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にくゑ-禁断の因習村百合ホラー-  作者: カクナノゾム
第十二章 封じの井戸
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ある愛の姿

 姿を現した宗次だが、何としたことだろう。その顔は、確かに宗次のものだった。日に焼けた肌、角ばった顎、千鶴が愛した優しい目。しかし首から下は、もはや人間のそれではない。筋肉が異常に発達し、皮膚の下で何かがうごめいている。腕の関節は本来あるべき数より多く、指先には爪の代わりに小さな牙が並んでいる。


 それでも、宗次は千鶴に向かって手を伸ばした。


「……ひとめ……お前に会いたかったんじゃ……」


 声は掠れていた。喉が潰れているのか、空気が漏れるような、かすかな響き。それでも千鶴の名を呼ぶ時だけは、昔の優しさが戻ってくる。


「もう……ええ……村から、逃げぇ……」


 千鶴の足が止まる。夫の変わり果てた姿を見つめて、一瞬だけ息を呑む。だが次の瞬間、その顔に浮かんだのは恐怖ではなかった。深い、深い愛おしさだった。


「ああ、会うべきじゃなかった……」


 宗次の声に苦痛が混じる。自分の醜い姿を妻に見せることの辛さ、それでも会わずにはいられなかった切なさ。


「早く……村から……逃げろ」


 最後の理性で、宗次は妻を守ろうとする。だが千鶴は首を振った。


「やっと……」


 千鶴の声は震えていた。でもそれは恐怖ではなく、感動で震えているのだった。


「やっと、迎えに来てくれたのね」


 血の気を失った唇が、焚き火の赤い光を映している。それはこの世で最も美しい笑顔だった。どんな苦難も、どんな変化も、愛する人への想いを変えることはできない。そんな強さが、千鶴の笑顔には込められている。


 吉川が駆け寄った。


「だめだっ!」


 医師として、人間として、あってはならないことを止めなければならない。腕を伸ばして千鶴の肩を掴もうとする。だが千鶴は、その手を振り払った。驚くほど強い力で。


 愛する人に会えるという歓喜が、千鶴に最後の力を与えていた。


 千鶴は宗次に向かって走る。


 白い服の裾が翻り、血に染まった袖が風に舞う。その顔には、花嫁が愛する人の元に向かう時のような、清らかで美しい歓喜があった。


 宗次もまた、千鶴に向かって歩み寄る。醜く変わり果てた体を引きずりながら、それでも愛する妻の元へ。


 二人が触れ合った瞬間、何かが起こった。


 千鶴の体が変化を始める。皮膚が柔らかくなり、宗次の肉と境界を失っていく。それは恐ろしい光景でありながら、同時にどこか美しくもあった。二つの魂が一つになろうとする、それは愛の極致としての結合といっても良かったのかも知れない。


 宗次の体が痙攣し、千鶴が苦痛に顔を歪める。そして、千鶴もゆっくりと肉の一つとして溶けてゆく。


 血が噴き出し、肉がちぎれる。痛みに呻く声が夜気を震わせる。それでも二人は離れようとしない。どんな苦痛も、愛には代えられないのかも知れない。


「愛してます……もう、ずっと……離さないで……」


 微かに呟く千鶴の声を、吉川は聞いた。

 彼女も、もう既に人の形を保ってはいなかった。

 悍ましい、肉の塊が、だが奇妙に美しく絡み合い、やがて二人は、もつれ合ったまま井戸の方へよろめいていく。


 千鶴の顔に、最後の笑みが浮かぶ。それは満足げな、幸福な笑顔だった。愛する人と一緒にいられる、それだけで十分だった。


 二人は井戸の縁で一瞬留まり、そして暗い底へと落ちていく。

 重い水音が響く。そして、静寂が戻る。


「なんと……なんということだ……」


 その光景を阻止できなかった吉川が、力なく呟く。

 霧がまた濃くなり、辺りの風景を包み込んでゆく。井戸の底からは、もう何の音も聞こえてこない。


「……これが、掟を破った者の末路じゃ。もし拒むならお前もこうなる」


 清一の声が、夜の静寂に響く。梓を見据えたまま、まるで教科書を読み上げるような調子で言い放つ。


 清音は両手で顔を覆っていた。肩が激しく震え、指の隙間から涙が流れている。愛することの代償を、巫女として生きることの意味を、今初めて本当に理解したのだった。


「千鶴さん……どうして……」


 吉川は井戸の縁に立ち尽くしている。両手は固く握り締められ、全身に無力感が刻まれている。医師として人を救うはずの自分が、愛し合う二人を救えなかった。その事実が、彼の心を深く抉っていた。


 だが梓だけは、動じていなかった。

 清一を見返し、瞳の奥で静かな炎を燃やしている。千鶴の愛を見た。その純粋さと悲しみを目の当たりにした。そして今、自分がなすべきことを、これまで以上に強く心に刻んでいた。


 清音を救う。どんな代償を払ってでも。


 霧が再び厚くなり、白いベールが風に揺れる。井戸の底からは、もう何の音も聞こえてこない。ただ、甘い鉄の匂いだけが夜気に残っている。


 四人の影が、霧の中、揺れながら立ち尽くしていた。それぞれが異なる想いを胸に抱きながら、長い夜の始まりを感じていた。

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