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赤ずきんを忘れたせいで

作者: 林 りょう


 ――まるで、四年前の私を見ているようだった。


 その日は久しぶりに実家へと帰ってきて、でもこれといって用事があるわけでもなく。少しばかり電車に揺られれば辿り着く大きめの公園で、何やらイベントがあるということで、気まぐれに出掛けていた。

 女一人、なんて寂しい連休を過ごしているんだと思いもするけれど、ここ数年恋愛が上手くいったためしがない。

 仕事場でもどこでも、良いなぁと思う人とは出会えるのに、アタックしたりアタックされたり。そうしてデートやらなんやらを重ねていって、いざお付き合いをしてさあ頑張っちゃうぞとなった時、そこで私は駄目になる。

 大切な一度目が終わった後、無性に泣きたくなって寂しくなって、そこからはもうなし崩しに連絡を断っていき自然消滅や相手から別れを告げられるのだ。

 別に下手だとか相性が悪いとかってわけじゃないし、見る目がないとも思わない。全員に対して好きだと、その都度確かに想ってもいた。

 でも駄目なのだ。

 ほら、仕事でも似たようなことがあるじゃない。あまりに環境が良過ぎる場所を最初に知ってしまうと、他からしたら十分良い条件だとしても後々の転職で比べてしまい、中々上手くいかないことって。

 彼氏を職場に例えるのもどうかと思うけれど、でもたぶんそれと同じだ。

 私は一番最初で愛されすぎてしまった。

 物足りないわけじゃないのに、忘れたはずの過去がその度に蘇って虚しくなり駄目になってしまう。

 高校生活の全てだったのだから仕方が無いのかもしれないし、私がただ未練がましい過去を受け入れられないだけのアホ女なのかもしれない。

 でも私だって、四年も前のことにこんなに苦しめられるとは思ってもいなかった。

 進学や一人暮らし。そして遠距離。すれ違う要素は沢山でタイミングも色々とズレていき、ある日連絡なしで彼のアパートへ行くと女の子が美味しそうな料理を振舞っていた。

 まあ、良くあることだろう。とても寂しがり屋な人だったから、メール不精で連絡をまめにしなかった私が悪い。

 修羅場にならず、醜態を晒さなかった自分は今でも誇れる。おかげで四年間、こうして細々とすすり泣く羽目にはなったけれど、何が堪えたかって最後に彼から言われた言葉だ。それが引きずる大きな理由でもある。

 愛した分、愛して欲しかった――

 まるで捨てられた子犬のような瞳でそんなことを言ってきたんだもの、そりゃあ私が悪いのかって思っちゃうじゃないか。

 毎度毎度、艶っぽい声で「愛してる」なんて言われ続けてきたんだから、耳にこべりついて離れなくもなる。そうしたら同じ様なシュチュエーションになると幻聴が聞こえ、ああ、これから愛さなきゃいけないんだなってプレッシャーも感じるわ。

 その方法も分からないというのに。


「なんだかなぁ……。せちがらいヨー」


 なんて。カップルだらけな周囲のせいで、せっかく出掛けたのに本気で鬱モードになりかけてしまった。

 秋を楽しもうというコンセプトで開催されている催しは、ぶっちゃけ夏祭りと変わらない。格好が秋服になっただけ。

 そこに女一人で混ざるのは失敗だったもよう。秋の味覚は美味しいけれど、その代償は少し大きい結果となってしまった。


「別に、もう一度会いたいとか思ってないのになァ」


 むしろ会いたくもない。よりを戻すのもあり得ない。だってそんなの虚しいだけじゃないか。気持ちそのものはもう無いんだもの。

 焼き鳥とオレンジジュースという異色のコラボに打ちのめされながら、焼きそばの入ったビニール袋を揺らし人ごみを歩く。

 そして、屋台を眺めながら昼間っからビールでも飲んでやろうかと思ったそんな時、私は見付けてしまった。

 なんだかなぁ。昨今、日本はとても寂しくなった気がしてならない。国というより人がだ。そこそこ鬱陶しく感じるぐらいは人が練り歩いているというのに、私の視線が縫い付けられた場所には小さくぽっかりと隙間が空けられていた。

