第74話 第三の観測者
通信越しの音が、わずかに歪んでいた。
ミリアは、その違和感に即座に気づく。
『……待って』
端末の前で息を詰めた。
指先が止まり、視線が走査ウィンドウの片隅に吸い寄せられる。
「……おかしい」
誰に向けた言葉でもない。
だが、呟きには確信があった。
カイの観測波形は、まだ完全じゃない。
亜種核との共鳴の余波で振幅は揺れ、位相も微妙にズレている。
――でも。
今、検出した揺れは、それとは“質”が違った。
(これは……ノイズじゃない)
ミリアは波形表示を拡大する。
主観測軸。
亜種核由来の干渉。
カイの観測特異点。
そのどれにも属さない、微細な揺らぎ。
あまりに弱く、あまりに静かで、
普通なら「誤差」として切り捨てられる。
けれどミリアは切り捨てない。
(……この周期……)
指が走る。過去ログ照合。
戦場より速い速度で、彼女の思考が回転する。
観測とは、見ることじゃない。
差異を見逃さないことだ。
「……嘘……」
モニターに重ねて表示された、古いデータ。
古い。
だが、忘れるはずがない。
ミリアの喉が無意識に鳴った。
「この干渉波……」
通信を開いたまま、言葉が漏れる。
「……昔、Jの観測ログで見た波形に、似てる……!」
一瞬、通信が静まった。
『……何だって?』
カイの声が遅れて返ってくる。まだ不安定だ。
「似てる、じゃない。構造が同じ」
ミリアは言い切った。
「振幅を抑えた観測。
干渉を最小限にして、対象だけを“読む”方式」
脳裏に蘇る。
Jが残した膨大なログ。
意味も分からないまま解析した、異様な観測手法。
当時は理解できなかった。
なぜ、こんなに“距離を取る”のか。
なぜ、ここまで“介入を避ける”のか。
――今なら分かる。
(直接触れたら、壊れるから)
ミリアは、ゆっくり息を吐いた。
「誰かが……この場を、遠隔で見てる」
『第三の……観測者……?』
カイの声が、わずかに震える。
「ええ。あなたでも、亜種核でもない」
ミリアはデータを睨む。
だが――位置情報が、出ない。
起点が、どこにもない。
「……座標が取れない」
『取れない?』
「うん。
“どこから見てるか”が定義されてない」
それは異常だった。
観測には必ず起点がある。
物理でも、概念でもいい。
“ここから見ている”という前提がなければ、観測は成立しない。
なのに、今の干渉には――それが欠けている。
ミリアの背筋が冷えた。
(……まるで、世界の外側から覗いてる)
通信越しに、カイが沈黙する。
その沈黙が、答えを半分だけ肯定していた。
『……J、なのか?』
ミリアはすぐに断定しない。
Jは、軽く口に出していい存在じゃない。
「……可能性は高い」
慎重に、でも逃げずに言う。
「少なくとも、この観測手法を知ってるのは……
私の知る限り、Jしかいない」
指先を強く握った。
――Jは、何もしていなかった。
そう思っていた。いや、そう思いたかった。
違う。
Jは“距離を取って”いた。
触れずに、壊さずに、
それでも――見続けていた。
(……だから、気づけなかった)
完璧に抑えられた観測。
介入しないこと自体が、最大の介入。
ミリアは通信を握りしめる。
「カイ……」
『ああ』
短い返事。
でも互いに理解している。――この事実の重さを。
「Jは……あなたが限界に来るまで、出てこないつもりだった」
『……それでも、見てた』
「ええ。ずっと」
ミリアは静かに頷いた。
「あなたが観測特異点として、
どこまで“耐えられるか”を」
『……監視、か』
「……保護でもある」
ミリアは即答で否定しない。
Jのやり方は、いつもそうだ。
世界を守るために、一人を遠ざける。
一人を守るために、世界から距離を取る。
ミリアは再び波形へ視線を戻す。
第三の干渉は、今も続いている。
前に出てこない。
波形も乱さない。
ただ――在る。
その事実だけが、重くのしかかった。
「位置は特定できない」
ミリアは言う。
「多分……意図的に消してる」
『……逃げてるわけじゃないんだな』
「うん。必要になるまで、出てこない」
その言葉が、次の予感を連れてくる。
亜種核。
観測崩壊の前兆。
限界に近づく観測特異点。
――必要になる瞬間は、近い。
ミリアは通信を切らず、静かに告げた。
「カイ。あなたは、一人で観測してるわけじゃない」
『……ああ』
「見てるのは、敵だけじゃない」
第三の観測者。
姿を見せない存在。
世界の外側から、手を出さずに見続ける者。
それが味方かどうかは――まだ分からない。
でも、ひとつだけ確かなことがある。
Jは、何もしていなかったわけじゃない。
“介入しない”という選択を、ずっと続けていた。
そしてその観測は、次の話で――
ついに限界を迎える。
第三の観測者は、
もう“見ているだけ”では済まなくなる。




