116話
騎士団から離れ、およそ五年ぶりのシドとの再会。思えばシドを含めた三人を救うために、初めて原作に描写のある展開を自らの意思で変えたのだ。
彼らが死ぬはずだったベルティスの森の戦いに介入し、その結果ハロルドはユストゥスに首輪を嵌められ、コーディーは騎士団を辞めることもなくなり、代わりにハロルドがフリエリを立ち上げた。
まさに運命の分水嶺だったわけだが、そうしなければ救えないほど特大の死亡フラグが立っていた一人。再会自体は喜ばしく思うものの悪い予感がする、というのがハロルドの偽らざる心境だった。
「ひ、久しぶりね、ハロルド……」
なぜならばこの町にはシドだけでなくアイリーンの姿もあったからである。非常に失礼な話だが、ハロルドからすれば折れたと思っていた死亡フラグが突然にょっきり生えてきたようにしか見えなかった。
一悶着が収まった後、かなり気まずそうなシドに時間はあるかと聞かれ無碍にするのも心苦しく思ったハロルドはその日の夜、宿近くの酒場で改めてシドと顔を合わせることにした。
そしてそんな場に、シドと連れ立って現れたのが彼と同じくかつての仲間だったアイリーンだった。
「貴様もいるとは聞いていなかったが」
「う……ご、ごめん」
あの勝ち気な性格が見る影もないほど萎れていた。シドにしてもそうだが、この二人の様子がどうにも元気がないのが気がかりである。
まあろくな別れ方ではなかったのは確かだが、ここまで委縮される覚えがハロルドにはなかった。どうにも調子が狂う。
「あのデカいのはいないのか」
「あ、ああ……ロビンソンは今トラヴィスってとこに行ってんだ」
この二人がバーストンに、強面の大男・ロビンソンがトラヴィスに。どちらも近くモンスターの大群が押し寄せてくる町にいることになる。ますます悪い予感が大きくなった。
それを顔に出すことなくハロルドは会話を続ける。
「つまりこの場にくるのは貴様らだけだな。そもそもなぜ貴様らがここにいる?」
「騎士団としての仕事よ。詳しくは言えないけどね」
「まあちょっと厄介事でよ」
エルが騎士団に送った報告書。それを受けてここに派遣されたのならまず間違いなくモンスターの大群がこの町の地下に潜んでいることは聞かされているだろう。
それをおくびに出すほどシドもアイリーンも経験不足ではなさそうだ。が、何か対策が取れるかと言えば難しいだろう。
「まあいい。それで話とはなんだ?下らないことを言うつもりなら覚悟しておけ」
「いや、そのことなんだけどよ……お前に一言、謝りたかったって言うか……」
「はあ?」
何やらもじもじしながら全く想定外の言葉を吐き出すシド。その隣でアイリーンが黙っているということはきっと彼女も同じ理由でいるのだろう。
だがハロルドからすれば本当に、何も心当たりがなかった。
百歩譲ってお礼を言われるならまだ分かる。むしろあの時なぜ裏切ったのかと問い詰められて当然の立場である。
「なんの冗談だ?」
「じょ、冗談なんかじゃないわ!」
「だとしたら貴様らはこの国を裏切った男に何を謝るつもりだ」
そう、シド達にとっては……というよりほとんどのリーベル王国の人間にとってハロルドはそういう人間のはずだ。
騎士団にいるのならば様々な噂話はある程度耳に入っているだろうし、何より二人はあの時ハロルドが帝国軍の制服を身に付けていたのを目にしている。敵将を打倒していたとはいえ、結局それも仲間割れの末殺害しようとしたなどというしょうもない理由としてでっち上げられている。
しょうもない理由であっても確認も取れず、審議所がそういう判決を下したのなら世間にとってそれは事実なのだ。
「……ハロルド、お前は騎士団を裏切ったって言われてる。でも俺はそれを信じられない」
「……」