 これは一人ぼっち同士、見捨ててはおけない。同士というよりきっと同志だ。

 そんなくだらないことを考えながら、串に残った焼き鳥を食べきって袋へ入れ、誰もが見ないようにしているその空間へと向かう。

 目の前に来ても気付いていないらしく、しゃがんで覗き込む。

 そうして、仕事場の先輩お墨付きの気の抜ける笑い顔を目が合った瞬間見せれば、これでもういちころだ。


「どったの? 迷子ー?」


「……誰?」


「んー……、人生に迷子なお姉さんかなぁ」


 小学生かどうか微妙な男の子だった。一人で静かに泣いていて、でもすれ違う人の誰もが迷子なのかなっていう表情をしつつも声を掛けない。

 最近の親は昔とは違った形で怖いそうなので、あらぬ疑いをかけられてしまうなんて心配しているのなら仕方がないが、やっぱり少しばかり切ないぞ。モンスターペアレントは確かに怪物だけどね。熟練のおばちゃんですら太刀打ちできないというんだから、私なんて瞬殺だろう。

 けど、そんな心配して同志を見捨ててしまっては迷子の先輩として恥ずかしい。

 くりくりっとした瞳はまるで子犬。しかし、笑顔で堂々と胸を張ると、涙で濡れたお顔が険しくなった。子供がする表情ではない。


「…………変な人?」


「わー、どストレートぉ」


 一人っ子だし小さな子と接する機会もそんなに無かったから、聞いた事があるだけだったけれど、子供が素直で残酷っていうのは本当だったんですね。

 男の子は泣き止んだその代わり、ジリジリと私を睨みながらあとずさる。ついでに四方から、なんだか居た堪れないというかムカつくというか、疑いの視線もくらってしまった。

 だったらあんた達は何なんだと叫びたいが、これ以上のレッテルはまずかろう。


「お父さんとお母さんとはぐれちゃった?」


「変な人と話をしちゃ駄目って」


「あっはっは。うん、それは大事だよー。大事だけど……。ファーストコンタクトに失敗したかぁ」


 乾いた笑いを出しながら頬を掻く。

 どうやら男の子は、しっかりした教育を受けているようだ。虐待やらなんやら、そんな悲しい事件が耐えない現代に於いて一安心です。

 けど、まさか私がその対象になってしまうとは。まあ、迷子は確定しちゃってよさそうなので気にしないでいこう。子供の扱いなんて知らないし、たぶん埒があかなくなるよ。


「じゃあさ、こうしよう。迷子なんだよね?」


「……うん」


 男の子も警戒はしているけど、一人じゃどうしたらいいか分からないのは変わらない。恐る恐る頷いて、周囲をきょろきょろと忙しない様子だ。

 この年頃じゃ、しっかりしている方なのかな。

 指を一本立てて、でも無理矢理近付くことは控えながらもう一度笑えば、一歩だけ距離が縮まった。おっ、と思わず嬉しくなってしまう。


「実はお姉さん、凄腕のエスピーさんで変な人ではないんですが、でも、それを証明してあげることができません」


「えす、ぴー、さん?」


「偉い人とかを、悪い人から守るお仕事の人だよー」


 そう言えば、今度は男の子がおぉっ、と目を輝かせた。でもすぐ後「人生の迷子じゃないの?」と。

 しまった、嘘もシャレもヘタクソだって友達に言われてたけど、こんな時に初めて実感してしまったよ。

 とりあえず笑って誤魔化しなんとか取り繕うが、せっかくの一歩は消えてしまう。


「やっぱり変な人だ」


「違うよー。でも、怪しいと思うなら、仕方が無いのでこうしましょう。この凄腕のエスピーな人生の迷子なお姉さんが、君を護衛してあげます!」


 こうなりゃ自棄だ。そう思ってズバっと指差してやれば、言われた本人がキョトンとして丁度すれ違った人が『えっ!?』て顔してる。

 えっ、だったら助けてよ。そう思う私はたぶん悪くない。


