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104話

明けましておめでとうございます



 フィンセントが正気を取り戻した翌日。まだ病院に留まるという選択肢もある中で彼はいち早く王都へ帰還することを選んだ。

 医者はまだ安静にしていなさいと説得を試みていたがフィンセントの意思は固いようだった。

 まあ彼は現役の聖王騎士団団長であり、その立場と責任を鑑みれば無断で何日も騎士団から離れるのは非常にまずいだろう。今頃向こうでは団長が行方不明だと大いに混乱しているのは想像に難くない。ハロルドとしても止める気はなかった。


「それで君はこれからどうするんだ?」


「貴様らには関係ない」


 俺には俺でやることがあるので、という言葉はいつも通り伝わらない。可能ならば協力体制を築きたいところではあるが、ハロルドの話した内容が真実だという確認が取れない限り首を縦に振ってはくれないだろう。

 言葉と状況証拠だけで騎士団を動かすことはできないのだ。一応フィンセントが洗脳されたのは計画を邪魔しようと画策しているハロルドを殺害可能な戦力として見込まれたからだろう、という話も昨夜の内にしておいた。

 それらの真相を確かめるためにフィンセント達には王都に帰ってもらう方がハロルドとしても助かる。ただし気にかかるのはあまり時間が残されていないかもしれない、ということだった。


「……一つ助言をしてやる」


「聞いておこう」


「トラヴィスに人員を割いておけ。迅速にな」


「なぜだい?」


 きっとフィンセントとしては心底不思議だったのだろう。

 トラヴィスというのは王都から離れたのどかな街だ。それだけでなく南側からは海が内陸に入り込んだリアス式海岸の形をしており、その湾の奥に街がある。さらに北側と西側には山脈が並び、唯一拓けた東側も山なりになった地形に街が広がっていて、その端は断崖絶壁になっているのだ。その立地から自然の要塞とも呼ばれている。

 デルフィトほど大きな港町ではないが交易が盛んで、美しい景観から観光地としても人気のある街。治安の面も他の街々と比べていい方だろう。わざわざ騎士団を派遣する必要性を感じないのは当然の場所でもある。


 だが普段から危険が少なく、有事の際にも攻められにくい場所だからこそ侵攻を許せば逃げにくい。特に崖側にある狭い陸路を抑えられれば逃走経路は船で逃げるか、山脈を超えるかの二択に絞られる。

 そうなれば多くの人間が逃げ遅れることになるだろう。原作でそうだったように。


「あそこはいずれ地獄になる」


 その理由はモンスターによる侵攻と、原作ハロルドの凶行のせいだ。

 原作ではハロルドが滞在している最中にモンスターの侵攻が発生しのだが、彼はそこで侵攻の阻止ではなく逃走を選択。しかし先にも話した通りトラヴィスでは逃走手段が限られており、そこでハロルドは街中に火を放ち混乱を生じさせることで逃げ遅れる人々を増やし、彼らを犠牲にしてモンスターの足止めを行った。

 まさにぐうの音も出ないほどのクズである。


 もちろん今のハロルドにそんなことをするつもりは毛頭ないのだが、かといって何も行動を起こさなければ原作通りモンスターに蹂躙される可能性は高い。

 本来であれば地獄絵図に陥ったトラヴィスに一足遅れて到着したライナー達がモンスターを壊滅してくれるのだが、それでも多くの犠牲者が出るのは間違いないだろう。それに加えて原作では侵攻を行ったモンスターの数は万単位とされている。

 それほど大規模だったということを表現するための単位なのだろうが、主人公パーティー六人で万の軍勢を壊滅させるのは現実的ではないだろう。侵攻が開始される前に可能な限りモンスターの数を減らす必要がある。


 そのためにもまず騎士団をトラヴィスに待機させておき、モンスターが出現した際に即時展開と民間人の避難誘導ができるようにしておかなければいけない。同時にライナー達も侵攻開始に間に合うようにトラヴィスへと誘導する必要もある。

