108話
フィネガンの意識が回復したのを見届けたコーディーは何もできなかった自分を情けなく思いながらハロルドと共に部屋を出た。諸々の説明はもう少し落ち着いてからでもいいだろう。
そんなわけで居間に戻ってきたコーディーは椅子に座ると大きく息を吐いた。そんな彼にハロルドは言葉を投げかけてきた。
「これで満足か?」
「ああ……本当ならハロルドの手を煩わせずに済ませたかったんだけどね」
「貴様の力不足を恨め」
「全くだよ。すまなかった……そして、本当にありがとう」
深々と頭を下げる。フィネガンを助けてもらったこともそうだし、何よりあの剣を使えば命を蝕まれる。それを承知していたからこそコーディーは自分の力でなんとかしたかった。それでダメだったとしてもハロルドに頼ってはいけない、とも思っていたのだが。
(結局ハロルドに丸投げって。不甲斐ないというか、最低というか……)
年長者として――なんて年功序列を説くのはコーディーの肌に合わない。それでも最低限、通すべき筋はあったはずだ。そのためには絶対にハロルドを止めなければいけなかった。
だが自分が取り落とした剣をハロルドが拾い上げた時、そして彼がフィネガンを助けようとした時、コーディーは甘えてしまった。
ハロルドの強さと優しさに。何よりも己の弱さに。
「貴様に礼を言われるようなことではない。まあ恩を感じているというなら今後は手足のように使ってやるがな」
「ははは……お手柔らかに頼むよ」
敵わないな、と思う。それは単純な強さ弱さの話ではない。
コーディーが珍しく心の底から自己嫌悪に陥っているのを察してか、ハロルドらしい言葉で励まされてしまった。これでは本当にどちらが年上か分かったものではない。
初めて出会った時から大人びた男ではあったが、いざ青年と呼べる年頃になった今は貫禄や一種のカリスマ性すら感じさせる。ヴィンセントに並ぶ、もしかしたらそれ以上かもしれない英傑。つくづく規格外な男だとコーディーは内心で嘆息する。
「さーて、ボク達も少し休ませてもらおうか」
時刻はすでに深夜と言って差し支えない時間帯である。
今から宿を探すというのは現実的ではないし、そもそも日が昇れば事の次第を説明しなければいけないのだから勝手に家を出るのもおかしな話だ。
「ソファーは功労者の君が使いなよ。ボクはこのイスでも、なんなら床でも寝れるから問題ないし」
あくびを噛み殺しながら背伸びをする。眠気……というか疲労感がひどい。
職業柄心身の体力には自信があるが、ほんの少しあの剣を握っただけで精力を根こそぎ奪われてしまったかのようだ。あれが命を削られる感覚なのかもしれないと思うとぞっとする。
そしてそれを平然な顔をして使いこなすハロルドにもまたある種の恐怖を覚えた。命を削られるのが、その先に待っているだろう死が怖くないのか、と。
無論、コーディーであってもそんな無神経なことは口にはしなかった。
「あ、もしかしてソファーで寝るとか無理なタイプ?一応って言ったらあれだけど君も貴族の出だしねぇ」
自分で言っておいてなんだがハロルドがそんな軟な男には思えない。立ったままとか、なんなら真っ暗な森の中ですら寝ることも出来そうである。
……というかなぜ先ほどから無言なのか。無視は寂しいぞ、と思いながらハロルドの方に向き直ると、彼はどこから取り出したのか食い入るように手紙を見つめていた。
そのただならぬ様子に声をかけるのも躊躇われる。そうこうしている内にハロルドはその手紙を懐へ乱暴にしまい込むと踵を返した。
「急用だ。帰る」
「帰るって今から?」
「アイツらへの説明は貴様がしておけ。ただし余計なことは話すな」
「それくらいは別にいいけどさ。何か言っておくこととかない?」
「……あとは勝手に生きろ。そう伝えろ」
言うや否や制止する間もなくハロルドは飛び出していった。残されたコーディーは呆然とするしかない。
まあ詳しいことは分からないが何やら忙しい男なので急用が出来たのは仕方がない。説明を任されるのも構わない。ただこれではフィネガンを治したお礼を受ける人間がいなくなってしまった。
しばしの間どうしたものか、と悩んでいると不意に背後から声をかけられた。
「コーディーさん」
「おおっとサラちゃん。ごめんね、起こしちゃって」
そこに立っていたのは寝巻に身を包んだサラだった。
少々騒がしくし過ぎてしまったらしい。今ここで事情を説明してしまった方がいいだろうかと思案するコーディーだったが、その答えを出すよりも早くサラが口を開いた。
「ご苦労様でした。貴方にはもうひとつ役目を果たしてもらいます」
「……サラちゃん?」