「…………ゆーかいしたりしない?」


「誘拐? 勿論。護衛なので、危険がない限り触らないよー。ここに一緒に来た人を見つけるのは君自身だ!」


「僕が、自分で?」


「うん。ミッションですよー、ミッション。かぁっくいいねぇ。ちなみにもし怖かったら、迷子案内所の道を教えることもできますよー」


 男の子の涙はとっくに止まっていて、それだけでホッとして。私としてはできれば迷子案内所へ連行したかった。

 けれど、うーんと悩み始めた様子にしまったと思ってももう遅い。子供、特に男の子はこういうの好きなんだっけ。

 笑顔になってくれるのは良かったが、今の方があらぬ疑いかけられる要素たっぷりになったような……。


「怖い人いたら守ってくれる?」


「え、う、うん! もっちろーん!」


「怪獣がきたら戦ってくれる?」


「そりゃー、え? 怪獣? が、がってんだ!」


「魔王マンみたいに!?」


「どーんとまかせなさい!」


 二歩分の接近の代償は、色々と大きかった。変な人が怖い人から男の子を守る図は、私の頭をもってしても想像できない。

 それに怪獣とか、魔王マンって。この年の子って、戦隊ものが好きなイメージだけど、むしろ魔王ってやられる側だよね。今じゃあ正義の味方も兼任してるのか。

 見事乗せられる形となり、男の子に向かってドンと胸を叩いて立ち上がってしまいながら、冷静な自分はそんなことを考えていた。

 それでも、少しだけ私も面白くなっちゃって「じゃあそんな君にアイテムを授けよう」と、近くにあった屋台でわたあめとジュースを買って渡してあげる。


「いいの!?」


「大事な回復アイテムだから、考えて使うんだぞー」


 二十三にもなった大人が、迷子の子供の扱いにこんなにも手こずるなど情けないが、さてこれからどうしよう。

 そんな状態で、苦笑しながらはぐれ人探しはスタートしてしまった。

 小さな背中を三歩ほど後ろから見守り、男の子が振り返る度に笑顔を作る。そうすると、本当に楽しそうに笑うんだから子供って不思議。私の方がさっきまでの鬱屈とした気持ちから助けてもらってる。


「ところでー、君は誰と迷子になったのかなぁ。お姉さんにぜひとも教えてほしいです」


「え……、どうしてぇ?」


「だって、もしその人をお姉さんが怖い人だーって倒しちゃったら大変じゃないですか」


 そう言うと男の子は突然「倒しちゃダメ!」って叫んだものだから、びっくり。分かったから、わたあめは振り回さないで欲しいな。わりばしが刺さったら大変だ。

 お父さんにしろお母さんにしろ、この子はよっぽど大好きなんだろう。ドウドウと中腰で落ち着くまでなだめてやればやっと、誰と一緒にここに来ていたのか教えてくれた。

 男の子曰く『コーコーともうすぐさよならする、オオカミみたいにカッコイイ兄ちゃん』だそうだ。全脳細胞を駆使して解読した結果、恐らく『高校三年生の、ちょっとワイルドなお兄さん』だと思われる。親じゃなかったらしい。

 普通に聞いたら、なんだか童話チックだ。猛々しい傷を負った一匹狼と、群れからはぐれてしまった渡り鳥の感動的なお話が浮かんできた。狼だけだったら、まっさきに赤ずきんちゃんが出てくるんだけどね。


「君はお兄さんが大好きなんだねぇー」


「うん! 頼んだら、いっつも魔王マンごっこしてくれるよ!」


 そっかそっか。頷きつつ、帰ったら魔王マンなるものを検索しようと決めた。

 捜索は再開され、小さな背中を眺めながらふと思う。私もいつか、過去をちゃんと振り切れて結婚できたら、こんな無邪気な子供と出会えるんだろうか。まあ、その時は高校生でヒーローごっこにつきあってあげる、面倒見の良いお兄さんみたく迷子になんてさせないけど。


