105話
ハロルドの剣を貸してほしい。それが使用者の魔力を吸い取りその命を削るものだと分かっていながらコーディーはそう願い出た。まあハロルドの中では剣の力に疑問を感じている部分もあるが、それにしたって危険な――魔剣と呼んでも差し支えのない代物だ。当然ながらはいどうぞと簡単に渡すことはできない。
リスクを考慮すれば可能な限り使いたくはないがそれでも一応ハロルドにとっては生命線となる武器であるし、何よりもコーディーがこの剣を使って何をする気なのか分からないまま貸すなど色々な意味で怖くてできたものではない。
ということでハロルドはその願いを断るつもりでいた。
その剣で助けられるかもしれない男がいるんだ、と聞かされるまでは。
フィンセントと別れてから三日後。ハロルドの姿はとある田舎町にあった。 コーディー曰く、ハロルドの剣を使えば助けられるかもしれない男がいる町だ。
やることがあると言っておきながらつくづく甘いと自分で思わなくもないが、今回はハロルドにとっても利益を得られる可能性がある。それが無駄足に終わったとしても本来の目的地に行くのにこの町を経由するというのは悪いルートではないし、そもそも行動を起こすのはフリエリからの連絡が入り次第、ということになっている。
ならば物のついでに立ち寄っても損はない。
(……物のついでに、なんて俺も偉くなったもんだな)
一人の人間に一生を左右するかもしれないというのに、こんな心持ちで事に臨む自分に嫌気が差す。
しかし原作を考えれば物語はそろそろ終盤に差し掛かってくる頃合いだ。言い換えればハロルドが死ぬはずの時期が迫ってきているということである。正直、そろそろ周囲に気を配るのも限界になりつつあった。
どう取り繕おうとも、やはり自分の命は大事なのである。多少利己的になるくらいは許してほしいところだ。
「……それも今さらか」
思わずそんなことを呟く。
この八年間、ただ生き残るためだけに色々と行動を起こしてきた。その中で結果的に助けられた人間が出ているだけで、ハロルド自身に高尚な思想が備わっているわけではない。
自分はどこまで行っても一般人なのだ。その体と能力だけは規格外であろうと、まかり間違っても自身が英雄か何かだと思い違いをしてはいけない。そんな考えで行動すればあっという間に葛藤や板挟みで動けなくなってしまうだろう。
世界を救うのはあくまでもライナー達だ。ハロルドは自分の生存を第一目標に陰から協力すればいい。
それこそがハロルドの正しい立ち位置なのだ。
「今さらって、何が?」
「……貴様には関係のない話だ。それでユストゥスに洗脳されたという男はどこにいる?」
耳聡く呟きを拾っていたコーディーからの質問をスルーして話の矛先を変える。
というかそれがこの町に来た本題だった。正確には洗脳されたかもしれない、という話だが。
「もうすぐだよ。そこの角を曲がった先さ」
そうして案内されたのはどこにでもあるような借家だった。
しかし壁板が継ぎ接ぎに補修されていたり窓がくすんでいたりとその外観はあまり手入れをされておらず、どこか寂れた印象を受けた。
コーディーが玄関の扉をノックする。ノッカーはついておらず素手でドンドンと叩く音がなぜか異様に響いて聞こえた。なんかホラー映画みたいだな、とハロルドは内心で失礼なことを考える。
「……どちらさまでしょう?」
幼さの残る声と共に扉が開く。そこから現れたのは十歳ほどと思われる少女だった。
しかしその頬は少しこけていて、ワンピースからのぞく手足は枯れ枝のように細い。健康状態がかなり心配になる見た目をしていた。
「サラちゃん、久しぶりだね。おじさんのことは覚えてるかい?」
「は、はい……コーディーさん、ですよね」
「そうそう、パパのお友達のね。それでこっちの怖い顔した人は僕の友達」
