101話
「くっ……」
フィンセントが倒れたのを確認して、ハロルドは力が抜けたように片膝をついた。受けた傷自体は深刻なものではないとはいえ長時間の戦闘、出血している体で百を超える連続技をくり出せば体力が削れるのも無理はない。
それに加えてフィンセントの猛攻に晒され続けて精神的な疲労もだいぶ蓄積されている。
だが勝った。あれだけの攻撃を受けてはフィンセントでも立つことなどできないだろう。というか死んでいてもおかしくない。
最後に放った『裂雷』はハロルドが使える技の中で最大威力を誇るまさしく必殺技だ。ただしその火力故に溜め時間が長く、非常に使いづらい技でもあった。
ゲームでも発動前に阻止されるのがデフォルトな一種のネタ技と化していたことを考えれば実戦向きではないことは明らかだろう。基本的に四人一組での戦いになるのだから、悠長に溜めていれば攻撃されて技がキャンセルされるのは当たり前だ。
今回はゲームだとまずあり得ない一対一の戦いだったからこそ上手く決まったに過ぎない。
だからこそ勝ったと、そう思った。
俯いて荒い呼吸をくり返すハロルドの耳に、ジャリ、という音が届く。
息が止まった。まさかという思いが頭の中を埋め尽くす。
しかし同時にフィンセントなら或いは、とも考えてしまった。信じたくない、けれどあり得るだろう現実を直視するためハロルドは顔を上げる。
そしてその光景に言葉が漏れた。
「……化け物が」
甲冑は砕け散り、それを着込んでいた当人の肉体も無数の傷と夥しい鮮血によって染め上げられている。
それにも関わらずフィンセントは立ち上がった。まるで幽鬼のような様相に思わずたじろぐ。
ろくに力が入らないだろう体をふらつかせ、大剣を引きずりながら一歩を踏み出す。死に体でありながらその眼光だけは異様に鋭く光っている。
「ハロルド……ストークス、の……排除ヲ最優先……と、スる……」
「……貴様も所詮は操り人形か。聖王騎士団の団長ともあろう男が落ちたものだな」
原作ではユストゥスの言葉に惑わされて己を見失い、今は洗脳か何かで自意識すら奪われている。なんなら原作よりもひどい有様だ。
思えばフィンセントはハロルドと似たような立場だ。ボスキャラという主人公に倒されるための舞台装置。原作では明確に描写されていないが、コーディーのセリフを鑑みても死んでいるだろう。
つまりはフィンセントも死亡フラグありきの男というわけだ。何の因果かそんな二人が殺し合っているのだから笑えない。運命とやらはどちらかがここで死ぬまで戦い続けろとでもいうのだろうか。
「冗談じゃない……」
最低の気分だった。わけも分からずハロルドに憑依してしまったせいでずっと悩み苦しみながら、死への恐怖に抗い続ける日々を生きてきた。
ここが大好きなゲームと酷似した世界だからと言ってただ楽しんでいられるわけもない。楽しむことで精神的な負担を減らすことはできたが、それにだって限界がある。
その恐怖も不安も自分と世界の行く末を知っているが故の不幸だった。
けれどこうしてズタボロになったフィンセントを前にすると、何も知らないだろう彼もかなり不幸な男なんじゃないかという気がしてくる。
家族と故郷を失い、生きるために傭兵となってその手を血に染め、それでもなお友を――誰かを守るために騎士になった。才能に頼るだけでなく相当な努力を重ね、その質実剛健な人柄があったからこそ団長にまで登りつめることができた。
その結果がこれだ。
原作では多くの部下を失い、夢の形であり誇りでもあった聖王騎士団は失墜し、それを引き起こしたユストゥスに弱っていた心に付け込まれてライナー達に剣を向けた。その最後は幼馴染であり親友だったコーディーに敗北しての死亡。
