第8話 “観測”の眼と、森のほころび
森で“黒い穴”を見つけた翌朝。
街は、不自然なざわめきに包まれていた。
本来なら、澄んだ空気と市場の活気が混ざる時間帯だ。
だが今日は、まるで街そのものがざわついているようだった。
(……魔力の流れが荒い?)
カイ自身にも、薄い刺々しさのようなものが感じ取れた。
◆市場の不穏な噂
「……森の奥の魔力反応が乱れてるって?」
情報を集めていたミリアが戻ってきて眉をひそめた。
火属性の魔術師である彼女は、魔力のわずかな変化にも敏感だ。
「魔獣の巣が移動したって噂もあるけど……」
「実際はどうなんだ?」
「それは確かめるしかないね。カイ、一緒に来てほしい」
昨日の追加検査以来、ミリアはカイをひとりにしたがらない。
その瞳は、不安と決意の両方を宿していた。
「行くよ。どうせ暇だし」
カイは笑って見せる。
しかし胸の奥では、昨日見た“魔術陣の歪み”がまだ疼いていた。
(俺だけ……魔法が歪んで見える)
疑問は、もはや予感ではなく“確信”へ近づいていた。
◆森の入口――魔術師団の調査
森へ向かうと、すでに魔術師団が調査を開始していた。
測定器具を持った魔術官たちが、淡々と結果を読み上げる。
「魔力反応、異常なし」
「歪みも検出されず」
「魔獣の兆候もなし」
「昨日の報告は誤認の可能性が高いな」
その落ち着いた声は、“異常など存在しない”と言わんばかりだ。
(そんなはず……ない)
昨日、確かに見た“黒い穴”。
あの異質さを、見間違えるはずがない。
「これ、昨日の場所だよね」
ミリアとともに森の奥へ踏み込む。
足元には、魔術師団が設置した観測用の魔法陣が淡く光っている。
(……歪んでいる)
カイの視界では、その魔法陣が“ひび割れた格子”のように揺れていた。
そして――。
(……ある)
昨日と同じ“黒い穴”がそこにあった。
空間が破れ、その向こうに“無”が広がっているような闇。
光が飲まれ、輪郭が揺れ、世界がめくれた跡のような異常。
「っ……!」
胸の奥が圧迫され、息が止まりかけた。
魔力の干渉ではない。
もっと原始的な――存在そのものが押しつぶされるような圧力。
「カイ!? 大丈夫!?」
「……少し苦しいだけだ」
カイが答えた瞬間だった。
◆“観測”される感覚
――視線。
(また……来た)
背筋が凍る。
どこからかわからない“外側”からの視線。
森の奥でも空でもない。
方向すら特定できない。
だが、確かに“覗かれている”。
(これは……魔術でも魔獣でもない)
脈が跳ね、体の中心を冷たい手が掴むような感覚が走る。
黒い穴が脈動し、波紋が世界へ広がった。
「カイ! 離れて!!」
ミリアが強く腕を引く。
その瞬間――視線は霧のように消えた。
まるで「今日はここまで」と言うかのように。
「……助かった。危なかった、かも」
「カイ……何が起きてるの?」
ミリアは震える声で、しかし強くカイの手を握っていた。
その温かさだけが、カイを“現実”に引き戻していた。
◆魔術師団の結論は「異常なし」
少し離れた場所では、魔術師団が撤収を始めていた。
「異常反応なし。調査終了」
「魔獣の巣も移動せず」
「結論――誤報」
あまりにも簡単な結論。
カイは思わず眉をひそめた。
(……やっぱり俺にしか見えない)
ミリアが魔術官に問いかける。
「本当に異常はなかったんですか?」
「はい。測定は正常です。歪みなど存在しません」
「――誤報でしょう」
切り捨てるような声音。
「誤報なんかじゃない」
カイは小さく呟いた。
魔術官は冷ややかな目で言う。
「……魔法が作用しないあなたの言葉を、どこまで信じるべきか――我々が判断します」
(……俺は、この世界の“外側”の存在だとでも?)
胸の奥がちくりと痛んだ。
「帰ろ、カイ」
「……ああ」
ミリアと森を離れる。
しかしカイは最後にもう一度振り返った。
黒い歪みは――まだ、そこにあった。
(あれは……世界の構造じゃない)
確信だけが、静かに胸の中で根を張っていく。
◆夜――訓練場
街外れの訓練場。
夜の風が木々を揺らし、剣を握るカイの頬を撫でる。
(何があっても……守れるように)
剣を振るたび、かすかな衝撃波が闇を裂く。
魔法ではない。ただの斬撃。
だが、その斬撃は空間を震わせるほど鋭かった。
(俺は……何者なんだ)
胸の奥で、封印が軋む。
何かが目を覚まそうとしている。
そのとき――。
遠い空に、黒と白の波紋が一瞬だけ揺らめいた。
カイには、それが“はっきり”見えた。




