11話
計らずも少し重くなった空気を払拭するかのようにユノが話題を変える。
「ところでエリカ様、明日のデートはどうするおつもりですか~?」
「当然行きます。ハロルド様と接触する絶好の機会なのですから」
胸の辺りで両の拳を“むん!”と握り気合いを示すエリカ。
顔を合わせてすぐに近寄るなと言われた時は内心どうしようかと焦ったが、ヘイデンの発言でチャンスが転がり込んできた。エリカとしてもヘイデンの思惑に乗ることに良い気はしないがこれを逃す手はない。
「ではおめかしをしないといけませんね~。せっかくですし着る機会の少ない洋服などはどうですか~?」
「別にそこまで意気込む必要はないのですけど……」
ユノはデートだと囃し立てるがお相手はあのハロルドだ。そんなロマンチックな空気になるとは思えない。
実際は中心街を淡々と見て回る程度になるだろう。デートよりも視察という言葉の方が相応しい空気になりそうだ。
「そんなことではいけませんよ~。乙女は如何なる時でも可愛くなければいけないのです~」
お姉さんらしく乙女の心得を説くユノだが、そのセリフはむしろエリカのものだ。
仕事中は仕方がないにしても休日まで割烹着で過ごすのはそれこそうら若き乙女としてどうなのだろうと思わずにはいられない。エリカの記憶にあるユノの姿はただの1度も例外なく割烹着を身に纏っている。
そんな彼女に乙女とはなんたるものかと諌められたところで説得力は皆無だった。
「貴女こそたまにはお洒落をしてみたらどう?綺麗なのだからもったいないわ」
「ふっふっふっ~、それは駆け引きなのですよ~。ここぞという時に普段とは違う自分をアピールして異性のハートをつかむのです~」
「なら私もここぞという時までとっておくことにします」
「えぇ~、初デートなのですよ~?上手くいけばハロルド様を骨抜きに出来るかもしれませんよ~?」
「その程度で誰かに靡くような人ではないでしょう」
女性に甘い顔を見せるハロルドというのはどうしてもエリカには想像できなかった。めかし込んで現れた自分を容赦なく罵倒するハロルドならば想像は容易なのだが。
「昨日こんなに可愛いワンピースを見付けたんです~。着てくださいエリカ様~!」
「いつの間にそんなものを買っていたんですか……」
荷物の中からフリルが装飾されたワンピースを取り出して懇願するユノ。その訴えは乙女の矜持やハロルドの籠絡など通り越して、ワンピースを着たエリカが見たいという個人的な願望だった。
「ユノ、私達はここへ遊びに来たわけではありません。それは貴女も理解しているでしょう?」
「むむ、残念ですね~」
交渉の余地なしと判断してユノはワンピースを荷物へ戻した。
無論、本気のやり取りではない。エリカの緊張を解きほぐそうとユノが意図して砕けた空気にしただけである。
それを察しているからこそエリカも強く嗜めることはしないが、いつまでも肩の力を抜いているわけにはいかない。
「では本題へ戻りましょうか~。ハロルド様と接触するときの留意点をお伝えしますね~」
「ええ、お願い」
ひとつ屋根の下で両者の思惑が交差する。互いの腹を探り合う、水面下での戦いの火蓋が切って落とされた。
◇
エリカの案内役を強制的に任せられた一希だが、このミッションを遂行するにあたって彼には大きな欠点があった。
それは案内すべき街をほとんど知らない、ということだ。
元々ストークス領は会話文とイベントシーンでしか描かれておらず、実際のゲームではマップ表記すらないのでノーマンが地図を持ってこなければ正確な場所を把握できなかっだろう。
そしてこの3ヶ月をフラグ回避に費やしてきた一希は街に出向いた回数など片手の指で足りるほど。それも移動がてらに立ち寄っただけで買い物や観光目的で訪れたことは皆無である。
むしろ自分が案内してほしいレベルだった。
しかし一希はこれをチャンスと捉えることにした。
一希は街について何も知らないが、ハロルドがどうだったかは分からない。もし足繁く通っていた場所などあればそれを知らないとなると怪しまれてしまう。
だが今回に限っては“エリカを案内する”という免罪符がある。自分が楽しむためではなく人を連れていくのに向いた場所が知りたいというスタンスならあれこれ聞いても不自然ではないはずだ。
という仮説は正しかったようで一希は邸の人間からそれとなく情報を仕入れることに成功したのだった。
(まあそれを活かせるわけじゃないんだけどさぁ……)
元よりエリカからの好感度を上げないためまともに案内するつもりはない。これから先利用できるかもしれない情報を手に入れるチャンスをしっかりものにした、というだけの話だ。
それでもこの状況は些か予想外だった。
「あ、あのハロルド様……」
エリカが気まずそうに一希へ声をかける。
そこには純粋な戸惑いがあった。
「なんだ?」
「……いいえ、何でもありません」
うんざりしたようなハロルドの反応にエリカは二の句を継げず押し黙る。気まずい空気が馬車の中を支配していた。
その原因は馬車の外、街の住人である。
彼らの異変に気付いたのは始めに馬車から降りた時だ。
いや、恐らくその変化は一希達が街に入った瞬間から起こっていたのだろう。
そこにあったのは耳が痛くなるほどの静寂。