そして今は洗脳され、もはやユストゥスの命令を忠実に遂行するだけの人形と化している。しかもその命令によってもたらされる結末はフィンセントが守ろうとしている国民ごと、大陸が沈むという大惨事だ。
どちらの方が不幸かはフィンセントでなければ分からないが、どちらにせよ苦難に満ちた人生であることに変わりはない。
「……貴様はそんな人生で満足か?」
気が付けばそんなことを尋ねていた。今のフィンセントに言葉をかけたところで無意味だとは分かっていても、心の中で渦巻く感情を言葉にせずにはいられなかった。
「己の目的も果たせず、ただ他人の思惑に利用される……」
それはきっと理不尽な現実に対する怒りだった。
「俺はそんなクソみたいな人生など認めない。自分のために生きられない人生など、最早人生などと呼べるものか」
同時に、生きることへの渇望でもあった。
物語を彩るためだけに死んでいく、だなんて現実は絶対に受け入れられない。
「貴様はどうなんだ、フィンセント。そのザマが貴様の目指した、理想とする正義か?」
当然ながらフィンセントは答えなかったが、ハロルドとしても別に返答を求めたつもりはない。
ただ言っておきたかっただけだ。それは自分に対する叱咤であり、フィンセントへの勝手な憐憫であり、お互いを取り巻く運命への憤りだった。
地面に突き刺した剣を杖代わりにしながらなんとか立ち上がる。体力的にはほぼ限界だ。
一度勝ったと思ったことで緊張の糸が切れ、疲労が押し寄せてきたせいもあるだろう。剣を構えることすらやっとの状態でありまともに戦闘を行える自信はない。相手にも大きなダメージがあるのは間違いないが、あれだけの負傷すら無視して動けるのならば勝算は低い。
それでも生きるためには剣を握るしかないのだが。
嫌になるなぁ……とどこか他人事のように頭の片隅で思いながら、それでもハロルドは気炎を吐いてみせた。
「他人に惑わされるな、愚か者が!己の意思は己で支配してみせろ!」
フィンセントに変化が現れたのはそう叫んだ直後だった。
ゆっくりとした歩みを止め、握っていた大剣を取り落とす。
「……あ゛ぁ?」
思わず怪訝な声が漏れた。我ながらどこぞのチンピラかと言うくらいガラの悪い声だったのはさて置き、突然の事態に何が起きたのか分からず困惑する。
隙を逃さず速攻を仕掛けるか様子を窺うか。逡巡した末にハロルドは後者を選んだ。
攻めどころを間違えば敗北するという重圧がその足を止めさせた。
「ハロルドを……私、は……!」
そして気が付く。先ほどまではカタコトだった発音が通常時と変わらないものに戻ってきていることに。
その変化が意味することは何か。ハロルドは瞬時に思い至った結論に一縷の希望を見出す。
(もしかして洗脳状態が解けかかってるのか?)
確証はないが、無機質な印象から一転し、その声には人間味が感じられる。
仮にそうだったとして洗脳が解けかかっている理由は分からない。攻撃を受けたダメージなのか、ハロルドが取った行動が原因なのか、それとも時間的なものなのか。
しかしそんなことはどうでもよかった。重要なのはフィンセントをあの状態から真っ当な人間に戻せるかもしれない、ということだ。それができればここで殺し合う必要もなくなる。
そう考えたのはある意味でハロルドの甘さであった。なにせ中身の人格は八年前まで現代日本で平穏に生きていた一大学生である。
死亡フラグに塗れたハロルドに憑依し、モンスターだけでなく人間との戦いも多く経験してきた。一歩間違えれば殺すか、殺されるか。そんなギリギリの生き方ではあったが、言い換えればハロルドはまだ人間を殺したことだけはなかった。
それは一度でも踏み越えればもう後戻りはできない明確な境界線。故にハロルドは意識的にも無意識的にも、その一線を越えることを躊躇し続けてきた。