「いっそのことこっちは二人だし、お兄さんを迷子にしちゃおっかー」


「えっ、迷子なの!? じゃ、じゃあ急いで探してあげないと!」


 うわー、子供っておもしろい。今まで好きでも嫌いでもなかったけど、なにこのおもしろさ。

 ふと口を出た言葉で男の子の焦り具合がひどいこととなり、たぶん無意識だったんだろうけど、後ろを歩いていた私をせかすように突然その距離がゼロになった。

 指を掴んだ手は、想像していたよりとても小さい。


「あ……」


「ほら、わたあめホッペについてるぞー」


 気付いてびっくり固まる姿は、出来ることなら今すぐカメラに収めたい可愛さだ。その誘惑に耐え、プニプニな頬に張り付いたわたあめを取ってあげる。

 変な人と言った手前どうして良いかわからず、けれど離すタイミングも見失ったといったところだろうか。

 そろそろ若いからって理由で肌ケアをサボる事ができなくなった身としては、羨ましすぎる柔らかい肌をした鼻を押してみると、大きな瞳をぱちくり。やだ、食べちゃいたい。


「新たなアイテムを入手しますかー」


「え……?」


「なんと、たこやきはオオカミの捕獲アイテムです!」


「そう、なの?」


「このミッションではそうなんですよー」


 いっそのこと子供だけが欲しいかもと、男の子と接していて思い始める。

 子供なら愛せる気がした。父親がいなくても良いなんてそれは勝手なエゴだけれど、たとえば愛してくれなくても良いって言ってくれる人がいたとしたら、そこでもう結婚しても良いかもしれない。もしくはお見合いで、開口一番で愛してくれなくて結構ですと宣言してしまうのもありかも。

 私の適当な発言に首を傾げる男の子の髪をクシャリと撫でてやり、これなら迷子案内所へ連れて行けそうだと、たこ焼きを餌に子狼の誘導作戦を練る。

 そんな時、前方から何やら切羽詰ってそうな人の必死な叫び声が、微かながらも聞こえた気がした。


「――! タク、どこだ!?」


 左手を結局掴んだままな子の旋毛へと視線を落とし、もう一度耳を澄ます。

 そして「タク、くん?」半信半疑で呟くと、男の子は飲んでいたジュースのストローから口を離して私を見上げた。


「どうして名前知ってるの?」


「おぉ、たこやきのワードだけでミッションクリアだ!」


 まさかの展開。自信はなかったけれどこの年の子ぐらいならなんとかなるかなと、タクくんの脇をグワシと掴み渾身の力で持ち上げる。そうすると空気がこうパアッとなって、タクくんが「にーちゃん!」と叫んだ。


「タク!」


「わ、ちょ、手を振るのはまって! バランスが!」


「え? わぁ!」


 しかし、持ち上げるのはどうにかなったんだけれど、まさかタクくんが全身で手を振るとは思わなくて、感動の再会は私のせいで大惨事へと変貌してしまった。

 怪我をさけちゃまずいとなんとか庇うのには成功するも、お尻をしたたか打ちつけてしまう。タクくんが持ってたジュースもパァだ。半分近くを地面が飲んでしまった。


「いったぁ。怪我、なかったぁ?」


「お姉さんだいじょーぶ?」


 さすがに涙が滲んだ。スカートをはいてこなくて良かったと思う。

 ともかく腕の中で心配そうに見上げてくる瞳へ微笑み、立たせて全身を確認し怪我がないことにホッと一息。そして、駆け寄ってくる人の方へとタク君を向けて背中を押す。

 一度だけ振り返ってくれたけれど、「ミッションコンプリートだよ」そう言って手を振ったら安心しきったらしく、ちょっとだけ泣きそうになりながらオオカミお兄さんの方へと走り出した。


「さて。今の内にっと」


 子供は誤魔化せてもそれ以外だと色々説明しずらい発言をしまくった手前、是非とも顔を合わせたくなく、これをチャンスに「良かった、良かった」と来た時とは違うやり遂げた感たっぷりに帰路へ着こうとした私。いやはや、タクくんのオオカミ表現を侮ってはいけなかった。