怖い顔、という紹介に異を唱えたいところではあったが実際に不機嫌そうな顔であることは否定できないし、設定資料通りなら今やハロルドの身長は一八一センチだ。サラと呼ばれた少女くらいの年齢からすればそんな男は間違いなく怖いであろう。
その上口も悪いのでハロルドはその紹介を甘んじて受け入れた。すでにびくびくしている彼女をこれ以上怖がらせたくはない。
「お母さんはいる?」
「今はお仕事に行ってるから……」
「そっか。帰ってくるのは何時頃だい?」
「……分かんない。いつも夜遅く」
コーディーとサラの会話を聞いて、ハロルドはなんとなく自分が子どもの頃を思い出していた。
平沢家の両親は共働きであり、兄弟もいなかった一希はいわゆる鍵っ子であった。学校を終えて友達と遊び倒してから帰宅しても家の中に人はおらず、特に冬は閑散とした雰囲気が漂っていた。
とはいえ両親が帰ってこない日などほとんどなく、家に着いて両親が帰ってくるまでの間に好きなことをしていたので特別に寂しいと感じたことはなかったが。
今にして思えばそれは一希が両親からしっかり愛を与えられていたからなのだろう。そう考えると無性に親の顔が見たくなった。生きてゲームのエンディングを迎えられれば元の世界に帰れるのだろうか。
現状、それ以外に帰る方法は思いつかない。
「おーい、ハロルド」
少々トリップしていた意識が呼び戻される。
「なんだ?」
「中に入りなよ」
どうやら色々考えている内に家に上がることになったらしい。
サラにはまだ怖がられているのに大丈夫なのだろうか。現代人の感覚からすると通報されそうな気がしてならない。
「早速やるつもりか?」
「いや、それは流石に。奥さんに説明して許可を得てからかな」
(そりゃそうか)
納得はできるが、それはつまりサラの母親が帰ってくるまでこの家で待つということだ。いくらなんでも迷惑すぎやしないだろうか。
もやもやしたものを感じるものの、コーディーにつられてひとまず家に上がる。
家の中はやはりと言うか、外観の印象通りにうら寂しさが感じられた。
「その人誰?お姉ちゃん」
「パパのお友達だよ、ミハイ」
居間に通されると今度は四、五歳と思われる男の子が現れた。
姉のサラと同じ栗色の瞳をしたミハイは、姉と同じように痩せこけていた。家の状態からも察するに経済状態が非常に苦しいのだろう。
考えてみれば一家の大黒柱であった父親――フィネガンが突如精神に異常をきたして騎士団を退役したのだ。その症状は今も治まっておらず寝たきりでは働けるわけもない。そうなると二人の子どもと寝たきりの夫を養えるのは妻だけだ。
(これはクララ以上にハードだな……)
毎日毎日夜遅くまで働いて、それでも食べるものに困っているのは姉弟の様子を見れば嫌でも分かる。この分では母親もまともな食事などできていないのだろう。
見るからに困窮しているその姿を直視するのはつらいものがある。
「こいつらの父親……フィネガンはどこだ?」
なので状態の確認も兼ねて目的であるフィネガンを一目見ておくことにした。
そのつもりでコーディーに話しかけたのだが、返事は思いもよらぬ方向から返ってきた。
「パパはこっちだよ」
ハロルドの足元までやってきたミハイが上着の裾をくいくいと引っ張る。ミハイ生来の人懐っこさか、それとも父親の友人だと聞かされて警戒心が解けたのか。いずれにしろハロルドとしても予想外の対応をされてしまった。
サラが小さな声で「あっ……」と漏らす。恐らくミハイが無礼を働いてしまったとでも思ったのだろう。まあ確かにお世辞にも綺麗とは言えない手だ。そんな手で触れた相手がハロルドの父親であるヘイデンだったならば最悪殺されていたかもしれない。
「案内しろ」
「うん」
