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断片|村を出る日

【焼け跡の民家より発見された日記より】


八月十六日


 明け方、荷物をまとめた。

 持っていけるものは少ない。着替えが二組と、この日記だけ。

 

 父が玄関に立っていた。


「早う行け」


 そう言って、封筒を差し出した。中には現金が入っている。


「これで、しばらくは生きていける。東京へ行け。あそこなら誰も知らん」

 

 わたしは何も言えなかった。

 ただ頭を下げて、封筒を受け取った。

 

 母――先代の清音様はもういない。


 新しい清音様は、まだ奥様のお腹の中。

 だから今、この村には清音がいない。

 誰も、わたしのことを覚えていないはず。

 

 それでも、振り返った。

 

 井戸の前に、清一兄さまが立っていた。

 

 駆け寄りたかった。

 抱きしめてほしかった。

 でも、足が動かなかった。

 

 兄さまは、ただじっとわたしを見ていた。

 何も言わなかった。

 表情も、変わらなかった。

 

 ただ、その目だけが、泣いているように見えた。

 

「……さようなら」

 

 わたしは小さく呟いた。

 聞こえたかどうか、わからない。

 

 兄さまは、ゆっくりと頷いた。

 この人は私を妹だとは知らない。

 知らないまま、私に優しくしてくれた。愛してくれた。

 さようなら、兄さま。

 胸の中で呟く。

 

 バス停まで歩く道で、何度も振り返りそうになった。

 でも、振り返らなかった。

 

 お腹の中で、小さな命が動いた気がした。

 名前は決めている。

 この子は梓。きっと女の子。

 

 梓弓――神事に使われる、清らかな弓。

 魔を払い、邪を祓う力を持つと言われている。

 

 この子には、この村の呪いから逃れてほしい。

 にくゑ様の支配から、自由であってほしい。

 

 だから、梓。

 

 強く、清らかに、まっすぐ生きてほしい。

 弓のように、自分の道を射抜いて。


 あなたは、この村の血を引いている。

 虚木の血。そして禁忌の血。

 

 でも、あなたには普通の人生を歩んでほしい。

 

 だから、何も話さない。

 この村のことも、にくゑ様のことも、あなたの出自のことも。

 

 わたしが全部、抱えて生きる。

 

 バスが来た。

 乗り込んで、窓から村を見た。

 

 朝靄の中に沈む、美しい村。

 でも、その美しさの下には、恐ろしいものが眠っている。

 

 バスが動き出した。

 村が、遠ざかっていく。

 

 二度と、帰らない。

 帰れない。

 ごめんね、梓。私はあなたから故郷を奪ってしまうのかも知れない。 


 でも――

 

 もしもいつか、あなたが村のことを知ったら。

 もしもいつか、あなたが村へ行こうとしたら。

 

 その時は、わたしが止める。

 何があっても。

 

 あなたを、守るから。



(この後、弓子は東京で梓を産み、17年間育てる。

そして梓が17歳の時、母は病で亡くなる。

成人の儀を受けていない弓子の命は、村の外では長くはなかったようだ)

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