だからこそ彼はここでフィンセントに向かって攻撃を仕掛けるのではなく、叫ぶことを選択した。
「いい加減に目を覚ませ!こんな茶番が貴様の望んだ結末か!?」
「ぐっ……!」
ハロルドの言葉に反応してかフィンセントは頭を抱え、苦しそうな呻き声を上げる。
これ以上戦わなくて済むならそれに越したことはないという打算は確かにあった。けれどこの時ハロルドが吐き出した言葉は心の底からの叫びでもあった。
なぜなら平沢一希はフィンセント・ファン・ヴェステルフォールトという人間に生きていてほしいかった。彼があくまでゲームのキャラクターだったとしても、今こうして対峙しているフィンセントは生きた人間なのだから。
親しいわけではない。まともに会話を交わしたことすらない。その人柄と境遇を一方的に知っているだけだ。
でも、だからこそ彼が死ぬべき人間ではないことを知っている。もしも助けられる道があるのならば助けたいと思ってしまう。
それはやはりハロルドの甘さであり、優しさだった。
「さっさと戻ってこい、フィンセント!」
「……ぁ、あぁ……ああああああああああああああああああ!」
一際大きな絶叫が洞窟内に木霊する。そしてフィンセントは崩れ落ちるように膝をついた。
彼はそのまま動かなくなる。
「おい……」
ハロルドの呼びかけには応じない。
洗脳が解けていないのか、それとも気絶しているのか。もしいきなり攻撃を仕掛けてきても対応できるよう警戒をしながら慎重にフィンセントに近付いていく。
そしてその距離が二メートルを切った瞬間、フィンセントが動いた。
ハロルドは咄嗟に距離を取る。
そんなハロルドをまるで意に介すことなく、再び行動を開始したフィンセントはある物を取り出した。それは透明な筒状の容器に入った、空色の液体だった。
それを見たハロルドの血の気が一気に引く。
(アストラルポーション!)
原作ではハロルドが摂取し、増強した力に体が耐え切れず死に至った恐ろしいアイテム。
それが今、ハロルドではなくフィンセントの手に収められている。
アストラルポーションを飲みさえしなければそれによる死は避けられると思っていた。だが今の状況であれをフィンセントが摂取すればどうなるか。一時的にパワーアップした彼にハロルドは殺され、その後にフィンセント自身も死亡するだろう。
最悪の展開が脳裏をよぎる。絶対にあれを使わせてはいけない。
そう思っているのに、今すぐ足を踏みださなければいけないのに、体は動かなかった。後方に飛び退いたことで重心も後ろへと傾いている。
その重心を前に出して、フィンセントとの距離を詰め、アストラルポーションを叩き壊す。時間にすれば数秒とかからない。けれどそのわずか数秒がどうしようもないほど長く、遠くに感じる。
間に合わないと分かってしまう。
「止めろ‼」
ただそう叫ぶことしかできなかった。無駄だと分かり切っているのに伸ばした右手はやはり何も掴むことはできない。
そんな中でフィンセントの動きだけはひどくゆっくりと見える。
天を仰ぐように顔を上げた彼はアストラルポーションを摂取するために口を開き、そして液体の入った容器が砕かれた。
◇
自室で書類仕事を片付けていたイツキは、作業が一段落したところで凝り固まった背中の筋肉をほぐすように背伸びをしながら息を吐いた。
「ふう……少し休憩しようかな」
「ではお茶を淹れますね」
「ありがとう。お願いするよ」
傍に控えていたシルヴィがお茶の用意をするために退出する。ここに来るまではお茶と言えば紅茶という生活を送ってきたシルヴィだが、今は積極的に緑茶や煎茶を淹れるようにしてくれていた。
スメラギの文化に早く慣れようとする彼女の姿を見ると、自然とイツキの心も温まる。
