。
それもあってハロルドが人目に付くところにいると無用な混乱を招く恐れがあるので、こうして状況を俯瞰的に見渡しやすい場所で待機していた。
腕を組んで町の様子を眺めながら報告が届くのを待つことしばし、姿を現したキースが簡潔に事の次第を伝えてくれた。
「『ホワイトライン作戦』は失敗みたいですぜ。モンスターの進行が止まらねぇとよ」
あっけらかんと語られた内容は、ハロルドが予想していた通りのものだった。
原作ではモンスターとのエンカウント率を下げるアイテムだった『ホワイトボトル』。中身はモンスター達が嫌がる匂いを発する液体なのだが、これを坑道内にばら撒いてモンスター達を地下の大空洞に押し留めるか、一部だけでも引き返させることを目的とした作戦だった。
上手くいけば安全に、かつ労力も少なくて済む作戦ではあったがその目論見は外れた。
まあ何かしらの方法で統制されているようだったし、原作通りに狂暴化しているならホワイトボトルが効かないのもなんとなく分かっていた。これであと半日も経たずにモンスターが町に溢れかえるだろう。
「そうか。では手筈通り、貴様らはリストの指示に従って住民をさっさと避難させてこい」
「……旦那はやっぱりここに残るんですかい?」
「当然だ。ここで逃げ惑う愚かな奴らを見物させてもらう」
ハロルドの出番はモンスターが地上に到達してからだ。そのためにも一刻も早く避難を完了させてもらいたかった。
「次の準備は完了してますがね、本当にやるつもりで?相手は数千体のモンスターですぜ?」
「だからどうした」
「そんなもん相手に殿やろうなんて普通は思わねぇですし、やったところで命を捨てるのがオチだ。旦那がそこまで命を張る必要はねぇでしょう」
「ふん、下らない勘繰りをするな。俺が戦うのはモンスター共が邪魔だからであって、殿を務めるつもりなど微塵もない」
「……そうですかい。できれば最後の作戦は発動しねぇで済めばいいんですがね」
「それが嫌なら手早く避難させろ、引きずってでもな」
「へいへい、旦那もご武運を」
いまいち納得のいっていないような態度ではあったが、キースは言われた通り町の方へ戻っていった。
まあキースの言い分は尤もであるし、彼が本心から心配してくれているのは分かっている。住民が安全圏まで避難できたならばハロルドとしてもそんな危険を冒すつもりはない。
しかしハロルドはそんな都合のいい未来を信じられない。
だからもう、やるしかないのだ、と覚悟は決まっている。その覚悟が揺るがないように、たとえ虚勢だとしても、キースの心配は的外れだと嘲笑った。
時刻はすでに正午を回り、少しずつ日が傾き始めている。
ホワイトボトルで足止めも叶わなかったということは報告通り夕方、あと三時間もすればモンスターは地上へと到達するのだろう。
「……やってやるよ」
自分でも誰に、何に向けたのか分からないままに、ハロルドはそう呟いた。
◇
ハロルド・ストークスという青年は不思議な男だった。キースが彼と出会ったのは二年近くも前のことになる。
これといった目的や将来への展望もなく惰性で傭兵としての生活を送る日々。いずれ立ち行かなくなる時がくると分かっていながら、現状を変えてやろうという活力もない。
傭兵というものは貴族や商家の専属やお得意先にでもならない限りどうしたって先細りになる稼業だ。そしてそうなれる傭兵などほんの一握りであることをキースは理解していた。
だからこのまま傭兵として戦いの中で死ぬか、剣を取ることができなくなって老いて朽ちるのだと。そんな未来が訪れることを分かっていながらもそれから目を逸らすように、刹那的な享楽に溺れて生きていた。
そんなある日のことだった。
「ここにキース・ウィンゲートという男がいるだろう。どいつだ?」
暇を持て余した傭兵やごろつき達が入り浸る寂れた酒屋。そこに現れたのはどう見ても場違いな身なりをした十代の少年だった。
その上尊大な口振りと態度。全身で貴族であることを物語っていた。それも典型的な庶民から嫌われるタイプの、である。
とはいえキースは酸いも甘いも噛み分けた大人だった。当然自分と相手の立場の違いを弁えているし、たとえ内心に反発するものがあったとしてもそれを表に出すほど幼稚ではない。
正直に言えば無視してやり過ごしたいところではあったが、名前を知られているということは顔も知られている可能性がある。そうだとすれば白を切るのは難しく、無視をしたことがバレれば厄介なことになりかねない。
果たして自分に何用であるかは分からないが、面倒事ではないことを祈りながらキースは自分から名乗り出ることにした。
「キースってはオレのことだが、なんか用ですかい?」
名乗り出たキースを、貴族と思しき少年は目を細めて凝視する。
言い表しにくいプレッシャーを感じる。まるで値踏みでもするかのようにこちらを眺めてから、その少年はこう言い放った。
「貴様の能力を見込んで仕事を与えてやる」
傍若無人。その一言に尽きる少年の言葉。
しかしあまりにも板についたそれに苛立ちよりも奇妙な感覚を覚えた。それがキースとハロルドの初対面だった。