「――おい、おい!」


「ひゃい!」


 方向転換をして歩き出した途端、二の腕を大きな手に掴まれる。ドスの聞いた声は心臓に優しくない。

 一本残らず毛が逆立ち固まる私を捕獲した狼さんは、タクくんを軽々片手で抱っこした状態で息が整わないまま今度は狩りに勤しんだらしい。勿論獲物は私である。


「な、なにか?」


「あんた、お礼ぐらい言わせてよ」


 ただ、この狼は獰猛そうでもとても優しい目をしているなと思った。ヒーローごっこをしているのは、到底想像できないけど。

 兄弟にしては、すごいほんわかした雰囲気のタクくんとは正反対であまり似た印象は受けないけれど、良い人なんだろうと思う。高校生にしては、むしろ私より大人っぽいし。


「あー、おかまいなく。いえ、ほんと」


 同志を助けただけですから。横目でお兄さんを確認し、決して目は合わせないよう気をつけながらその言葉を呑み込む。

 目が合ったら狩られるなんて、そんなこと思うのは相手に失礼だと分かっていても、いや私凄腕なエスピーなんて嘘ですから。そう汗ダラダラで焦っていたところへ追い討ちをかけたのが、あろうことかタクくんだった。


「このお姉さん、凄腕のえすぴーで人生の迷子なんだって」


「ちょっと、いえ、すいません!」


 子供が可愛いだけの生き物だと思ったら大間違いだ。変人呼ばわりはまだ許せても、無垢な顔してまさかこんな裏切りを。焦ってタクくんへと顔を向ければ、必然的にお兄さんへ私の顔がはっきりと見えてしまう。


「あんた……、嘘だろ」


 すると何故か、驚いた表情をしていて首を捻った。それはタクくんもで、どうしたんだろうと私とお兄さんを見比べている。

 そんな私たちを置いて、さらに何故か狼さんは静かにゆっくりと私の名前を――口にした。


「え……? なんで、名前」


「やっぱりそうだ」


 フルネームで呼ばれれば、人違いなわけがなく。しかも私が肯定する形で驚いた瞬間、なんてことだ、狼が凄い柔らかい笑顔を浮かべてくる。

 その表情はタクくんとそっくりで、やっぱ兄弟なんだなと思わせたけれど破壊力が段違い。どこか仏頂面で愛想がなかった分、ギャップが。ギャップが――!


「お姉さん、顔まっかー」


「あ……、う……」


 ケタケタ笑う声が耳を打つ中、目の前で輝く笑顔への正しい反応が思いつかず、馬鹿みたいに言葉じゃない声を漏らす。

 その間に狼が、少し眉を下げながら「覚えてないか?」なんて聞いてくるから、混乱は最高潮だった。

 けど、ふと目が行った右耳に付けられた三つのピアスの内一つ。それに見覚えがあると思った瞬間、記憶が蘇った。

 驚きで思わず口に手を当ててしまい、すっかり忘れていた焼きそばの袋がガサリと鳴る。中身はもうぐちゃぐちゃだろう。


「嘘でしょう……」


「それ、俺が言ったセリフ」


 それにしてもなんてことだ。地元だからって、こんなことがあるんだろうか。

 しかもタイムリーというか、なんというか。出来ればやめてほしかった。だってこれじゃあ、まるで私が期待して帰省してきたみたいじゃないか。

 まあ、だとしてもこの場合ちょっと違う。つまりあれでしょ、この子達は――


「お兄さん、は……、元気?」


 努めて冷静に、大人な仕事モードに入ろうとしたけれど――駄目だ。やっぱりどもった。

 長かった四年も、この二人にとってはきっとあっという間だったはず。おばさん臭いなと思ってぎりぎり言葉にはしなかったが、どうしても大きくなったなぁって感想を持ってしまう。

 愛した分、愛して欲しかった――

 そう告げられて別れた元彼と過ごした時間の中には、四年分幼い二人も居る。特にタクくんなんて、自分が思春期真っ只中で親がこさえた子供だったものだから、ひどい騒ぎ様で。生まれたばかりに抱かせてもらったことだってあった。

