いつもの二人
簡単な話だ。彼女には秘密があり、そして彼にも秘密があった。
彼女の名前は、名誉のために伏せよう。
彼女は玄関の扉をかけると、家主へ声をかけた。
「おばさん、こんにちわ」
「あぁいらっしゃい。あの子まだ帰ってないわよ」
「えぇ……」
「あがって待ってたらいいわよ、すぐ帰ってくるでしょ」
「すいません」
一礼し、靴をぬいで揃えて二階へ向かう。(親しき仲にも礼儀あり、よね)と小気味よく階段を上がって、部屋の前で一呼吸。中には誰もいないと分かっていても緊張してしまう。
開けると男子の部屋にしては、よく片づいていた。
彼女はゆっくりと扉を閉めると、満足そうにベッドへとダイブする。
(ひゃぁあほぉい!)
顔を枕や掛け布団に埋めて、勢いよく吸い込んだ。うつ伏せのダース・ベーダーが誕生する。
(この匂いぃぃ。スハスハ、クンカクンカ)
ゴロゴロとベッドの上を転げ回る。
(補給中、給油中、受領中)
ある程度楽しんだのか、ピタリと動きを止めて徐にベッドから降りて、ベッドメイキング。
ベッドの激しさとは打って変わって、ふぅ、と可愛らしいため息をついた。
と、時間を計ったように部屋主が扉を開けて入ってくる。お行儀よく座る彼女に面食らっているようだ。
「おかえり?」
「ただいまは?」
「あ、はいタダイマ」
「おかえりなさい」
眩しいくらいの笑顔だ。彼は認識のズレに少々戸惑っていた。目の前の彼女にではない。
自分の常識という認識だ。目の前の彼女は、彼が作り出した幻なのではなく幼稚園の頃からの知人であり、彼にとっては初恋の相手であり、そして今もなお想い人でもある。
幼馴染みが部屋に入り浸るというのは、フィクションの中の話だ。
現実は残酷で冷酷だ。年頃になった男女はだいたいにして、距離を置く。なんなら女子の方から距離を置く。
そういうものだと、彼は理解しているが、目の前の幼馴染み(人望篤し、美少女、頭脳明晰、人柄性格よしの数え役満)は何かと構ってくれるし、よくしてくれる。
もしかしたら自分のことが好きなんじゃないかと錯覚してしまいそうになるが、なる度に現実はそんな甘くはないと自分を戒めた。
(あぶないあぶない、折角勉強を教えてもらう約束をしたのに)
彼は久しぶりの二人きりの時間だ。人気者の彼女と接するとき、いつもは誰かがいる。昔とは違い今は、それが普通だ。高嶺の花になってしまった彼女をただただ近くで眺めている幼馴染み、それが自分なんだと彼は自分を納得させた。
「あ」
彼の視線はベッドが整えられていることに違和感を持っていることを意味する。
「ん?」(やっべ、ベッドでハシャいだことがバレたか?)
「もしかして、……」(ベッドに脱ぎっぱなしのパジャマとか置いてたか、もしかして?)
「どうしたの?」(まずい、ベッドを勝手に整えたとなると、彼にHENNTAIということがバレてしまう。久々の二人きりなんだぞ!こちとらテンションあがりすぎて、昨日風呂二回はいったんだぞ)
「ベッドに変なものあった?」(見たくない物があったのか……、いや、それともオカンか?)
「ん……変なもの……?もしかして、エッチな本とか隠してるの?」(ほぅ、……もしそのような物を所持しているなら即刻没収して、性癖の解析にうつるが……?)
