異世界で暇してたら ――1.ご令嬢は今日も俺を巻き込む――
「ふわぁ~……」
学園の庭園に置かれた白いベンチで、俺――クロガネは青空を見上げながら盛大にあくびをした。
制服である砂色のえんび服に、平民男子を示す灰色のネクタイ。短い黒髪を撫でる風だけが、俺の相棒だ。
ここは王立騎士学園中等部。
貴族の子弟ばかりが集まるこの場所で、平民の俺はいつも「派閥の外側」にいる……いや、正確には外側にいる方が楽だ。
派閥争いも、家同士の駆け引きも、俺には関係ない。
「退屈なら剣術騎士団の練習に加われば? 筋肉ゴリラのクロガネ君?」
背後から、氷のように澄んだ声が降ってきた。
振り返ると、上級貴族のご令嬢――フランソワーズが立っていた。
完璧な金髪縦ロール。完璧な姿勢。完璧な微笑。
……そして、完璧に人を煽る。
「軟弱な剣術は、俺に似合わない」
以前、貴族の令息に頭を下げて練習に混ぜてもらったが、あれは、お花畑でのお遊戯レベルだった。
俺の筋肉が泣いた。
「そう言うフランソワーズ嬢こそ、魔法騎士団に入らないのか?」
彼女の魔力量は魔王レベル。学園でも知らぬ者はいない。
「不甲斐ない魔法なんて、私には似合いませんわ。それより……あれ」
フランソワーズの視線の先で、令息と令嬢が揉めていた。
(君との婚約は解消する)
(なぜですの? そちらの令嬢はどなたですの?)
……修羅場だ。
「ワレラ様がロリー嬢との婚約を破棄して、浮気相手に乗り換えるようですね」
フランソワーズが淡々と言う。
その横顔は、どこか冷たく、どこか寂しげにも見えた。
「クロガネ君の世界では、婚約破棄は罪になりますの?」
彼女は、俺が日本から転移してきたことを知っている数少ない人物。ただし、俺の「異質」を面白がっている節がある。
「ただの揉め事なら示談だが、詐欺なら罪になる」
「そうですか」
フランソワーズが氷の微笑を浮かべた。
その奥に、確かな怒りが宿っている。
「まさか?」
「もちろん手伝ってくれますよね?」
逃げ道は、最初から用意されていなかった。
◇
模擬パーティー会場。令嬢たちが初めて社交界にデビューするための練習の場だ。
フランソワーズは誰よりも美しく、誰よりも近寄りがたい……彼女は、貴族社会の腐った部分を心底嫌っている。
「ワレラ様、私は唇を湿らせたいですわ」
フランソワーズが、あの令息に近づいていく。
「光栄です、フランソワーズ様。どうぞ、このグラスを」
令息は即座に飲み物を差し出した。
その目には、下心と野心が混ざっている。
「ありがとう。では、お優しいワレラ様に……乾杯」
グラスを軽く合わせる――いや、触れない程度に。
次の瞬間、フランソワーズがふらついた。
「どうしました、フランソワーズ様?」
「ええ、なんだか気分がすぐれなくて……」
俺への合図だ。
令息は焦りながらも、どこか期待しているような顔をしていた。弱った令嬢と二人きりになる状況を、妄想している。
俺の胸の奥が、少しだけ熱くなった。
「休憩室を用意してあります。ワレラ様、エスコートをお願いします」
「わ、わかった」
令息は困った顔をしつつも、口元がわずかに歪んだ。
――こいつは、絶対に許せない。
◇
令息はフランソワーズを支え、休憩室の扉を閉めた。
俺は侍女を呼び、そっと扉を開ける。
「キャー!」
フランソワーズの叫び声。
その声には、演技だけではない「怒り」が混ざっていた。
「え、誤解です!」
令息の慌てた声。
「誰か!」
侍女が叫び、多くの学生と教師が集まってくる。
「気分がすぐれないお嬢様に水をお持ちしたら、あの令息が乱暴を!」
侍女は作戦を知らない。だからこそ、表情に真実味がある。
「ボクは、まだ何も、信じてくれ!」
令息が逃げようと走り出した瞬間――
「ゲボッ」
俺の拳が、静かに、確実にみぞおちにめり込んだ。誰にも気づかれない角度で。
フランソワーズが、ほんの一瞬だけ俺を見た。
その瞳には、感謝と……安堵があった。
◇
「ふわぁ~……」
庭園のベンチ再び、いつもの場所。俺は、いつものとおり大きなあくびをした。
「ワレラは追放となりました」
フランソワーズが、紅茶でも飲むような軽さで言う。
「これでまた、フランソワーズ嬢へ令息は近づきがたく――」
「かまいませんわ。私には可愛い令嬢たちがいますから。ほら」
俺の言葉を遮った彼女、その視線を向ける先から、甲高い声が近づいてくる。
「フランソワーズ姉さま、ここにいらっしゃいましたのですね!」
可愛い令嬢たちに囲まれながら、フランソワーズはふと俺を振り返った。
その微笑みは、氷ではなく――ほんの少しだけ、温かかった。
―― またね ――




