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にくゑ-禁断の因習村百合ホラー-  作者: カクナノゾム
第九章 弐 夜の探索
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夜の探索

 生ぬるい夏の夜風が、吉川の頬をなでる。

 ――ああ、あの時もこんな風が吹いていた、と高校時代の夏を思い出しながら道を進んでゆく。

 あの時は罪のない冒険だった。

 しかし、今は違う。人の命が既に失われている。この村に秘密があるというなら、私はそれを解き明かし、これ以上の惨劇を防がなくてはならない。


 静まりかえった夜の道を歩く。

 村の夜は早く、既にあたりを歩いている人間は誰も居ない。

 だが、念には念をいれ、更に夜が深くなる時間を吉川は待った。

 静まりかえった夜には、ただ夏虫の鳴き声が響くばかり。

 欠けた月に照らされた、未舗装の道を吉川は黙って進んでいった。


 村役場は診療所からしばらく歩いた先にある、石造りの二階建てだった。

 昼間は村人たちの出入りで賑わう場所も、夜は不気味なほどに静まり返っている。

 広場に面した正面玄関は影に沈み、窓からの灯りは一つもない。

 ただ風見鶏だけが月明かりを受け、無言のまま夜空に爪を立てていた。


 吉川は懐中電灯を点け、深く息を吐いた。

 ここから先は、罪だ。

 だが――真実を掴まなければ、すべてはまた“なかったこと”にされる。


 冷たい金属音が夜に溶けた。

 意外なことに鍵はかかっていない。この村では盗人など気にすることはないということか。

 確かに、村人全てが顔見知りのこの村だ。役人もまた村の出身者で、よそ者はいない。そういう意味ではここは都会の何倍も治安はいい。

 かくいう自分も診療所には鍵などかけていなかったことを思い出し、吉川は苦笑する。


 ノブを回し、扉を押し開けると、湿った空気が胸を打った。

 中は真っ暗で、長年の埃と紙の匂いが充満している。

 懐中電灯の細い光が、帳簿棚の列をひとつずつ照らし出す。


 吉川は呼吸を整え、棚に指を滑らせた。

 古びた戸籍簿、診療台帳、村の収支記録。

 いずれも厚い和紙に墨で記され、端は茶色く脆くなっている。


 ページをめくるごとに、そこには不自然な空白があった。

 削られた名前。何行にもわたって墨で塗り潰された部分。

 その跡はあまりに生々しく、「消された誰か」の存在を雄弁に物語っていた。


「……やはり、ここでも……」


 思わず囁きが漏れた。

 公文書ですら書き換えられている。記憶が書き換えられても記録は残る、とは言い切れないということか。

 だが、これでは理由がわからない。ただ「結果」が並んでいるだけだ。なぜ子供たちが、存在ごと消されねばならなかったのか。


 吉川は光をさらに奥へ進めた。

 書庫の一番奥、壁に沿って置かれた大きな棚があった。

 不自然に壁を隠すように立てられ、その背後に僅かな隙間が見える。


 力を込めて棚を押すと、重い音を立ててずれた。

 埃が舞い、懐中電灯の光に白く踊る。


 現れたのは、狭い小部屋だった。

 畳半分ほどの空間に、古びた石の台座が据えられ、紙垂の垂れた木札や、錆びた鈴が無造作に置かれている。

 役場の中に、場違いなほど原始的な祭壇。


 台座の上には、巻物や冊子が幾つも積まれていた。

 革紐で綴じられた古文書。墨は褪せ、端は虫に食われている。


 吉川は手袋を直し、一番上の巻物をそっと開いた。

 墨の文字が、光の下で滲むように浮かび上がる。


 ――にくゑ。

 ――巫女。

 ――禁域。

 ――洞窟の祠。


 その言葉が連なり、吉川の呼吸が止まった。

 古文書には、この村の信仰の起源が記されていた。

 村を守る神としての「にくゑ」

 代々「巫女」がその身を捧げ、禁域を守り続けてきたこと。

 そして、その聖地こそが――山中の洞窟と祠である、と。


 手が震え、巻物を閉じた。

 全身に冷たい汗が滲み出す。


「……ここか」


 光に浮かぶ地図には、赤い印が記されていた。

 山奥の一点に、小さく十字を描くように。


 吉川は懐中電灯を握りしめた。

 この村の異常、その根源はあの祠にある。

 そこに踏み込まなければ、真実は見えない。


 村役場を後にすると、外はすでに深い夜に沈んでいた。

 山の稜線を越えた月が雲間に覗き、畦道に淡い光を落としている。

 蝉の声は途絶え、かわりに草むらから鈴虫の音が満ちていた。


 吉川は懐中電灯を握り直し、痛む腕を庇いながら歩を進めた。

 役場で見つけた古文書の地図――そこに記された赤い印。

 洞窟の祠。

 にくゑの信仰、その根源。

 すべての答えが、あそこにある。


 呼吸が重くなる。火傷の熱がまだ腕を焼く。

 それでも歩を止めるわけにはいかなかった。

 忘却に飲み込まれる前に、確かめなければならない。


 ――記憶は消えても、記録は残る。

 そう自分に言い聞かせながら。

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