悪ー四ー
「ふう〜っ」
昼の休みのチャイムが鳴り、一気に緊張を解くための溜息をつく。
朝からココのカリキュラムは範囲が広いのでなかなかに大変である。
それに、まだやらなくてはならないことも…。
「昼間っからすごい溜息ですね」
そう言って僕の席まで寄ってきたのは、サヤさんだった。
「……………」
「……………」
二人の間に気まずい空気が流れる。
「あ、あのサヤさん。朝のことなんですけど」
と、なんとか話題を作ろうと今朝のことを引っ張ってみたが。
「………」
ものすごい目をされた。
「い、いやその、ですね…」
どうすればいいのかわからず、アワアワとしていると、途端ハァーッと溜息が聞こえる。
「もう!いいですよ今朝のことは。私も少し意地悪が過ぎたと言いますか…」
と、サヤさんは頬を少し赤らめ、指先で自分の髪をクルクルとさせていた。
「あ、でもケーキ屋には連れてってもらいますからね」
「え、えぇ!もちろん!そうさせていただきます!」
まだ、朝なぜ叩かれたのかだけが分からなかったが、どうやらもう怒ってはいないようなのでそこは触れないようにする。…というか触れちゃいけない気がする。
「それにしてもサツキくん。なんかいやに疲れているような気がしますが、大丈夫ですか?」
「え?えぇ、まぁ…」
ハッキリとしない返事に少し心配でもしたのかサヤさんは僕の席から離れようとしない。
「なにか悩み事とかあるんでしたら聞きますよ。ただでさえ顔色が伺いづらいんですから。それに、こういうときのための委員長ですから」
「委員長ってそんなこともしましたっけ?」
「そこは気にしないように」
そう言って僕の前の席を座ってきた。
「ほら、遠慮なさらずに」
「…いやあの」
別に悩み事などないのだが。
強いて言うなら今、この現状に悩んでいるのだが。
かと言ってこのまま無下に扱うこともできない。彼女は僕のことを思ってしてくれているのだ。ならばその気持ちに少しでも応えてやるのが男というものだろう。
なぜか急にジェントルマン精神に目覚めてしまったが、しかし確かにその通りなのでここは何か適当なことでも述べておくとしよう。
「…実はですね」
「うん?」
「…………」
「?」
何も出てこない!?
なんということだ…。サヤさんを傷つけないように咄嗟に何か出るものだと思っていたのに、何もない。
というか僕は大抵の悩みは自分で解決してしまうので、このように誰かに聞いてもらうということがなかったのだ。
こ、これは一大事だ…。どうしよう…。
見るとサヤさんも訝しむようにこちらを見ている。
マズイ!このままではサヤさんにますます申し訳ない!早く何か言わないと…!!
そこで僕は頭をフル回転させ、いままでの会話からなにかヒントがないかを探り出した。
そしてあった。ヒントが。すぐそこに。
「じ、実はですね!」
再びサヤさんに問いかける。
その際机を強く叩いてしまったので驚かれてしまったが。
「僕には…」
「は、はい…」
「悩みがないんです」
一瞬場が凍るような感覚があった。
「………は?」
サヤさんは目を丸くさせていた。
なんだかデジャヴ感があったが気にせず続ける。
「そう、僕には悩みと言える悩みが無いんですよ。大抵のことは自分一人で片付きますし。一見すると良いことのように思われますが僕にとってはこれは大問題でして。と、言うのも僕が思う人間観は人は悩みを持ち続けることで成長していけると思うんですよ。悩みをもって、人は学習することが出来るんです。でも僕にはそういったものが無い。悩みが無い。成長が出来ないんです。学習することが出来ないんです。故に僕は悩みが欲しい。欲しているわけなんです。というわけで、どうしたらいいですかね?」
一通り言い終え、改めてサヤさんの方を見ると。
「……………………」
白い目をされていた。無言で。
僕のような白さだ。
「あのー…。サヤさん?」
とりあえず話しかけ反応を探ってみる。
するとフッと少しだけ笑い、「大丈夫です。いずれ時が解決してくれます」と言われた。
その目はこちらを見ていない。
「サ、サヤさん!?こ、怖いですよ!!」
「恐れることはありません。自分が信じる道こそがあなたが進むべき道なのですから」
「なにその聖職者のようなセリフ!?」
「あなたの人生に幸多きことがあらんことをー」
「やめて!謝りますからやめて下さい!!」
と、そんなやりとりをしていると。
ガララッ!!と、ものすごい勢いで教室の引き戸が開けられた。
クラス全員がそちらに集中する。
「サァアアアアアアアアアアアアアヤァアアアアアアアッッッッッ!!!!!」
突如として響くその声はどこか耳に通る良い声であり。
「お昼一緒に食べよぉおおおおおおおおっっっ!!!」
その声の主はそのままこちらに、正確にはサヤさんの方へ一直線に向かって来た。全速力で。
ドドドドドッ!!とその人物は薄いピンクの髪を振り乱しながら両手を広げ、そのままサヤさんに飛びついた。
本人的には抱きついたつもりなのだろう。しかし、勢いがあまりにも強過ぎ、若干タックルするような形となった。
その際サヤさんの口から「グゲフッ!?」という乙女らしからぬ悲鳴が漏れてしまったことは心の内に留めておこう。
サヤさんはそのまま綺麗なくの字をしたまま、挨拶の主と共に別の生徒たちの机に突っ込んでいった。
幸い、そこには誰もいなかったので二次被害は免れたようだ。
まぁ、ここのクラスはこのことは日常的に知っていることだから避難していたのだろう。多分。
僕は若干の溜息をしながらサヤさんたちの元へ向かう。
どれだけ勢いよくしたのか机や椅子などは散在としており、足場が悪い状況であった。
…というかこれ二人とも無事なのだろうか?
と、不安が一瞬胸をよぎったが、しかし、その不安も一瞬で払拭された。
「あはははははははっ♪」
よく通るいい声が笑い声として聞こえてきた。
「いやはー、ごめんごめん。勢いよくしすぎちゃったよー♪」
その声の状態から察するにどうやら大事にはいたってないようだ。
「いや、毎回言ってますけど勢いよくする必要ありませんからね?」
僕はそう言ってこの騒動の犯人をまるで猫のように服の背中部分をつかんで起こした。
「うわおっ」
突然の体の浮く感じに驚きの声が聞こえた。首は締まらないようにしてつかんでいるので、少し重い。
「あ!サッキー♪おはよー♪一緒にお昼でもいかが?」
しかしそんなことは本人にとってはどこ吹く風で普通に話しかけてきた。
「…おはようございます。カナデさん」
色々と突っ込みたいことがあったが、なんかもうどうでもよく感じてしまった。