「いや……違うな。お前はそんな奴じゃないって信じたかったけど……信じられなかった」
まるで罪を告白するようにシドは言葉を続ける。
ハロルドからすればこちらを信じられなかったことなどは当然であり、むしろ無実を信じようとしていてくれた事実だけでも驚きだった。
「俺にとってはどうでもいいことだが、それならなぜ心変わりをした?」
「本人から話を聞いたんだ。任務中にモンスターに襲われて、全滅しそうなところを助けられたって人に」
そんなこともあったな、とハロルドは過去の記憶を掘り起こす。あれは確かユストゥスの手駒になってしばらくした頃だ。
十人ほどいた騎士団が全滅しかけていたところに遭遇し、介入したものの二人しか助けられず、その二人も怪我の後遺症がひどく退役したということがあった。シドが話を聞いたというのはそのどちらかだろう。
「あの人は俺が新人だった頃によく世話を焼いてくれてさ……大怪我したって言うから見舞いに行ったんだ。その時に色々教えてくれてよ」
シドが顔を上げてハロルドの瞳を射抜くように見つめる。
「『ハロルド・ストークスに命を救われた』って、そう言ってたんだ」
ハロルドの顔と名前はまあ知っていてもおかしくはない。そして実際に、ハロルドは善意から彼らを助けるために動いた。
だがハロルドが裏切り者ではないと決めつける理由としてはまだ弱いように思う。たまたまという可能性が存在する中で簡単に信じられる人間ならそもそもここまで苦悩していないだろう。
「その話を聞いてから俺はますますお前のことが分かんなくなっちまった……」
裏切るような奴だと思いたくない。しかしその目で見た光景と審議所の判決によれば疑いようのない裏切り者。それなのに騎士団を離れてからは恩人を救われた。
そう考えればシドの感情の振れ幅がめちゃくちゃになるのは想像に難くない。だが、彼の話にはまだ続きがあった。
「それから思い悩む日が続いて、またあの人のお見舞いに行って……そこで俺は気付かされた。もしかしたらお前が何かに巻き込まれちまったんじゃないかって……」
「どういう意味だ?」
「もう一度お見舞いに行った時、あの人からお前に助けられたって記憶がなくなっていた。モンスターに襲われて気絶して、気が付いたら病院に運ばれていたことになっていたんだ」
記憶の操作が行われたのなら恐らくはユストゥスの仕業だろう。だがそれになんの意味がったのか分からない。
「下らない。どうせ命の危機に瀕してありもしない幻覚でも見たんだろう」
「違う!あれは絶対にそんなもんじゃない!」
「医者でもない貴様がなぜそう言い切れる」
「だっておかしいだろ!あの人が失ったのはお前に助けれらた記憶だけじゃない、ハロルド・ストークスって存在すら完全に忘れ去ったんだぞ!?」
記憶の混濁でもなければ、記憶喪失とも違う。特定の人間の記憶だけを失う不可思議な出来事。それ単体であればまあそういうこともあるか、と流されたかもしれない。
しかし忘れた相手はシド達にとってあまりにもピンポイント過ぎたのだろう。
「お前に判決が下されですぐ『判断基準になるのはハロルドを信じられるかじゃなくて自分を信じられるかどうか』だってコーディー分隊長に言われたんだ。でも俺はお前が無実だと思った自分を信じ切れなかった……!」
「あたしも同じよ。アンタは嫌味なことばっかり言うけど悪い奴なんかじゃないって分かってたのに……それでも自分の意思を貫けなった」
二人から後悔の念が嫌というほど伝わってくる。瞳に湛えられている涙が薄暗い酒場の店内でもしっかりと見て取れた。
ここにいないロビンソンもきっとこの二人と同じようにハロルドの無実を信じ切れなかったことに負い目を感じているのだろう。騎士団に所属した短い間でもしっかり分かっていたが、やはり彼らはとても心優しい。