 これに関してはフリエリによる陰からのサポートでなんとかスムーズに進められている……はずである。侵攻開始の詳しい日時が不明なので遅すぎても早すぎてもまずい、という非常にシビアな調整が求められるのだが。

 その辺はエルに「俺からの合図を受け取った際すぐにライナー達をトラヴィスに駆け付けられるようにしておけ」と無茶振りしている。申し訳ないがなんとかしてほしい、というのがハロルドの素直な心境である。

 万が一に備えてフリエリの資金で船を手配しておく予定ではあるが、それを踏まえても住人の避難には数時間かかる。その間はライナー達と騎士団で食い止めてもらわなければいけない。


「……分かった。気に留めておこう」


 今はその言葉を引き出せただけで充分だった。フィンセントであれば与えられた事前情報を無下にはしないだろう。

 結局、それ以上の言葉を交わすことなくフィンセントとは別れた。時間はないがハロルドにも今の内にやっておきたいことがある。

 そのためにはエルからの連絡待ちになるわけだが……。


「考え事か?ハロルド」


 さてどう動くか、と悩んでいるハロルドにさも当然といった顔で話しかけてきたのは、てっきりフィンセントと一緒に王都に帰るものだと思っていたコーディーである。


「……なぜ貴様はここに残っている?」


「いやぁ、ちょっとした用があってね」


「そうか。じゃあな」


「待った待った!」


 立ち去ろうとするもその行く手を阻まれた。用、というのはハロルドにあるらしい。


「貴様に付き合っている暇はない」


「そう言わずにさ。ハロルドにお願いがあるんだよ」


 いつもの飄々とした態度ではなく、真剣みを帯びた声のトーンにハロルドは足を止める。

 このタイミングでコーディーから何か願い事をされるような心当たりはない。それはつまり原作にはなかった展開が待ち受けている可能性が高い、とも言える。

 まあ今となってはそんな展開ばかりなのだが、主人公に近い立ち位置のコーディーからもたらされるそれは不安要素になりかねない。その願い事を叶えるどうかはさて置き、ひとまず内容を聞いておいた方がいいだろう。


「……手短に話せ」


 だから何かしらの面倒事が起きていることも覚悟しつつそう聞き返す。


「君のその、命を削るっていう剣。それを貸してほしいんだけど」


 しかし返ってきた答えはハロルドがまるで予想だにしていないものだった。





  ◇





 心が軋む。


「援護します。『水翔扇すいしょうせん』」


 感情が干からびていく。


「このままでは埒が明きませんね」


 抜けるような青空も、木々の新緑も、陽だまりにまどろむ街並みも、


「詠唱を開始します」


 痛々しい鮮血さえも、こんなに色褪せていただろうか。


「……『バーストウィンド』」


 ああ、まるで――……


「手荒で申し訳ありませんが、しばらくお眠りになっていてください」


 まるで世界から切り離されてしまったかのような感覚。

 自分はこんなにも空虚な人間だったのか。ハロルドへの恋慕、彼を支えたいという決意。それらを諦めてしまっただけでこんなにも“私”を失ってしまうなんて。

 自嘲することさえ今のエリカにはできない。その事実がより自分の弱々しさを痛感させる。


「助かったよ、エリカ……」


 そう言ってフランシスは微笑んだが、その笑顔はどこか不自然だった。

 彼だけだはない。ライナーもコレットもリーファもヒューゴもその顔色は優れない。それは戦闘による疲労とは別の要因によるものだった。


(……そう、ですよね。モンスターではなく人間との戦いなのですから)


 端的に言えば殺し合い。モンスターと人間、等しく敵だと割り切れるわけもない。

 誰だって、きっと今エリカが魔法で気絶させたハリソンの私兵達も胸の内に忌避感を抱いているだろう。


「まずは回復をいたしましょう」


 傷を負ったフランシスに治癒魔法をかけながら自問する。

 では、自分は?彼らに弓矢を放ったり魔法で吹き飛ばして気絶させることに躊躇いはあったか?

