合流
川沿いの小道に差しかかったときだった。
闇の向こうに、小さな灯りが揺れている。
懐中電灯の光が、こちらに向かってくる。
反射的に息を潜める。
村人か? それとも――。
「……吉川先生?」
呼びかける声。
振り向いた光の中に浮かび上がったのは、少女の影だった。
「矢野さん……?」
灯りに照らされたのは梓だった。
肩に鞄を下げ、真剣な眼差しでこちらを見つめている。
その手には古びた文庫本と、手帳らしきものを握りしめていた。
驚きが胸を突く。
こんな時間に、なぜ。
「どうして、こんなところに?」
「先生こそ?」
梓が不審げな目で吉川を見つめた。
夜の川風が、二人の間をすり抜けていった。
吉川は光を少し下げ、警戒を隠さず口を開いた。
「矢野さん……どうしてこんな時間に外へ? 夜道は危ない、それにこの先には……」
「先生こそ! こんな時間に……」
梓の声には疑念が混じっていた。互いに探り合うように視線を交わす。沈黙が流れる。疑念と不安が、灯りの狭い円の中で交錯する。
「……先生は何かを探してるんですか?」
「君は一体何を――」
同時に問い返し、気まずい沈黙が重なった。
時間――そう、もし時間が関係しているのならば、彼女はこの村に来たという意味では佐藤家の人々に次いで短い時間だ。
もしかしたら、彼女なら。
吉川は探るように梓に問いかけた。
「……林田美穂さん、森川健太くん」
「――ッ!」
梓の反応は劇的だった。
両手を胸の前で組み、震えながら大きく頷く。
「矢野さんはクラスメイトでしたね。一緒に森川君の検査に付き合ったこともありましたよね?」
「はいっ! 先生っ! はい、クラスメイトです。良くしてくれたんですっ! でも、でも皆……誰も……」
梓の全身を鎧っていた緊張が溶けてゆく。
大きく息を吐いた梓は、言葉を続けた。
「それじゃ、先生も――二人のことを?」
「ええ、覚えています。思い出せたのは、多分偶然ですが」
彼は腕に巻いた包帯を握りしめ、低く答える。
「忘れていました。しかしカルテに名が残っていた。確かに、昨日まで診ていた子供たち」
梓の目が潤む。
「……やっぱりっ! みんな最初からいなかったって言うのに……」
吉川は深く頷いた。
「記憶は奪われても、記録は残ります。君が覚えていたことも――事実です」
「……先生」
「ですから、私たちはきっと、この村では異端で……仲間ですね」
「はいっ!」
その瞬間、梓は笑みを浮かべた。互いの疑念は崩れ去り、灯りの中に確かな安堵が広がった。それから二人はしばし話し合う。梓が清音から聞いた情報。そして吉川が目撃した怪異。
「そんな――二人の遺体? それじゃやっぱり二人は――」
「ええ、残念ですが私が見た時はもう……」
「それで、襲いかかってきた? そんな……」
「信じがたいでしょうが事実です。私はその謎の答えが、この村の祠にあるのではないかと思ったのです」
梓は小さく頷く。
「にくゑ……にくゑ様の巫女。この村に広がっている謎の中心に、その言葉があるような気がします」
「先生、これを見てください」
梓は鞄から日記を取り出す。
「母が残したものです。洞窟の祠に“清音の名を継ぐ板”があるって……」
「清音……巫女の名前は代々同じなんですね。そしてにくゑ。それは実在する何か、だと」
「はい。もし祠にその板があれば、この日記に書いてあることは本当だと思えるんです」
吉川は息を呑み、役場で見つけた古文書のことを語った。
奇しくも同じ祠の存在が記されていたと。
「ここを……読んで頂けますか?」
梓が開いたページには、彼女の出生の秘密が書かれていた。
「これは……いいんですか、こんなプライベートなことを……」
「はい、情報は共有した方がいいと思います。それがどんなことでも」
吉川は梓を見直した。年齢にはそぐわない冷静さと知性だ。差し出された日記を真剣に読みふける。
「それでは、矢野さんは虚木の家系で……村長の娘さんなんですか……」
「……この日記に書いてあることが本当なら」
「なんということだ。それでは、確かにお母さんはこの村にはいられないかも知れない……いや、それはおかしい」
「どうしてです?」
「村長とお母さんに血の繋がりがあることを知っていたのは、先代の村長と、その妻の先代の清音さんだけなんですよね?」
「……そうですね、そう読めます」
「なら、そのまま秘密を守ることもできたはず。
むしろ、今の清音さんに何かあった時のために村に残っていた方が、良かったのでは?」
しばし二人は考え込む。だが梓が吉川を見て口を開いた。
「今は行動しましょう。この先に、その答えもあるかも知れません」
「そうですね、私たちの行動も察知されている可能性もあります。急ぎましょう」
二人は顔を見合わせ、同時に頷いた。
疑念の余韻を越え、初めて「共に進む」確信が芽生えていた。
「行きましょう。場所はわかってます」
「頼みます、矢野君」
「梓、でいいです。先生」
「わかりました、梓さん」
そう答えると彼女は少しくすぐったそうに笑った。
「どうかしましたか?」
「いえ、私は父親がいなかったので年上の男性に名前で呼ばれると、ちょっと変な感じだなって……」
「酷いですね、私は君のお父さんには若すぎると思いませんか?」
「ふふ、ごめんなさい」
秘密を共有する同士が見つかったせいか、二人の空気が少しだけ軽くなっていた。
――彼女もまた、真実を確かめようとしている。
吉川は息を吐き、灯りを少し下げた。
「そこに何があるのか、確かめなければ」
しばしの沈黙のあと、二人の灯りが重なった。
冷たい夜風が川面を渡り、草を揺らす。
「行きましょう、梓さん」
「はい!」
言葉を改め、緊張感を取り戻す。
行こう。
あの子たちの命に報いるためにも。
同じものを追う者として、二人は闇の道を並んで歩き出した。
――その行く先には、この村の聖域とされている洞窟が、ただ静かに口を広げていた。待ち構えるように。