だからハロルドは、気にするなという気持ちを込めて言葉をくり出した。
「何かと思えば……バカか貴様ら」
「は、はあ!?あのね、こっちは真剣に謝ってんのよ!」
「だからバカだと言っている。どこに貴様らが謝らなければいけない要素があった?」
「そりゃもちろんお前を信じたいって気持ちを……」
「仮にだ、仮に俺が無実であり貴様らがそれを声高に主張したとする……で、何が変わる?貴様らはあの判決の何を変えられた?」
ハロルドにそう問われシドとアイリーンは押し黙る。
そう、ハロルドや自分の気持ちを信じようと信じまいと結果は変わらなかった。あそこに介在していた意思や思惑はたとえ騎士団が全員で異を唱えたとしてもどうすることもできず、最初から極刑の判決が下されることは確定していたのだから。
「ついでに種明かしをしてやろう。あの時の極刑判決とそれが覆ったのは最初から織り込み済みだったことだ」
「「はあ!?」」
シドとアイリーンが望んだ通りの反応をしてくれる。
こんなのはもちろん嘘だ。そもそもベルティスの森での戦いから想定外の事態の連続なのだ。だが、それでも――
「俺は生きている。それが何よりの証拠だということは愚かな貴様らでも理解できるだろう?」
相手をバカにするように笑う。慣れたものだ。だから笑う。
何年も後悔するほど、こうして謝ってくれるほど、ハロルド・ストークスというどうしようもない人間を心配し、心を痛めてくれていた優しさに感謝してしまうことを隠すために。
ここで感謝するような態度を見せるのはハロルド・ストークスではない。いつも通りのハロルドであることが、彼らの優しさに報いる方法なのだ。
「はっ、しかし自分達が動くことであの状況を変えられたかもしれないなど、ずいぶんと傲慢だな」
「アンタにだけは傲慢って言われたくないんですけどぉ!?」
「傲慢とは傲り高ぶるという意味だ。俺は傲慢ではなく身の丈に合った当然の振る舞いをしているに過ぎない」
「いやもうその考え方がとんでもねぇ傲慢っぷりなんだが」
だからこれでいい。彼らが負い目を感じる必要などこれっぽっちもないのだ。
傲岸不遜なハロルドは健在で、心配なんてものは無意味なのだとこの姿をもって主張する。
「この高慢ちき!高飛車!」
「はあ……俺らの心配とか後悔とか、この溜まりに溜まった感情はどこに吐きだしゃいいんだよ……」
「こうなったら飲むわよシド!そんで支払いは全部ハロルドにさせてやるわ!」
「おい、勝手なことを……」
「知るかぁ!貴族様なんだからそれくらいポンと払いなさいよね!」
「……それもそうだな!よっしゃ、今日はいっちょハロルドのおごりで飲み明かすか!」
「……貴様らも相当図々しい人間だぞ」
まあそれでも暗い顔をしているくらいならこうして騒いでいる方がハロルドとしても気が楽だった。せっかく色々手を回して命を救ったのだから笑顔で生きていてもらいたい、と思うくらいは許してもらいたい。
再会のタイミングが不穏だったが、どうかこれ以上死亡フラグを立てないまま平穏に生きていてほしいと……
「あ、そうだハロルド!実は今の任務が終わったら俺達結婚すんだよ!招待状ってどこに送りゃいいんだ?」
「元とは言え先輩の結婚式なんだから絶対きなさいよね~?」
「ふざけるなクソが」
ナチュラルに飛び出したその罵倒は決して結婚式に招待されるのが嫌という意味ではなかった。
どちらかというと結婚という行為そのものに対する罵倒である。
(『俺、この戦いが終わったら結婚するんだ……』なんて一番凶悪な死亡フラグ立てるんじゃねーよ!)
どうやら嫌な予感は的中していたようだ。ある意味ハロルドに負けずとも劣らないシドとアイリーンの死亡フラグに愛される体質。
すでに超過労働気味のハロルドに、さらなる仕事が容赦なく舞い込んできた瞬間だった。