 殺すつもりはなかったとはいえ加減を間違えば、運が悪ければ、彼らが死ぬことは充分にあり得た。そこをしっかりと考慮していたか?


 ……否だ。何よりも無力化することを最優先にしていた。

 彼らが多少の怪我をしようとも《・・・・・・・・・・・・・・》。


(何よりも先にそう考えられる私は冷酷なのでしょう)


 もはや自己嫌悪する気すら起きない。最初からその程度の人間に過ぎなかったのだ。

 それなのにハロルドという光を知って、分不相応にも憧れた。追いつけるわけもないのに手を伸ばし、結局は諦めた。そして残ったのは自分の意思も目的もなく、人の形をした空っぽの器。

 なんて滑稽だろうか。こんな分かり切っていた結果に今さら気が付くなんて。


「これで邸内の兵はほとんど倒したはず。あと一息です」


「おう!行くぜ、みんな!」


 エリカの言葉を受けてライナーがそう鼓舞する。その背を追う足取りがまるで空回りしているかのように軽く、前に進んでいる気がしない。

 もしかすると随分と前からそうだったのかもしれない、とエリカは思った。いつまでもハロルドに追いつけない……どころかずっと遠ざかって行ってしまったのは自分が一歩も前に進めていなかったからではないのか。


(私は浮ついていた。ハロルド様の存在に、彼に恋をしているという事実に)


 そんな簡単なことすら理解できないほど。

 恋は盲目というがこれはそれ以下だ。リーファにも言われた通り、盲信していただけに過ぎない。自分の意思も、在り方も、生きる意味さえもハロルドに依存して。


 でも、これだけは……この戦いだけは最後まで見届けなければいけない。どんな結末になろうとも、全てが無意味な行為だとしても。

 それがエリカの、なけなしの意地だった。ハロルドの力になれなくとも、足を引っ張ることだけは避けなくてはならない。


 バァン、という音が鳴り響く。先頭を走っていたライナーが勢いよく扉を開けた音だった。

 そこから風が入り込んでくる。邸宅というよりも小さな城と形容した方が相応しい邸の最上階、そのテラス。

 そこにいたのはこの邸の主人でありグリフィス家の家宝であった剣を始めとした秘宝を奪ったハリソン。そして彼の前に立つ、目深にフードを被った護衛らしき二人。


「くっ……しつこい奴らめ!」


 こちらを見て忌々しそうに吐き捨てるハリソン。

 その様子に大人しく投降してもらうことはできないだろうとエリカは悟った。


「いい加減諦めなさいよ。あたし達はアンタの犯罪の証拠を掴んでるし、護衛の兵士ももうその二人しか残ってないんだから」


 どうすれば効率よく彼らを無力化できるか。そう考えているエリカの隣でリーファが投降を促す。それを無駄な行為だと思いつつ、そう言えば自分は説得と言う選択肢は浮かばなかったことに気付く。

 ハロルドに良く見てもらいたい。そんな自分勝手で浅ましい思いで演じていた仮面を捨て去ればなんと野蛮なことか。


「ふん、コイツらは邸の雑兵とは違う!お前らを殺すくらいわけはない!」


「説得には応じてもらえないようですね」


 早く終わらせてしまおう。これ以上自分の醜さを露呈する前に。

 ただそれだけを考えてエリカは前に出た。その行動にライナー達が呆気に取られる。そんな気配を背中に感じながら、エリカは無詠唱で魔法を放った。


「『アイスエンド』」


 氷のように冷たい声と共に放たれた魔法は、テラスの半分を一瞬で凍り付かせる。腹の突き出たハリソンがそれに対応できるはずもなく、両の膝下は氷塊によって捕らえられていた。


「ぐあっ!おのれぇ……!」


 その威力、効果範囲、発生速度は無詠唱魔法とはとても思えない一撃。そう、強すぎるあまり狭い邸宅内では使えなかった魔法である。

 詠唱とは本来なら魔法を正しく発生させ、動作の精密性を高めるための手段だ。熟練者になれば魔法の威力を底上げするという役割も持つことになる。もちろんエリカにとっても、最初はそうであった。