まあハロルドにそんなことをするつもりは毛頭ないので素直に連れていかれる。といっても手狭な平屋であり、居間から出て廊下とも呼べないような短い通路の片側に備えられた扉の前にものの十秒ほどで到着した。
一応ノックをしてみるがやはり反応はなく、無言のまま扉を開ける。
曇り空ということもあって窓から差し込む光は弱々しく、薄暗い部屋の中に置かれたベッドの上には身じろぎ一つせずに横たわっている人影があった。彼がフィネガンだろう。
「パパ、パパのお友達だよ」
ミハイが枕元でそう呼びかける。
しかしフィネガンは虚ろな視線を天井に向けたままで反応を示さない。時たま瞬きをするくらいだ。それでもミハイは両手で動かない父親を揺すりながら声をかけ続ける。その光景は幼い姉弟が貧しさにあえぐ姿と同等か、それ以上にハロルドの心に突き刺さった。
うっかり涙してしまいそうだ。
「もういい」
父親の名前を呼び続けるミハイが見るに堪えなくなり、ハロルドは彼の頭に手を置いて優しく撫でた。撫でられたミハイはよく分かっていないような顔でハロルドを見上げている。
その無垢な瞳が年の離れた腹違いの弟、ヒューイを思い起こさせた。
ふと、もしかしたらヒューイもこうなってしまうかもしれない、という思いがよぎった。ラスボスたるユストゥスを倒したとして、ストークス家が領民に対して圧政を敷いていたのは動かない事実である。原作通りであればそのままストークス家は取り潰され、貴族という地位を奪われることになるだろう。
そうなればヒューイとその母親・ドロシーはどうなるだろうか。彼女の実家はかつて事業に失敗し、一度爵位を売り払って庶民へと転身した。そんな元貴族に側室の話が舞い込み、ドロシーを取り立てることでストークス家からの援助を受けて爵位を取り戻したという経緯はあるが、話を聞くにそれも名前ばかりで実際はわずかばかりの領地を得ただけらしい。
それらを考えれば少なくとも余裕のある生活を送ることは難しいだろう。スメラギ家が経営に介入してくれる手筈ではあるが、それはあくまで行政に混乱が生じないよう領地全体に対する働きかけを行うのであって個人の生活水準を助けるものではない。
「どうしたの?」
「……なんでもない」
大した意味なんてないのだろう。巻き込んでしまった罪滅ぼしにもなりはしない。そもそもミハイとヒューイは別人である。
が、せめて自分の手が届く範囲にいる、そんな縁のある人間だけでも救われてほしいと思うのは人として当然の感情でもあるはずだ。
「少し席を外す。コーディー、貴様は子守をしていろ」
◇
「あの人のことを怒らせてしまったんでしょうか……」
何を思い立ったのか外に出たハロルドの背中を見送って、サラは困惑したようにコーディーへ尋ねた。もしかしてミハイが失礼なことを、なんて呟きながら狼狽えているがあれは別に怒っているわけではないだろう。
まあコーディーとしてもハロルドのことをよく知らない人間からすれば彼が終始不機嫌にしか見えないというのは頷ける話ではあったが。
「大丈夫大丈夫、ああ見えてハロルドは優しいんだから」
「そ、そうなんですか?」
サラの顔には「信じられない」と書いてあった。それとは逆にコーディーからすればハロルドが子ども相手に怒る姿なんて想像できない。そもそもハロルドは口が悪いだけで、怒りの沸点は低くない……どころかかなり高いとコーディーは踏んでいる。
「ま、そんなに心配しなくても平気だよ」
努めて明るくコーディーは言い切った。なぜならハロルドが席を立った理由に見当がついているからだ。それは本来なら自分が配慮すべき事柄であり、ハロルドが言い出さなければコーディー自身がそうしようと考えていたことでもある。
内心で申し訳ないと思いつつも、しかしこれでサラがハロルドに抱いているイメージを一新できるいい機会だとも考えた。なのでここではフォローに回ることが自分の役目だろうという結論に至る。