「夫婦になる、というのは思っていたよりもずっといいものだな」
ポツリとそんな呟きが漏れた。結婚してまだ半年も経っていない新米夫が言っても説得力に欠けるような気もするが、シルヴィとなら今のような関係を……いや、今よりももっとお互いを想い合える関係になれるだろうという確信があった。
だからこそというわけでもないのだが、やはりどうしても思わずにはいられないこともある。
「エリカとハロルドもいい加減一緒になってくれればいいんだが……」
お互い意地っ張りの似た者同士であり、特にハロルドに至ってはその意地の強さは恐らく人類最高峰だろう。多少揺らすことができてもそれを曲げることは非常に困難である。
ハロルドは今も昔も、自分で決めた選択を、道を貫き続けている。鋼の意思と言えば聞こえはいいかもしれないが、それが誰にも頼らない孤独な道を歩んでいるとなれば彼を良く知る者からすればどうしても心配になってしまう。
「ハロルドがスメラギを頼ってくれたのは一度……いや、二度だけか」
一度目はベルティスの森でユストゥスの策略によって攻め込んでくるサリアン帝国の兵士を迎え撃つために助力してほしいと頼みに来たこと。とはいってもハロルドの頼みは「サリアン帝国の軍服を用意しろ」という非常に簡単なものであり、スメラギとしてもあまり表立って支援することはできなかった。
そして二度目は……まだ、実現できていない。
鍵のかかった机の引き出しから一通の封書を取り出す。父から譲り受けたそれにはハロルド直筆の手紙が収められている。
内容を暗唱できるほど読み込んだそれをぱらりと広げる。
中に書かれているのはスメラギ領内で発生していた瘴気に対する抗体薬の製造方法に、後にLP農法と呼ばれる画期的な産業技術の提供、弱みに付け込まれた婚約を破棄するという提案。
そしていずれストークス家が凋落した際に、その時ストークス家の領地に暮らしている民の生活に問題が起きないよう手を回してほしい、というものだ。正直に言ってそんな時が訪れてほしくはないが、当時十歳のハロルドはその未来が確定的だと考えていた。そしてそれは今も変わっていないだろう。
「……ハロルドにはどんな世界が見えているのかな」
現状を把握する力、先を読む力、それらを用いて自分が望んだ未来を切り開く実行力。どれを取っても敵わないとイツキは思っている。
そして剣を握れば大陸最強の武力を持った個人と言っても過言ではない。
心技体、武力、知略智謀。それらを非常に高い水準で兼ね備えている。今さらながら自分の友人は歴史に名を残してもおかしくない傑物である。
「そんな彼からの数少ない頼みだ。もしもの時は何としても力に……」
そこまで言いかけて、イツキは口を噤んだ。その決意に迷いがあるわけではない。
ただ改めて考えてみてこの手紙の内容に違和感を覚えたのだ。あのハロルドが「自領の民を救ってほしい」などと分かりやすく、素直な頼みをするだろうか。
手紙を受け取った当時では気が付かなかったが、ハロルド・ストークスという人間をよく理解できた今だからこそ確信を持って言える。彼がそんな安直な頼みをするわけがない。
思えば仮にストークス家が凋落したとして、そのままであれば領地は他の貴族に割り振られることになるだろう。スメラギが手を回さなくとも領民の生活に大きな支障が出る可能性はあまりなく、むしろストークス家から解放されることで環境が改善されることさえ考えられる。
(となるとあの地をスメラギ家に管理してほしい、とか……?そうであれば婚約破棄は悪手に思えるが、ハロルド自身も凋落以降関わる気がないということであれば……しかし仮にそうだとして、ストークス領の新たな領主がスメラギである必要性というものが存在するかな?)