 いつからだろうか、エリカにとって詠唱の意味合いが変わったのは。ただハロルドに相応しい存在になりたいと努力をしていたらいつの間にかそうなっていた。ただそれだけの話だ。

 エリカは適正な威力に調整するために魔法の詠唱を行う。無詠唱で放てば高すぎる威力を抑えるために。

 瘴気の発生源で放った『ブラストミーティア』もそうだ。無詠唱で放てばモンスターだけでなく、解除しなければいけない装置まで破壊してしまっただろう。だから詠唱で適正な威力に調整した。

 それほどまでに、エリカにとってモンスターの大群は脆く、繊細な相手であった。


「エリカ、待て!」


 ヒューゴが何か叫んでいた。けれどそれを気にするより前に、跳躍してアイスエンドを回避した二人が接近してくる。この反応だけで只者ではないことが分かる。ハリソンが語ったように邸内の兵とは実力を隔するのだろう。

 迫るのは左手に長身の男、右手に小柄な少女。


(接近されて困るのは男性の方ですね)


 冷静にそう判断したエリカは詠唱しつつ弓で男の着地地点付近に水翔扇を三本打ち込む。水翔扇は文字通り扇状に放たれる水の矢。それが氷上にぶちまけられる。さながらアイスリンクと化したそこへ着地した男はたまらず転倒した。

 姿勢を立て直す暇を与えないようエリカは追撃の水翔扇は放なった。そしてそれが男に直撃した瞬間、水翔扇にのみ威力を抑えたアイスエンドを掛ける。

 着地から一秒経ったかどうか、その間に男は氷の牢獄に囚われて身動きが取れなくなる。


(これで二人)


 残る一人、双剣の少女は器用にも氷に足を取られることもなくトップスピードでエリカに肉薄する。

 どうしようもなく遅い。それが素直な感想だった。

 幼少期のハロルドにすら及ばない速度。彼が道場で兄のイツキと戦っている姿を、何度隠れながら眺めていたか。ハロルドの速さを知るイツキと、何度手合わせをしたことか。

 何よりも小柄な少女の握る双剣は刀身が短く、湾刀になっているため通常の剣よりも間合いが短い。エリカにとって、それは投げの間合いだ。


 当たれば骨も容易く切り裂けるであろう鋭い一閃を、エリカは余裕を持ち紙一重で避ける。攻撃が空を切った時点で、すでに少女の右手首はエリカに取られていた。

 あとは突進してきた少女の勢いを殺さずに投げるだけでいい。少しだけ手首を捻って武器を手から離させる。これならば手首も捻挫程度で収まるだろう。

 投げ飛ばされた少女は氷の上を滑り、そのまま壁にぶつかる……寸前で止まった。これで戦意を喪失してくれれば痛めつける必要はないでしょう、というエリカなりの配慮だった。


「……仕方ありませんね」


 しかし立ち上がり、無表情ながら剣を構える少女を見てエリカは小さく息を吐いた。そして弓を背中に背負うと彼女が落とした湾刀を拾う。近接戦闘、それも刀剣は全く領分ではない。

 ただそれでも、目の前の少女が相手であれば遅れを取るわけがなかった。


 再び少女が吶喊を仕掛けてくる。

 エリカと少女。お互いの影が交差し、青空に吸い込まれるような一際甲高い剣戟の音が響いた。




戦うラスボス系ヒロイン・エリカ

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― 新着の感想 ―
[一言] 『彼らが多少の怪我をしようとも』のところ、ルビの・が振られていません。 彼らが多少の怪我をしようとも《・・・・・・・・・・・・・・》 ではなく、 |彼らが多少の怪我をしようとも《・・・・・…
[気になる点] 誤字報告です。 > 侵攻が発生しのだが 侵攻が発生したのだが
[一言] 「彼らが多少の怪我をしようとも』 のところ、ルビが振られてないので修正お願いします。
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