無論、他人任せだという自覚はあったが、だからどうしたと開き直れるのがコーディー・ルジアルという男だった。
それから時間にすれば一時間以上は経っただろうか。姉弟と親睦を深めているとハロルドが戻ってきた。
その両手に大きな紙袋を抱えて。テーブルの上に置かれた紙袋の中身はコーディーが予想した通り大量の食材だった。やや予想外だったのはそれらが調理される前の段階だったことだが。
「もしかして作るつもり?」
「当たり前だ」
「てっきり調理済みですぐ食べられるものを買ってくるのかと思ったのに」
「栄養失調気味の人間にいきなりそんなものを食わせようとは貴様も中々に鬼畜だな」
「……ボクが軽率でした」
大げさに頭を下げてみせたがハロルドは無反応だった。恐らく取り合うのが面倒なのだろう。
しかし考えてみれば確かに店で売っている調理済みの食品は味が濃いものが多い。健康であれば気にも留めないことではあるが、普段の食事であまり栄養が摂れていない小さな子どもにいきなり食べさせるのは胃を刺激してあまりよくないかもしれない。
特にミハイはまだ四歳なのだからそうでなくとも食べるものには気を遣うべきだろう。
(やっぱ独身男はダメね……ってそういやハロルドも独身だったか)
単に気遣いができる男とできない男の差だった。まあハロルドには一応婚約者がいるが。
などと自分の情けなさを嘆いている内にハロルドは上着を脱いで白いワイシャツ姿になると、袖を肘の辺りまでめくった。そして竈に薪を突っ込むと魔法を放って一気に着火する。その光景にサラとミハイは驚きの歓声を上げた。
ハロルドはそれに構うことなく水を張った鍋を竈の上に置き沸騰させつつ、桶の中で野菜を洗い始めた。かなり手際が良い。
皮肉屋な性格以外は完璧な男ではあるが、どうやら料理もこなせるらしい。
「何か手伝うことはあるかい?」
「貴様は料理ができるのか?」
「……この間で察してほしいね、なんて」
「役立たずが」
ものすごく正面切った罵倒だった。だがぐうの音も出ない。
そんな会話をしている間にもハロルドは野菜の皮を剥き、適当な大きさへと切り分けていく。
「あ、あの……」
すると今度は意を決したようにサラがハロルドへと声をかけた。
「なんだ?」
「お、お手伝いします……お野菜を切るくらいならできますから……」
「必要ない」
「うぅ、でも……」
「代わりに貴様は弟を綺麗にしてこい。これを使ってしっかりとな」
そう言ってハロルドが紙袋の中から取り出したのは石鹸だった。それも木箱に梱包されている貴族御用達のような高価なものだ。
サラも幼いとはいえ女の子であり、本当なら身だしなみにだって気をつけたいだろう。それを察してかどうかは分からないが、ハロルドはわざわざそんなものまで買ってきていたらしい。
「こ、これ高い物なんじゃ……!」
「端金だ。ついでに貴様も身を清めてこい。俺が作る料理に汚れた手でありつけると思うなよ」
ハロルドらしい言い分ではあったが、こんなことを言う辺りやはりサラの乙女心を気遣ったものでもあるらしかった。汚れた格好で人前に立ちたいと思う少女がいるものか、ということだ。
それをサラも理解できたのか「ありがとうございます……!」と深々とお辞儀をしてからミハイを連れて浴室へと消えて行った。
その一連の流れを見届けたコーディーは台所に立つハロルドに言葉を投げかける。
「さすがモテる男は違うねぇ」
「家畜よりも仕事のできない男に食わせる食事はない。毒を盛られたくなければ薪割りでもしてこい」
「イエッサー!」
返答はこれまたとんでもない罵倒ではあったが、コーディーは躊躇うことなく外に飛び出して斧を握ることにした。