そして気圧されるようにしていざ話を聞いてみれば、それはハロルドが自分で立ち上げた何でも屋のような仕事をする組織への勧誘だった。
最初は貴族様の社会勉強を兼ねたごっこ遊びかと思って話半分に聞いていたが、まず提示された賃金の多さに目を疑った。専属の傭兵がもらう額としては非常識とは言わないまでも明らかに頭一つ抜きん出ている。
加えて普通であれば仕事をこなした歩合制で支給される賃金が、仕事の内容にかかわらず定額で支払われるという内容だった。
「なんの冗談だこりゃ。下手な詐欺だってもう少しバレねぇように仕掛けるぜ」
提示されたあまりにも破格な条件に、キースは言葉を選ぶことも忘れてそうこぼした。
それに対するハロルドの返答はこうだった。
「命を張ることもある仕事だと言っただろう。それが貴様の命の値段だということだ」
あまりにも歯に衣着せぬ物言いだったが、キースはそれに笑うしかなかった。
傭兵など戦いの中で生きて死ぬ職種だ。命を張る、なんて当たり前の生き方をしている。
それなのにハロルドは、十枚の金貨よりも軽いような自分の命に毎月大金を投じると、それがさも冷酷な仕打ちであるかのように語るのだ。
会話をする中でハロルドが十代の少年とは思えぬほど大人びており、頭が良いのはすぐに分かった。そんな彼の聡明さと無知さのギャップがとにかく愉快だった。
「くくく、そうかいそうかい。そりゃ気張んねぇといけねぇな」
「せいぜい死なないように気を付けろ。ところで貴様、妻子はいるのか?」
「あいにくと独り身だが」
「なら扶養手当は必要ないな。あとは時間外手当と労災補償についてだが……」
「……ふようてあて?ろうさいほしょう?」
何やら聞いたことのない単語を連発されて戸惑うキースに構うことなく、ハロルドは契約書の説明を続ける。
傭兵を雇うのにわざわざ契約書なんてものを用意するのも驚きではあったが、その中身は常識からかけ離れすぎていて、話が進むにつれて驚きは引きつった笑いとなり、最後は呆然としながら聞いているしかなかった。
今思い返せば怪しさしかないような条件だったが、あの時はなぜか信じてみようと思ったのだ。そして結果としてその選択は正しかった。
仕事の内容に関係なく毎月決まった金額を支給してくれる貴族がどこにいる。妻子がいれば、決められた時間以上働けば、それだけで支給する金額を増やしてくれる雇い主などどこにいる。
仕事中に怪我を負ったり命を落とせばそれを補償してくれる雇い主など、ハロルド以外にいないだろう。福利厚生などと言って有給だの親睦会だの言い出す人間は、きっとこの世界に一人しかいない。
「なのにオレ達にゃ極力命を張らせようとはしねぇ。いつもいつも自分が一番危ねぇところに立ってばっかりでよ」
それだけが唯一、フリエリに所属していて不満に思うことであった。
「なんか言いました?キースの兄貴」
「……いや、なんでもねぇ」
「そっすか?」
「ああ。なあ、お前旦那のことどう思う?」
「ハロルドの旦那っすか?最初は怖かったけど、あり得ないほど良くしてくれてるし感謝しかないっすね」
「そうか。そりゃまあ、そうだよなぁ」
きっとフリエリの人間全員がそう言うだろう。だからこそ――
「でもまあ、もうちょっと頼ってほしいっていうか……そりゃ旦那からしたら俺の力なんて微々たるもんだし残っても役立たずだってのは分かってるんすけど……」
「でも、たとえ役に立てなくても旦那だけ危ねぇ目に遭わせたくねぇんだろ?」
「……そうっすね。ましてや最後の作戦なんて自殺行為じゃないっすか」
今回ハロルドが決めた三つ目の作戦には全員が反対したかったはずだ。
「そうさせねぇためにもお前は避難民を連れて山の麓まで急げ」
「え、兄貴はどうするんすか?」
「お前らと騎士団様がいりゃ避難誘導に問題は起きねぇ。オレはできる限り旦那の近くにいる」
もし最後の作戦を発動することになればアレを起動させなければいけない。
それはフリエリの人間であれば誰にとってもつらい役目になる。ならばせめてそれだけでも自分が背負いたいと、キースは思った。
その想いを察してか、男は少しだけ寂しそうに、それでも笑みを浮かべて言った。
「生きて帰ってきてくださいよ、ハロルドの旦那と一緒に」
「ああ」
そしてキースが踵を返そうとした瞬間、地面が揺れ始める。それはゴゴゴゴゴ、という地鳴りと共にどんどん大きくなっていく。
「こ、これってもしかして……」
「くそ、もうきやがったか……!」
キースは跳ねるようにきた道を走って引き返す。日はすでに傾き、町と麓をつなぐ山道はすでに薄暗い。足元がおぼつかず今にも転びそうになるが、そんなことは関係ないとばかりに駆けていく。
夕日に染められた橙色の空に、モンスター達の身の毛がよだつような叫喚が木霊した。
2月11日よりマンガボックス様とピッコマ様でマンガ5巻の電子書籍が先行販売開始となりました。
各電子書籍ストアでの一般販売は2月25日からとなります。
お手に取っていただければ幸いです。