一希の記憶から似たような状況を抜き出すなら中学時代に校則違反の代物を放課後の教室で広げていたところを、全校生徒が恐れていた生活指導の体育教師に見つかった瞬間の凍りついた感じに近かった。
そしてこの場合の体育教師はハロルドなのである。
ハロルドが姿を現すと街の人々は動きを止め、歩けば避けるように人垣が割れる。声をかけられた店主の顔は恐怖で青ざめ、遠くから様子を窺う住民の視線には明確な敵意が込められていた。
異様な静けさに包まれた街はとにかく居心地が悪かった。その態度は一希のメンタルをごっそり削っていく。
(クララを殺したって噂を放置してたのがだめ押しになったかな……)
それに関しては一希も何か手を打とうと考えていた。しかしクララとコレットの安全、そして両親との間に軋轢が生まれるという面倒な事態を避けたいがあまり有効な対策を思い付けずにいたのだ。
その結果がこれである。
ハロルドの、ひいてはストークス家の嫌われっぷりを目の当たりにしたエリカも絶句していた。
彼らはエリカのことを知らないのだから一希と一緒にいればこんな反応をされるのは当然と言える。まあすぐにエリカはハロルドの婚約者だと公表されるのでストークスの使用人達からも向けられた憐れみの視線に変わるのだろうが。
とはいえこれ以上街を散策しても得える物より失う物の方が多い気がした。主に精神的な部分で。
街へ繰り出すこと1時間と少し、一希としてはそろそろ限界だった。
「もう充分だろ。帰るぞ」
「……はい」
どこか意気消沈した様子でエリカが頷く。その顔には薄くない疲労が浮かんでいた。
原因はストークスの住民達の敵意ある視線に晒され続けたことだ。
両親からの寵愛を受け、側付きや自領の民からも敬愛されている彼女にとって嫌悪の感情を浴びるのは人生で初めての経験だった。
それがここまで堪えるものだとは思いもしなかったのである。
故にハロルドの言葉に反対する気力も沸かない。言われるがまま帰路を選ぶ。
それからストークスの邸に戻るまで2人の間に会話はなかった。
「お早いお戻りでしたね~」
とんぼ返りで帰ってきたエリカにユノはそう声をかける。
しかしどうして?とは問わない。
何故ならユノは離れた位置からずっと観察していたからだ。それでおおよその事情は把握はできていた。
「ストークス家は領民からの支持が低いとは聞いていましたがまさかあれほどとは思っていませんでした」
疲れた声でエリカがそうこぼす。
正直に言うなら若干ではあるものの身の危険を感じたほどだ。
「確かにあの嫌われようは尋常ではありませんね~。まあ話を聞く限りでは当然ですけど~」
ユノが使用人から聞き出した話や巷に流れている噂は酷いものだった。特に領民は利益のほとんどを税金として搾り取られ、生きるのに最低限の生活を強いられている者も少なくない。
暴動が起こす余力さえ奪われ、逆にストークス家は同程度の領地や経済力の貴族と比較しても飛び抜けて軍備に投資している。そのせいで領民の生活がさらに厳しくなっているのだ。
これでは暴動など決起したところで無駄死にするのは目に見えていた。
「その様子だと内情を探るのは上手くいっているようですね」
「それはもう~」
邸の人間に話を1振れば10も20も返ってくるのだ。余程嫌われているようだ。
しかしその中にはどうしても看過できない情報が含まれていた。
「ただ、ひとつだけ気になるお話がありまして~」
「気になるお話、ですか?」
「はい~」
それはユノが自分の耳を疑い、思わず「何かの間違いではないですか~?」と聞き返さずにはいられなかった、しかし信ずるに足る数の証言が得られた話。
エリカに伝えるのは憚られたが、そうすることで彼女を危険に晒す可能性を無視するわけにはいかずユノは口を開いた。
「実は最近ハロルド様が使用人とその家族を魔法で焼き殺したそうなのです~」
「――え?」
ユノから告げられた言葉の意味を処理できずに、エリカは呆然と息を漏らす。
「殺害したのは邸の使用人だったクララさんという女性とその娘であるコレットちゃんだそうです~」
「ま、待ってユノ!それは本当なのですか?ただの噂では……」
「その可能性はありますが個別に話を聞いた人達からほぼ同様の証言が得られました~。根も歯もない噂話ではないようですね~」
「そんな……」
ハロルドは口も悪いければ態度も高圧的だ。他者を見下すし毛嫌いしているのか自分を避けているというのはエリカ自身感じている。
それでもハロルドはスメラギの民を救う希望を見出だしてくれた。そこに彼なりの思惑があったとしてもその事実は揺るがない。
だから心のどこかでハロルドは彼の両親とは違うのではないかと、エリカはそう思っていた。
それだけにユノの言葉は小さくない衝撃を彼女にもたらした。口を覆うエリカの両手がカタカタと小刻みに震える。
「内偵は継続しますがこれからはハロルド様と2人きりになるのはお控えください~。何があるか分かりませんので~」
「……ええ、気を付けます」
「大丈夫ですよエリカ様~。わたしが居ますから~」
赤子をあやすような優しい声色でユノがエリカを励ます。自分がいる限り絶対に安全なのだと言い聞かせるように。
それでもしばらくエリカの震えが止むことはなかった。