蠱惑的に笑った後、ジト目の彼女にたじろぐ彼。
「違う違う、何もないならそれでいいんだ」(この反応は恐らくセーフ、こちらに落ち度はない筈……多分)
「ふーん、まぁいいわ。変なこと隠してるんだったら今度何かおごってもらうから」(あぶねぇ!この反応はバレてねぇ。エロ本を隠してるなら、見つけたいが、いや、ここは深くツッコンで警戒されるのは不味い)
「えぇ、この間もそう言って駅前のクレープ奢らせたじゃないか」(ちょ、……デートみたくなる。また同級生に目撃されて冷やかされるのは勘弁だしなぁ……、行きたいけど)
「うーん、ほんとに何も隠してないなら堂々とすればいいじゃない」(デート、デート、デート。マジデート)
コホン、と彼女は可愛く咳払いをした。思わず彼はドキリとする。
「で、今日は勉強を教わりたいんでしょ?」(いかん、このままではガメツイ女と思われてしまうかもしれん)
「あ、うん。古典の、その」(駄目だダメ、変な期待をするな僕)
「ノートだして、ほら」(接近接近マジ接近)
「わかったよ」(心頭滅却、平常心、通常運行)
彼女が自分の隣を席をトントンと軽く叩いた。
「いや……近くない?」(え…………?)
「じゅあどうやって、教えればいいの?」(密着密着、マジ密着!)
「そ、それもそうか」(だめだ、意識しちゃ)
「……変な事考えてないで、ほら早く」(け、計画通り!!……押し付けて意識させていクゥ!!)
「あえあ。うん」(落ち着け、今日は勉強を……)
今日何回目かも分からなくなってきた動揺に彼は麻痺し始める。ただ顔が熱く感じた。
彼女の説明を聞きながら、教師から出題された問題集をのぞき込んでいると、段々とそれに没頭して、その熱はなくなっていった。目の前の問題に集中する。
隣に座った友人の手助けもあって、徐々に理解が進み、唐突に小さな閃きが発生する。
「あぁ、なるほどね」
思わずつぶやく。彼が授業中につけた教科書のメモに納得していた。黒板に書かれたことをノートに書き写さない彼は、どんな授業でも聞くだけだ。
「何がかな?」(横顔が良い、この間近な感じが良い)
「いや、この解釈の仕方、うん、納得できたから、ありがとう」(結局、古語の翻訳したあとの問題だよな……)
「……っ!」
彼女は突然に正面から見つめられて照れてしまった。
「どうした大丈夫?耳赤いけど」(空調設定間違えたかな?やべ、気の利かない男として嫌われてしまうかも)
彼は立ち上がって、部屋の温度を確かめるために立ち上がる。「ぁ」と彼女の吐息が漏れたが、彼は気が付かなかった。
その丁度に下の階から、彼の母親の声。
声に反応するように彼女は、時計を確認すると「あぁもうこんな時間じゃない」と荷物をまとめ始めた。
「え?あぁ、今日はご飯いいの?多分、用意してると思うよ」
「私の家にもご飯あるの。太らせたいの?」(あぶねぇ、今キュン死にするところだった。頭真っ白になって、なんなら押し倒しそうになった。……姑としておばさんとの関係は良好。料理は美味いけど、何度も御呼ばれしてると厚かましいと思われかねない。ここは戦略的撤退)
「そ、そんなことないよ」(怒ってないよな、嫌われてもなさそう……。セーフ)
「それともサイズが変わって服が入らなくなったら買ってくれるの?」(口実口実、デート口実。買った服を脱がせたくなるのは、野郎の性なのだと聞きました、えぇ、どこぞの偉人も言うてました)
小悪魔のように挑発する彼女の問いに、彼は少しはにかみながら「買い物くらいなら一緒に行くよ」答える。
ポン、と小さな音が聞こえてきそうな勢いで彼女は顔を赤くした。
「え、大丈夫?顔赤いんだけど」
「なんでもない。……帰る‼」
勢いよく部屋を出る彼女。「そこまでだけど送るよ」と追いかける彼。
「いいよ、隣なんだし」「いや、でも。送るよ」
ちいさな声「バカ」
「なんか言った?」
「何も言ってない」
「うん、そっか。今日はありがと、また明日ね」
彼は彼女の家の門扉の前で軽く手をあげた。
「……。また明日」
彼女はそんな彼をまぶしそうに見る。
街灯と家から零れる光のせいだ、と彼女は心の中でつぶやいた。
それは彼に届くことはない。
いつもの二人の会話。