 最後に会った時ですら、危なっかしい足取りでちまちまと。怖くて近く付くことさえ出来なかったというのに――ほんと、大きくなったなぁ。


「あんな奴、知らねぇ」


「そういえば仲、悪かったっけ」


 私にとっては弟くんとして記憶にある狼さんは、元彼の話題を出した途端怖い顔に戻ってしまった。

 立ち去るタイミングも完璧に見失ってしまって、ほんとどうしよう。もうなんでも良いから空気を変えて欲しいと、チラリとタクくんへ視線をやったら――なんてこった、船漕いでるよ。手立てが無いじゃないか。

 そうしている間も、狼さんは険しい顔して腕を掴んだまま。昔の方がもっとやんちゃで見た目は怖かったけど、今は今で大人っぽくなっていて、男性として少したじろぐ。


「俺……、春で高校卒業すんだけど」


「あー、うん。今日は受験の息抜きかなにか?」


「受験は余裕。つーか、相変わらずなんだな、あんた」


「へ……?」


 すっごい自信だな、おい。鼻で笑ったよ。

 どうしてか嫌な予感が募り、気持ち腕をぐいぐい引っ張ってみた。が、動かない。

 狼さんが気付いてか、ジッとこちらを凝視する。

 もう少しだけ引っ張ってみるが、微動だにしない。

 非難を込めて見上げてみて、なんかムカついてきた。細い眉毛が少しだけ上がってるんだけど。


「えぇい、離せーい」


「離すかよ」


 そうして最終的に頂けたのは、意地の悪い笑い声でした。


「離すわけねぇだろ」


 四年という歳月は、それぞれできっと軽くて重かった。みんな、何かしらを抱えながら過ごしているのかな。二度目の言葉は同じはずなのに響きが全然違っていて、そして気付いてしまい驚愕で固まる。

 私だって、アホだけどそこまでバカじゃない。いや、信じられないけどさ。それでも、決して恋愛音痴ではないもの。

 猛々しい狼さんはその隙を見逃さず、隠していた牙を前面に出して喰らいついてきた。


「四年前、殴っといた」


「誰を……?」


「兄貴。歯、何本だっけな。二……三? 折っといた」


「へ、へぇ……」


 本気で喰われると思った。見た目だけじゃなく、中身もやんちゃだったのか。

 そういえば顔を合わせる機会はそう多くなかったけれど、何度か怪我してたことあったっけ。そう考えるとタクくんと元彼は雰囲気がそっくりで、まるでこの狼は犬の家族の中に間違って生まれてきた感じなのかもしれない。

 すぅすぅと寝息をたてちゃってるタクくんの頭上で、その微笑ましさとは正反対のドヤ顔が広がっている。だが、これはお礼を言う場面なのか?