手紙に記されたハロルドの真意を読み取ろうとイツキは思考を目まぐるしく回す。しかし浮かぶ答えはどれもしっくりとこないものばかりだ。
「どうかされましたか?」
考え込んでいるとお茶を淹れて戻ってきたシルヴィに声をかけられる。
お礼を言いながら湯呑を受け取り、気分転換にでもなればとシルヴィにも見えるようハロルドの手紙を机の上に広げる。
「いやなに、以前ハロルドから受け取った手紙を改めて読み返してみると少し違和感があってね」
「違和感、ですか?」
「ああ、ここなんだけれど……」
イツキに促されるままシルヴィも手紙に目を通す。それを一通り読んだシルヴィの感想は次の通りだった。
「……ごめんなさい。どこがおかしいのかわたくしには分かりません」
まあそうだろう、というのがイツキの心境だった。別にシルヴィの察しが悪いという意味ではなく、ハロルドの捻くれ具合を熟知してようやく少し違和感を覚える程度の話なのだ。
彼とほとんど接したことのないシルヴィに何かに気付け、という方が無茶である。
「気にすることはないさ。違和感というのも僕の思い違いかもしれないしね」
「でもイツキさんは不安……なんですよね?」
「はは……まったく、シルヴィに隠し事はできないな」
「イツキさんの目を見れば分かります。その違和感には、きっと確信があるんだって」
その通りだった。イツキはこの手紙には絶対に何かがあると感じている。
そして同時に、そんな予感に言い知れぬ焦りも覚えていた。早急に対応しなければ取り返しのつかないことになってしまいそうな、根拠のない焦燥を。
「でもこの手紙の内容は本当なのですか?ハロルド様のお家が没落してしまうだなんて……」
「ハロルドはそうなると予測しているらしい。この手紙をくれた八年前から」
時に未来が見えているんじゃないかと疑いたくなるハロルドがそう予測しているのだ。少なくとも没落か、それに近い状態にはなると……
「没、落……?そうだ、普通であれば……なぜハロルドはわざわざ凋落だなんて……」
シルヴィが口にした『没落』という単語。栄えていたものが衰え、ついには世から滅びてしまうことを指し示す言葉。意味合いとしては凋落とほぼ同様である。
だが常用として使うのならば没落という単語の方が圧倒的に普及している。だからこそシルヴィも自然と言い換えてしまったのだろう。
そんなことは当然ハロルドも分かっている。分かった上であえて凋落という単語を用いたのだとしたら?
没落と凋落。ほぼ同じ意味ではあるが、決定的な違いが一つだけある。
それは既に落ちぶれてしまっているか、落ちぶれている只中であるか。僅かな違いではあるものの、衰退が完了しているか、衰退している途中かという差がある。
そして本来、この手紙で使うとするなら没落という単語の方が適切である。
しかしもしも凋落が正しい意味を持った文章なのだとしたら、これはストークス家が没落した後ではなく、衰退している途中、正しく今この時に手を差し伸べてほしいということなのではないのか。
「だとしてもそれはなんだ?経済的な支援はLP農法でどうにかできる範囲だし……」
ハロルドが求めるもの。八年も前から未来を見据えて、今こそ必要としているもの。
再び思考の海に潜ってイツキは頭脳を回す。
「未来を、今の状況を予測して……ストークス家の危機……いや、脅威と想定しているのはハロルドの敵?…………まさか」
そして辿り着いた一つの答え。荒唐無稽だが、考えてみればあり得ない事態ではない。
八年前からこの状況を想定していたのなら異常の一言に尽きるが、イツキの中でその単語はハロルドとセットになって久しい。機が熟すまで誰にも悟られないよう八年前の手紙に仕掛けをしていたとしても信じてしまえる。良くも悪くも異常性の塊であるハロルドと長い間接してきたイツキはそうだ。
いや、この瞬間にそう思わせるためにこれまでの関係を築いてきたのかもしれない。
それでもいい。どんな思惑があったにせよ、ハロルドはイツキにとってかけがえのない友人である。例え考えすぎて馬鹿をみることになろうとも、行動せずに後悔するよりは何万倍もましだと思えた。
「どうかしましたか?イツキさん」
「シルヴィ、僕は少しやらなければいけないことができた」
「……そうですか。そのやらなければいけないこと言うのはとても大切なことなのですね?」
「ああ、そうだ。けれど下手をすれば君や、君の家にも迷惑をかけてしまうことになるかもしれない」
「そんなことでしたらお気になさらずに。わたくしはあなたの妻なのですから、どんな道であろうとも共に歩んでゆくと誓っています」
そう言って柔らかく微笑むシルヴィ。そんな彼女に向け、イツキはいくつもの言葉を抑え込んでただ一言
「……ありがとう」
とだけ伝えた。
はい、と頷くシルヴィ。あえて言葉にせずとも、その短いやり取りでも二人はしっかりと通じ合えているのだった。