何かがおかしい。それは噛み合わない会話や、目を合わせているはずなのに虚空を眺めているかのようなサラの様子だけではない。
もっと根本的な部分が狂っているかのような違和感。
しかしそれが何なのかは分からない。まるで脳が考えることを拒絶しているかのように思考が空回る。
サラがゆっくりと一歩ずつ距離を詰めてくる。明らかに普通の状態ではないが、覗き込む空色の瞳に射抜かれてコーディーの体は動けない。
(空、色……?いや、確かサラちゃんの目の色は……)
それを思い出すよりも早くコーディーの視界が遮られる。その正体はサラの小さな手の平。
柔らかな感触でこめかみを掴むようにして目を覆われているだと理解できた。それでもまだ、体は硬直したままだった。
「なに、を……」
問いかけることも出来ずにコーディーの視界が暗転する。
「貴方もまた、彼への試練となる」
意識が途切れる間際にコーディーの耳へと届いたその声はサラのものとも、成人男性のものともつかない不確かな声だった。
◇
息が上がる。それこそハロルドが全力で駆けているという証左だった。
それでもその足を止めることはしない。
太陽はすでに空高く昇っている。ここのところ不測の事態ばかりで何事も上手くいかないハロルドへの当てつけのような青空が皮肉げに思えてならない。
そんなマイナス方向へ考えが引っ張られてしまうほど今の状況は逼迫したものだった。
(どうしてもうハリソンの邸に踏み込んでるんだよ!)
ハリソン邸でライナーが剣を取り戻そうと戦闘になるイベントは確かにある。だがエルを始めとした『フリエリ』を通じて向こうの進行状況を把握しているハロルドからすれば中間のイベントを二~三個すっ飛ばしたのかと思うほど急な展開だ。
いつの間にかフィネガンの家に届けられていた緊急連絡用の手紙に目を通した時にはその目を疑った。
エルにこれから先に起こる予定の出来事を逐一説明しても変な疑いを掛けられそうなので、基本的には気付かれないようライナー達を尾行して行動を観察し、何か動きがあれば連絡を寄越せと言うだけに留めていた。その中でキーポイントになりそうなイベントはあくまで予想として伝え、そうなりそうな時は何よりも優先して報せろとは言ってある。
だからこそこうして緊急連絡が入ったわけだが、それだけであってなぜこんなに展開が早まっているのかまでは知り得ることが出来ない。エルに話を聞ければ一番早いが、そんなことをする時間すら惜しかった。
「アレか……!」
フィネガンの家を飛び出して馬よりも速く駆けること数時間、ようやく目的の建物が見えた。
場所は王都周辺に点在する中規模の街。その中の一つに小さな城くらいの大きさを誇る邸が建っていた。原作通りなら最上階の屋上で戦闘が始まるはずだ。
ならば、とハロルドはレンガ造りの建物の壁を蹴り昇って屋根に躍り出ると、そのまま速度を緩めることなく屋根伝いにハリソン邸へと駆ける。所々に道などが通っているせいで間隔は空くが、その程度の隙間などハロルドの跳躍力は問題にしない。建物の住人には迷惑だろうが、トップスピードを維持したまま邸に接近する。
本当なら余裕をもってあの邸に潜入しているはずだった。
フィンセントの病室で思いついた仮説。それが正しければウェントスとリリウムの感情――自我を取り戻せるかもしれないと考えた。そしてそこに割り込んできたコーディーの提案は、あの二人と近しい症状にあるかもしれない男を治療することだった。
これが上手くいけばウェントスとリリウムも助けられるかもしれないと考えたハロルドは、その時のイベントの進行具合を兼ね合わせても時間的な猶予はあると踏んでコーディーの願いを聞き入れた。
その結果は大成功と言っていい。おかげで二人を助けられる公算も大きくなった。そう思ったのも束の間この事態である。
「クソが……!」
思わず悪態の一つも声に出る。
あの手紙に記されていた情報が事実だとするならばもう邸内で戦闘が開始されている頃だろう。万が一にもライナー達が敗北するということはないとは思うが、逆にあの二人はどうなるか分からない。
ゲームでは戦闘に負けたのちハリソンに反逆するが、その後どうなっているかは一切触れられていない。抑圧されていた感情や自我を取り戻すということも考えられるが、リリウムとウェントスのどちらかは負けた時点で癇癪を起したハリソンに切りつけられて殺されてしまう。そもそもあのシーンは単にユストゥスがなんらかの方法でハリソンを殺すような命令を下しただけなのかもしれないが。
そうだとすればハロルドがどうにかしない限り彼らに救いの道はない。
(また自分以外の命を背負わなきゃいけないのかよ……!)