「じゃ、じゃあそろそろ……」


 苦しい。苦しく無理があるが、致し方なし。最早強行突破も辞さない覚悟で、渾身の力で腕を引っ張った。

 けれどもやっぱり、さっきと同じ言葉を頂くだけで、狼さんはさらに言いました。


「迷子、なんだろ?」


 蕩けるような幼い笑みはとても厄介だ。私から思考という能力を悉く奪っていく。

 そして耳元で囁かれた言葉に、私はこんどこそ命掛けの逃走をはかり、子狼を抱いた狼に引きずられた。


「卒業したら、俺、迷子捜しに出かけるつもりだったんだよね」


 その四年は、ううん。七年間は、決して軽くはなかっただろうに。それでもはっきり、あなたは言った。


 ねぇねぇ、狼さん。あなたの目は耳は、口は、一体何の為にあるのでしょう。赤ずきんを被っていない私にも、ぜひぜひ教えて下さいな。

 正しい迷子だけが、無垢に森を抜け出せたらしい。






 七年前の春と夏の境目――

 それは、人生で最悪な瞬間だった。今でもうまく言い表せない出せないほどに。


「これ、俺の彼女」


「よろしく!」


 兄貴が紹介してきたその人は、全力で生きてるような人だった。

 全身で笑って、全身で怒って。それを兄貴は素直だろうと照れながら言っていたけど、俺は違うと思った。

 自覚したのは何度か家に遊びに来ている姿を見かけてからだが、アホらしくても正直これは『一目惚れ』ってやつだったんだろう。

 でも、その人は兄貴の彼女だった。悔しいほどお似合いのカップルで、立ち入る隙間なんて微塵もない。

 これが他人であれば身を引くだとかは言語道断でも、目の前で楽しそうな姿を見せられればそりゃあ闘争心も萎えてしまう。

 なのにあんたはお構い無しだった。

 その日も家に来ていたせいでどうしようもなく一人苛々していると、部屋へ響いたノックの音。扉を開けると、なぜか笑顔なあんたが居た。その時の驚きは今でも忘れない。


「今日、誕生日なんでしょう? おめでとう!」


 そうして差し出された小さな包装の中には、シンプルなピアスが入っていた。

 兄貴に聞いたからと、「じゃ!」なんて手を上げて戻っていく背中を、俺がどんな気持ちで眺めていたか。あんたは知らないだろう?

 あんたにとってはただの弟だったかもしれないが、それから俺の耳には一種類だけ変わることのないピアスが常に輝いた。

 馬鹿みたいだろ。だとしても、変わることができないなりに、しまい込むつもりだったんだよ。

 それが変わったのは四年目の頭、俺がただの餓鬼から少しばかり背のびできるようにはなった春だった。

 家を出て一人暮らしをしていた兄貴が帰ってきた時、そこにはあんたの気配がどこにも無かった。

 折を見て問い詰めて知ったその言葉を、あんたは実際どんな気持ちで聞いたんだろう。

 男としても、あんたのことを考えても、腸が煮えくり返ったよ。

 あんたはただ、感情を上手く自然に出せないから常に全力だっただけだ。兄貴への気持ち、あんたなりに精一杯伝えていたことを俺は知ってる。

 なのにあんな我侭を、贅沢を笑って許し一人で泣いたのかと考えれば、抑える暇も無く手が出てた。

 でも――その時はあんたを追いかける力が俺には無くて、必死に耐えたのがこの三年だ。

 どれだけ悔しくても俺は高校に入ったばかりで、あんたはもう大人だった。

 その間、どんなことをしていたか教えてやれば、笑ってくれるだろうか。なにやってんだと怒っても、子供だと笑って許して欲しい。

 あんたの母さんがパートで働いている場所で俺もアルバイトをしてどこに居るのか把握しつつ、誰にも文句を言わせない所への進学が出来るよう一人ひっそり勉強をして、そうやって会いに行こうとしていたこと。

 もう、誰のものでも手出しできないわけじゃなかったから、遠慮するつもりは無かった。

 目はあんたの姿を追い、耳はあんたが兄貴へ笑う声を拾うしかできなくて、口はその感情が間違っても出てしまわないようにきつく結ぶしかできなかったけれど。今の俺の手は、逃がさないよう強く腕を掴むことができて、腕は抱き締めたって誰にも文句は言わせない。この身体は全部、あんたの為にあるんだから。

 愛さなくて良いよ。無理に、伝えて来ないくて良い。

 なぜなら俺が、自分で勝手に拾うから。だから、笑いたいときだけ笑って、泣きたい時に思いきり泣いて。そうやって俺を想って欲しい。

 愛した分愛し返せないというのなら、愛せるだけ俺が愛してやるよ。

 返せないからと拒絶するなら、だったらとことん受け取ってくれるだけでいい。

 だって、七年分も溜まっているんだ。

 だから、愛せるだけ愛してやるのは、お安いご用だ。勿論、ご褒美はもらうけど。

 美味しいブドウ酒の代わりに、たった一つのご馳走を――

 腹が膨れることは、たぶん一生ないと思うけどな。







 今までで一番のノリ書き上げです。ミッションなのにアイテム。色々混ざってるのは仕様です。

 それよりも男性のみなさんは、草食でいるよりもギャップで防御……、むしろ攻めるべきだと常々思います。

 最大の武器ですよ、ギャップは!

 というわけで、お暇潰しにでもなれば幸いです。



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