一時閉幕
冷たい鋼が、少女の身体から抜ける音がした。
白い霧に朱い飛沫が舞い散る。
梓の体が、ゆっくりと崩れた。
清一の祈りが途切れ、清音がようやく振り向いた。
霧がざわめき、凍り付いたような時間が動き出す。
「あゆみっ! 今すぐ――」
「ダメじゃ、やめろ、清音ッ!」
清音が口を開き書けると、あゆみを引き剥がしながら清一が叫んだ。
清一の制止に、清音は唇を噛みしめ、口を閉じる。きつく閉じた唇の端から一筋の血が流れ落ちた。清一は内心胸をなで下ろす。清音は明らかに逆上していた。放っておけば、巫女の力を用いてあゆみを殺してしまっていただろう。
「梓ッ!」
身を翻し、清音が駆け寄る。愛おしい人の元へ。
「しっかりして、梓ッ! 梓ッ!」
必死の呼びかけ。だが梓の意識は戻らない。
「清音! せ、先生を起こすんじゃ!」
清一が慌てたように声を上げる。あゆみは清一に取り押さえられ身動きが取れていない。
清音は地面に倒れていた吉川の体を揺り起こすと、吉川は短くうめき声を上げ、目を開いた。
「……あれ……私は……?」
吉川の目の焦点が合わない。清音が唇を噛む。
「先生、大変じゃ! 梓がっ! 梓がッ!」
吉川は額を押さえた。
頭が重い。記憶をかすめ取られるような、奇妙な痛み。
だが記憶は保持されている。目をはっきり開けると血相を変えた清音の顔があり、鉄錆の匂いが漂ってくる。
その方向に目を向けると――
「……梓さん! 一体どうしてっ!」
梓が血を流して倒れていた。
吉川は一気に身を起こし、梓のもとへ駆け寄る。
白衣の袖が霧を切る。
「出血がひどい。だが脈はある。止血はできる。清音さん、包帯か布を。早く!」
清音は震える手で、巫女服の袖を裂いた。
吉川がそれを受け取り、手際よく傷を圧迫する。一瞬、清音の腕が吉川の目に入る。小さな眼球と、小さな口が幾つも浮かび上がっている腕が。
吉川はそれをあえて無視すると、梓の傷口に指を這わす。指先が赤く染まる。温かい。
「命に別状はないと思うが、このままでは危ない。診療所へ運びます!」
清音は何も言わず、ただ頷いた。
霧の向こうであゆみの腕をつかんでいる清一が立っていた。
表情は読めない。
けれど、その声だけが低く響いた。
「……こんバカ娘は儂と清音が預かりますけん、先生は行きんさい。その娘を頼んます!」
梓の傍らにしゃがみこんでいた清音が顔を吉川に近づける。
「……記憶はあるんね?」
小さな声で問いかけた。
吉川は悟る。清音が自分の記憶を残しておいたのだと。
「このままでええ。忘れんで。この夜を、わたしたちを。忘れんでいてくれたら、それでええ」
吉川はその言葉の意味を胸の奥で反芻し、
静かに頷いた。
「……わかりました。彼女を診療所に運びます」
霧が、少しずつ晴れていく。
夜明けが近い。
東の空がわずかに白み始めていた。
吉川は梓を抱え、足元を確かめながら山道を下りていった。
血の跡が霧に溶け、誰のものかも分からなくなる。
清音は立ち尽くしていた。
梓の血が、自分の指に残っている。
その手を見つめ、かすかに笑った。
――まだ、間に合う。
洞窟の方でまるで何かが眠りにつくように、風が鳴いた。
井戸の蓋が音を立てる。
神は眠り、村はまた均衡を取り戻していく。
清一が井戸のそばに立ち、静かに言った。
「……これでええ。祭りはもうすぐじゃ」
神官で、父親である清一の言葉に、清音は小さく頷いた。
けれど、その瞳の奥には、清一には窺い知れない何か、妖しい光が浮かんでいる。
霧が完全に晴れたとき、
古井戸の周りには誰の姿もなかった。
◆◆◆
あとがき。
次章が最終章です。
もうすぐ終わります。
おかあさん、もうすぐです。もうすぐ。もうすく
断片も、読んで