思い返せばゲームのキャラクターに憑依するという荒唐無稽な状況を把握するよりも前にクララの死亡をなんとか回避させ、ベルティスの森ではシド達を見捨てることはできずにスメラギ家の私兵の命も預かった。そしてつい先日も洗脳状態のフィンセントをどうにか生きたまま捕らえたばかりだし、少し状況は異なるがフィネガンも放置していれば近い将来死んでいたかもしれない。
その度に自分以外の命の重みを感じて、こんなことはもう勘弁してくれと内心で恐怖とも焦りともつかない感情が渦巻くのだが、そんなハロルドを嘲笑うかのようにこの世界は命の取捨選択を押しつけてくる。
それだけ“ハロルド・ストークス”という存在がこの世界に嫌われているということなのかもしれない。
だがどれだけ困難だろうと、世界一の嫌われ者だろうと、修正力がハロルド・ストークスの死を確たるものにしようとしていても、それでも生き残るという意志だけはブレない。死亡フラグを回避しきって、この世界に「ざまあみろ!」と言ってみせるのだ。
そしてその言葉を腹の底から吐き出してやるために、まずやるべきことは――!
ギギィンという金属音が空に響く。そのか細い腕からくり出されたとは思えないほど重い衝撃を伴った二人の少女の斬撃を二本の剣で受け止めた。状況的には危機一髪のタイミング。
「……ハロルド、様?」
四階建ての建物の屋上に文字通り飛び入り乱入してきたハロルドに瞠目するエリカ。心なしか生気のない表情をしているような気もするが、まずはリリウムである。湾刀を受け止めた状態から腕を引いて鳩尾を剣の柄で突いた。
手荒ではあるがダメージ自体はないような一撃。しかしここに来るまでに魔力を込めておいたおかげでリリウムは一瞬で崩れ落ちる。華奢な体を抱き止め、氷漬けになっていないベンチに横たわらせる。
次に氷に拘束された状態のウェントスにも同じく剣を押し当てた。こちらもすぐに意識を失ったので、拘束していた氷を破壊して彼のこともまたベンチへと運ぶ。恐らくはこれで二人を助けられたことにハロルドはまず安堵した。
その間、口を開いていたのは足を氷漬けにされたせいで立っていられないのか四つん這いという情けない格好で喚き散らしているハリソンだけであり、ライナー達は困惑したように目の前の光景を見守っていた。とりあえずハリソンがやかましいので氷の拘束を解いてやり、そのまま流れるように腹部へ拳をめり込ませて強制的に口を閉じさせた。
そうしてようやくライナー達へと向き直る。
彼らが今、自分をどういう目で見ているのかハロルドには分からない。単純に驚いているのか、突然の乱入により混乱しているのか。なんにせよ、ここで彼らに投げかける言葉はとても大事なものになる。下手をすればハロルドの生死を分けることになるかもしれないのだから。
それを頭ではしっかりと理解したうえでハロルドはその口を開いた。
――否。開いてしまった。
「ここから先に進む権利は貴様らにはない。拒むというなら斬り伏せる必要があるからな、是非とも拒め」
その言葉は原作において三度あるハロルド戦の内の一つ。
記念すべき一度目の戦闘時に発せられるセリフだった。




